架場首塚 トキゾー沢刑場 保登子首塚 大柄沢洞窟
カトリック大籠教会 上野刑場 祭畑刑場 首実験石
元禄の碑 千葉土佐墓碑 千松大八郎墓 地蔵の辻
大善神 山ノ神 須藤宅 台転場
上ノ袖首塚      
 
名 称:架場(ハセバ)首塚

所在地:大籠字高金地内

殉教者の首を架掛けにし、そのかたわらに穴を掘り、打ち首の理由書と共に埋められた。

 
名 称:トキゾー沢刑場

所在地:大籠字高金地内

供養碑が2基ある。当時殉教者の亡霊に悩まされた遺族は亡霊の極楽浄土への冥福を祈り建てられた塔である。

 
名 称:保登子首塚

所在地:大籠字上大籠地内

殉教者の首を埋めたとされている。
西の丘に墓地があり、供養碑が普通の墓石と反対の北向きに3基建っている。
 
名 称:隠れ礼拝所

所在地:宮城県登米市東和町地内

切支丹信徒の隠れ礼拝所。昭和48年に発見された。
 
名 称:上野刑場

所在地:大籠字上野地内

信徒94名が処刑となった。ここには8基の地蔵尊が建っている。遺体を集め供養碑が建てられた。
 
名 称:祭畑刑場

所在地:大籠字上野地内
「上野刑場」より西へ200mここにも地蔵尊が2・3基建っている。殉教者の血を流した場所で、処刑中逃げた者を捕え、川向いの約30~40m離れた松の枝に鉄砲を乗せ、狙い撃ったところである。
 
名 称:首実験石

所在地:大籠字曽根地内

処刑を受ける信徒の様子を、伊達藩の検視役がこの石に腰を下ろし首実験をしたのである。
 
名 称:元禄の碑

所在地:大籠字上野地内

信徒94名が処刑となった場所で、8基の地蔵尊が建っている。信徒処刑後、夜な夜な男女の泣き叫ぶ声がして殺気の迫るものがあり、住民には離散した者もあった。
処刑された遺体の処理は厳禁で、約60年後に許可され、ここに遺体を集め供養碑が建てられた。
名 称:千葉土佐の墓
所在地:大籠字左利沢地内
2代目土佐の墓碑。
初代土佐は葛西晴信の家臣で永禄年間、千松兄弟を備中より招き、製鉄の指導を受け、炯屋を開設した八人衆の主要人物であり、2代目土佐は初代目土佐の後を受け製鉄に専念した。
 
名 称:千松大八郎の墓

所在地:大籠字千松地内

昭和3年7月、東北大学故村岡典嗣教授により調査確認された。
名 称:地蔵の辻
所在地:大籠字右名沢地内
一名「無情の辻」ともいう。
ここで200余名の信徒が処刑された。十字架(ハリツケ)等により、集団処刑が行われ、鮮血が刑場下の二又川を血に染めた。弔う人も少なく、その跡へ極楽往生をとげるため地蔵が建てられ、大小10基の供養碑が建っている。
 
名 称:大善神

所在地:大籠字千松地内

千松地区最北の地、通称流行神と称し、大善神(キリスト)を祀る。千松が大籠入りして最初の炯屋場で、炯屋の小高い丘に立ち、炯屋職人に説教した場所で、当時この山奥にキリストの説教を聞きに行く人が数え知れなかったという、当時より流行神という。
名 称:山ノ神

所在地:大籠字青松地内

千松兄弟が郷里より持参したデウス(天主)の像を祀る。
デウス仏と呼び切支丹禁令が出るや、12の神と称し、更に厳しい禁令が出ると、危険を考え山神と合祀して単に「山の神」と称した。
 
名 称:千松大八郎が住んだ家

所在地:大籠字青松地内

千松大八郎が住んだ家と言いつたえられている。
 
名 称:台転場

所在地:大籠字千松地内

千松地区の約中央部。切支丹弾圧の際、可否を決するため、柵を造り踏絵によって検問し、踏絵を踏まない者は、「地蔵の辻」で処刑された。
毎晩亡霊が現れ、地方民を悩ませたので供養碑が建てられた。
 
名 称:上の袖首塚

所在地:大籠字堂前地内

「地蔵の辻」で処刑された遺体(首)を、肉親が袖の中に隠し夜中に運び出し、ここに埋めたといわれている。