04 努力 極上の日常を未来へ継ぐ人

兎(うさぎ)追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川…
唱歌「ふるさと」に出てくる懐かしくも極上の風景は、本寺の人たちにとっては日常の風景だ。
そんな美しい本寺を現在進行形のまま未来へと継ぐために、努力を重ねる人たちがいる。

佐藤正人さん

1936年一関市生まれ。
元本寺地区地域づくり推進協議会副会長。
今年発足した本寺地区小区画水田保存会の会長を務める。
国学院大学の吉田教授とは95年からの付き合いで親交が深い。
妻、息子夫婦と4人暮らし。厳美町字若神子在住。75歳

佐藤正人さん

兎追いしかの山
本寺は心のふるさと
懐かしい日本の原風景が
残されている

「日本人なら誰もが描く懐かしい農村のイメージ、それが本寺だ」と語る佐藤正人さん。
今年発足した本寺地区小区画水田保存会の会長だ。

国学院大の吉田教授とは95年からの付き合い。
荘園内の小区画水田を学習田に提供している。
同大学は、12年から化学肥料を使用しないやせた土地からどれだけ収穫できるかを5年計画で実験する。
水管理や除草など、日常の管理は正人さんが受け持つ。

「明治時代の耕作方法だから手間はかかる。その分、じっくり田んぼと付き合える。吉田教授には言葉にできないほどお世話になった。行動で恩返ししたいと思っていたから協力は惜しまない。収穫した米は学生の皆さんに送ってあげるつもりだ」と感謝する。

小さな区画の水田と曲がりくねった水路が本寺の特徴。
大規模営農時代、生産性や効率性を求めて圃場を整備したり、大型機械を導入したりする農家が増える一方で、正人さんは旧来の方法で地道な耕作を続けている。

「本寺には、唱歌『ふるさと』の歌詞に出てくるような、どこか素朴で懐かしい日本の原風景が残されている。
まさしく心のふるさとだ」と紅葉が美しい山々に囲まれたあぜ道で笑う。

近年、本寺地区には年間30万もの人が訪れている。
「地域が一つになって、おもてなしの心で迎えなければならない」と将来を見据える。
さらに「景観はもちろん郷土料理、神楽など、先人たちから受け継いだ文化や風習を守り、つないでいくことが自分たちの使命」とも。

愛する故郷だからこそ、誇りを持てる。
誇れる故郷だからこそ、守りたいと思う。
誰よりも本寺を愛している。

佐藤光男さん

1947年一関市生まれ。
30年以上にわたり、骨寺村の歴史について研究を重ねる。09年4月に研究の成果である「骨寺の時代」を自主発行した。
現在も農業の傍ら、研究を続けている。
妻、長男、長女、父と5人暮らし。厳美町字沖要害在住。65歳

佐藤光男さん

かつての荘園骨寺は
俺たちの故郷だ
時代に逆行しても
守りたいものがある

「市街地から遠い本寺に生まれ育ったことに負い目を感じていた」と胸の内を明かす。

30歳の時、市内のある人を訪ねた。
そこで「本寺は一関で一番良いところ。本寺のことを知っているなら教えてほしい」と言われた。
褒められたことで意識が変わった。
地域への誇りが芽生えた。

「地域を知らなければ、何も始まらない」と早速、骨寺の研究を始めた。
以来、荘園に縁のある土地に足を運んでは、関係する文献や資料を読みあさった。
「毎晩遅くまで勉強した。徹夜したことも少なくない。同じ本を最低3回は読み直した」と振り返る。

地域への負い目を誇りに変えて、研究に没頭する毎日。
骨寺の歴史をひも解いては真の価値を見出していく。

観光客などを対象にボランティアガイドをしている。
その中で「荒れ果てた田んぼを案内するのは忍びない」と地主と交渉し、自ら耕作放棄地を耕している。

小区画水田に大きな機械は入れられない。
周りからは「今の時代にこんなに苦労して何になる」と言われたことも。
「時代に逆行していると思う。手間もかかるし、生産性もよくない。それでも続けたいと思うのは本当の価値を知っているから。粗末にできないんだ、骨寺を」とほほ笑む。

本寺の土地を守る活動の傍ら、長年の研究成果を冊子「骨寺の時代」にまとめた。

「記録として残さないと、忘れられてしまう。大事なことは次の世代へ語り継いでいきたい」ときっぱり。

「今の平泉は本寺から生まれた」という持論が繰り広げられる「骨寺の時代」には、30年にわたり蓄積してきた光男さんの知識と地域への誇りがぎっしりと詰まっている。

(広報いちのせき23年12月1日号)