大槻文彦の愛蔵品 葛西清重夫妻肖像

畳に座る僧形の男女、葛西清重夫妻の肖像(個人蔵)

 葛西清重(かさいきよしげ)は源頼朝の御家人(ごけにん)(家臣)として奥州藤原氏との合戦に従軍、勲功により藤原氏滅亡後には奥州惣奉行(おうしゅうそうぶぎょう)に任じられて陸奥国御家人の統率に当たり、平泉郡内検非違使所(けびいしどころ)(警察・裁判権)をつかさどり、磐井、胆沢、江刺、気仙、牡鹿の5郡などの地頭職となりました。

 清重はこの後も頼朝の信任を受け、三代将軍源実朝以降は宿老として重きをなし、幕政を総括した北条氏からも厚遇されました。この間、承久3(1221)年ごろまでに仏門に入り、暦仁元(1238)年77歳で死去しました。なお、清重が拝領した当地方は以後400年にわたり葛西氏の領有するところとなりました。

 この肖像は、わが国最初の辞書『言海』を完成させた大槻文彦(1847~1928)が愛蔵していた品です。大槻家は葛西氏の末流で、文彦は清重から数えて23世に当たります。

 明治9(1876)年にこの肖像の存在を知った文彦は、すぐに所有者と譲渡の交渉を始めますがうまくいかず、23年に至ってようやく手に入れることができました。その日文彦はこの肖像を前に香をたき、神酒を献じて一人で数刻拝していた、と自身で書き記しています。さらに文彦は姪に肖像を模写させて、清重の墓と木像が伝わる東京の西光寺に模写画を納めました。

 この肖像には、文彦の熱い思いが込められているのです。

※常設展示室「舞草刀と刀剣」に1月28日まで展示

一関市博物館案内
平成18年度テーマ展3 和紙―その用と美

 市内東山町は、江戸時代以来東山和紙の産地として知られ、今もその伝統が守られています。また、近年、一関藩の御用紙漉き(ごようかみすき)を務めた家から御用紙(ごようし)の見本など貴重な資料が発見され、この地方の和紙生産の歴史が解明されつつあります。

 和紙は、文字を書き、伝え、遺し、また包装や衣類、建具などさまざまな生活の場面で利用され、日本の文化を支えてきました。多様な和紙の“用”と、その美を感じていただきたいと思います。

  • 会期…1月20日(土)~3月11日(日)(月曜休館)

【関連行事】

講演会「紙の発生と伝播、和紙の使われ方のすばらしさ」
  • 日時…2月18日(日)13時30分~15時30分
  • 講師…吉野敏武氏(宮内庁書陵部修補師長)
  • 対象…一般50人(先着順・電話で申し込み)
展示解説会
  • 日時…1月21日(日)・2月4日(日)13時30分~14時30分、2月18日(日)講演会終了後 ※申し込み不要
はくぶつかん土曜くらぶ 第4回「和紙でつくろう」

 2月17日(土)開催。詳細は広報2月1日号でお知らせします。

(広報いちのせき 平成19年1月1日号)