色鮮やかな花鳥画 日本画家 佐藤紫煙(しえん)

孔雀長春図 一関に鉄道が開通する少し前、日本画の修業のため上京した16歳の少年がいました。彼の名は佐藤以撒(いさく)。幼いころから絵が得意だった以撒は、滝和亭(たきかてい)という高名な先生の下で修業を積み、明治26(1893)年、20歳で紫烟(しえん)」(後に多く使われたのは「紫煙」)と「驪雲(りうん)」という二つの号を授かります。
 紫煙の作品の中でも特に評価が高かったのは花鳥画や山水画で、展覧会で数々の賞を受けるなどその実力が評価されました。昭和13年に没するまで東京に構えた画室で制作に励み、多くの作品を生み出しました。若くして一関を離れた紫煙ですが、昭和7(1932)年には在京の郷里出身者らで構成される親睦団体「磐井郷友会」による還暦の祝いが催され、紫煙がふるさととのかかわりを大切にしていたことがうかがえます。
 市は平成18年、この画家の息女である故佐藤福子氏の志を継いだ家族の意向により、作品や関連資料の寄贈を受けました。この春、これらの中から掛け軸を中心とする作品や、下絵を紹介する展覧会を催します。
 色鮮やかな花鳥画は、画家の人となりを物語るかのように気品があふれていて、見る人の心に落ち着きと清々しさを与えることでしょう。今、作り手の感情がストレートに表現される美術作品が多い中で、近世日本画の様式や表現を継承した紫煙の作品は新鮮に感じられるのではないでしょうか。

※佐藤紫煙(1873~1938) 明治6年一関村に生まれる。幼名文次郎、のち以撒と改名。春木南溟、菅原竹侶、滝和亭、衣笠豪谷に師事する。号は紫煙のほかに紫烟、驪雲、関郷、一関山人、磐崖など。東京の谷中清水町に構えた画室の名は畊華堂(こうかどう)。日本美術協会をはじめとして、日本画会、各地の絵画共進会などでの受賞多数。

(広報いちのせき 平成19年4月1日号)