雨にも負けずに丁寧に田植えをする本寺小児童

平泉の文化遺産の一つ、“骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)”の平成20年の世界文化遺産登録を目指して、さまざまな取り組みが進められています。
本寺地区では、都市部との交流を進め、本寺を理解してもらおうと地域団体が主催し「田植え体験と遺跡めぐり」が行われました。
また、国の文化審議会は「一関本寺の農村景観」を“重要文化的景観”に選定するよう答申。
中世に描かれた「陸奥国骨寺村絵図(むつのくにほねでらむらえず)」の景観を未来につなげていくためのこれらの動きを紹介します。

中世から続く水田で田植え体験

 本寺地区地域づくり推進協議会(佐藤武雄会長)が主催する「骨寺村荘園遺跡田植え体験と遺跡めぐり」は5月28日行われ、一般参加、岩手大学、本寺小、地元スタッフ、関係機関から約140人が参加しました。遺跡の価値を多くの人に知ってもらい、同地区と都市部との交流を深めようと行われたこの催しは、昨年に続き2回目となります。

田植え歌とともに田植え 遺跡めぐりで本寺を理解

 午前10時に一関生活改善センターに集まった参加者は、中世の面影を残す水田に移動。自分が植えた列がわかるよう名札を立て、雨の中、10アールの水田にひとめぼれ、古代米の苗を手植え。傍らでは地域に伝わる田植え歌が披露されました。
 昼食は、地元産米のおにぎりやフキとタケノコの煮物、ワラビのショウガあえなど地区の皆さんの手料理が振る舞われました。
 午後からは、地元ガイドの案内による遺跡めぐり。地域の西端に位置する駒形根神社(こまがたねじんじゃ)、東端に位置する慈恵塚(じえづか)などをたどり、中世の歴史に思いをはせました。
 「義経伝説に興味があるので参加しました。女性の皆さんの心づくしの食事に感激ですね」と話す小山幸恵さん(宮城県気仙沼市)は、昨年に続き2回目の参加。夫の俊彦さんは初めて参加し、「いろいろな面で遺跡をアピールしようとするこの企画を満喫し、本寺の皆さんからパワーをもらいました。秋にも来て、自分が植えた稲を刈ってみたいですね」と満足そうでした。
 同協議会の佐藤会長は「高齢化と後継者不足で、農地を維持していくのは大変なことです。しかし本寺地区の遺跡と景観は、地域だけでなく、多くの人の宝。都市部の皆さんの助力、行政の支援などをもらいながら、後世に伝えていきたい」と話していました。

本寺地区地域づくり推進協議会の佐藤武雄会長

遺跡と共存する地域を目指し実践活動を展開

 本寺地区では平成5年、奥州藤原氏を描いたNHKの大河ドラマ「炎立つ」放映を契機に、地域の歴史を見直そうという気運が高まり同年、有志により「美しい本寺推進本部」を結成。8年から10年にかけて骨寺村総合調査事業が行われ、遺跡の全貌が明らかになっていくにつれて地元の関心も高まりました。市は9年、地元住民と有識者により「骨寺村荘園遺跡整備委員会(委員長・吉田敏弘國學院大学教授)」を、15年には「骨寺村荘園遺跡調査整備指導委員会(委員長・大石直正東北学院大学名誉教授)」を結成。貴重な遺跡の保存と、農業をはじめとした生活を維持していくための基盤づくりの両立について検討を続けています。
 骨寺村荘園遺跡が世界遺産候補地として評価されるにつれ住民の気運が盛り上がり、16年には地域住民による「本寺地区地域づくり推進協議会」が発足。遺跡と共存する活力ある地域づくりを目的に、体験交流、環境整備、広報などの実践チームにより活動しています。

慈恵塚へ向かう参道の途中から本寺を一望地元ガイドの案内で遺跡めぐり地元産の食材でおいしい昼食を準備した本寺地区の皆さん

「一関本寺の農村景観」 重要文化的景観に答申

 文部科学大臣の諮問機関である文化審議会は5月19日、厳美町の本寺地区にある「一関本寺の農村景観」を国の“重要文化的景観”に選定するよう答申しました。
 “重要文化的景観”は、地域固有の生活や生業、風土により形成された景観のうち特に重要なもの。「一関本寺の農村景観」は、中尊寺に現存する絵図に描かれた寺社などを含む中世の景観がほとんど変わらずに残っています。このことから、文化審議会では「一関本寺の農村景観は、特有の歴史的起源に基づきつつ、岩手県南地方の独特な農耕・居住の在り方を小規模ながら簡潔かつ十分に残しており、わが国民の生活または生業を理解する上で欠くことのできない文化的景観である」と、評価しています。
 「一関本寺の農村景観」が重要文化的景観に選定されれば、県内ではもちろん初めて、国内でも2番目となります。また、この地域は、平成20年の世界文化遺産登録を目指す“平泉の文化遺産”のコアゾーン(核心地域)の一つでもあります。

イグネ(屋敷林)や水田、民家など中世の面影を残す本寺の農村景観

 

世界遺産講座Vol.2 世界遺産の始まりは“危機遺産”保護から

 世界遺産の始まりは、1960年ごろのことです。
 この当時、エジプトのナイル川でダムの建設が始まり、流域のヌビア遺跡が水没してしまうことがわかりました。
 そこで、ユネスコ(注1)が中心となり、加盟国を通じて世界中の人々に救済を訴えた結果、多くの神殿や聖堂などが移築され、貴重な古代遺跡が救われたのです(注2)。 

 つまり、世界遺産の始まりは、“消滅する危機にさらされている貴重な遺産「危機遺産」(注3)の保護”だったのです。
 世界遺産というと、有名観光地の紹介のように考える人もいますが、そうではなく、遺産の保全や修復が技術的にも財政的にも困難な国々を、国際社会の協力の下で助けていこうとするものなのです。
 骨寺村荘園遺跡の価値は、絵図に描かれた日本の中世村落の景観がほとんど変わらずに残されていることであり、今後もこれを守って行かなくてはなりません。そのために、市では今年度“整備基本計画”などを定め、その具体策を検討していきます。
 遺跡の保全のため最前線で遺跡を守っている地元の人たちだけではなく、市民の皆さんのご支援ご協力をお願いします。

  • 注1 ユネスコ…国際連合教育科学文化機関。教育、科学、文化を通じて各国間の協力を促進し、世界の平和と人類の福祉に寄与することを目的に昭和20(1945)年、国際連合の専門機関として設置。日本は、26(1951)年に加盟しました。
  • 注2 ヌビア遺跡の移築…たとえば、アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろに岩山を掘って建設されたもので、正面の高さは32メートルにも及びます。これを1000個余りのブロックに切り分けて、60メートルほど上のところに移築したので、水没の危機から免れました。
  • 注3 危機遺産…世界遺産の中でも、大規模な開発や戦争、自然災害などにより、重大かつ特別な危機にさらされている遺産を「危機にさらされている世界遺産(危機遺産)」といい、平成17(2005)年10月現在、34件が危機遺産となっています。

  

 

問い合わせ先
骨寺荘園室 TEL0191-21-2111(内線8470・8471)

(広報いちのせき 平成18年6月15日号)