近い所が助ける「近助」 お互いさまの支え合い

官民一体の後方支援

陸前高田市、気仙沼市、南三陸町と一関市は古くから交流が盛んで特別なつながりのある「隣町」で「近所」。
3市町に接する当市は、東日本大震災発生直後から後方支援や被災者の生活再建支援を行ってきた。

その後方支援の考え方は3つの「お互いさま」の関係。
まずは「住民同士のお互いさま」。
震災後、いち早く現地に駆けつけ、炊き出し、支援物資の提供や市内の各種イベントに被災した人たちを招待するなど市民による支援が各所で行われている。

2つめは「行政同士のお互いさま」。
職員・医療チームの派遣、公用車の提供、避難所巡回バスの運行、気仙沼市の仮設住宅用地の提供などを行ってきた。
陸前高田市へは自宅から通勤できる職員11人を1年間派遣している。

3つめは「企業同士のお互いさま」。
陸前高田市、気仙沼市の被災した企業が当市内の空き工場や学校跡地などを活用し、再出発の一歩を踏み出している。

勝部修市長は、職員に「自分の身内が被災したと思って、今何をすべきか考えよう」と話している。
また「『近所』を『近助』という言葉に置き換えて、『近いところが助ける』という気持ちで支援していこう」とも。

「近助」の関係は、まさに互助。
困った時はお互いさまだ。
いろいろなつながりから行われている後方支援の形をリポートする。

高田松原に立つ一本松
高田松原に立つ一本松

自治体同士
各分野のエキスパートとして

陸前高田市へ派遣されている11人の職員は、総務、税務、福祉、保健、建設、水道、下水道、林務、会計、教育の業務を担当している。
職員派遣は、震災で大勢の職員が犠牲となり、役所としての機能を失いかけていた陸前高田市に昨年の4月中旬から行われている。

同市では、宿泊場所も被害を受けていることから、自宅から通勤できる職員を派遣。
また、1年間、同じ職員を派遣しているのも特徴だ。

5月に赴任した建設課の伊藤雅敏技師は「土地勘、資料、電算データなどないものづくしだった」と振り返る。
また、住民や職員の顔も分からず戸惑ったこともあったという。
しかし、現場に出向くうちに徐々に土地勘も出始め、職員とのコミュニケーションも良くなり業務を着々とこなしている。

長寿社会課の岩渕美紀主任主事は「助けに来た職員が助けられないようにという思いでやってきた」、下水道課の千葉修子主任主事は「あまりいろいろなことを考えずに気負わないで仕事をしてきた」と1年間の業務を振り返っていた。

社会福祉課で精神疾患を持つ人たちの訪問業務を行っている佐藤真理子主任保健師は、4月下旬の同市の被災の様子を目の当たりにし「言葉も出なかった」という。
震災の影響により心のケアが必要な人が多く、「症状の変化に注意している」と訪問時の相談に気を配っている。
必要に応じて、関係機関と連携を図っている。

派遣されているいずれの職員も「とにかく役に立てれば」と語り、同市のマンパワー不足を補っている。

市では、24年度新たに気仙沼市へ2人を、陸前高田市へは1人を増員し、12人を派遣することにしている。


当市から派遣された11人の職員は、それぞれの窓口や現場で、訪問、相談など陸前高田市復興の最前線で奮闘している。

企業同士
千厩から復興を目指す

陸前高田市の「酔仙酒造(株)」(金野靖彦代表取締役社長)は「岩手銘醸(株)」(本社:奥州市、及川順彦代表取締役)千厩・玉の春営業所内の醸造施設を借りて、営業を再開した。

同社は大津波で醸造施設の全てを失った。
それでも金野社長は「動かなければ何も始まらない」と復興を決意。
再開を誓って、一歩を踏み出した。
だが、再開には酒蔵が不可欠。
場所を求めて奔走した。
そんな矢先、県酒造組合から「岩手銘醸が千厩の酒蔵を貸してくれるかもしれない」と連絡があった。
渡りに船だった。

酒蔵の問題は解決したかに見えた。
しかし、酒蔵所在地に与えられる「清酒製造免許」は同一カ所に二つの免許は許されない。
岩手銘醸は英断。
千厩営業所内では酔仙酒造が酒造りをすることになった。
6月、移転免許が交付され、震災から半年が経過した9月、ついに醸造を再開した。

金野社長は「(岩手銘醸の)大変な決断に心から感謝している。
企業としての体力をつけながら、今後は販路の共有など新しい協力関係を築いていきたい」と前を見る。

現在、酔仙酒造は、大船渡市内に用地を取得し、新しい酒蔵の建設を進めている。
復興への挑戦は、いよいよ本格的に動き出す。

千厩・玉の春営業所内の酒蔵の様子

千厩・玉の春営業所内の酒蔵の様子。

朝早くから酒造りに励む酔仙酒造の従業員

工場の壁に掲げられている会社ののぼりと復興理念「赤心愚直」「絶品追求」

工場の壁に掲げられている会社ののぼりと復興理念「赤心愚直」「絶品追求」

金野靖彦さん

profile

酔仙酒造(株)代表取締役 金野靖彦さん
こんの・やすひこ Konno Yasuhiko
1946年陸前高田市生まれ。
75年酔仙酒造入社、2004年代表取締役社長に就任。
酒造再建のために東奔西走。
復興へ挑み続ける。
妻と二人暮らし。
宮前町在住、65歳。

 

住民同士
サケの交流が生んだお互いさま

室根町津谷川第19区自治会は、20年前から宮城県本吉町小泉地区とサケの放流を通じ交流してきた。
川の美化や生態系を学ぶ目的で始まったこの交流は、単に自然愛護の活動にとどまらず、両地区の住民交流も盛んにしてきたと話すのは3月上旬まで同区自治会長を務めてきた畠山英一さん(64)だ。

震災直後に小泉地区の人たちが避難する小泉中体育館を訪ねた。
そこで見たのは、約800人がすし詰め状態の体育館。
「なんとかしてあげないと」と閉校した旧津谷川小校舎を避難所にすることを提案した。
4月17日から8月21日まで同校舎は小泉地区の避難所として運営され、最大で86人が暮らした。
炊き出しやお風呂の準備などを津谷川地区の5自治会で構成する津谷川自治会振興会が当番制で担当。
畠山さんはその会長でもあり、ボランティア、炊き出し、物資の提供などの調整を一手に引き受け、「毎日のように小学校に行っていた」と振り返る。
桜の季節には観桜会も催した。
畠山さんは「津谷川の皆さんが動いてくれた。できる範囲で、この時やらないと、と一心不乱でやってきた」と当時を思い返す。
避難所のお別れ会で小泉地区の男性に「この恩を自分の代で返せない時は、子どもたちの代で返します」と男泣きされ、畠山さんも止めどなく流れる涙をぬぐいきれなかったという。

サケの交流が生んだお互いさまは、津谷川地区と小泉地区の人たちの絆が強かったことを証明してくれた。

小泉地区の人たちが丁寧に清掃を行い、感謝の気持ちを表した

旧津谷川小避難所の閉鎖式終了後は、小泉地区の人たちが丁寧に清掃を行い、感謝の気持ちを表した(昨年8月21日)

畠山さんの昨年の手帳

畠山さんの昨年の手帳。

連日の支援活動が記録がされている

profile畠山英一さん

前・津谷川地区第19区自治会長 畠山英一さん
はたけやま・えいいち Hatakeyama Eiichi
1948年室根町津谷川生まれ。
工務店を経営する傍ら第19区自治会長を20年間務め、地域振興に奮闘。
津谷川地区5自治会で組織する同地区自治会振興会長も今年3月まで務めた。
妻と2人暮らし。
室根町津谷川在住、64歳。

広報いちのせき「I-style」4月1日号