全盲のテノール歌手新垣勉さんが12月1日、一関文化センターでコンサートを開き、市内、平泉町、陸前高田市と遠野市から参加した13校約千人の中学2年生(一部3年生含む)に勇気と希望のメッセージを贈った。
光のない世界に生きる新垣さんが伝えたものとは?

1伸びやかな歌声で全9曲を熱唱した新垣勉さん 1_伸びやかな歌声で全9曲を熱唱した新垣勉さん
2_主催した「中学2年生に新垣勉のコンサートを贈る会」の皆さん
3_フィナーレは、一関地方、陸前高田市、遠野市から招待された1,000人の中学2年生や一般客と「翼をください」を合唱
2主催した「中学2年生に新垣勉のコンサートを贈る会」の皆さん 3フィナーレは、一関地方、陸前高田市、遠野市から招待された1,000人の中学2年生や一般客と「翼をください」を合唱

01 上質時間

中2生を招待 新垣勉コンサート

会場のざわめきがやむ。
静寂を破るピアノの旋律が流れ、テノール歌手新垣勉さんの伸びやかな歌声が響き渡った。
一関文化センター大ホールを埋めた1200人が一気に引き込まれる。
上質な時間はこうして幕を開けた。

「新垣勉おしゃべりコンサート」(中学2年生に新垣勉コンサートを贈る会主催)は12月1日、一関文化センターで開かれた。
全盲のテノール歌手新垣さんの歌を通して、心身の変化の激しい中学2年生に人生のモデルとなる人との出会いを提供したい、大切な存在だと伝えたい、と有志が実行委員会を立ち上げて開催。
希望した一関地方(一関市と平泉町)の10校、陸前高田市、遠野市の3校の中学2年生が無料で招待された。

同日は一般(有料)の入場もあり、大ホール(1200席)は満席。
新垣さんが発信した勇気と希望のメッセージを全身で受け取った。

新垣さんは「スミレ」でオープニング。
続いて「アベ・マリア」、「雨ニモマケズ」や東北地方太平洋沖地震の鎮魂歌「青い海よ」など全9曲を熱唱。
曲間には、自身の苦難や逆境を乗り越えた経験談や人との出会いの大切さなどを語り、客席を釘付けにした。

フィナーレは「翼をください」を会場の全員で合唱。
感動の90分に幕を閉じた。

02 波瀾万丈

全盲、両親離別… 壮絶な半生

新垣さんは1952年、沖縄の読谷村に在日米軍人の父と日本人の母の間に生まれた。
出産直後の不慮の事故で両眼を失明。
光を失った。

物心もつかない1歳のとき両親が離別。
父は本国アメリカへ帰り、母は諸事情で新垣さんを手放した。
その後は母方の祖母に育てられる。
祖母を母と、母を姉と聞かせられて育った。

戦後、日本は独立したが、当時の沖縄はまだまだ米国の政権下。
住民による祖国復帰運動などが活発化する中で思春期を過ごした。

出生の真実を知ってからは、不遇のわが身を呪い「自分には生きる価値があるのか」と、自死を試みたこともあった。
「両親を殺して自分も死ぬ」と思い詰め、絶望の少年期をさまよった。
さらに追い打ちをかけるように、14歳のとき唯一の理解者だった祖母が他界し、天涯孤独の身に。
生きる希望を失った。

03 転機到来

逆境を乗り越え 夢をつかむ

ある日、新垣さんはラジオから流れる賛美歌に心を動かされた。
導かれるように教会へ向かい、そこで一人の牧師と出会う。
新垣さんは、波瀾万丈の人生を牧師に語った。
牧師は黙って新垣さんの何もかもを聞いた。
そして、泣いた。

「自分のために泣いてくれる人がいる」 牧師との出会いはターニングポイントになった。
牧師は新垣さんに、声楽家になることを勧めた。
将来に向け、希望の光が差した瞬間だった。

こうして少しずつ自分の人生を受け入れ始めた新垣さん。
逆境をばねに、前に進み始めた。
牧師を目指して高校、大学と勉強に励んだ。
聖歌隊として奉仕活動にも参加した。

その頃から、新垣さんに、たくさんのいい出会いが訪れる。
大学在学中には、イタリア人ボイストレーナーのアンドレア・バランドーニ氏に「日本人にはないラテン系の素晴らしい声」と称賛された。
さらに「あなたの歌声は、神からの贈り物であり、お父さまからの贈り物でもあります」と言われ、少しずつ両親への憎しみやわだかまりは薄れていった。
同時に自分に誇りを持てるようになった。

声楽家としての道を本格的に歩み始めた新垣さん。
歌を極めるため、34歳で武蔵野音大に入学した。
大学院修士課程を修了し、プロのテノール歌手になった。

04 一期一会

偶然開いた教科書 運命の出会い

今回のコンサートを企画・運営した吉田惠子さん=千厩町=は、20年以上も新垣さんのファン。
ずっと前から、この日を夢見ていた。だが、「いつか新垣さんを呼びたい」という夢は、「いつか」のままだった。

そんな吉田さんを動かしたのは3年前、何気なく開いた長男拳けんさん(現高2)の英語の教科書(New Horizon)。
「Try to Bethe Only One」というタイトルで新垣さんの半生が取り上げられていた。
「教科書で学んだ新垣勉さんから、直接歌とメッセージを受け取ることができたらどんなにいいだろう」。
思いは高まった。
「中2生に本物と出会わせたい」。
動き出した吉田さん、コンサートの実現に向け、奔走する日々が始まった。

中学生といえば多感な年頃。
楽しい時期でありながら悩み多い時期でもある。
そんな彼らに吉田さんは、新垣さんの歌を通して「エールを送りたい」と思った。
「みんなが幸せになってほしい」と願った。

「千厩でのコンサートだったら実現は早いかもしれない」と言われ、千厩町教育文化振興会にお願いに行った。
振興会の主催で2010年10月、ついに千厩中学校でコンサートが実現。
初めて生で聴いた新垣さんの歌に体中が震えた吉田さん。
あふれ出る涙をこらえることができなかった。

コンサートは好評だった。
生徒も、父母も、教職員も、みんなが新垣さんのファンになった。

05 希望の光

大切なことは人を受け入れること

「もっと、もっと多くの中学生に聴かせたい」

千厩中でのコンサート後、吉田さんは一関文化センターでのコンサートを企画する。
友人や関係者に声を掛けると、たくさんの人たちが協力してくれた。
たくさんの企業や商店が応援してくれた。

そんな矢先、あの東日本大震災が起きた。
大船渡市出身の吉田さん。
巨大地震と大津波で古里は壊滅的な被害を受けた。

この頃、被災地を気遣う新垣さんは「今、自分にできることは何か」を自問自答していた。6月11日、新垣さんは大船渡市を訪れた。そして、東北地方太平洋沖地震の鎮魂歌「青い海よ」を披露、全身全霊の歌で被災地を励ました。

吉田さんは、母校末崎中学校の生徒たちに新垣さんの歌を贈りたいと思った。
「ダメもとで頼んだ」吉田さんの思いに新垣さんは快く応えた。
11月30日、末崎中学校でボランティアコンサートが実現、被災地に希望の讃歌が響き渡った。

ありのままの自分を受け入れ、自らの人生に責任を持って生きる新垣さん。
その姿は、多くの中学生に勇気を与えた。

吉田さんをはじめ実行委員会は、中学生だけでなく大人たちにもメッセージを込めた。

「子供たちを育てるためには多くの目と手が必要。他の親、祖父母、地域、みんなの知恵や力を借りることが大切」と。

両親さえも受け入れられなかった新垣さんは今、全ての人を受け入れている。
彼の生き方から学ぶことは多い。

東日本大震災以降、「生きることとは」「生きている意味とは」「生き残ったからには」など、「生き方」、つまり、人生の「質」が問われている。

豊かな人生には、必ずドラマがある。
ドラマは自らエネルギーを注ぎ込んでつくるもの。
何かをやり遂げるために、一生懸命頑張る姿は、それだけで美しい。
苦労を乗り越え、前に進んでいく姿は、多くの人に勇気と感動を与えてくれる。
そんな姿を見た人が、「次は自分」と一歩踏み出すことも少なくない。
笑顔と涙は連鎖する。
いい人との出会いは、自分の人生さえも変えてしまうことがある。

新垣さんの歌は美しい。
彼が歌っている間、そこには上質な時間がゆっくりと流れていく。
それは、新垣さんが素朴でやさしくて温かいからだ。
新垣さんの歌を聴くと、新垣さんの話を聴くと、彼の歌を、声を、初めて聴いた人でも豊かな気持ちになれる。
彼と初めて会った人でも前向きになれる。
そして、彼を好きになる。

光のない世界に生きる彼は、星も月も見えない。
だから彼は自ら光となって、多くの人たちを照らしているのではないか、そう思えてならない。 

Staff Voice 吉田惠子さん

地域が一つになって みんなで幸せになれる社会をつくろう

吉田惠子さん中学生の皆さんが熱心に鑑賞してくれたので、うれしかったです。
新垣さんのメッセージも届いたと思います。

思春期に「いじめ」などの問題で悩んでいる子は多いです。
いじめは、当事者だけでなく周りの子や大人まで不幸にします。
中学時代は一番楽しい時期なので、「みんなで仲良く、楽しく過ごしてほしい」、そんな願いを込めて新垣さんのコンサートを開きました。

このコンサートの目的はもう一つあります。
大人がスクラムを組んで子供たちをしっかり支えることができたら、子供たちはもっと自由にチャレンジすることができると思います。
ですから、大人の人たちには「横につながろう」と呼びかけたいです。
親の言うことは聞かなくても、友達の親が言ってくれたら聞くでしょう。
たくさんの目と手で子供たちを育てていけたら、親も楽だし、子供たちも楽しいはず。
みんなで協力し合えば、親子関係も地域社会もきっとよくなります。
それでたくさんの人たちに関わってもらいたくて、皆さんにカンパをお願いしました。
自分だけ、自分の家族の幸せだけではなく、「みんなで一緒に幸せになる」地域づくりに貢献したいと思っています。

コンサートは、50以上の団体と150人以上の個人からカンパをいただくなど、たくさんの人に支えられて実現しました。
16人のスタッフは「できる時にできること」を合言葉に心を一つにして頑張りました。
支えてくれた全ての人に心から感謝します。
来年もやります。
皆さん、ぜひ応援してください。

Profile

よしだ・けいこ
1956年大船渡市生まれ。93年結婚して一関市千厩町へ。
2009年3月養護学校教諭を退職。
その後、一関市内の学校でスクールカウンセラーを務めるなど、青少年の健全育成に尽力。
千厩町千厩在住。夫、息子、義父、実母の5人暮らし、55歳。

Artist Interview 新垣勉さん

人生は出会いで変わる オンリー・ワンの価値に気付いてほしい

新垣勉さん目が見えないこと、両親が離別したことなど、少年時代の私は何もかもが嫌になりました。
「自分には生きる価値があるのか」と自問自答する毎日でした。
自分を受け入れることができるようになるまで、相当の時間がかかったことを覚えています。

でも、牧師をはじめ、人生の節目節目にいい出会いに恵まれました。
そして、救われました。
人生は出会いで変わります。
人は出会う人で成長します。
自分を肯定できるようになると、他人を受け入れられるようになります。
親を恨んだり、許せなかったりした少年時代のことも、少しずつ受け入れることができるようになりました。

今年で歌手生活31 年です。
小中学生時代に聴いてくれた人たちが、今は親になってわが子を連れてコンサートに来てくれます。
本当にうれしいです。
私は音楽を通じてonly one(オンリー・ワン)のメッセージを届けたいと思っています。
他人と比べて「自分には目立つものが何もない」と思わないでください。
どんな人にも、その人にしかない素晴らしいonly oneがあるのです。
技術を持っているとか、能力が優れているとかじゃなく、人として存在していること、それ自体が大切なことなのです。
「Doing」(何かをすること)ではなく、「Being」(存在そのもの)を大切にする生き方をしてください。

私は来年、還暦を迎えますが、あと20 年は歌いたいと思っています。
つえと言葉と信念があれば、どこにでも行けます。
まだまだ歌うことができます。

Profile

 あらがき・つとむ
1952年沖縄県読谷村生まれ。
父は在日米軍人。生後間もなく不慮の事故で失明。
東京キリスト教短大、西南学院大神学部卒。
34 歳で武蔵野音楽大声楽科に入学。
同大学卒業および同大学院修了。
アンドレア・バランドーニ氏に師事

いちのせきの広報誌「I-style」1月1日号