やりたいことがあれば人生楽しめる
挑戦し続ける気持ちを忘れないで

石川次男さん
自ら障がいがありながらも身障者の自立支援をサポートする
石川次男さん Ishikawa Tsugio 58 萩荘字要害

黒いボディがさっそうと駆け抜ける姿に誰しも一度は目を止める。
車いす用電動三輪バイクを愛用する石川次男さん(58)は、車いすを使うようになって34年になる。

1977年、23歳のときに交通事故で下半身の自由を失った。
友人が運転する車に乗車していたところ、スピード超過によりカーブを曲がり切れず、車内から放り出され、その衝撃でエビのように骨が背中に飛び出したという。
意識不明の重体で10日間、生死をさまよった。
へそから下の感覚がないことに気付いたのは、事故発生から一カ月後だった。

手術を繰り返し、3年後に退院。
真っ先に向かったのは、免許センターだった。
車が好きな次男さんは「足がなくても運転できたはず」と、身障者用の免許に書き換えをした。
周囲から「車でけがしたのにまた乗るのか」と言われたが、「生きているのは、車があるからだ」と押し切った。

1989年、車いすテニスの存在を知った。
当時、県内に競技者はなく、日本車いすテニス協会から講師を招いて講習を受けた。
コート、道具は硬式テニスと同じ。
2バウンドでの返球が認められる以外、ルールは変わらない。
初めは「本当にできるようになるだろうか」と半信半疑だったが、あっという間に上達した。
練習は週2回。
大好きな車に乗って、全国各地の大会に参加した。
一関運動公園に身障者用のトイレやスロープを整備してもらい、古里で車いすテニス大会を開催するようになって今年で20年になった。

最近、体力の衰えによって、車の乗り降りが大変になってきた。
腕だけでは支え切れず、車と車いすの間に落ちることもある。
そんな中、昨年12月に新しい相棒を手に入れた。
車いす用電動三輪バイクだ。
リチウムイオンバッテリーをエネルギー源とするEV車で、車いすのまま乗車できる新感覚ビークルの納車に胸が高鳴った。
「まともに風を浴びたのはいつぶりだろう。どこまでも行けるような気がした」と冬の冷たい風も心地よかった。

今年は、ロンドンパラリンピックが行われ、多くの選手が活躍した。
目標を見つけた人は、障がいの有無にかかわらず、たくましい。

「できないと決め付けないで、一度は挑戦してほしい。おもしろかったら続けて、合わなければ辞める。それでいいんじゃないかな。やりたいことを見つけて人生を楽しんでほしい」

ピアカウンセラー(※)として働く次男さんは、同じ立場の人の自立の可能性を広げるため、サポートを続ける。

車いす用電動三輪バイク
(株)ワイディーエスの車いす用電動三輪バイク「WCV」(ホイールチェアビークル)。
WCVは、車いすのまま乗車できる新感覚ビークルの総称。
ハンドル下にあるバッテリーを家庭用電源で充電して走行。
走行速度30キロ、バック可。
手動でスロープが上下してロックできる

Profile

1953年生まれ。
1977年に下半身の自由を失うも、常にやりたいことを探してきた。
「みちのくふれあいカップin一関車いすテニス大会」実行委員長。
車いすテニスクラブチーム「WTC15S」所属。
社会福祉法人一関市社会福祉協議会一関障害者生活支援プラザでピアカウンセラーを務める。
萩荘字要害在住。
58歳

※ピアカウンセラー 同じ悩みや障がいがある人の相談に乗り、援助する役目を担う人

広報いちのせき「I-style」10月1日号