山が動いた、風景が一変した。
 あの日から5年、震災を教訓に、前進する一関の今を追った。

失われた日常、取り戻した平穏

直下型大地震

2008年6月14日午前8時43分―

静かな土曜の朝を地鳴りと共に突き上げるような激しい揺れが襲う。「岩手・宮城内陸地震」である。

厳美町市野々原地内を震源とするM7.2の直下型地震で本市は最大震度5強を観測。
栗駒山麓ではあちこちで大規模な土砂災害が発生したほか、鬼越沢に架かる旧祭畤大橋(全長94メートル、幅9メートル)は中央部が折れて落橋するなど、被害額は本市だけで100億円に上った。

市は、最優先課題として震災復興に全力を注いだ。
復旧工事は国や県の協力を得ながら急ピッチで進められた。国道342号須川道路(真湯-須川高原温泉間)や祭畤大橋など主要箇所の工事はほぼ完了し、現在は治山工事などの恒久対策が進められている。

震災前

震災前

豊かな自然に囲まれた市野々原地区。
そこに住む人たちは穏やかな毎日を過ごしていた。写真は地震発生前に撮影したもの。
中央を流れるのは磐井川。源流は栗駒山にあり、山頂近くの須川温泉から流れる強酸性泉の影響で鮮やかな青色が特徴。

震災直後 2008.6.14

震災直後

2008年6月14日午前8時43分。マグニチュード7.2の大地震が襲ってきた。
本市の最大震度5強を観測。山全体が動いたような大規模な土砂崩れが発生。
約50万立方メートルの土砂が磐井川を埋め尽くした。いたるところで土砂災害が発生した。

復旧後 2010.4.30

復旧後

復旧作業は、国や県の協力を得て、急ピッチで進められた。
川をせき止めた大量の土砂は全て除去された。写真は2010年4月30日に撮影されたもの。
震災前、震災直後のものと見比べると磐井川の形が大幅に変わったことが分かる。

にぎわい復活

6.14 復興ウオーキング
市内外の住民と関係者ら約100 人が参加した「6.14 復興ウオーキング」。
国道342 号沿いに設けられた6.14キロのコースを歩きながら復旧事業の現場などを見学した。

地震発生から5年。

栗駒山は、登山客や温泉の利用客などで、にぎわいを取り戻している。

市は、「6.14」の記憶を風化させないため、さまざまなイベントを開いた。
このうち6月15日に行われた「6.14復興ウオークラリー」には市内外の参加者と関係者約100人が参加。
矢櫃ダムから旧祭畤大橋まで、国道342号沿いに設けられた6.14kmのコースを歩いて、復旧が進む現場や災害遺構を見学した。

参加者は、土砂崩れや地滑りなど大規模な土砂災害から復旧した同国道を西に進み、途中、市野々原の2号堰堤や被災地展望広場などに立ち寄り、国、県や市の担当者の説明を聞いた。
ゴールの旧祭畤大橋付近では、落橋したままの姿に驚く参加者もいた。

市建設部維持課の那須勇課長補佐は「地震の教訓を多くの人に伝えることが次のステップ」と力を込めた。

自然と触れ合い復旧を実感
菅原由美さん 42 県臨時職員 山目
前列左 さくらさん、右 朋也君

菅原由美さん 前列左 さくらさん、右 朋也君

復旧が進んでいることの確認と子供たちを自然に触れさせる機会として参加しました。
コースの途中、サワガニなどを見つけて子供たちは喜んでいました。
でも、当時の姿がそのまま残されている旧祭畤大橋に、子供たちは驚いていました。

復旧・復興の速さに驚いた
小船沙菜さん 25 会社員 宮城県栗原市

小船沙菜さん

東日本大震災のボランティア活動を通じて、岩手・宮城内陸地震の記憶を風化させたくないと思い、ウオーキングに参加しました。
祭畤大橋や被災地展望広場などを見ると、復旧が進んでいると実感できます。5年でここまで進んだそのスピードに驚きました。

岩手・宮城内陸地震

2008年6月14日午前8時43分頃に岩手県内陸南部(仙台市の北約90km、東京の北北東約390km)で発生したマグニチュード7.2(気象庁暫定値)の大地震。
同県奥州市と宮城県栗原市で最大震度6強を、本市の最大震度5強を観測した。
県内では一関市と奥州市で死者2人、重軽傷者37人、住宅の全壊2棟、半壊4棟、一部損壊778棟の被害が出た。
宮城県と合わせた被害は死者16人、行方不明者4人、重軽傷者402人。被害の特徴は大規模な土砂災害。
気象庁はこの地震を「平成20 年岩手・宮城内陸地震」と命名した。

 

 広報いちのせき「I-Style」 平成25年7月15日号