わが国最初の木製人体骨格模型 身幹儀(星野木骨)

広島大学医学部資料館蔵

 

 わが国最初の木製人体骨格模型です。江戸時代の日本では、人骨を手元に置いて医学の研究をすることは禁忌とされていました。しかし広島の町医師星野良悦(1754―1802)は、実際の骨を観察することの重要性に気付き、木で模型をつくりました。これを星野木骨といいます。工人原田孝次に製作を依頼し、約300日をかけて、寛政4(1792)年に完成したもので、舌骨、耳小骨を除いた全骨が揃い、骨は薄い褐色に、軟骨は原則として白く塗られています。各骨はほとんどが独立してつくられ、関節面で結合できるようになっています。しかし、固定する器具などがないので、全体に組み立てたのではなく、部分的にはめたり外したりして研究に用いたと考えられます。
 星野良悦は、寛政9年に長崎のオランダ通詞(通訳官)吉雄耕牛に木骨を見せて自信を得、翌年、江戸の蘭学者大槻玄沢もとに持参しました。前野良沢、杉田玄白らもこれを見て一様に驚嘆し、玄沢は精巧さを絶賛、「身幹儀」と命名し、著書『重訂解体書』に取り入れました。
 星野木骨は、杉田玄白らによる『解体新書』の図よりもはるかに正確で、ヨーロッパの本の知識を、日本人の医師の探究心と工人の高い技術力が超えたといえます。

 新一関市合併・一関市博物館開館10周年記念特別展「 大槻玄沢生誕250年 GENTAKU―近代科学の扉を開いた人―」に複製を展示しています

(広報いちのせき平成19年10月1日号)