猊鼻渓命名百周年
日本百景の渓谷美を後世に
砂鉄川が石灰岩を浸食してできた約2キロメートルの渓谷、猊鼻渓。
国の名勝で、日本百景にも選ばれています。
この渓谷が猊鼻渓と命名されてからちょうど100年目にあたる8月3日、命名者佐藤猊巖の胸像除幕式が現地で行われました。
市内外の関係機関から約100人が出席。
猊巖を顕彰するとともに、この景観を後世に伝えていくことを誓いました。
猊鼻渓命名100周年事業実行委員会委員長の佐々木賢治東山町観光協会長が「私財を投じて猊鼻渓開発の礎を築いた猊巖先生の功績は誠に大きい。この遺徳をしのぶとともに、さらに100年後も伝えていかなければならない」と式辞。勝部市長は「これまで多くの災害に遭いながらもこの名勝を守ってきた関係者に敬意を表する。多くの人が猊鼻渓に足を運ぶように市も情報発信を行っていく」と祝辞を述べました。
地元のげいび追分伝承会会員と舟下りの船頭らがげいび追分を献歌。盛夏の渓谷にろうろうとした歌声が響き渡りました。
同日夕方、100周年を記念した特別企画として筑前琵琶コンサートが猊鼻渓三好ケ丘で催されました。東北各地で活躍する高橋旭盛さんが「都落ち」「粟津ケ原」の2曲を披露。
渓谷に響く琵琶の音色と情感あふれる歌に、集まった約100人の聴衆が聴き入りました。
猊鼻渓の名称は明治43年、芦東山135回忌がこの地で行われた際、画家や文人などの参会者を前に命名されたもの。佐藤猊巖は小学校校長、長坂村村長、東磐井郡議会議員などを歴任した人物で、私財を投じて猊鼻渓開発の基礎を築きました。
猊鼻渓は現在、市内では厳美渓に次ぐ入り込み客数を誇る観光地。平成21年は約20万人が訪れています。今年は秋まで百年祭として、さまざまなイベントが企画されています。
(広報いちのせき 平成22年8月15日号)