中世荘園絵図の景観が今なお残る貴重な遺跡
未来に伝えたい日本の農村風景

ここには、中世から変わらない美しい風景がある。
ここには、中世から変わらない温かい人情がある。
ここには、日本の農村を再起動するヒントがある。

厳美町字沖要害の小道で。
愛犬の散歩は日課。佐々木勅さん(厳美町字駒形)。厳美町字沖要害の小道で。

01 魅力 現代に息づく中世の風景

厳美町の本寺地区は、かつて「骨寺村」と呼ばれた荘園(経文を入れておく蔵「経蔵(きょうぞう)」の管理料を賄う土地)で、中尊寺の経蔵別当(べっとう)(寺務を総裁する僧)の所領だった。

平安浄土の国づくりを理想に掲げた藤原清衡(きよひら)は、「紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)」(国宝)の完成に功績のあった自在房蓮光(じざいぼうれんこう)を中尊寺経蔵の初代別当に任命した。
蓮光は私領の骨寺村を経蔵に寄付し、骨寺村は室町時代まで経蔵別当領として経営されてきた。

「吾妻鏡(あづまかがみ)」は鎌倉時代の歴史書である。
これによると、骨寺村は、藤原氏滅亡後も源頼朝(よりとも)から荘園として認められたことがわかる。
中尊寺大長寿院には、鎌倉時代から南北朝時代に描かれた2枚の絵図が残されている。
絵図は藤原氏に代わって支配を任された地頭・葛西氏が、荘園に対して自分の領地であるかのような動きをしたため境論争が起こり、その際に作成されたとされている。
駒形(栗駒山)を正面に、仏教色豊かな中世の荘園世界が描かれていて、当時の姿を思い浮かべることができる。

自然豊かな本寺地区は四方を山々に囲まれている。
盆地には曲がりくねった水路や小区画の水田が広がり、田屋敷と呼ばれるイグネ(防風林)に守られた家々が散居している。
絵図に描かれた社や小さな祠(ほこら)が要所要所に祭られている。

絶え間ない営みが生み出した穏やかな農村風景は、自然と共に生きてきた本寺の人たちが築き上げた日本の原風景。
絵図と変わらない世界をリアルタイムに体感できる。

全国的にもまれな遺跡は、奥州藤原氏ゆかりの荘園遺跡であるとともに、本寺の人たちの暮らしの場である。
中世から維持されている稀少性は、各方面から高く評価されている。
歴史的証拠による寺社、岩屋など9つの区域は05年国の史跡に指定された。
また、美しい農村空間は景観計画区域に定められており、その中核エリアは06年国の重要文化的景観に選定された。

骨寺村には、中世農村の景観、生業、神仏への信仰など未来へと伝えたい多くの遺産が残されている。

景観

曲がりくねった水路、小規模で不整形な水田、イグネに守られ点在する家々、要所に祭られた神社など、本寺に広がる景観は、中世に描かれた絵図とよく一致している

中世から変わらない小区画水田
(1)中世から変わらない小区画水田

本寺川沿いに広がる荘園の主要部
(2)本寺川沿いに広がる荘園の主要部

中澤の伝統的な農家建築のたたずまい
(3)中澤の伝統的な農家建築のたたずまい

要害橋から見える不ふどうのいわや動窟上空に昇った満月
(4)要害橋から見える不動窟(ふどうのいわや)上空に昇った満月

栗駒山(須川岳)に日が沈む光景は、まさに西方浄土の世界
(5)栗駒山(須川岳)に日が沈む光景は、まさに西方浄土の世界

歴史

絵図に「骨寺跡」「骨寺堂跡」という文字と建物の礎石のような図像が描かれている。
かつてここに骨寺という寺があり、鎌倉時代後期には廃寺になったことがわかる。
「骨寺村荘園遺跡」には、国の重要文化財「陸奥国骨寺村絵図(むつのくにほねでらむらえず)」に描かれた中世の世界をリアルタイムに体感できる景観が広がっている。
歴史的証拠による寺社、岩屋など9つの区域は05年国史跡に指定された。
これらの史跡に加え、水田、居住域と里山の範囲が景観法の「景観計画区域」に定められている。
そのうち中核部は06年文化財保護法の「重要文化的景観」に選定された。
骨寺村には日本の伝統的な農村風景が維持されている。

史跡

慈恵塚・拝殿
(6)慈恵塚(じえづか)・拝殿(はいでん)…逆柴山の頂きにある石を積んで造られた塚。
平泉方面から骨寺村を訪れる際の入り口。山裾の拝殿には慈恵大師が祭られている

不動窟
(7)不動窟(ふどうのいわや)…慈恵塚西側の山の中腹にある岩屋。修験活動の痕跡と考えられている

若神子社
(8)若神子社(わかみこしゃ)…風土記は吾勝尊小碓尊を祭る六所明神と伝え、ワカミコの呼称ににちなんだ研究などでは口寄せをする巫女の守護神を祭る場所と説明

要害館跡
(9)要害館跡(ようがいだてあと)…要害屋敷の裏山にある山城で本寺十郎左衛門の居城。荘園の終末を示す遺跡

遠西遺跡
(10)遠西遺跡(とおにしいせき)… 12~13世紀の土器類が発掘された荘園時代の生活の跡

伝ミタケ堂跡
(11)伝ミタケ堂跡(でんみたけどうあと)~…山岳信仰の聖地

梅木田遺跡
(12)梅木田遺跡(うめのきだいせき)…平泉の遺跡と同じ柱間を持つ建物跡。荘園経営の重要施設

駒形根神社
(13)駒形根神社(こまがたねじんじゃ)・白山社(はくさんしゃ)…駒形根神社は栗駒山を祭り、白山社は白山比咩神を迎えた場所

山王窟
(14)山王窟(さんのうのいわや)…天台宗本山延暦寺の地主神・日吉山王神を祀る窟。
骨寺村が天台宗寺院である中尊寺の所領であることを強調する岩屋

絵図

陸奥国骨寺村絵図(資料:中尊寺大長寿院蔵)
詳細絵図詳細絵図  簡略絵図簡略絵図

骨寺村絵図には東西南北の境が示されていて、田屋敷などの様子が写実的に描かれ、村の雰囲気を伝えている。
絵図を見ながら現地を歩くと、中世の荘園世界を思い浮かべることができる。
簡略絵図(仏神絵図)は鎌倉時代に、詳細絵図(在家絵図)は鎌倉時代から南北朝時代に描かれたものとされている。
骨寺村の領主だった中尊寺経蔵別当職を継承した大長寿院に伝来したものであり、中世の村落景観をうかがうことができる貴重な資料で、95年に国重要文化財に指定された。
2枚とも栗駒山(須川岳)を正面に、東は鎰懸(かぎかけ)、西は山王窟、南は岩井河(磐井川)、北はミタケ堂馬坂(まさか)に囲まれた領域が描かれている。

菅原勲さんいわいの里ガイドの会 菅原勲さん

本寺には年間30万人もの人が訪れている。
海外からの観光客も多い。
ドイツから訪れた一行の中には、本寺川沿いに広がる水田とそれを囲む山々が織りなす独特の風景に「神々が降臨する里山」と絶賛した人もいた。
世界遺産登録にはならなかったが、本寺は故郷一関の誇り。
まずは、市民の皆さんにこの価値を知ってほしい。

(広報いちのせき23年12月1日号)