寿司が生み出す子供たちの笑顔
「愛」にあふれる「三」十年

神崎愛三さん
児童養護施設に30年間寿司を奉仕し続けた「すしおじちゃん」
神崎愛三さん
Kanzaki Aizo 72 新大町

神崎愛三さんは、新大町の「れすとらん三愛亭」6代目亭主。
「すしおじちゃん」の愛称で知られる料理人だ。
1973年から2003年までの30年間、山目の児童養護施設「一関藤の園」へ寿司を奉仕してきた。
その数のべ3,100食以上。

転機は、藤の園へ保育実習に行った妹・富紀子さんの「施設の子供たちに寿司を握ってご馳走したらどうかな」の一言。
当時、聞きなれなかった児童養護施設という言葉から、親のそばで何不自由なく甘えられる居場所があった子供の頃を思い返し、いてもたってもいられなくなった。
実行したのは「母の日」。
定番の贈り物であるカーネーションの花言葉「愛情」をプレゼントしたいと思い、この日に決めた。

目の前で寿司づくりを実演すると、子供たちは興味津津。
用意した100食分の寿司はあっという間になくなった。
童謡を一緒に歌ったり、好きなカンツォーネ(イタリア民謡)を披露したりするなど愛三さん自身も子供たちとの交流を楽しんだ。

児童と職員分の寿司ネタを用意し、米を一斗炊く。
いくらでも支援したい気持ちはあったが、経済的負担は大きく、2、3年でやめようと思っていた。
だが、帰り際、「おじちゃん来年もまた来てね」と声を掛けられた。
瞳を輝かせる子供たちを前に「うん、必ずまた来るよ」と答えた。約束は30年続いた。

奉仕するすしおじちゃんはテレビや新聞で報道され、全国から称賛の声が寄せられた。
同時に「児童養護施設」の認知度も上がり、支援の輪が広がった。
92年には?日本善行会から「不遇な人のために社会福祉に尽くした」と表彰された。
30年間、続けてこれたのは「家内(エミさん)と従業員の支えがあったから」と感謝の気持ちを忘れない。
また、互いに刺激し合いながら、地域をけん引してきた「仲間の存在が大きい」とも。

「商売以外にも地域のためにできることはある」。
これまで寄せられたお礼の手紙を眺めながら「自然体で社会奉仕できる情熱ある人が増えるといいな」とつぶやく。

昨年、一関藤の園は設園50 周年を迎え、新たな歴史の一歩を歩み始めた。
愛三さんは、子供たちと共に歌った童謡を口ずさみながら「次の夢は声楽家」と笑った。

子供たちからの感謝の気持ちがつづられた手紙

「愛三」の名は縁あって新宿「中村屋」の創業者・相馬愛蔵から直々に受け継いだという。
その名のとおり愛三さんの周りには「愛」がさんさんと降り注ぐ。
写真は子供たちからの感謝の気持ちがつづられた手紙

Profile

1940年生まれ。
児童養護施設「一関藤の園」に寿司を奉仕し続けた「すしおじちゃん」。
㈲角屋・三愛ビル代表取締役、れすとらん「三愛亭」亭主、(社)岩手県調理師会上級講師、一関新大町商店会長。
新大町在住、72歳

広報いちのせき「I-Style」 平成25年4月1日号