平成29年度管理職研修「市長講話」(平成29年7月3日)

皆さんに配布している資料には、私が市長に就任してから管理職研修で講話した主な項目を記載しています。今日は、この中から、今だからこそ管理職の皆さんへ伝えたいことに絞ってお話をしたいと思います。


■平成22年度市長講話テーマ「パブリシティについて」
22年度の管理職研修は、市長に就任してから1年経ったあたりに開催されました。情報を発信する立場として、どういったことに気を付けるべきか話しました。
市長の仕事を1年間一通り行って、一関市役所職員はマスコミに対する情報提供が下手だと感じました。私が岩手県職員のときに県庁の広聴広報課にいて報道主査という仕事をしていたため、余計に見方が厳しかったかもしれません。
市長就任当時、マスコミに対する資料は、行事の名称と日時だけで、こういうものがあるから取材に来てくれという役所の都合で出されていました。何のために報道機関に投げ込みをするのかというと、記事、ニュースにしてもらって広く市民の皆さんに周知を図るためです。その目標に対してあまりにギャップが大きかった。
随分資料を直しました。私が直したものを担当課に返すと指示した箇所は直ってきましたが、次もまた前と同じような失敗が繰り返されました。担当者は、市長が直せというから直しておこうという意識であって、なぜ直されたのかということを考えないから、失敗を繰り返すのです。管理職はしっかりチェックをして、部下に教える役割があります。
市の広報には、さまざまな媒体があります。先ほどの投げ込みといった「資料提供」のほか、担当部署の部課長など、責任ある者が記者発表で直接説明をする「レクチャー」。そして、「市長の定例会見」があります。マスコミは、トップの会見にそれなりに重きを置きます。ですから、それに見合った内容のニュースソースを市長に言わしめればいいのです。
また、媒体の特性に応じた提供の仕方を考える必要があります。新聞は記録性、テレビは速報性という特色があります。新聞には特に丁寧なデータを提供する。テレビは映像を提供するためにどういう場面を提供するかを考えなければなりません。例えば、テレビカメラマンが三脚を立てる場所がない、手持ちのカメラを持ち運びできないくらい会場の通路が狭いのでは話になりません。
“行政は、内部調整があるため質問に対するレスポンスが悪い”というのが、新聞記者のホンネです。新聞は、社によって原稿の締切時刻が異なるので、それを頭に入れなければなりません。締切時刻を気にして役所の担当課へ行くが、担当者が不在だからわからない、上司に聞いてからと課長補佐が課長に聞く。いつまで経っても記者の前に誰も現れない。こういうことをしていては記事になりません。
マスコミに対してやってはいけないことは、資料提供や発表をするとき、報道機関によって提供する内容に差をつけることです。市民の人にどうしても知ってほしいことを発信するときは地元紙が有効ですが、他の新聞社からは反発されるので、それを覚悟でやらなければなりません。
新聞を見るときには、自分が担当者だと思って、どういうことでこれは記事になったのかを考えるといいのです。よく私は「へもか」記事と呼ぶのですが、新聞の見出しの3分の2は「○○へ」、「○○も」、「○○か」になっています。
取材に誘導するには、お知らせに終わらないで、取材に行ってみようかという気にさせるプラスアルファをつける。ラブレターを書くのと同じです。いきなり「好きです。付き合ってください」といっても警戒されます。“初めてです”、“一番です”、“最高です”という言葉が入っているとマスコミは記事にしやすいです。何とかしてこれをつくるのです。

22年度の講話では、緊急時の対応について話しました。市長に就任した直後に一関温泉郷の不正経理の事件が発覚しました。悪いニュースは、情報提供しなくてもマスコミからやってきます。そのときに大事なのは、逃げないでしっかり向き合って対応することです。原則は、「逃げるな、待たすな、嘘つくな」です。マスコミは待たせてはダメです。また、マスコミに対応していく中で追い込まれると嘘をつくようになります。“言えないこと”と“知らないこと”を自分でごっちゃにしてしまうと後で苦労します。県職員時代に「パブリシティいろはカルタ」を作りましたが、その中に「言えないと知らないとでは大違い」「論より事実がモノを言う」というものがありました。
クレームと苦情は違う。クレームをほったらかしにしていると苦情になるのです。クレームは発生した“そのときに”しっかり対応すれば収まりますが、苦情までいくと収まるのに時間がかかり、苦労します。


■平成23年度市長講話テーマ「報告のまとめ方」
私はメモ魔ですが、23年度の講話には、普段使っている手帳を持ってきて話をしました。
特にも「3」という数字について、時間をかけて話しました。私は、昔、数字はコレとアレの1と2だけで始まって、3はコレとアレ以外のその他を表すために生まれたのではないかと考えています。「3」は、“その他沢山”という複数の始まりの数字です。
「3」が持っている意味は大きくいろんなところで使われます。2だと少ない、4だと多すぎる。私が高校生の頃は、舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫を“御三家”と呼んでいました。今はあまり見なくなりましたが、公衆電話は3分間の通話で10円でした。人と話をするのには、3分がちょうどいいということでしょう。かかってきた電話は、呼び出し音3回以内に取れ、とも言われます。砂時計は、3分計のものが1番売れているらしいです。今は東北六魂祭と東北六大祭りとなりましたが、最初は、青森のねぶた、仙台七夕、秋田竿灯が東北三大祭りです。
「仏の顔も三度まで」「石の上にも三年」「三人よれば文殊の知恵」ということわざもあります。若者の就業支援では「どんなに辛い仕事も3年続ければキャリアになる。それを3年続けないで職を離れると、次の就職試験のときに何で辞めたか聞かれるよ」とよく話しました。
話は3つにまとめること。3つだと相手に伝わりやすいからです。「要点は3つあります」と冒頭で言うと、聞き手は「3つか」と思って安心して聞いてくれます。
「やり続ける」ことの大事さに関して、歌舞伎役者へのインタビューをしたテレビを見ていてなるほどと感心したことがありました。「稽古を1日休むと自分の体のキレが悪くなるのに気付く。2日休むと舞台で一緒に演じるパートナーに分かってしまう。3日休むと観客席のお客様に伝わってしまう」。仕事というのは、続けることが最大の効果を生むということなのでしょう。
1993年にアルペンスキー世界選手権が雫石スキー場で開催されたとき、私は各国のマスコミ対応の責任者となりました。過去15年間の気象データを取って、この期間だったら雪が降るということで開催期間を設定したのですが、雪が少なく、期間の半分以上雨が降っていました。秋田から何台もトラックで雪を持ってきて、解けないようにぎっちり固めました。そこで、組織委員会の役員たちが近所の神社に雪が降るようお祈りに行きました。雨が降った理由が大会終了後にようやく分かりました。実は、その神社は雨乞いの神社だったのです。
その神社の宮司に「雨乞いは、祈って当たるものですか」と尋ねたところ、「必ず当たるから祈りなさい」と話されました。「いつかは必ず雨が降りますから」と。ユーモアのある方でした。継続して祈ればいつか当たるということですが、いずれ仕事も継続性を持って実行していけば自ずと上達します。


■平成24年度市長講話テーマ「管理職の要諦」「産学官連携」
24年度の講話では、私が読んだ本にあった言葉を「管理職の要諦」として紹介し、ここを目指していこうと話しました。
「1.管理職は、生活のための職にあらず。市民のためにあるものと認識すべし」、「2.部下の見本となるべき行動を取るべし」、「3.部下を正しく指導できるほどの教養を身につけるべし。自己の啓発を怠らないこと」、「4.上司への報告・連絡・相談を怠るべからず。それが部下のホウ・レン・ソウを促す」、「5.才に長けるよりも徳を磨くべし」、「6.できない理由を探す前にどうすればできるかをトコトン考えること」、「7.部下から気の毒に思われるほど率先垂範をすべし」、「8.家族は大切にすべし。行動の原動力は家庭に有り」「9.部下があって初めて自分の存在があることを知るべし。背中で仕事をすることと知るべし」。
「6.できない理由を探す前にどうすればできるかをトコトン考えること」は24年度の研修で繰り返して話しました。
昨年亡くなりましたが、ラグビーの神戸製鋼や全日本の監督をされた平尾誠二さんと県の雇用対策局長のときに三度お会いする事がありました。平尾さんは、新日鉄釜石と並ぶ全日本選手権7連覇を神戸製鋼で果たしました。平尾さんは、「神戸製鋼のラグビーはチームワークではない。チームプレイだ」と言っていました。ワークは仕事という意味で、辛いからさぼりたくなる。プレイは遊びだから苦しくても遊び心を持てば何とかもう一歩踏み出せるとのことです。非常に説得力のある話でした。

「産学官連携」は、当時、一関地方では重要な取り組みをしなければならない時期に来ていましたので、「川」に例えて話をしました。川は、上流、中流、下流があります。
上流は流れが急で、水は、ゴロゴロ転がっている大きな岩に弾き飛ばされて岸に水滴となって飛び散って蒸発してしまう。産学官連携の走り出しは、技術革新のスピードが早く、障害が多くあって難しい。中流は、流れが穏やかになってくるが、いろんなところから支流が合流してくるので、そことどのように連携していくかが難しい。合流地点は、淀みができる。あるいは、うずができて流れに乗れないことがある。下流部に行くと流れはゆったりだが、河口までの距離が長い。流れのスピードがなくなる中、どう乗り切って最終形にどのように持っていくのかが結構つらいという話をしました。


■平成25年度市長講話テーマ「公務に対する強い意識を」
25年度は、協働のまちづくりが本格的に動き出そうとしていたので、協働のまちづくりの「前夜」に当たる年として講話のテーマを「公務に対する強い意識を」としました。
議会から予算の承認をもらえたのでそこで安心するのではなく、決算について説明責任を果たすことを重視しなさいと話しました。協働のまちづくりを進めるには、予算を実施に移すにあたって受益者である市民にどのように説明するのか、いかに参加してもらうのか、その結果をどう総括するのかをしっかりしなければなりません。
「今日すべきことは、明日やることはできない」というのは、今日やる事をやっていれば、明日は普通に歩いて過ごせるが、やらなかったら明日は全力疾走しなければならないということです。私が市長に就任して5年経ったときに住まいにしていたビルから遠くに我が家の墓地が見えました。私は毎日、もしかすると今日何かがあって死ぬかもしれない、そういう気持ちで家を出る前に墓へ手を合わせてから出かけていました。重大なことを決断するときは、今日が人生最後の日と考えるとやるべきことが明確に見えてきます。
25年度の講話では、「兆しをつかめ、逃げるな、挑め」と話しました。アンテナを360度に広げて兆しを掴むことが必要です。「兆し」という漢字に“しんにょう”を付ければ「逃」げるとなります。逃げないで“てへん”を付ければ「挑む」に変わります。

戦略を考える際に、一番大事なのはネットワークを構築することです。
今の「ネットワーク社会」の前に3つの社会がありました。ヒトが4つ足で歩いていた「フットワーク社会」から、二足歩行になって手が動くようになり、脳の働きが活発になって智恵が生まれる「ヘッドワーク社会」に変わっていきました。仲間とコミュニケーションが取れるようになって「チームワーク社会」になった。チームワークは目で見える範囲での連携ですが、ここから進化して離れたところにいる相手とも連携が取れるようになったのが、「ネットワーク社会」です。この経緯を踏まえてネットワークづくりをしていくことが大事だろうという話をしました。
さらに、地域に出て市民のニーズを的確に捉えなさいと話しました。行政から見た市民とは地域に住んでいる主体です。お客様ではないのです。今までは行政が何でもかんでもしてきた時代がありました。しかし、これからは、変えていかなければならない。行政はしてあげる側で、市民は行政サービスを受ける立場にある人ということではありません。市民に対して、この地域の環境を一緒につくっていく責任を担っている立場であることをわかってもらえるよう、いかに説明し、働きかけをしていくかというのが管理職の仕事です。

25年度の講話では、宮沢賢治さんの詩「雨ニモマケズ」を紹介しました。
 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
 北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
東西南北の3つに「行ッテ」が入っています。自分の足で行って、自分の目で見て、自分の耳で聞いてという、これが宮澤賢治流の現場主義です。
東、西、南には「行ッテ」が入っているが、北に「行ッテ」が入っていない理由について、最近気づかされたことがあります。東、西、南には、いたわりの気持ちがある。北の喧嘩や訴訟は、他の方角とは違っていたわりの気持ちはない。
先日、東山で開かれた賢治さんの詩碑「まづもろともに」の建立70周年記念事業では、詩人の谷川俊太郎さんをお招きしました。詩を揮毫した谷川徹三さんのお子さんが谷川俊太郎さんです。講演が始まる前に楽屋で谷川さんに私のこの詩の解釈を尋ねたところ「そうだね、そうだね」とうなずかれていました。
この詩が書かれた手帳は、賢治さんが亡くなった後に、東北砕石工場の技師として営業に持って歩いたバックから石灰まみれで出てきました。「雨ニモマケズ」は、東北砕石工場時代に温めていたものではないかと想像しています。


■26年度市長講話テーマ「高校再編」「子育て支援」「協働」「政策力」
26年度は、高齢化社会をマイナスだけでなく、プラス面で捉えることができるのではないかと提起し、みんなでアイデアを出してみてはどうかという問いかけをしました。
また、この年は、県立花泉高校が無くなるのではないかという状況にあり、北海道の三笠高校の話をしました。三笠市では高校がなくなる危機に直面して、地産地消の戦略に生き残りをかけました。地元で採れる食材を地元で製品化するために、今まで掲げていた普通高校の看板を下ろして、調理師と製菓の2つのコースの食物調理科に付け替え、卒業後は高校近くのJAのスーパーに就職させ、雇用の場まで作り出していきました。卒業後の就職先も確保し、子供たちを地元に定着させるまでの戦略をしっかり立てている。これぐらいの戦略性を持たないと高校を存続させるというのは容易ではないということを知ってもらうため、事例として紹介したところです。

26年度は、定住促進に関して子育て支援のことを話しましたが、その当時使っていた手帳には次のようなメモを書いていました。「狭い意味での子育て支援に偏りすぎて、結婚、妊娠、出産という人間の価値観に関わる部分への配慮、踏み込みが足りていたのかどうか。女性のみの支援でいいのか」と自問自答しています。その後、一関市では、婚活から不妊治療までを子育てと捉えて支援の幅を広げ、不妊治療は男性も対象としました。現在まで、成長過程に応じて点ではなく線での子育て支援を構築してきましたが、今後はその線を徐々に太くしていって面にしていく必要があります。子育て支援は家庭の問題ではなく、社会の問題ではないか、子育てイコール福祉という考え方をする必要があるのではないかと考えていたところです。
その他にも、講話では話しませんでしたが、当時の手帳のメモには「義務教育は無料となっているが、学校給食費の支払いは保護者の負担になっているのではないか。心身の発達のために食が大きな意味を持っているのであれば、学校教育において食育という面で重きをおいて考えるべきではないか」「子育て支援に基づいたふるさと納税を考えるべき」「一関市では中学生までの医療費が無料となったが、本来、自治体の政治判断ではなく、国レベルで判断すべき問題ではないか」「共働き社会になると子育て支援は家庭の問題よりも社会がそれをすべきだという考えが当たり前になってくる」「就学前教育はすでに義務教育という議論がされている。そうなると市町村ではもはや無理。県や広域でやるべきものではないだろうか」とさまざま書いており、子育て支援についていろいろと真剣に考えていました。

26年度は、地域協働が本格的に始まっており、行政と民間の関係性について、協働の3つの形を話しました。
一つには、行政が民間に委託して実施する形。事業主体は行政です。
    委託       
(1)行 政 ⇒ 民 間

二つ目は、行政から民間に対して補助金を出す形。事業主体は、民間になります。
   支援(補助)       
(2)行 政 ⇒ 民 間


三つ目は、行政と民間の間に矢印がつかないで線でつながる。行政と民間が一緒にやる。  
(3)行 政 - 民 間

この3つを頭で整理して地域に入っていかないといけないという話をしました。
民間は、行政から何らかの支援をお願いしたいという意識が強いことが多いですが、知恵を出して取組んでいるところがあります。先週、移動市長室で中里、萩荘、山目、真柴の一関地区4か所を回っていろいろな話を聴きました。真柴市民センターでは、事務室が狭いので、隣の和室のあまり使っていない床の間を畳敷きにして、事務室を和室分に拡張したという工夫を自らされていました。

政策力についても話をしました。
政策力は、次の6つの力があって生まれるものです。一つは、アンテナを360度高く上げる「情報収集力」。二つ目に「情報分析力」。三つ目に「ネットワーク」。特に異分野とのネットワークが重要です。四つ目に「住民とのパートナーシップ」。五つ目に予算を満額使い切るのではなく、残す意識を持つ「コスト感覚」。最後に「個人の資質」ですが、これは、自己研鑽に努めるしかありません。


■27年度市長講話テーマ「仕事の品質管理」
27年度の講話は、今年度の受講者の中でも聞いている人が多いかもしれません。仕事の品質管理という話をしました。管理職の皆さんには、常に前広に構えて複眼的な視点でものを見てほしいのです。管理職は、外に向かってと内部に向かっての役割があります。ここをわきまえた上で仕事に向き合ってほしいと思います。
時間にも主語があるという話をしました。同じ時間であっても「私」の時間として捉えるか、「相手」の時間と捉えるかで、「待つ」時間と「待たせる」時間となり、大きな違いが出ます。ここを頭に入れていないとクレームが出てきます。
危機管理の対応は、4つの「識」であるという話をしました。危機に対する「意識」を持つ、それが危機であることをいかに「認識」するか、クレーム対応の「知識」を持つ、個人ではなく「組織」で対応することが重要です。
「市民」・「他の自治体」・「企業」同士のお互い様をしっかりとコーディネイトしていくことは行政の仕事であり、特にも管理職の皆さんの大きな仕事になっていくという話もしました。

■28年度市長講話テーマ「一関地域のプロジェクト」
一関でさまざまなプロジェクトが動き出しています。昨年度の後半には、全国で5箇所というプロジェクトが認定されたり、登録されたりしてきました。世界農業遺産とか観光農業公園などさまざまなプロジェクトがこれからも動いていきます。その延長線上には、一関市だけではなく、岩手県、東北でもなく、日本として初めての国際科学プロジェクトであるILCがあります。
ILCは、立ち上がりはコストダウンして小さく作るが、段階的に拡張、拡大していき、最終形に結び付けていくステージングという方針が示されています。トンネルの延長は当初30kmであったものを20kmでスタートする案が示されています。そうなると、トンネルは全部一関市の中でスタートしますので、ますます一関の役割が重要になってきている。今まで以上に気を引き締めていかなければならないと思っているところです。
また、昨年度に講話した内容は、この1年でいろいろな動きがありました。先週末には、観光協会の合併の調印式があり、翌日には、市内の若手経営者たちが中心になって一ノ関駅前に観光情報発信やマネジメント、起業の人材育成などさまざまな機能を持った「一BA(いちば)」という複合的な施設がオープンしました。行政が遅れをとらないようにしっかりとこれらの動きに対応していかなければなりません。括りが大きくなるにつれて、宮城県北との連携も含めてこれまで以上にダイナミックに動いて行くタイミングに今立っていることを管理職の皆さんには頭に入れてもらわなければなりません。
栗原市と登米市の新しい市長と平泉町長には、今月中に顔合わせをして、これまで連携してやってきたことを確認し、これからのことを話し合いたいと思っています。それぞれの首長とは今まで以上に強固な関係にしていこうとお互いに話しているところです。さらに、これに加えて気仙沼市、南三陸町、秋田県の湯沢市、東成瀬村、陸前高田市にも復興が進んだ段階で入っていただこうと考えているところです。
今日の庁議では、来年の室根大祭に向けて、室根神社の総代の皆さんと田辺市へ表敬訪問に今週行ってくると室根支所長から報告がありました。1200年以上前に、室根山の熊野神社のご神体は、和歌山県田辺市の本宮から船に乗せて半年をかけて勧請した縁から、一関市と田辺市は友好都市になっています。平泉町は田辺市と姉妹都市になっています。平泉で死んだ弁慶の生まれ故郷が田辺市だからです。室根支所長が挨拶に行った後、私が行ったときには、一関も平泉と一緒に姉妹都市にしませんかと提案してこようと思っています。

以上で私からの講話を終えたいと思います。ありがとうございました。

 

平成29年度市政課題研修「市長講話」(平成29年5月22日)

市長に就任し、8年が経ちますが、さまざまなことを研修で伝えてきました。

皆さんにお配りしているレジュメは、以前、私が講演した際の資料です。
市長になる前の県庁時代、企業誘致の仕事を長く担当しました。行政も民間企業もお客様を大切にするのは共通項ですが、行政は民間よりまだまだ遅れています。民間に学ぶべきものは民間に学ぼうと、企業訪問の際に、行政と民間の組織はどこが違うか、民間企業のクレーム対応はどのような形でされているのか興味を持って見ていました。
県庁で企業立地推進課長をしていたときは、企業から信頼をいただき、満足度を高められるような誘致活動をしなければならないと考えていました。私一人だけが頑張ってもいけない。臨時職員も含めスタッフ全員が共通理解を持って、企業誘致という課題に取り組むため、行動基準を定めました。しかし、「定めました」と壁に貼っておいては効果がありません。行動基準は折り畳んで名刺入れに入るサイズに作ってスタッフに配布し、1日1回は目を通して、できれば声を出して読むよう徹底しました。企業立地推進課長時代にこのような取り組みをした後、2、3年経ってから、日経グローカルに、岩手県の企業誘致のフォローアップは日本一だと評価され、岩手県の企業誘致が全国から注目されるようになりました。
私が作った行動基準は、盛岡グランドホテルで参考にされ、ホテルマンがその行動基準を使っています。
配布した資料に目を通してヒントになることがあったら、役立てていただければと思います。

本日は、いつもポケットに入れているメモ帳を持ってきました。県の市長会で作っているメモ帳ですが、非常に使い勝手が良い。4月以降で7冊になりました。ページに折り目を付けているところが自分の宿題です。折り目がなくなれば、課題は解決したということにしています。自分の仕事に関して、今何が問題になっていて何をしなければならないかというものは頭の中にあるだけではいけません。なるべく書く癖をつけて、書き留めることが大事です。私はこれまで書き留めることを意識して続けたので、市長室にあるアタッシュケースの1つは手帳とメモ帳でいっぱいになっています。
部長や課長に呼ばれたときは手ぶらで行ってはいけません。私は、メモ帳と筆記用具を持たずに手ぶらで来た人の話は聞きませんし、指示もしません。

部下は上司を選べないと言いますが、上司も部下を選べないのです。同じ仕事をしていても課長が変わったらやり方が変わったということがよくあります。いろいろな人がいて、仕事のやり方はそれぞれあることを意識し、どのような状況でも対応できるような心構えを持っておいた方が良いです。
前例に捉われすぎてはいけません。しかし、今までどおりにすることに何か問題あるのかと前例にこだわる上司もいます。皆さんには「こういうふうにすると、もっと良くなります」という意見をどんどん出していってもらいたい。そうでなければ行政の品質は良くなりません。改善点は、上司が自ら気付けるものではなく、部下職員から言われて初めて気が付くものです。
まじめな意見だけではなくていいのです。むしろ、遊び心があった方が良い。
昨日、栗駒山の山開きがありました。商工労働部の商業観光課が担当ですが、何かやるかなと期待していたところ、頂上で餅まきしたいと提案されました。天気が良くて、風もなく、餅が宮城県側に飛んでいかなくて良かった(笑)。
山頂でまいた餅は、岩手県南技術研究センターが開発したものです。ナノバブルを入れることで、時間が経っても固くならずにつき立てを味わえる餅です。県南技術研究センターの業務を担当しているのは、商工労働部の工業課です。課が異なっていても部内で連携して新しいことをやろうとチームプレーを発揮したいい例だと思います。
遊び心がないといい仕事はできません。少しばかりの遊び心を持って仕事をするといろんなアイデアが生まれてきます。
3年程前、東北の市長会議に出席した際、参加者名簿を見て数字が入った市名が多いことに気づきました。一関は「1」、「2」は岩手県二戸市、「3」は青森県三沢市。会場で斜め後ろにいた二戸市長と横にいた三沢市長に「イチ、ニのサン!」で何かプロジェクトをしませんか」とメモを渡したところ、「賛成」、「賛成」と返事が返ってきて、ここから何か始めるときの掛け声である「イチ、ニのサン!」という名前を付けた震災復興プロジェクトが始まりました。
市長会議から戻り、当時の企画振興部長へ3つの市で被災地を元気づけるために何かをやるようにと指示しました。方向性しか出していません。段取りを付けて、これこれこうやりなさいと細かく伝えるのは本来の指示ではない。きっかけ、目的やねらいはこうだから何をやるかは考えなさいというのが本来の指示の仕方です。
最初の「イチ、ニのサン!」は、3市で市民の親子旅行会を、お互いにクロスしながらやってみようとスタートしました。一関市では、餅やバルーン。二戸市は、天台寺で瀬戸内寂聴さんが開いている法話。三沢市は、米軍基地の航空ショーと評判が良かったです。ちなみに市長車のナンバーは123です。「イチ、ニのサン!」にそこまでこだわるんです。
最初の「イチ、ニのサン!」がうまくいったので、今度は南の福島県二本松市、三春町と何かできないかと思っています。将来は1から始めて10までやりたいのです。なかなか東北には4がない。6もないけれど、青森県にむつ市がある。全国に広げれば可能性があるけれど、まとめるのが大変ですね。名古屋の河村たかし市長は、職員を陸前高田市に派遣していますが、現地へ激励に行くときには、一関市で私と昼食を一緒に食べてから向かっています。会食の際、「イチ、ニのサン!」の話をしたら「最後の市は名古屋にさせてくれ」と提案されました。なぜ名古屋がと聞いたら「終わり(尾張)名古屋だろう」と。遊び心でやっている。そういう気持ちが大事です。
遊び心を持って提案した意見に対して「なんだ、そんなバカなことを言うな」という上司がいたら私に報告してください。私がその上司を叱りますから。遊び心をもって物事を見ていく。このことを頭のどこかに入れて仕事をしてください。

市長に就任して4年目に元三重県知事の北川正恭さんから電話がかかってきて、今までの公務員の常識から外れた面白い研修に職員を派遣しないかと呼び掛けられ、参加に同意しました。派遣している研修名は、早稲田大学のマニュフェスト研究所マネジメント部会と言いますが、3人の職員が1年の間に時々出かけ、自分の仕事をしながらも3人で対話して出された課題に取組み、アクションを考え発表し、実践しています。年に1度、市長、副市長や総務部長へ研修内容や取組みの報告があります。派遣して4年目に入り、大分組織が変ってきたと思います。
私は、義務感から研修を受けたり、終わってから何も残らないような研修はダメだと思っています。私は研修が終わってから出すレポートはあまり好きではありません。負担ばかりではなく、意識して頭の中に余裕を作らないといけません。
ところで、皆さんは、判子がなぜ丸いか知っていますか?
最近の判子にはどちらが上か分かるように刻みが入っています。昔の判子には刻みがありませんでしたから、どちらが上か確認してからついたものでした。そのちょっとした間を大切にするために、判子は丸くてどちらが上かわからないようにしていたという話を聴きました。判子をつく前に「本当に付いていいのか」と自分に問いかけ、考えるわずかな時間。そういう気持ちのゆとりを持って判子をついてもらえればいいと思います。私は気持ちにゆとりがないときは判子をつかないように心がけています。


携帯電話から金を回収して金メダルを作ろうというプロジェクトは、一関市が言いだしっぺです。誰でも金を回収できるかというとそうではない。経済産業省から回収事業所として認定を受けた企業が千厩にあります。黄金文化の圏域にある一関市だからこそやれることだと、市単独でオリンピックの組織委員会に提案しました。800年前、中国大陸にいたマルコ・ポーロが語った「黄金の國ジパング」の話が東方見聞録で紹介されました。東方見聞録は、マルコ・ポーロが書いたものではなく、彼が話したことを聞いた人が本にしています。800年経った今、この地から再び平泉の黄金文化が情報発信されるのです。
リサイクルで金メダルを作れば、東京オリンピックが環境にやさしい大会だと評価され、日本のリサイクル技術のレベルの高さを世界に発信できる。ひいてはリサイクルに対する国民の意識を前進させることができるのではないかと黄金文化の郷からオリンピック組織委員会へ提案しました。
要望書は、普通の紙ではなく金色の紙を使いました。要望書をもらった方がどう感じるか。やるんならとことんやる。
東北には、金を回収できる事業所が、一関市のほか、青森県八戸市、秋田県大館市と3つしかありません。大館の市長は市長選挙の真っ最中でしたので、先に八戸市長に声をかけると、できた金メダルは、八戸市出身の伊調馨選手に自分がかけると大いに乗り気でした。一関市には、オリンピック出場選手がいるのかと尋ねられましたが、開幕までには金メダル候補が出てくると答えました。
一関市から提案し、現在3市で取組んでいるこのプロジェクトは、去年の暮れ、正式に東京オリンピックの正式なプロジェクトとして組織委員会から認定されました。民間からはNTTドコモが加わっています。
皆さんの自宅に引き出しの奥に使っていない携帯電話があったら、ぜひ「みんなのメダルプロジェクト」というステッカーが貼ってある回収ボックスに入れてください。確実にメダルになります。

今、市長応接室の本棚には金塊がピラミッドのように重ねてあります。ガードマンは付けていません。遠くからは見えないけど、実は中にはティッシュが入っているのです。原価83円。そういう遊び心を持った職員の皆さんからだんだん市長室が乗っ取られようとしています(笑)。職員の皆さんには、遠慮しないでどんどん思い切ったことを提案していただきたいと思います。

これからますます暑くなりますが、夏バテで食欲不振、睡眠不足、集中力の低下などにならないよう、皆さんには、自分の体をしっかり管理していただきたいと思います。
出張が続くと、外食になり、油ものが多くなるので生野菜を採るように気をつけています。健康に関するさまざまな情報が飛び交っていますが、極端に熱いものや冷たいものではなく、常温の物を食べるといいと思います。また、睡眠時間はたっぷりとるようにするのが夏バテ防止には一番いいそうです。睡眠時間が十分に取れない人は仮眠をとることも必要でしょう。これからの季節、体を壊さず仕事に取り組めるように、水分を十分に摂り、健康管理をしっかりすることを心掛けていただきたいと思います。
以上で私からの話を終わります。


 

平成29年度新採用職員研修前期Ⅰ「市長講話」(平成29年4月4日)

あまり難しい話はしませんから、固くならずに聴いてください。

まず、自己紹介をします。
私は、昭和25年7月4日生まれです。「7月4日に生まれて」というアメリカの映画がありました。県庁に入って最初の職場は教育委員会で、退職するまでの間に辞令書が40枚近くとなりました。他の職員より異動の回数が多かったと思います。市長になって8年目です。生まれは千厩の奥玉というところ。父親の実家は室根の折壁、母親の実家は大東の大原。現在実家があるのは東山、自分の家は一関にあります。
趣味は石集めです。職員が決裁をお願いに市長室に来ると石ころがあります。趣味は徹底して石集め。一昨年、趣味が高じて胆のうに石が溜まりました。残念ながら奥さんのブローチを作るまでにはいかない大きさでした(笑)。珍しい石では、君が代に出てくるさざれ石があります。さざれ石は、小さい石が結び付いてどんどん大きくなったものです。どんどん寄り添い合って苔がつくまで長く続く。君が代はそういう意味があります。

一関市の国内の姉妹都市は、「滝桜」というしだれ桜で有名な福島県の三春町です。田村家の一人娘である愛姫(めごひめ)は伊達政宗に嫁ぎました。田村家は後を継ぐ人がいなくなった。そこで愛姫が田村家を再興させてくださいと伊達の殿様にお願いして、伊達の殿様の子どもを養子縁組させて田村と名乗らせ、一関のお殿様にした。福島県の三春町とは、そのような縁があって姉妹都市になり、今年30年が経ちます。
先月、釣山公園の頂上に三春町の町長と一緒に滝桜の苗木を植樹しました。三春町長さんにその苗木に「愛姫」という名前を付けてよいかとお願いしたら、承諾いただきました。今月の半ばには、三春町で夜桜の観桜会があります。江戸時代に「一関に過ぎたるもの2つあり。時の太鼓と建部清庵」と言われましたが、一関からは、滝桜の苗木のお返しに時の太鼓を贈ることとしています。
海外の姉妹都市は、オーストラリアのセントラルハイランズ市です。
合併前の藤沢町は、初めてセントラルハイランズ市から中学生のための英語教師を招き、長年にわたってお互いに行き来していました。セントラルハイランズ市には、藤沢町民が造った日本庭園があります。一関市からは毎年、藤沢や千厩の中学生がセントラルハイランズ市へ出かけてホームステイしており、向こうからは高校生がやってきてホームステイするなど交流が続いています。
その他に、和歌山県の田辺市にある熊野神社から室根神社の神様を迎えたことから、田辺市と友好交流都市になっています。

一関市だけではなく、周辺の市町村と協力していかなければ、さまざまな課題が解決できない時代になってきています。私はよく「一関地域」と話しますが、これまでの市町村の枠組みを超えて広い範囲の「地域」として捉えることが大事です。
一関市は、平泉町と通勤通学エリア、医療圏、文化が重なります。さらに北の奥州市よりも、むしろ宮城県の栗原市、登米市と歴史的な関係が深いので、一昨年から3市の連携事業に取組んでいます。これに昨年から平泉町も加わりました。さらに陸前高田市、気仙沼市にも声をかけています。
所詮、県境や市町村境は人間が引いた線です。その境界にこだわるより同じ文化や経済圏として一緒にやっていくことが大事だと思っています。
私は、一関のエリアを「中東北」という言葉で呼んでいます。観光ポスターでは、北東北や南東北という言葉が使われていますが、それなら中東北があってもいい。中東北の位置は、南は福島県の白河、北は青森県の外ヶ浜、その中間地点の一関・平泉です。
「東北の真ん中にある尊いお寺」、これを中尊寺と言います。お寺には〇〇山という山号がつきます。中尊寺は関山中尊寺です。平泉は世界的なブランドです。一関はその玄関口に当たります。平泉の観光客の9割は、新幹線に乗ってきて一ノ関駅で降ります。しかし、平泉観光が終わると花巻温泉など別なエリアに行ってしまう。宿泊施設が弱いことが、この地域の課題です。栗原市や登米市でも同じ課題を抱えていますので、共通の認識を持って対策を立てていこうと連携しているところです。

さて、前置きはこれくらいにして、本題に入ります。
本日の研修では、大きくは、仕事の取り組み方について4つの項目についてお話したいと思います。

1.市役所はサービス会社だ
■「市役所はサービス会社」
私たち市役所職員の言葉遣い、マナー、服装これらは全部市役所の商品です。その心構えを持っていただければと思います。
心構えは、「心を構える」と書きます。これは間違い。構えたらダメ、相手が寄ってこなくなります。市役所だぞと構えてはいけません。「心構え」ではなく「心が前」。自分の気持ちを全面に出してお客様に接し、お客様が要望しているもの、ニーズを満たしていく。そういう気持ちが前に出れば、お客様にわかっていただける。それを前提として話を始めていきたいと思います。
サービス業である私たち市役所のお客様は、市民の皆さんです。市民の「役」に立つ「所」が市役所です。
民間企業では、お客様に商品やサービスを買っていただいた売上金が会社の利益になりますし、従業員の給料になります。我々は、市民の皆さんから税金を納めていただいて道路や施設を造ったり、私たちの給料も税金から支払われます。
顧客満足度、市民満足度という言葉がありますが、満足してもらえばそれでいいかというとそれは、違う。「カスタマーディライト」という言葉があります。「満足度の一歩先」という意味です。お客様が満足したからといってこちらも満足してはいけない。三歩、四歩先でなくてもいいから一歩先を目指す。満足度の一歩先ということは、「一関市役所はここまでやってくれるのか」という感動を相手に与えることです。そこまでいくとカスタマーディライトに到達し、民間企業においては、顧客がしっかりと定着します。カスタマーディライトまで到達するのはなかなか難しいことですが、私たちの仕事はそこを目指していかなければいけない。そうでなければ行政への信頼感も得られません。
一関市役所は、「満足度の一歩先を目指す」。これが、行政の品質を高める鍵になります。市長一人が頑張ってもできません。職員全員が同じ意識を共有してやらなければできないことです。皆さんはこれから平均で35年間、自分の人生の大きい部分を一関市の職員として過ごすわけですから、市民の皆さんに感動を与えるような仕事をしていきましょう。

■「お客様の時間」
皆さんは、時間をどのように感じていますか。自分の時間という意識がありますよね。自分の時間を邪魔されると腹が立つ。その気持ちを鏡に映すと分かります。自分と相手の時間は対等に考えなければならない。私たち行政職員は、勤務時間においては、相手の時間を最大限に尊重しなければなりません。市役所の窓口にはさまざまな手続きに市民の方が訪れています。時間をどうみるか。同じ10分、20分でも職員にとっては待たせる時間であっても、待つ方にとっては長く感じる。そこに配慮をしていかないとうまく物事が進まない。クレームもここが原因で発生することが多いんです。

■「定期的に仕事の棚卸をしなさい」
スーパーの店員さんが、定期的に在庫はいくらあるかチェックしているのをよく見かけますが、これが棚卸です。昔は商品が載った棚をそのまま降ろして確認していたので、棚卸と言います。我々行政でも計画性のある仕事をするために必ずやらなければならないことです。市役所にはいろいろな仕事がありますが、どの分野も同じです。週の始めには今週は何をするか、週末には計画どおり進んだのは何か。できなかったことは何か、なぜできなかったか、いつまでにやるかというように、棚卸作業を行う。棚卸の時期は、毎日、毎週、毎月、四半期、年度末と、すべき時期がそれぞれあります。棚卸のスパンが長くなると、計画したことができなくなるので、棚卸はできれば毎日するのがいいと思います。

■「賞味期限」を意識せよ
行政の仕事は、製造年月日じゃないんです。賞味期限です。いつ着手したではなく、いつまでに仕上げなければならないか、そこが大事です。私は職員に、いつ始めるかというよりもいつまでに完了させるかを優先させなさいと言っています。いわゆる「尻を決める」という段取りです。いつから始めるか、いつまでにやるか、このどちらを選択するかで違いが出てくると思います。皆さんは、小学校の夏休みの宿題はどうしましたか?休みに入る前にはよしやるぞと計画していても、休みが終わるころには宿題が終わっていないということがあったと思います。
集団で仕事をするときには「いつから」に議論が集中します。みんなで頑張ろう!と号令をかけるのは簡単な話。組織で動いていくときには「いつまでに終わらせるか」という尻を決めて段取りをすることが大事です。皆さんは組織の一員として仕事をすることになります。組織の中の一人ひとりが自分の役割の中でいつまでに終わらせるという具体的な計画がないといけない。それが段取りです。

2.まず一歩踏み出そう
■「市民の視点、起点?」
「視点」というのは、私がここに立っていて、そちら側に座っている皆さんの視点で考えるということです。考えてはいるけれど、私は、まだこちら側に立っているままです。
一方、「起点」は、私が皆さんの側へ実際に行って、同じ場所から物事を見て、考える。視点とはまるっきり見方が違います。我々行政に大切なのは「起点」なのです。市役所の中にいたままで、多分市民はこう思っているだろうと考えるだけでは、市民は感動しません。皆さんには、「視点」と「起点」の違いをしっかり認識していただきたい。即ち、「現場主義」です。市民の方々に向き合って説明するとき、相手がいる側から、現場から見ることです。

■「のりしろ」でくっつけ!
のりしろってわかりますか?昔、本の付録にあったような紙の工作で、紙同士をくっつける部分です。封筒の糊付け部分もそうです。
身近な例で言えば、1枚の紙に、事務分担表として〇〇さんの仕事はこういう仕事です、と書かれている。紙に書いている10項目の業務があったとします。皆さんがその10項目の仕事を終えれば合格点をもらえるかというと、もらえません。のりしろ部分の仕事があるのです。誰の担当かはっきりしておらず、どこの部署に属しているかわからない仕事です。しかし、ここをしっかり行わないと行政組織はうまくいきません。「誰の仕事だろう?紙に書いていない自分の仕事ではないからやらない」で済むものではない。誰かがやらなければならない。課長、係長の仕事でもない。のりしろの仕事は、気が付いた人がやるのです。
皆さんの仕事にものりしろがあります。1枚の紙を、隣の紙とのりしろでくっつけると2倍の面積になります。2枚、3枚とペタペタとくっつけてやがて6枚を貼り付けると立方体にもなる。
のりしろでくっつくことなく、有効に活用されなければ、所詮何人集まってもバラバラな紙です。2枚だけ集まってもすぐ風で吹き飛ぶ。1枚、2枚、3枚だけでは力を発揮できなくても6枚になれば立方体として大きな力を発揮する。これが「組織力」です。

■宮澤賢治「雨ニモマケズ」
宮澤賢治さんが最後に仕事をしていたのは東山の砕石工場です。そこで採れる石灰をトランクに詰めて営業先の東京で病気になり、故郷の花巻に戻って亡くなりました。亡くなった後、彼の営業用のトランクの中から1冊の手帳が見つかりました。その手帳に書かれていたのが『雨ニモマケズ』でした。これは、その『雨ニモマケズ』手帳の復刻版です。
『雨ニモマケズ』の詩では、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ・・・」というように東西南北に「行ッテ」という言葉がある。現場に行って、行動している。ここに先程言った視点と起点の違いがあります。
私は、宮澤賢治さんから次のことを学ばせてもらいました。
東西南北を英語にして頭文字4つをつなげるとNEWSになります。東西南北を歩き回らないとニュースにならないのです。
人間の体は、足が二つある。目も、耳も二つあります。しかし、口は1つしかない。自分の足で現場に行って、何が起きているか目で見て、人の話を聞いて、手で触れてみる。現場でしかわからないことがたくさんあります。ただし、語るのは半分でいい。他はみんな2つありますが口は1つしかない。語るのは、最後でいい。
以上のことは、コミュニケーション能力に深く関わってきます。コミュニケーションとは会話の技術ではありません。足を使ってその場に行く。耳で相手の話を聴く。目で相手を観察する。そして話す。口以外のものもフルに活用するのがコミュニケーションです。『雨ニモマケズ』の詩は、私にこのようなことを教えてくれました。

3.笑顔で挨拶
「顔」は自分のものですが、「笑顔」は相手に差し上げるものです。笑顔は伝わりやすいものです。伝わった瞬間、相手が笑顔になります。
笑顔の作り方にはコツがあります。毎朝起きたら鏡に映った自分に向かって「おはよう」とニコッと笑う。それだけで素晴らしい笑顔が作れます。やってみてください。

4.何事もまずは考えなさい
徹底的に考え抜くことが大事です。
私が県庁時代の若い頃、顔を見ると「考えろ、考えろ」、「考えたか?」といつも言ってくる人がいました。「もっと考えろ、脳みそが筋肉疲労をおこすまで考えろ」とまで言われました。
人間の脳は、難問に直面したとき、嫌だなと思うと、脳はやらない理由やできない理由ばかりアウトプットしてきます。難しそうなことでも工夫すれば何かできるんじゃないかと思えば、脳みそがヒントをくれます。自分の脳みそを信じて、まずは「どうやったらいいのだろう?」と考える。もし、自分一人でダメだったら、先ほど話したのりしろを使って隣の人や周りの人と一緒に考えるのです。

一関が生んだ賢人、蘭学者の大槻玄沢さんは、日本が鎖国をしていたときに、幕府の命により長崎に滞在して、外国の文献を翻訳するなどさまざまな仕事をしていました。フランス語の百科事典の和訳をしていたとき、ビールのことを和訳しました。大槻玄沢さんは、日本で初めてビールを紹介した人物でもあるのです。その玄沢さんゆかりの地である一関で開催されている地ビールフェスティバルは、昨年、日経新聞プラスワンの地ビールフェスティバルのグランプリで全国1位を取りました。面白いつながりがあるんですね。
大槻玄沢さんが日本に紹介したもう一つのものは「バルーン」です。1807年、仙台藩の漁師が台風の影響でロシア領に漂着し、11年もロシアで過ごしてヨーロッパ経由で日本へ帰ってきました。彼らがいろいろ見聞きしたものを玄沢さんが聞き取ってまとめた本の中にバルーンの絵があります。ヨーロッパでは、巨大な風船に乗って人々が楽しんでいることを紹介したのです。今、一関市では、バルーンフェスティバルを毎年行っています。正に「因縁、おそるべし」ですね。

私が普段一関市をどのように紹介しているかお見せしたいと思います(これまで作ってきた一関市PR半纏を新採用職員へ披露)。
だんだんと電飾が点くようになりました。去年は、法被の色を緑系から赤系に変えました。新しい法被にはILCが描かれてあり、手を伸ばすと両側からきた電子と陽電子が衝突します。中にある電飾のバッテリーが重いんですよね(笑)。今全国で法被の派手さをめぐる熾烈な争いが繰り広げられ、4年連続で一関市が勝っています。ライバルは、鹿児島県の霧島市長です。どっちが美川憲一でどっちが小林幸子とわからないくらいになっている。お祭りになると私は、この派手な半纏を着て会場にいます。
皆さんもどうすれば一関市をPRできるかということを頭の片隅に置きながらも、まずは自分に与えられた仕事に早く慣れてください。最初の仕事をしっかりと段取りをして一巡できるようにすることが大事です。頑張ってください。
以上で私の話を終わります。
 

 

平成28年度管理職研修(平成28年12月26日)

■本日の講話の内容
本日の講話の内容は、大きく分けて三つです。
まず一つは、平泉を含めた一関地域がどのようなプロジェクトを抱えているのかを紹介し、それらを有機的に結び付けて、全体として一関市の発展につながる形にもっていくためにどのようにしたらよいかという問題です。
二つ目は、人口減少や高齢化は、本当に大変だという共通認識を皆で持ちたいと思います。そして、「地域表現」ということを考えてみてほしいという話をしたいと思っています。
最後に12月議会を振り返り、市民の代弁者としての議員の質問に対して、どのように向き合ったらよいかということをお話したいと思います。


1.平泉文化の世界遺産

平成23年6月26日に世界遺産登録の明るいニュースが飛び込んできました。その日、私は平泉町役場に行っており、県職員時代に部下だった当時の平泉町の副町長が、ユネスコ本部に出張中の町長から登録決定の報告を受けました。東日本大震災の影響で、登録発表前日の毛越寺、中尊寺の駐車場には駐車車両が0台、レストハウスには数台停まっていたというガラ空きの状況だったそうですが、登録発表の日の昼過ぎには駐車場に車が入ってきて、その日の午後は満車状態になっていました。
世界遺産登録は、観光客の呼び戻しには効果があったわけですが、その後、また停滞するという状態が続いています。団体客を受け入れられる宿泊施設が不足していることから、花巻温泉に観光客を持っていかれるということがあるようです。

■食と農の景勝地
平成25年12月に「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
その際に、地域に伝わる食文化というところで、写真入りで最初に紹介されたのが、一関のもち食文化です。当時、農林水産省へ何度か足を運びましたが、世界にしっかり情報発信していかないと本当の意味での日本の食文化というものが世界から評価されないと話をした記憶があります。
和食が登録されたことに続いて、今年、農林水産省関係のプロジェクトが10月、11月、12月と立て続けに登録されたり、認証されました。
まず、「食と農の景勝地」は、海外から訪れる観光客、インバウンドの需要を農山村漁村へ取り込むというのが目的です。
11月に一関市、平泉町を含め全国で5地区がモデル地区として選定されました。他に選定された北海道の十勝地域、山形県の鶴岡市、岐阜県の下呂市、徳島県のにし阿波地域は、それぞれしっかりとしたストーリーを組み立ててくるはずです。一関と平泉の地域では、もち食文化を前面に出して平泉の文化遺産との関係を重視し、「日本のもち食文化と黄金の國の原風景」というテーマで申請しました。ストーリー性ではかなり明確でいいと思いますが、観光地としての経営の視点が抜けたら途中で空中分解してしまうのではないかと懸念しています。農山村漁村の所得向上に結び付けることが終着駅なので、経営という視点が欠かせません。
実際に進めていくのは、「一関もち食推進会議」という協議体なのですが、行政は裏方なので前面に出ることはありません。前面に出ないから行政の負担が軽くなるという認識ではなくて、行政は表に出ないけれども地域をどうするかという点でチャンスと捉えて民間主体で進めるのを裏で支えるという体制がしっかり組めれば成功するだろうと思います。

■世界かんがい施設遺産
11月には、照井土地改良区が管理する照井堰用水が世界かんがい施設遺産に登録され、12月に登録証が伝達されました。有名な福島県郡山市の安積疎水などと共に全国で14施設が登録されました。照井堰は、藤原秀衡公に命じられた家臣の照井太郎高春が作った灌漑施設ですから、800年から900年の歴史を持っています。
しかし、単なる古い施設ということではなくて、学習機会や教育機能を持たせ、子ども達がこの地域の農業を学ぶ機会を与えるべきだと思っています。小学校では、農業体験と称して田植えや稲刈りを行い、給食に収穫した米で作ったおにぎりが出てきます。しかし、田植えと稲刈りだけで農業が分かるわけがないのです。稲作の基本となる水をどのように管理するかということを教えて、子ども達が何を感じるかが大事になってきます。田んぼは、貯水機能を持った大きなダムですから、国土保全のためにも農業はしっかりとした基盤をつくるべきです。そういうところを子どもたちに教えていくことが、第一次産業の理解者をつくることに結び付いていくのだと思います。
千年近く昔のものを維持管理し、独自で小水力発電に取り組んでいる改良区をしっかり評価しなければならないし、照井堰を地域の共有財産として伝えていかなければならないと思っています。

■バイオマス産業都市構想
バイオマス産業都市構想は、県内で初めて平成28年10月に認定を受けました。あらゆるものが資源になるのだという出発点を大事にして、資源循環のまちづくりとタイアップしながら、民間活力がどんどん前面に出るように具体的な事業を一つ一つ着実にやっていく必要があると思っています。

■DMO
今後、登録や認証を目指しているものの一つにDMOがあります。DMOは、Destination Management Organizationの頭文字を取ったものです。これこそ経営体としての感覚を持って仕組みをつくっていかなければならないものです。
県内では、岩手県と三陸沿岸13市町村が連携し、公益財団法人さんりく基金を候補法人としてDMOに手を挙げて、準備に入っています。秋田県では、秋田イコール秋田犬というシンプルで明確なコンセプトの「秋田犬ツーリズム」でもっていこうとしています。全国各地でDMOを検討しているところが沢山あって、今後は、地域の特色を活かした競争が始まります。一関・平泉は、“稼ぐ”コンセプトを明確にしなければならないという大きな課題があります。
現在、設立準備協議会をつくるために商工労働部が準備していますが、これも民間主体で進めなければなりません。最初、行政が事務局的な役割を担わなければならないのは仕方ないのですが、動き出したらなるべく早い時期に主導権を民間へ渡さなければ依存体質が残ってしまいます。引き渡すときのタイミングが非常に大きいのです。
このプロジェクトは、体制をどのようにつくるかが大きな山になってきます。1月にも体制が出来、設立に向けての準備を進めていくことを考えていたようですが、私は「急ぐことはない」とブレーキをかけました。設立準備協議会の体制をつくる準備をしっかりと1年間かけて、30年1月1日からDMOが動き出すスケジュールとしました。DMOには、肩書だけではなく、実際に動いてこのプロジェクトの責任を対外的にも明確に背負えるようなキーパーソンが絶対に必要となってきます。
DMOは、観光客の入込数が「対前年比でいくら増えた」だけでは足りません。どれだけその地域の観光業が稼いだか、増えた観光客がどれだけ地元に金を落としていってくれたかという評価が求められます。どこが一番先にゴールするかではなく、いくら稼いだか、地元にどれだけ経済効果をもたらしたのかというところが一番大事なところです。

■世界農業遺産
世界農業遺産については、奥州市と平泉町、一関市で準備に取り掛かっているところです。
奥州市は前沢の生母地区、平泉町は束稲地区、一関市は舞川地区というように北上川の東側を中心とした地域設定をしています。
この間、世界農業遺産の登録を目指すシンポジウムで、東山の田河津の方から田河津も入れてくれという意見をいただきました。かつて束稲山麓にあった国民宿舎は、前沢町と平泉町、東山町の組合で管理運営してきた経緯があり、今も山頂には、奥州市、平泉町と一関市の市町名が入った記念碑が立っています。田河津地区というのは東山の中でも平泉、中尊寺と関わりが深い地域で、尾根を挟んで隣同士という違いです。今なら間に合うかと思うので、可能ならば修正も考えていいのかなと思っています。
世界農業遺産は、必ず登録に結び付くようにもっていきたいと思っています。

■観光農業公園
日本の農業は海外と対等に競争できる体質になるためには何をどうすればいいのかという問題を抱えています。観光農業公園は、日本の農業を世界へ情報発信して、多くの皆さんが日本農業に理解してもらえる見せ方をしていきましょうという事業です。そのために、体験学習、交流、宿泊、農畜産物の安全安心、健康志向、本物志向、ブランド化といったコンセプトがびっしり詰まったプロジェクトです。TPP問題一つとっても、世界で農業問題が注目されている中、日本の農業を情報発信する観光農業公園は丁度よいタイミングにあります。
今のところ鹿児島市と和歌山市が先行して動いています。どちらも有力な政治家の出身地ですが、何としても勝ち取りたいと思っているところです。鹿児島市では、合併特例債で賄って32億円をかけ、観光農業公園のハード面を整えています。
しかし、一関、平泉には、他の地域にはない地の利があります。平泉文化が世界遺産に登録されている半径10キロのこの狭いエリアに、和食が世界無形文化遺産に登録され、食と農の景勝地に指定されている。世界かんがい施設遺産にも登録されている。バイオマス産業都市構想がエリアをカバーしている。世界農業遺産も今後登録されるという状況です。 
観光農業公園は、農林水産省の事業ですが、自分たちだけのプロジェクトではなく、全省庁が関わるものと認識しています。これに手を挙げる自治体はそういう点を腹に据えて取り掛からなければだめだと思っています。それぞれのプロジェクトを個別に動かすのではなくトータルで動かしていくキーパーソンが絶対に必要となってくると思っています。そこにILCが決まれば理想的なのです。ILCについては、今日は時間の都合上省略します。

■栗駒山ジオパーク
秋田県湯沢市と栗原市は、ジオパークの認定を受けています。栗原市長は、湯沢市と栗原市を連続性のあるジオパークで結んで、登米市を経由して南三陸町まで引っ張っていきたいという構想を持っています。栗駒山の一部は一関なので、ジオパークを推進していく中で一緒にやっていきませんか、そのときには平泉も一緒に連れてきてくださいねと言われています。これは歓迎すべきことで、隣接する周辺市町村と連携を取っていかなければなりません。
ジオパークのほかに、一関市、栗原市、登米市は合併時に多くの自治体が一緒になったという共通項を持っています。一関は8つ、栗原は10、登米は9つの市町村が合併しています。
一関と平泉はどうなるのかと言われることもあります。平泉とは定住自立圏構想を立てており、現時点で何が何でも合併するしかないという状態にはないと思っています。

■広域連携
栗原市、登米市、平泉町の首長とさまざまな取組をしています。登米市長、栗原市長の意向も考慮しながら、今後、気仙沼市や南三陸町、そして陸前高田市などとの連携も進むだろうと思っています。
連携している周辺自治体がわかりやすい一つの組織でもって、9つのプロジェクトを有機的に結び付け合いながら動かしていく必要があるのです。これを縦割りでやっているようでは失敗します。管理職の皆さんは、このプロジェクトはどの部の担当、どの課の所管事項だという考え方ではなく、一関市として抱えているプロジェクトなんだ、一関市職員の管理職としての自分の担当任務という当事者意識を持ってこれらのプロジェクトについて学習していただきたいというのが私からのお願いです。


2.人口減少・高齢化と交流人口

会議の際の市長挨拶用メモによくある言葉が「人口減少」、「高齢化社会」です。聞き飽きているかもしれませんが、絶対、飽きてはいけない言葉です。
人口減少といっても何でもかんでも減っているわけではないのです。結婚しているカップルから生まれる子どもの数は、減っていません。未婚、晩婚が少子化の原因になっているので、全体の出生率が落ちているわけです。原因をそこまで掘り下げて対策を打たないとミスマッチになります。原因によって対策の打ちようは違う。対策は、原因を突き詰めないとダメなのです。
私が栗原市長や登米市長と話し合い、原因は未婚、晩婚にあるのだから結婚してもらえるようにと婚活事業をやろうとなりました。人口減少は、息の長い対策が必要になります。出生率を上げようと対策を打っても、生まれた子どもが地域に定着して産業人材として独り立ちするまで20年はかかるわけです。根気のいる対策を打たなければならない。
一方で、高齢化は待ったなし。人間は毎年1歳ずつ歳を取るわけですから、当面の緊急的な対策は、高齢化対策だと言えます。
人口減少を抜本的に変えるのは無理だと思います。交流人口を増やして地域活性化につなげるのは、一つの方法です。移住、定住と掛け声だけが先走りして、各地でさまざまなことが試みられていますが、簡単ではないなと気が付いてきているところではないかと思います。東京へ集団就職列車で出ていってリタイヤした人たちへ「田舎に来てゆったりしてはいかがですか」と声をかけても、自分が汗水流して働き、家を建て、多くの知人友人がいる今の地域から簡単に別の場所へ移り住むことは少ないと思います。
交流人口を増やすには、観光産業が稼げる産業になることは当然のことですが、さまざまな条件があります。
観光と物産のマッチングですが、一関市は、観光協会と物産協会が一本化しておらず、その統合について商業観光課に取り組んでもらっています。観光と農業は、先ほど話した観光農業公園で連携させていきたいと思っています。従来の視点からの脱却とは、縦割りからの脱却のことです。観光は、今まで行政だけで、または行政主体で考えてきたのではなかったでしょうか? 民間企業をいかに巻き込んでいくかが条件となります。人材育成は、誰にそのコーディネート役をやらせるのかが重要です。
交流人口を増やすには、一関という土地、歴史、歴史上の人物を一つに結び付け、ストーリー性を持たせて情報発信できるようにしなければなりません。例えば、日本で最初にビールを飲んだ人は大槻玄沢さんです。詳しくは前にも語ったことがあるので省略しますが、そのゆかりの地で地ビールフェスティバルが開催されている。
バルーンを日本で初めて紹介したのも大槻玄沢さんです。津太夫(つだゆう)という仙台藩の船の水主が航海途中で難破し、ロシア領に漂着しました。ロシアにしばらく拘留されていましたが、生存していた4人がヨーロッパ側から大西洋へ出て世界一周して帰ってきて、長崎で引き渡されたのです。日本人で世界一周したのは津太夫たちが最初の人です。彼らがさまざまな所に立ち寄った際、見たり聞いたりしたことを帰国時に玄沢さんが聞き、まとめた本があります。その中に絵入りでバルーンが紹介されています。その玄沢さんのゆかりの一関でバルーンフェスティバルが開催されている。こういった偶然をどう活かすかというのが大事です。地ビールにバルーン、大槻磐渓、大槻文彦から何かもう1つ出てくるかもしれません。
3年ほど前に赤穂浪士の義士サミットが岡山県津山市で開催されました。津山市の洋学資料館には、西日本の西洋医学の基礎をつくったことで有名な蘭学者、箕作阮甫(みつくり・げんぽ)を中心とした資料が展示されています。資料館の学芸員にぜひ見ていってくれと呼ばれて立ち寄ったところ、最初に出てきたのが大槻玄沢さんです。箕作さんは津山藩の漢方医だったのですが、大槻玄沢に出会ってから一夜にして西洋医学に目覚めたということです。
一関市の行政に携わる者として私たちは地元の歴史上の人物を調べていく必要があります。一関市の地理、歴史をうまく結び付け、コンセプトをつくれば、観光に深みが出ます。“その地に留まって旅情を楽しむ”、これが旅行です。
今の地域開発は、金太郎飴的な似たものになっています。どこの新幹線の駅前に降りても全国チェーン店が並んでいて、出てくる酒やつまみも大体同じようなものです。
他市とどう差別化を図っていくのか、「地域差別」、「地域表現」が必要です。 餅だけではなく“一関ならではのもの”は何かないでしょうか。一緒に考えてみましょう。仕事納めの訓示で、それぞれの課長さんから部下職員へ年末年始に考えてもらうような問いかけがあってもよいかと思います。
私が県庁にいたころにNHKのドラマのロケ地を誘致しようと動きましたが、函館にやられてしまいました。港町はドラマに必要な材料が揃っています。港とはサンズイに「巷」と書きます。巷のような賑わいがないと港じゃないのです。賑わいが出てくるようになって風情を「奏でる」ようになっていく。これが「湊(みなと)」です。何としても函館を上回るものを探そうと苦心しましたがだめでした。
皆さんの知恵を借りながら、よいアイデアを見つけられればと思っています。


3.議会答弁の作成

職員の皆さんには、最近の情勢分析についてアンテナを高くしてもらいたい。新聞記事を切り抜いて、余白に一関市、岩手県内の状況を書いて報告してほしいと指示しました。最初はこちらで期待している以上に届いていましたが、最近は来なくなりました。ニュースが少なくなったわけではないと思います。新聞を毎朝チェックしていて、これは報告が来るだろうというものが夕方になっても私のところに報告が来ない。どういう報道がされているのかということに敏感になってほしいということが一つです。
市民の方からの要望やクレーム、議員の問い合わせをきちっと押さえておかないとダメです。単なる問い合わせであっても同じ内容が5件、10件と増えていくようなら何かそこに問題がある。それは、改善の余地があるというシグナルなのです。また、クレームの段階でしっかり手を打っておけば苦情は出ません。クレームをほったらかすから苦情になるのです。 
議会の一般質問で通告された後のヒアリングのレベルアップをしてもらいたい。聞いていることと違うミスマッチな答弁案が多いのは、ヒアリングが不十分だからです。ヒアリングするプレッシャーは大きいかもしれないが、担当分野の課題を把握するためのビックチャンスと捉えてほしいのです。議員は、課題意識を持って住民からの意見を集約し、形にしているわけなので、そこにヒントが出てくるのです。議員が本当に訊きたいのは何なのかということをしっかり押さえないと答弁案がミスマッチになってしまいます。
また、資料の準備が不十分と言わざるを得ない。市長にこういう内容で答弁してほしいというならば、答弁の裏付けとなる肝心の資料が私の手元に届いていなければならないのです。
答弁するのは私ですから、議場の中で緊急避難的にするならともかく、部長が資料をとっさに市長に渡すようではいけない。部長から職員に資料を作れという指示があるのか、資料を作成していても担当者が持っているだけなのか、あるいは資料が係長、課長、部長、副市長どまりなのか、あるいはそもそも資料を作っていないのか。資料のデータベース化というのを図って体制を整えておかなければならないと思います。
「手元に資料がありませんので…」という答弁もよく耳にするが、本来これはダメなことなのです。質問通告された範囲のものはすべて持っていなければダメです。

「12月議会での課題」と資料に記載したのは、議員から「当局は通告された質問以外でも、どういうことが聞かれてもいいように資料は整えてほしい」という発言があった件です。通告に関係のない資料まで手元になければならないのでは、議会対応を根本的なところから見直さなければならない。今後、議会事務局と詰めていって議会運営委員会で協議してもらいたいと思っています。
今回の議会で初めて反問権で質問しました。お互いが慣れていませんでしたが、これから回数を重ねていけば、反問権らしくなるのではと思っています。

 

平成28年度市政課題研修(平成28年6月3日)

新しい組織になって2年目になりますが、市の組織もその時々の課題に応じて臨機応変に動けるよう、1度決めたら変えないということではなく、良い事はどんどん変えていこうと思っています。
私の考えの一番のベースとなっているのは、少しでも良くなるのであればどんどん変えていく、チャレンジしていくというものです。


1 「地方創生」

本日の大きなテーマは、地方創生です。
今、地方公務員、特に市の職員にとって重要な地方創生についていろいろなことが論じられています。
地方創生は、地方を元気にしようと今、国の方から言い出したものではなく、ずっと昔、昭和40年代から言っているものであります。
第二次世界大戦後、日本は東京から大阪にかけての太平洋ベルト地帯に工業を集積させ、高度成長を遂げました。労働力は地方から東京に持って行きました。中学を卒業して一ノ関駅から集団就職列車で東京へ行った同級生が何人もいます。この頃、井沢八郎という歌手が「あゝ上野駅」という歌を歌っていたのですが、歌のように夜行列車で東京に行く際、同級生皆で一ノ関駅のホームから見送りをしました。そういう光景が毎日のようにありました。東北からどんどん首都圏に人材が流出していく、この図式が今も続いています。集団就職列車こそ無いものの、どんどん首都圏の方に行って地元になかなか人が残らない。
これは大変だということで、なんとか東京一極集中を是正しなければならないと、歴代の総理大臣は地方を元気にしよう、地方を活性化しようといろいろな手を打ってきました。
その中で、私が個人的に一番すごいと思ったのは、田中角栄さんの日本列島改造論です。総理大臣になる時に、何とかして地方を元気にしようと打ち上げたこのプロジェクトも言ってみれば地方創生なのです。田中角栄さんは新潟県出身で、東京から新潟に行く際、三国峠を越えて行きますが、「三国峠をダイナマイトでぶっ飛ばして平らにしなさい。そして山を崩した土を新潟から佐渡ヶ島の間に埋めれば佐渡ヶ島に船を使わなくても行けるようになる」と話していた。結局実現はできませんでしたが、すごい事を考える人だと思いました。
竹下内閣では「創生」という言葉を使い、ふるさと創生1億円プロジェクトを行いました。何に使ってもいいということで、全国の全自治体に平等に1億円ずつ交付しました。小さな村ではいきなり1億円交付されて、何に使っていいか分らないわけです。金塊を買った村もありました。
小渕内閣の時は地域振興券をやってみたりと、国は工夫しながら何とか地方を活性化させようといろいろな手を打ってきました。
振り返ってみると、これらによって地方が元気になったかと言えば、ゼロではないけれど当初、国が目論んだような結果にはなっていない。何故か?そういう手を打つ前に地方から人がいなくなっている。今になって移住定住を促進しましょうと、やっている事が後追いになっている。
国では、「今度こういう補助金の制度を作ったから地方はそれに従いなさい」と上位下達です。「条件に当てはまるような計画を作って出したら補助金をやりますよ」というように予め条件やメニューが決まっています。そうすると私達のような地方自治体の職員は何とか国の補助金、交付金の条件に合うような計画を作って、もらえるものはもらおうと、それが地方公務員の仕事だと勘違いしてきました。
本来は違うのです。我々は何が今必要なのかということを自由に捉え、それを計画書に書き込んで「うちの地域はこういうことをやりたいから、それに必要なお金がこれくらいかかりますのでください」というのが本来の形なのです。ところが、そういうものはなかなか私たちの目の前には現れてくれませんでした。
安倍総理が打ち出した「地方創生」では、これこれの中から好きなものを選んでいいですよと、ある程度地方に裁量が任され、少し良くなりました。しかし、最初から代表的な事例などが示されており、それに目が奪われてしまいますから、そんなものは最初から書かなくていいのです。
国は、最初から地方に全部任せるという太っ腹でいてほしいと思います。でもそれができない。誰がそのようにしているかというと霞が関です。霞が関のお役人さんたちはしっかり財布の紐を握っています。
国と地方公共団体の仕組みを抜本的に変えていくのは至難の業ですが、いずれこれから地方と国との関係は変えていかなければなりません。何故かというと、このままでは地方は崩壊します。限界集落とかで消滅するのではなくて、地方公務員が何も考えない集団になってしまうということです。
国の方から「メニューはこうですよ、フォーマットはこうなっていますよ、これに必要な事項を書いて計画書として出しなさい。条件に当てはまったら補助金出します」とそのとおりになぞって書いていけば計画書は出来上がるわけです。そうではないのです。本当に今地方が望んでいることの根っこの部分をしっかり書き込んでいかないと、本当の意味での計画書にはならないのです。
そうすると今度、国はパブリックコメントやりなさいとか、ビックデータを使って分析しなさいとか言ってきます。そうすると地方公務員は市民の声を聴こうとパブリックコメントを行うためにエネルギーを使うことになります。たしかにパブリックコメントは一つの手法です。パブリックコメントを行うことによって職員が現場をどれだけ理解したのか?現場に行って最終的な受益者である市民に直接聴き取りをしながら調査をするのであればいいのですが、勤務する職場の机に座ってパソコンと向かい合って、パブリックコメントで入ってくるデータを分類していくだけでは現場は分かりっこない。現場に足を運ぶということがどれだけ大事かということは、これからは我々が考えている以上に重要になってきます。


2 「今、自治体職員に何が求められているか?」

国が太鼓を鳴らし、笛を吹き、地方がそれに合わせて踊る。太鼓や笛の音はどういうメロディーとリズムなのかじっと聴いている。聴くだけで考えなくなる、そういう図式がずっと続いてきている。ここを断ち切る必要があるだろうと思います。国とか県から何か仕事が下りてきたら鵜呑みにしないことです。「そんな事をやって国とか県から恨まれたらどうするのですか?」と思われるかもしれませんが、恨まれません。どんどん国、県にものを言っていくべきです。
国、県に無くて我々にあるのは、「現場」なのです。最終的な行政サービスの受け手である市民との接点を我々は持っているのです。国とか県にはそういうのはありません。「現場を知らないで何を言っているのですか?」と最後はそういう言い方をしてもよいと思います。その代わり、私たちも住民サービスの受け手である市民の皆さんとの接点をしっかり押さえていなければなりません。現場は大事です。我々が現場を知らないでいると話になりません。
いろいろな研修でこれまでも「住民起点」、視点と起点は違うということを何回も言ってきています。
行政がやるべきこととして「住民の視点でものを考える」そういう言い方をする人もいます。それはダメだと思います。例えば皆さんが住民で、私が行政職員だとします。私がこっち側にいて、皆さんの方に座っているつもりで考えていることが「視点」なのです。私が皆さんの方に“行って”、皆さんと同じように座ってこっちを向いていてあれこれ考えると「起点」になる。この違いは大きい。我々がよく犯す間違いは、住民の立場になってものを考えるということを「視点」で済ませていることです。市民の側に行ったつもりで考えている。それでは現場は見えない。現場の根っこの部分が見えない。息遣いが聞こえないのです。そっち側に行って皆さんと一緒に座って、同じ方向を向いてどうしようかと考える、そうすると息遣いも聞こえてきます。それが「住民起点」、この違いが基本になりますので、しっかり覚えておいていただきたいと思います。
さて、霞が関のお役人さんたちはどれだけ住民起点ということを理解しているのか?
東日本大震災の後、一関は放射性物質、セシウムの数値がぐんと上がってホットスポットとなりました。しいたけのほだ場がやられました。見に来てくれと言っても、大体公表されているデータを見れば分かりますと、その程度なのです。それから何日か経ってそういう考えでいいのかと、少なくとも国の行政を担当する職員としてその程度でいいのかということを言ったら、林野庁の職員が長靴を持ってやってきました。そして大東の曽慶のしいたけのほだ場に入っていきました。言えば動くのです。言わないで国から言われたことをそのまま聞いていたのでは前に進みません。これからは遠慮なくどんどん言ってください。ただ、組織ですからプロセスをしっかり踏んだうえで言うべきことは言う。
ものを考えなくなると人間というのはどんどん劣化していきます。
私が30代の頃はおっかない先輩がいて「考えたか?考えたか?脳みそが筋肉疲労起こしていないか?そこまでいかないとダメだ」とよく言われました。脳みそが筋肉疲労を起こすイメージがよく分からない。中途半端な考えはダメで、とことん考え抜けということだと思います。最初から難しいと思わないで、何とかすれば解決策があると前向きにいろいろ考えれば、人間の脳というのは必ずヒントを出してきます。最初から難しいと思った瞬間に人間の脳というのはできない理由、やらない理由を考え始めます。非常にすばらしい理論構成でやらない理由を考え始めるのです。予算がないというのはやらない理由にはなりません。予算は作ればいいのです。動かないでいたら何も物事は前に進みません。
私たちに一番大事なのは、考えないでそのまま放置しておくことがどれだけ地域にとってマイナスに繋がるかということです。結果がどうであれ、とにかく考えるのです。動くのです。住民との接点である現場、これを持っているというのが、私たちが一番大事にすべきことです。
県も現場を持っている部署はありますが、市町村よりは少ない。市町村は住民と直結です。ですから、国とか県の職員が何か言っても私たちは住民と直結しているんだと、現場を押さえているということが私たちの一番の財産であり、押さえているということは現場を正しく把握しているということです。
ただし、現場に足を運ばないで現場との接点を持っていると言っても、それは無茶な話ですから、現場をしっかりと押さえる努力をしてこそ、本当の意味での地方創生の計画を描いていけるようになると思います。国から示されたもので作り上げようとすると安直な計画になってしまい、一体誰のための地方創生なのか、国のための地方創生ではないのかと言われても仕方がないと思います。
国は、終戦直後から首都圏にどんどん人材を集めて、今東京は過密です。東京都の出生率は非常に低いです。何とか出生率を上げなければならないと国でも人口減少対策を考えていますが、まず東京をどうするかということを考えなければダメなのです。
日本は、国土の8割が山林です。そういう中にあって、地方の中山間地域に住む方々のささやかな幸せをしっかり実現するというのが行政の仕事だと私は思っています。そこをフォローできないような行政では困るのです。首都圏をはじめとする都市部の幸福のためだけの地方創生では話になりません。


3 「人口減少社会の中で」

人口減少社会にあるということは皆さん重々分かっていると思いますが、そういう中で、行政サービスだけがどんどん増えていくというのはもうあり得ません。人口がこれから増えていくというのもあり得ません。減っていくだけです。その減り方が半端ではない。例えば自分の子の時代に人口が半分になり、孫の時代には4分の1になる。加速度的にどんどん減っていきます。ですから行政サービスだけが増えていくことはあり得ません。行政サービスの現状維持だったらそのまま続くか?それも怪しい。今、中山間地域に暮らしている方々は高齢者が多く、若者はUターンして来ない状況です。その中山間地域をどうしていくかというのは今、地方の都市で一番頭が痛いところです。
今いる部署に関係なく共通して皆さんが課題を考えていくべきテーマです。自分が暮らすこの地域は一体どうなるのか、そういう共通項で議論していくべきなのです。どこを止めるか、どの程度止めるか、いかに止めるか、どこかで仕事を整理しなければならない、中途半端な止め方をしたらかえって業務量が増えることになります。思い切って仕事を切る、そういうこともこれからは必要になってくるでしょう。それをしないと、まさにパンクします。

「合併なんかしない方が良かった」という声も時々聞きます。「前は役場で全部やってくれたけれど今はやらなくなった」未だにそういうことを言われる方もおります。そのような合併批判というのはやがて行政不信に繋がって、今進めている地域協働の障害になっていきます。何故そうなるかというと、しっかり説明をしていないからです。プロセスを軽視した結果です。プロセスを説明するところに一番エネルギーを使わなければならないのですが、肝心なところを端折って説明している。自分はプロセスを分っているが、相手にその部分を端折ってしまうから相手は理解できないのです。
私のところに毎日のように決裁文書が回ってきますが、それを見ていると起案した本人は分っているのだろうが、どうしてこのような表現になってしまったのかと思う時があります。思っていることが文書にうまく表現できていない。これは本人だけを責めるわけにはいかない。上司が確認をせず、判子を押しているためです。このような場合は申し訳ないけれど一旦戻しています。前は私が直していたのですが、そうするとその通りに直してきます。本人は何故直されたのか理解していないのです。中にはすばらしい職員もいて、直して戻すと、それ以上に良い表現で書いてくる時もあります。そういう時は一人で喜んでいます。

それから、説明というものは誰に向かって行う説明なのかということを、常に頭に入れてください。上司に対しての説明なのか、市民に対しての説明なのかで全然違ってきます。
皆さんの中にも経験がある方が多いと思いますが、いろいろな会議で大勢の前で説明する時は緊張しますよね。良い方法があります。原稿を読みながら自分の声を録音するのです。そして原稿を伏せて再生するのです。自分の声を「この人は何を言っているのか?」というような感じで目をつぶって聴くのです。ここの部分は区切った方が良いとか、説明が下手なところがはっきり分かります。
私も県職員時代、県議会の答弁案を書きました。一般質問の議会の答弁は、書いていることが忠実に読まれます。一般質問の答弁はしっかりと記録に残りますし、組織の公式見解となりますので、原稿に無いことは言わない。ですから、答弁案を読んで録音し、原稿を伏せて聴いてみました。耳に入ってくるものは書いてあるものと同じなのですが、耳だけで聴いていると、自分の説明のどこが相手に伝わり、どこが伝わらないかということが分かってきます。そういう努力もした方が良いと思います。私も最初の頃は5回も6回も聴き直しました。

国や県からの説明は、時として変なものがあります。「全体として良くなるからいいんじゃないか」とか、「補助金をやるから細かいところはいいんじゃないか」とか、とんでもないことを言ってくる霞が関の方もおります。そういう補助金や交付金は絶対に受けられないと思っています。もちろんお金は必要ですが、もっと大切なものがあるはずです。それが何かということは皆さんで考えてください。
それから、地方、特に農村部にはそのような上から目線での話は通用しないということをこちらから教えてあげなければなりません。

合意形成力という言葉があるかどうか分かりませんが、農村地域には皆で関わって一つのことをまとめ上げるという、そういう合意形成の形というものが昔からあるのではないかと思っています。そこを無視してはダメだと思います。霞が関からの補助金をもらうことだけにエネルギーを使ってしまうと、そちらの仕事ばかりに集中して、本来やるべき事がやれないでしまう、これは大きな損失です。そういうことの無いように我々が本来考えるべきこと、自分たちの住む地域を良くするためにはどうしたら良いか、そういうところを考えていかなければならないと思います。
私たちの仕事、私たちにしかできない仕事というのがあるはずです。それは何かというと、先ほどから言っている住民との接点、住民と繋がること、これが私たちにしかできない仕事であろうと思っています。
花巻市と合併した東和町に、農林水産省から1人の女性職員が研修で1年間やってきました。その方は、東和町の環境が非常に気に入って、結局東和町で地元の男性と結婚して永住しています。役重眞喜子さんという方ですが、今は花巻市のコミュニティアドバイザーという肩書きで、先日博士号を取得されました。この方が住民との繋がりというものを言われています。私たち市町村職員のオリジナリティは住民、地域社会とのダイレクトな関わりではないか。私たちが「住民プロフェッショナル」になってこそ、国や県の職員の1枚も2枚も上を行けると。
住民プロフェッショナルになるというのはどういうことか?例えば、市民の方々が市役所の1階、あるいは支所の市民課に来たとします。そして「今日は○○さんいないのかな?」とキョロキョロしている。○○さんになら相談してみようと思ってもらえる存在、そのキョロキョロされた職員こそ住民プロフェッショナルだろうと思います。そこまでいけば勲章ものです。そういうところを目指すべきだと役重さんは言っているのです。


4 「移住、定住の促進」

地方創生と共に最近よく出てくる言葉に、「移住、定住の促進」というのがあります。
国が移住、定住の促進、田園回帰という言葉を謳い文句にして、また、太鼓を鳴らし、笛を吹いているわけです。それに踊らされて地方の方のホームページを見ると、美しい景観、温かい人情、楽しいイベントの数々と美しい言葉だけ並んでいます。もう天国ですよね。しかし、情報発信していく内容としてそれで本当に良いのか?移住してくる人たちに対して間違っていないのか?我々はそこを考えなければなりません。どのように説明責任を果たすべきか考えてください。
奥さんと小さいお子さんと共に3人家族が一関市の中山間地域に移住してきたと想定してみてください。やがて、その子どもは成長し、小学校に上がり、中学校、高校と行くことになります。その成長過程の中で、過疎化が進み、住んでいるところが限界集落になるかもしれません。学校も小規模校で複式学級になるかもしれません。あるいは統合になり、離れたところの学校に遠距離通学しなければならなくなるかもしれません。利用者次第で公共交通機関も減っていくでしょう。そういう環境下で果たして、その移住してきた方は自分のお子さんの教育を全うできますか?ということです。そして、移住してきた本人もお年を召していきます。移住してきた以上はその土地に骨を埋めるという覚悟でいらっしゃっているでしょう。
ホームページなどの情報発信は、そういう問題まで念頭に入れて、責任を持って対処していかなければならないのです。
ライフラインというと普通、水、電気、ガスといいますが、農村の場合はそれだけではないのです。例えば集落内での共同作業、日常生活の中での相互扶助、そういう部分も農村部におけるライフラインの一つだと私は思います。
そういうところまで含めて、移住定住を考えている方に情報提供をしていかなければダメなんです。それをしたら来る人がいなくなるのでは?と思う方もいると思いますが、そこは逆です。最初から全てを見せないと、そしてその中で一緒になってやっていくという姿勢を見せないと、移住定住に乗ってくる人はいません。綺麗ごとだけ発信しても一時的に来るかもしれないが、すぐにいなくなります。本当に定住してもらいたいのであれば、全てを見せていくことが必要だろうと思います。

「プラチナタウン」という本があります。藤沢町出身の楡周平さんという作家が書かれました。
小説の舞台となった「緑原町」は栗原市がモデルになっているのですが、プラチナタウンができる前は、財政破綻を起こす寸前までいっている自治体という設定です。高齢化、過疎化が進む中で、東京の商社に勤めていた若い人が故郷の町長に担ぎ出されて、何とかしなければとプラチナタウン構想を実現させていきます。都会のリタイヤした高齢者の方々が地方にやってきて、一つのコミュニティタウンを形成する。そこにはいろいろな素晴らしい施設が備わっており、そこに地方の食材も供給されて、その地域はどんどん活性化が図られていくという夢みたいな話ですが、非常に人気のある本です。
やがてそのプラチナタウンに集まってきた都会の高齢者の方も年を重ねていき、誰かのお世話になっていく。そうすると、最初に計画したプラチナタウンとはちょっと違ってきます。そこで第2弾として楡さんが書いたのは「和僑」という本です。中国に華僑というのがありますが、それをもじって和僑としたようです。非常に面白い本です。自分の地域の課題がてんこ盛りになっています。

今日の結論は、「考えましょう」です。
考えて考えて、脳みそが筋肉疲労を起こすくらい考えて、そうすれば必ず良いアイデアが出ます。考えないと、言い訳しか出てきません。考えれば知恵が出てきます。ぜひ皆さんも一緒になって、大きなプロジェクトも控えていますので、皆で一緒にやっていきましょう。特定の部署だけが専門にやる、そういうものではありません。皆で一緒にやっていくプロジェクトをこれから進めていきたいと思います。よろしくお願いします。

最後に、市長室に飾ってあるものを皆さんにお見せします。
「それは市民が望んでいることか それは市民のためになることか」と書いてあります。
最後に決定するのは市長ですから、最後の最後に迷った場合はこれです。
「市民が望んでいることなんですか?」「市民のためになることなんですか?」これに尽きます。ですから、皆さんも仕事をする時には、市民の望んでいる事なのだろうか、市民のためになる事なのだろうか、と考えてください。これに当てはまらなかったらやる必要はない、私はそう思っています。
どうもありがとうございました。

 

平成28年度新採用職員研修(前期Ⅰ)(平成28年4月4日)

毎年辞令を交付した後に新採用職員研修があり、市長講話をしていますが、その中で、「公務員には、正月が2回ある」と話しています。役所は年度単位で仕事をします。大晦日と元旦、年度末と年度初めといったように気持ちを新たにするチャンスが2回あります。この年度はどうだったかを振り返って、新年度に向かう。皆さんはこれから先、それが何十年も続きます。皆さんに辞令を交付した前日の3月31日に定年退職された職員は、これを30何回、40何回繰り返してきたのです。
まず、皆さんは与えられた仕事を理解し、それを基礎として行政サービスを展開していくわけですが、1年後に振り返ったとき、自分自身が満足できるような1年になるように過ごしてほしいと思います。自分自身が満足できないとサービスの相手である市民の方々も満足できません。
 
「 ま み む 」(ホワイトボードに板書して)これは何でしょう?
「め」と「も」がないですよネ。「メモを取った」。単なる親父ギャグです(笑)。
今日の講習については聞くことに重点を置いてほしいのですが、皆さんがこれから仕事をしていくときは、なるべくメモを取ることを習慣づけてください。私は自分でメモ帳を作ったくらいメモ魔です。上司に呼ばれたときは手ぶらでいかず、必ずメモ帳と筆記用具を持っていく。メモを取ることは、いかに要点を捉えた文章が書けるかの訓練にもなります。肝心なところを見極めるためにも、これから皆さん一人ひとりが鍛錬していかなければならないことです。


1.協働について

(1) 「主役」の変遷

日本の歴史をさかのぼってみるとその時代ごとに主役が変わってきています。
平安京ができたのが794年で、当時の主役は貴族でした。鎌倉幕府は1192年で主役は武士、徳川幕府は1603年で役人が主役でした。おおよそ400年ごとに変わっています。徳川幕府から400年だと、2003年。今は大きな時代の変わり目なのです。
江戸時代の名残なのか、時々私たち公務員は「役人」と呼ばれます。
江戸時代から400年経った今、主役は役人から誰に変わらなければならないのか?それは、「市民」です。これから時代の主役は公務員ではなく、行政サービスの受け手である市民にならなければ時代の要請に応えられないのです。そのためにどういうシステムをつくっていくかというと、「地域協働」です。協働とは、“共に汗を流しましょう”、“共に考えましょう”ということです。
江戸時代には幕府を中心とした中央集権の仕組みがある程度出来上がりました。しかし、中心の江戸には地方からの要望はなかなか届かない。この体制が今に引き継がれているのか首都圏に一極集中し、地方に恩恵が及ばないという時代が現在まで続いています。これを変えていかなければならない。以前は、地方で道路を作りたい、橋を架けたい、学校を作りたい、田んぼを整備したいといったさまざまな要望は、首長や議員が霞が関に陳情し、国から予算を付けてもらって事業を行っていました。
地域に暮らす皆さんのニーズが多様化してきている今、役所が多分これがいいのだろうと思って作っても、本当は違っているかもしれません。市民の皆さんと話し合っていかにニーズを吸い上げ、要望を精査していくかということが非常に大事です。

国の財源が無くなってくるとともに、従来の公共施設は耐用年数に近づき、危険箇所が増えてきました。一関市においてもトンネルや橋をパトロールし、安全性を確認しています。せっかく作った施設を長く大事に使うために、維持管理に費用をかけなければなりません。
これまで「うちにもほしい」「こちらにもほしい」と要望があって作られた学校や公民館などの施設をすべて維持管理していたのでは財政が破たんしてしまう。近くの自治体同士で一緒になって統合して維持管理費用を減らそうということも理由の一つだったと思いますが、市町村合併が出てきました。
この地域は昔、西磐井郡、東磐井郡で分かれていましたが、一関市に合併しました。西磐井郡として残った平泉町は、合併当時、世界遺産登録を目指している最中で、当分は単独でいくという判断をして合併の枠組みに入ってこなかったわけです。平成17年に7つの市町村が合併し、藤沢町は財政状況を精査して平成23年度に合併し、8つの市町村で今の一関市ができました。
合併という枠組みには入らないけれども、平泉町と一関市は将来に向けて定住する地域、自立していく地域をつくっていくために連携しようと、県内で初めて「定住自立圏構想」という協定を結んでいます。
一関と平泉は切っても切れない縁があります。
平泉の玄関にあたるのが一関です。黄金文化が栄えた頃の平泉の南の玄関口は今の花泉町にあったらしく、大門という地名が残っています。北の玄関口は、奥州市の陸中折居駅付近にあったらしいです。それだけ平泉は広く、その影響力は沿岸の気仙地方、宮城県北まで及んでいたのです。当時、平泉は日本の中心地といってもよかった。東北は、南が福島県の白河、北が青森県の外ヶ浜ですが、その真ん中に中尊寺がある。中尊寺は東北の「真ん中にある尊い寺」と私は言っています(笑)。
ごみ処理、し尿処理、介護保険の事業を行っている広域行政組合も一関市と平泉町で構成しています。また、消防も一緒に行っています。
これからの時代は、市町村の境目を気にしてはダメだということです。

もう一つの広域連携は、宮城県北との連携です。岩手県と宮城県との県境は、95%が一関市分です。通常は山の尾根や大きな川が県境になっていますが、宮城県との県境になっている花泉は、田んぼのあぜ道が県境になっているところが多いのです。農家の方も両県にまたがって田んぼを持っている。また、宮城県北は通勤通学エリアでもあり、一関東工業団地に大勢の方が通勤し、高校生も一関に通学しています。栗原市や登米市から磐井病院に救急搬送されたり、一関市の方が登米市の総合病院に入院するなど医療圏も同じになっています。文化、食文化も一緒です。 
昨年から、私が登米市へ行って、登米市長は栗原市へ行って、栗原市長は一関市で研修会の講師を務めるという職員研修を始めました。そのうちにだんだんと例えば一関市の職員が1年間栗原市の仕事をするといった職員の相互交流も実現していくものと思います。
また、昨年のクリスマスに3市で合同婚活を行いました。市ごとに男女11名ずつが集まり、カップルが33組中18組が成立しました。面白いことに、同じ市同士のカップルがなかったようです。
今年から、この宮城県北との3市の枠組みに平泉町が加わります。県境を持っている一関市は今後ますます宮城県との連携が重要になってきます。


(2) 市民との協働

昔の行政は、役所が国から魚をもらってきて、それを住民に分け与えていた。どんな魚が食べたいかというのはあまり関係なかった。やがてそのような時代は終わって、魚を取るための餌や竿を貸す時代になりました。さらに、どこに行けば魚が釣れるか、エサは何がいいか、釣りの上手な人を紹介するとかの情報提供をするようになりました。
そして、これからの協働の時代は、「一緒に魚を釣りましょう」という姿です。このような流れの中で協働を理解していただければいいと思います。

「情報公開」「情報提供」「情報共有」「情報共鳴」についてお話しします。
最初は、「情報公開」という言葉が出てきました。公開するかどうかはこちら(役所)が判断するというもの。見せてくださいと公開請求されたときだけ開示するということになります。
一方、請求がなくてもこちらから積極的に見せますよというのが「情報提供」です。
ここからさらに進んで、今さかんと言っているのが、「情報共有」。行政だけが情報を持っていて、市民に協働しましょうといっても無理な話です。
さらにこれから私たちが目指すべきものとして、「情報共鳴」です。「素晴らしいことだ、よし、やろう!」と行政も住民も共鳴し、本物の協働が動き出すのです。
まず、最低限「情報共有」することを共通認識し、「共鳴」を目指すというのが市民との協働の形と捉えることができます。


2.宮澤賢治さんに学ぶ現場主義

宮澤賢治さんは、一関市に深い関わりがあります。晩年、東山にある東北砕石工場に技師として働いていました。石灰を用いた土壌改良材のサンプルをトランクに詰めて、東京へ持っていき営業していたのです。そのときに病に倒れて故郷の花巻に帰り、床に伏しましたが、37歳の若さで亡くなりました。ですから、賢治さんが最後に仕事をしていたのが東山ということになります。亡くなってしばらくして弟の宮澤清六さんが兄のトランクの中から手帳を見つけました。その手帳に書かれた詩が有名な「雨ニモ負ケズ」なのです。
私はこの詩を行動基準にしています。この詩の中に「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ  西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ背負イ  南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ  北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」という一節があります。自分の足で東西南北に行っている。その場にいて考えるのではなく、必ず「行って」考えているのです。この詩の中から私たちは「行動力」を学ぶべきだと思います。
「東」「西」「南」「北」の英語の頭文字を合わせると何になるでしょう?「NEWS」です。新聞やテレビのニュースは、記者が東西南北に行って集めてくるからニュースになるのです。現場に行って、見て触れないとわからないことがあります。それをやるのが現場主義です。皆さんは、現場に足を運ぶことを大事にしてください。
よく「市民の視点で考える」という言葉を聞きます。私は、職員に対して視点という言葉ではなく、「起点」という言葉を示しています。
 “市長の立場で考える”といった場合は、皆さんはそちらに座っていて、私がいる位置に立っているつもりになって「市長はこのように思っているだろうな」と考える。これが、「視点」です。私の位置に実際に来て、皆さんの方を向いて物事を考えて初めて「起点」になるのです。実際に相手の立ち位置の場所に行って考える。このことを常に頭において仕事をしてください。


3.私の新人時代

昭和49年に県職員として採用された私の新人時代の経験が皆さんの何かの参考になればよいと思っています。入庁して最初の10年が、公務員としての土台づくりの期間だったと思います。

最初の職場に着任したとき、自分の親より歳上の上司がいました。世代の違いに戸惑いを感じ、なかなかコミュニケーションが取りにくかったのです。
最近、コミュニケーションをテクニックや会話のキャッチボールと捉えている人が多いようですが、そういうものではないのです。(ホワイトボードに人間の絵を描いて)
人間には、足が2本ある。自分の足で踏み出して現場に行く。手が2本ある。行って実際に触ってみる。耳が2つある。現場の人の声を直接聴く。目も2つある。現場で何が起きているか自分の目で観察する。鼻の穴も2つある。場合によっては、においも嗅いでみる。みんな2つあるけれど、口だけは1つしかない。コミュニケーションの基本は会話だと考えてしまうと人間の体の構造と合わないことになります。
コミュニケーションの基本は「行動力」です。「よく見る」、「よく聴く」、これがコミュニケーションの基本です。話すことは半分でいい。耳よりもまず足を使ってとにかく現場に行く。どうしても行けなければ現場に行った人の話を聴く。これから市民と接する場合や仲間と話す場合は、これが基本になります。
そして、理解が不十分なものを放っておくと「苦手」なものに成長します。苦手なものは増殖します。社会人になったばかりで、わからないものをそのままにしておくと、一生ついて回ることになります。
物事は「報告」して完結します。頼まれた仕事を終えたとしても、やったことを頼まれた人に報告して初めて完結します。言わなくてもわかるだろうと思っていても必ず報告しなければなりません。頼まれたことはメモしなければならないのです。そして報告を終えたらそのメモは消す。
これが私の10年間の前半で学んだことです。

10年間の後半は、ある程度仕事も覚えてきて、自分より年下の後輩が出てきた頃のことです。 
そのときに「考えろ、考えろ!」とばかりいう先輩がいました。「脳みそが筋肉疲労するまで考えろ」と言われました。書類を持っていくと「どれだけ考えた?死ぬ気で考えたか?」と訊ねられました。考え過ぎて死んだ人はいないのです。とにかく考え抜け、やり抜けということなのです。 
そして、ものの見方が一変したのは、入庁して10年経ったときに県庁の記者クラブを担当した時です。市役所の記者クラブは10数社ですが、県庁では農業新聞や工業新聞などさまざまな報道機関がありますから、40数社ありました。その記者たちと1日の大半を県庁内でのニュースの素材になるようなものを追っかけていました。組織を外側から見る機会を与えられたいい経験でした。皆さんも外にいる人とチャンネルを作り、組織を外から見る習慣づけを意識してください。市役所職員同士の交友関係だけでは不十分です。特に、一関市は産業界との交流の場が結構ありますから、できるだけそこに飛び込んでみてください。
一関市はお祭りも多いです。私は市長になってからどのように情報発信しようかと考え、半纏を作りました。日本で一番派手な半纏です。今、九州の霧島市長とトップ争いをしています。私のものは夜になると電飾がつきます。霧島市長も負けじと電飾を付けました。小林幸子と美川憲一みたい(笑)。私のは、さらに音が出ます。川崎の花火大会の絵が描かれていてその花火の絵が点滅すると「ドーン!」と音が出ます。
お祭りは、みんなでちょっとずつ協力して成功に導くことが非常に大事です。5月の連休を過ぎるといろんな行事があるので、皆さんも関わっていくことになります。やるときは楽しくやりましょう。皆さんは仕事を覚えることで精一杯でまだ余裕がないでしょうが、3分の1の遊び心を持ってください。課長さん方には、3分の2は遊び心を持つように話しています。頭を柔らかくすれば、いろんな発想が出ます。皆さんには、風通しのいい職場の中で、新しい感覚でどんどん物を言っていただければ助かります。
これからの皆さんの健闘を期待しています。

 

 平成27年度管理職研修(平成27年7月6日)

現在、国が掲げている「まち・ひと・しごと創生総合戦略」は、仕事を作って、まちに人がたくさん行きかうような、そういう地方を作りましょうというものです。
安倍政権が打ち出した地方創生の元をたどれば、少子化対策です。それで今、少子化対策のほかにもう一つクローズアップされている大きな社会問題は高齢化社会だと言われています。
しかし、少子化、高齢化という言葉を捉えて、その真ん中にある問題を見失わないでほしいというのが今日の話の1つ目のポイントです。
少子高齢化の中に埋没して目立たなくなっている重要なものとは、「現役世代の労働力の確保」です。ここを抜きにして施策を進めるわけにはいきません。さまざまな分野の仕事に関わることですから、共通認識を持ちましょう。

まず少子化問題というのは、人口減少の問題です。

国土が38万平方キロメートルと決して広くない島国の日本で、人口はどのように増えてきたか。
縄文時代には約20万人。弥生時代から奈良時代にかけては、稲作が普及していき、500万人に増えました。江戸時代の初期になると1200万人になり、江戸時代の終わり頃になると3,000万人。明治維新があって諸外国との交易がはじまったことから医療が発達してさらに増えていく。明治維新後には4,000万人になり、大正時代には5,000万人、昭和の初期には6000万人になった。そして、第2次世界大戦で300万人のマイナスとなりましたが、その後の高度成長で今まで増加しました。
実は、日本の国土の面積からいうと昭和初期の6,000万人が適正規模ではないかと言われております。現在の約半分に相当する人口です。6,000万人からさらに増え続けてきて、国内では賄えないということで満蒙開拓など大陸に出ていったのではないでしょうか。
ですから、6,000万人規模というのは日本の国土の中で、ゆとりを持って快適に暮らしていけるという一つの目安として説得力のある数字と思います。

今、日本の人口がどんどん減り始めていて、特に生まれてくる赤ちゃんが確実に少なくなっています。
女性1人が一生で子どもを産む人数である合計特殊出生率は、現在1.43人。2.07までいかないと人口は増えない。2.0だと赤ん坊のうちに亡くなるケースが多いので、その分を上乗せして2.07という数字になります。この数字を人口置換水準と言います。今1.43ですからガタガタと減っているわけです。
国はこれでは大変だと地方創生という人口減少対策を打ちました。まち・ひと・しごと創生本部というのを作り、2060年に人口1億人を維持するという目標を設定しました。その実現のために、2020年には合計特殊出生率を1.6、2030年には1.8、そして2040年に2.07ともっていけば日本の人口は、1億人という水準を維持できますというビジョンを掲げています。
現役世代の労働力の確保という観点でみた場合、今生まれている赤ちゃんたちが、労働力としてカウントでき、我々の年金を支えていただく納税者となるには、少なくとも20年が経った後です。
ですから、20年かかるにしても、今、手を打てるものはすぐに打って子育て支援を充実させておく必要があります。

一方で、高齢化問題には、2015年問題、2025年問題、2042年問題の三つがあります。
2015年とは、まさに今です。昭和22年から昭和24年生まれの団塊世代の方々は、今年、65歳以上となり前期高齢者に入ってきます。
そして、10年後の2025年には75歳以上の後期高齢者となります。国では、この2025年問題を非常に重視しています。これまで日本を支えてきた団塊世代が、給付を受ける側に回る。税収不足から社会保障にも大きな影響を及ぼし、場合によっては、国土計画そのものを見直さなければならない。そのため、年金の受給開始年齢を2025年までに変えてしまおうなどとさまざまな議論が今行われているわけです。
さらに、2042年問題。この年には、65歳以上の高齢者がピークに達します。国民の半数が高齢者という社会です。
年齢構成がいびつな社会になるということを前提に、さまざまことを考えていかなければならない。何もしてないと社会保障が維持できなくなり、さまざまな経費がかかるようになり日本という国が成り立たなくなるわけです。このままでいったら地方消滅どころか、国家消滅になりかねないわけです。
そこで、国では高齢者の医療費をなるべく節減しようと打ち出しています。裏返せば病院にかからないよう、健康でいていただこうということです。高齢者の場合は、二つ三つの病気は抱えるわけですから、その病気を重くしないで病院にかかる頻度を少なくしていこうということです。

地域の医療と介護のニーズは高齢者率だけではわからないので、実数、高齢者数で捉えることが重要です。
今後は、高齢者の独居世帯が確実に増加します。そのときに地域社会は成り立つのか。
災害が起きたとき、一関も見守りやお互いの共助の精神で避難をするようにいろいろ工夫をしていますが、どんどん高齢化が進んでいく中で地域における高齢者の避難はどうするかが大きな問題になっていくでしょう。これまでプライバシーの問題で入って行かなかったが、そのようなことを言っていられない状況になる。個人の領域だからほっといていいというわけにはいかないのです。

また、これから介護がさらに注目されていきます。既に東京では介護離職といった大きな問題が出ています。
東京の場合、介護施設が絶対的に不足しており、自宅での介護が多い。奥さんの親が介護状態になり、妻は実家に行く。そのうち自分の親も介護状態になり、仕事をしながらも年休を使って世話をしているが、なかなか介護休暇も取りづらくなり、最終的には仕事を辞めざるを得なくなってしまう。これが介護離職です。この先大きな社会問題になっていくと思います。そのうちテレビで特集を組むのではと思います。
育児休暇の場合は、子供が大きくなれば、家にいてずっと世話しなくてもよくなる。先が見えます。介護は、何年先まで続くかわからない。この理由が大きくて結局退職する方が多い。
これまでは専業主婦の方に介護がのしかかっていましたが、仕事をする女性が多くなっている今、介護は専業主婦、女性の問題ではありません。まさに男女共同参画の問題として、対応をしていかなければならない問題です。
働きながら介護する人はどんどん増えていて、今は291万人いるというデータがあります。このうち、3分の2が40代、50代の働き盛りです。この人たちが介護離職ということになったら、日本の産業はどうなるのか。
介護離職した最初のうちは親の年金と退職金があるがそれも次第に無くなる。親が亡くなってしまえば唯一の収入源である年金も無くなり、とたんに生活保護の対象となる。そういうことが近いうちに現実の問題となってくる。介護離職にどう対応し、対処していけばいいのかというのが、これからの日本が置かれている立場です。

東京では、増加する介護の対策を考えないといけない。これから、国としても大きな社会問題となっていくでしょう。
東京都の介護施設では、職員を募集するにあたって時給が1番高いところは、2,700円。東京はどこから人を集めるかというと東北から集めます。大変な問題です。
ニュースにもなりましたが、東京の高齢者に地方へ移住するように仕向けても、絶対来ません。
便利さに慣れた東京都のお年寄りの方々は、東京から離れられません。
一関市と交流がある豊島区の新庁舎が入ったマンションでは、7階以上が主に高齢者向けマンションで、病院や売店、文化ホールもあり、すべてマンション内で用を足せる。こういう環境で生活している方に「一関に来てゆっくり暮らしては」と言っても、「はい、そうですね」とはなかなかいかない。今日の新聞記事の東京都の首長アンケートでは、高齢者を地方に移住させることについて、3割が反対で、積極的に賛成という人はいなかった。
高齢者を抱えるには受け入れ施設が足りない。地方にとってどれだけメリットがあるのか。今でも入所待機者がいる中でウエルカムとは言えない。ターゲットを間違えてはいけない。まず、今税金を納められていただいている住民の方で、施設に入りたくても入れないという人に手を差し伸べてなければならない。

来年度の政策を考えていくときに、少子化、高齢化は非常に重要なポイントになってきます。また、さまざまな対応策を考えるにあたって、子どもと高齢者の真ん中にある現役世代の労働力確保についてしっかりとした政策を立てて、出生率が伸びていき、その子供達が労働力としてカウントできるような社会をつくっていかないならない。
管理職の皆さんは、福祉の問題だけに限らず、自分の仕事の中で子どもと関わる部分がどこにあるのか念頭に置いて考えていただきたい。
昨日は、いつも離れた所で行っていた水防訓練を初めて街中で実施したところ、子どもを連れたお母さん方がたくさん来ました。体験コーナーでは、子供たちがすごく喜んでいて、水防意識が高まる一つのきっかけにもなり、うまくいったと思っております。
少子化と防災といった一見あまり関係なさそうなものでも、結びつけて考えたり、立ち位置を変えれば、新たに見えてくるものがある。管理職という立場にいる職員は、そのように考えることは義務だと思っていかなければダメだと思います。

労働力の確保は、いかに地域に定着させるかが重要だと思っています。地域といった場合には、平泉、登米、栗原、気仙沼が入ります。
企業誘致も市町村ごとではなく、通勤可能エリアで一緒になって活動する。一関にはないけども、栗原は持っているポテンシャルというのがあるかもしれない。そういうときは、栗原の持っているポテンシャルを前面に出して、「我が地域では」という言い方で企業にあたる。
これまで、大船渡と陸前高田が一緒になってやれば、誘致できたものが幾つもあった。大船渡には港湾と5万トンの岸壁があるが、工場建設用地がない。陸前高田はその逆で、港湾はないが、工場用地をつくるだけの面積は確保できる。同じ通勤エリアなのにもったいないことです。
栗原と登米は、通勤エリアであるし、通学のエリアでもある。
花泉高校の存続が危惧されているのですが、広域的なエリアでくくったときに、活路が見えてこないのか。
地元の花泉中学校から花泉高校に進学していた子供の数が減っている。3分の1は宮城に行き、3分の1は一関に来ているから減っているわけです。そこには新しい展開が必要なのです。教育の問題だけでなく、ものすごく豊富な花泉地域の食材を生かして何かができないかということを真剣になって考えていかないだめなのです。
地域全体の問題になってくるわけですから、管理職の皆さんは、自分の守備範囲が目の前にある分掌事務だけでなく、本当は市政全般が守備範囲と思ってもらわないと困るわけです。そうでなければ、担当分野の仕事も満足のいく結果が出てこない。


本日、二つ目のテーマである「仕事の品質管理」に移りたいと思います。

行政の仕事は、領域が拡大していくもので縮まっていくことはないです。新しいニーズが出てきて、それに対応した事業を打ち出していくには、何かを捨てないといけない。
ところが、我々行政の人間というのは、何かをやめることに非常に躊躇する。今までやってきた仕事はやり方も頭に入っていて楽であり、同じようにやっていれば怒られないから、新しい仕事に取って代わるべき仕事が残ったままになっていることが多い。
思い切って止めるには、受益者である市民の皆さんに、成果がでなかった実態を明らかにして見せていく覚悟を持たなければなりません。高齢化が進んでいき、全体の人口もどんどん減っていくといったように地域が縮まっていく中で、事業が減らないと無駄使いになります。市民1人1人の要望がみんな違って、複雑多様化していくのに対応しながら、最も効果が出るものを選択して実施していく。多様化したニーズの中からこの事業を選んだ理由をきちんと説明できなければなりません。
協働のまちづくりだから、市民の方々と話し合って市民の人たちが決めるからいいということではだめなのです。協働のまちづくりといっても、市民に100%任せるのではなく、この事業をやるというように誘導していく部分も当然なければいけません。市民の皆さんの意見を聞いて議論していく中でも、この事業は、「何のために」「誰のために」行うのかということを説明していくべきなのです。仕事の本質を見失ってしまうと説明責任は果たせません。

ですから、外に向かっての管理職としての立ち位置と組織内部に向かっての立ち位置をよく考えていただきたい。
「外に向かって」は、我々はなぜこの事業をしようとしているのか、それを市民にしっかりと説明する責任を果たせるよう能力を磨くことです。
「中に向かって」は、自分たちはなぜこの事業をやろうとしているのかということを部下職員に対してしっかり説明をして、ベクトルを合わせることです。それが管理職の1番大事な仕事です。組織力はそこから生み出されると思います。
「国、県から言われたから」、「市長、副市長が言っているから」というのは事業を行う理由にはならない。自分自身がなぜこの仕事をしなければならないのかということをしっかり認識して内外に説明していくことが管理職です。
また、業務の説明を受けるときに「去年もやっていますから」というのが多いですが、私はスルーします。去年と同じだということは、わざわざ市長室まで来て説明する必要はありません。
従前のとおりでは品質を劣化させるだけですから、結果として同じであっても、同じ結果になった経緯をしっかりと説明できなければいけない。

そして、「常に前広に、複眼的な思考であること」。
先週の庁議では、大船渡線開業90周年を迎え、博物館で本日から特別展を開くとの報告を受けました。一関から摺沢まで開通したのがちょうど90年前です。ですから、摺沢駅で何かイベントをやってもいいのではないかと指示しました。本日の庁議では、摺沢駅の音楽祭のほか、一ノ関駅や猊鼻渓でもイベントをするとの報告がありました。
大船渡線は、摺沢まで開通した2年後には千厩、さらにその2年後には気仙沼まで行っています。これは、三つの開業を使って一関の情報発信する良いチャンスという発想をしてほしかったのです。ILC関連や駅からハイキングなど、もっといろいろなことを考えられないか。市の図書館には実際に大船渡線を走ったSLがある。そのSLが走っていた頃、陸中松川駅というのは東北で1番の取扱貨物量が多かったといった一関の歴史がある。こういった資源をそのままにしておくのはもったいない。
こういったことをやらなくても給料が減るわけではありません。そこが、我々が民間の人たちから1番言われるところです。致命的な損害を与えない限り安泰だと思っていることは、とんでもない話なのです。本来やるべきことをしなかったということで、責任を感ずるべきなのです。

我々公務員は常に「危機管理」の意識を持たないといけません。日常業務をしていく中で市民の人からクレームが入った、これだって危機管理です。危機管理の問題は日常の業務にもあります。
クレームと苦情の違いは分かりますか。クレームを放置しておくから苦情になる。クレームの段階で、しっかりと対応しておけば苦情にはなりません。
また、クレームを処理するものではありません。しっかり対応するべきもの、受けとめるべきものです。
危機管理とは、4つの「識」です。
まずは、「意識」と「認識」。危機に対する意識がないと、物事は始まらない。それが危機であるというしっかりとした認識を持つこと。
また、声高い人にどう対応したらいいかというと、「知識」です。大抵役所に怒鳴り込んでくるときは相手の怒りが一番のピークになった時に来ます。そこにうまく対応すれば爆発しないで帰る。そのときに態度が悪かった、目つきが悪かったなどお客様との気持ちにずれが生じると爆発するのです。「クレームはお客様からのプレゼントだ」という気持ちでを持って意識し、認識した上で、さまざまな対処の技術を学んで対応しないといけません。
そして、最後は「組織」。組織力で、対応していくのが危機管理の鉄則になります。危機管理のときは総力戦です。「上司出せ」という人に最初から部長や支所長に会わせてはいけない。窓口の人間だけに任せて、他は聞こえないふりをして仕事をするのはダメです。他の人も仕事を一時停止して、過去にクレームで来た経緯がないかどうか調べるなど、連携プレーで対応していくのです。
私に届く「市長への一言」の中では、言葉の使い方が間違っているといった同じような内容が何回もあります。品質管理の細かい部分で言いたかったことは、文章の書き方。一つには挨拶文の起案、二つには議会の答弁案です。
昨日の水防訓練に関する挨拶文の原稿では、会場を街の中にしたという理由が抜けていました。近場で多くの市民の方々にきびきびとした水防隊員の訓練風景を見てもらい、水防意識を高めていただくためという点です。挨拶文には、絶対に外せない部分があります。
挨拶文の修正は秘書課を通して担当課に伝えていますが、「市長が直したから、まず直しておくか」という姿勢ではダメなのです。
議会の答弁書も同じです。どうしても書き直してもらわなければならない箇所がある。6月議会では、質問に対してまともに答えていない部分がありました。その原因の一つにヒアリングが全然なってないということがあります。私は議場や休憩時間に手を入れています。ですから、最初の訂正指示を直したから終わりではないのです。本番でどう答えたかをチェックしないといけないのです。
私は、挨拶するとき、作っていただいた挨拶メモの通りに読んだことはありません。ですから、要点を箇条書きで3つ書いてもらえれば十分です。総会の開催要項や規約を見れば会の趣旨はわかるので、それよりも最近のトピックスなどを書くようにしてください。管理職の皆さんは決裁の際にしっかりみてください。

「時間にも主語がある」という言葉は、市民の方と電話や窓口で接するときに、頭に入れていただきたいことです。
「待つ1時間」と「待たせる1時間」では、とんでもなく違います。私の時間と思うか、相手の時間と思うか。
自分にとってはどうってことない待ち時間も相手にとっては苦痛に感じることがあります。お客様が窓口に来ているときに多少待たせてもいいやと思ってしまうと、多少でなくなってしまう。自分が仕事をしている一瞬一瞬に相手は待っているという気持ちを持っていただきたい。

最後に、「お互い様」という考え方をしっかり持ってください。この「お互い様」の関係はさまざまで3つのケースがあります。
一つには、行政は「住民同士のお互い様の環境づくりのお世話役をしていく」という意識を持っていかなければならないと思います。
二つには、一関市という自治体の管理職として、他の自治体とお互い様の関係も作っていかなければダメです。要するに連携です。
三つには、企業同士のお互い様です。これまでは、民民の関係だから任しておけばいいという気持ちがあって、この分野に行政はなかなか入っていかなかったと思います。果たしてこれまで企業同士のお互い様の関係をうまくコーディネートできたか振り返ると合格点はつけてもらえないだろうと思っています。
協働のまちづくりの中でつくろうとしているのは、行政と市民という関係と捉えている方が多いと思います。お祭りのときの協賛金集めだけでなく、企業を巻き込むことが絶対必要となってきます。これからの協働のまちづくりは、企業まで含めた形を作っていく。企業同士の調整役が私たちに求められているのだと思います。
日常業務の中で、お互い様という関係を大事にし、それをしっかり構築するのだということ意識しながら、管理職として今後の業務に取り組んでいただきたいと思います。
 

 

 平成26年度管理職研修(平成26年7月10日)

1.高齢化社会
2.少子化と高校再編
3.子育てと定住促進
4.協働
5.政策力
6.国民健康保険制度

今日は、私が最近気になっていることを記録したメモ帳からお話させていただきたいと思います。
まず、(1)高齢化社会というのは必ずしもマイナスでとらえるべきではないという話、(2)少子化と学校統合の話、(3)子育てと定住促進の話。(4)それから協働というのは、1つの特別な関係をいうものではなく、さまざまな類型をしっかり認識すべきという話。(5)管理職の皆さんに求められる政策力、(6)国保問題、以上6つについてお話しさせていただきたいと思います。

最初に、「高齢化問題」。
最近、いろいろなところで挨拶をする時、この高齢化、少子化の問題には触れざるを得ない問題になっています。前の岩手県知事の増田寛也さんが「消滅都市」という衝撃的なレポートを出されました。これに対する感想を求められる機会もあるんです。今の社会は少子化、高齢化の二つの問題が一気に我々の前に存在しているわけです。
日本の人口は、第一次、第二次ベビーブームとどんどん増えていき、2007年の前にピークを迎え(実際には2005年がピークだった)、そこから減少に転じました。昭和22年ころに生まれた人を中心とした団塊の世代、私たちの先輩がだんだん歳をとって後期高齢者になる時期がくるわけです。
日本人の平均寿命は、男女平均で84歳、世界一です。男性は79.94歳、女性は86.41歳。参考までに、世界で一番寿命が短い国は、大西洋に面したアフリカの西海岸、シエラレオネで、平均寿命が40.1歳。なんでこんなに短いのかとインターネットで調べましたら、水が安全でない、衛生的でないため平均寿命に影響を与えていて、乳児死亡率も高く、平均寿命が短いとされています。日本は、相対的に見て、世界の中で人間が生きていく上での環境に恵まれており、それが平均寿命をここまで伸ばしてきたのかなと理解しています。
一関市内で、100歳以上のお年寄りは83人、うち女性が71人。男性はわずか12人。女性の方が長生きするんですね。本年度中に満100歳を迎える人が40人ですから、日本は、どこの地域でも関係なく、高齢化社会に片足どころか両足が入っているわけです。

高齢者が増えていくと、医療費が上がっていくとか、様々な施設の整備をしなければならないとか、すぐマイナスに結び付けて考えたくなりますが、私は、これをプラスに捉え、そこに活性化のヒントがないかとあれこれ考えたものがあるので紹介したいと思います。
まず、高齢者が増えると介護の需要が確実に増えます。ある雑誌によると、75歳で要介護の認定を受けている人は、平均月30万円以上のサービスを利用しているそうです。私は、そこに福祉産業の分野で就労の場が生まれるのではないかと思っています。既にニーズが顕在化している部分もあると思いますが、介護保険で対応できないニッチの部分もあると思います。
例えば、電球の付け替えやごみ出しなど、日常の中でお年寄りが不便を感じているようなニーズが増えてくると思うんです。これまで助け合いや共助など結いの精神でやってきた部分が多かったのですが、互いに歳をとり足腰が弱くなっていく。そういった高齢化社会の進展まで考えておかなければならない。私はそこに一つのビジネスが出てきてもいいのではと思うんです。
最初は民間やNPOなどがそのニーズを担うことになったとしても、私はその仕組み作りに、動ける元気な高齢者も組み込むべきではと思っています。高齢者が社会貢献活動をすることは、自身の生き甲斐づくりになり、健康の増進にもつながる。また、これまでの経験やノウハウを次の世代に伝えていくという、人を介した循環型の地域づくりが出てくるのではと思っています。協働のまちづくりの中では、そういう仕組み作りを考えていかなければと思います。皆さんにはぜひ、この点を意識してもらいたいと思います。

次は、高齢化社会の対極にある「少子化社会」。
小中学校の児童生徒数の減少による学校統合問題は非常に重要です。しかし、私がそれ以上に心配しているのは、県立高校の再編問題です。
県教育委員会は、本年中に高校再編について検討を始めると言っています。前回の検討時もぎりぎりのところで残った高校がありますが、何年か経ち、さらに生徒数の減少が続いているため、再編は避けて通れない状況です。12万5千人という1つのまちで、県立高校がこれだけあり私立高校も2つあるという状況が、将来的に存続していくのかということを念頭におかなければなりません。本市は、市内だけではなく、宮城県境をまたいで通学する生徒がいることを加味していかなければなりません。
私立高校の学校経営に市が直接的に関与していくのは難しいものがあります。高い関心を持ちながらも一歩距離をおいているところがあります。県立高校も市町村が関与する度合は少ないですが、地域の中等教育機関としてみた場合、この問題に無関心ではいられません。ですから、高校再編について積極的に県に対して意見を申していかなければならない。しかし、ただ「残してくれ」だけでは通用しないと思います。具体的に実現できる確証を持った生き残り作戦を提案していかないと受け入れはなかなか難しいなと思います。
もう5、6年前になると思いますが、北海道の三笠市は、市から高校がなくなる危機に直面して、なんとかしようと地域で戦略を立てました。同市は、食材が豊富な地域で、地産地消をスローガンに掲げており、そこに生き残りの戦略をかけたわけです。何をやったかというと、地元でとれる食材を地元で製品化しようとしました。そのためには調理師が必要です。そこで調理師を育てる学校、学科を作ろうとしたんです。
いままで掲げていた普通高校の看板を下ろして、食物調理科に付け替えた。そして、調理師と製菓の2つのコースを設けて、卒業後は高校近くのJAのスーパーに就職させ、雇用の場まで作り出してしまったんです。
高校が無くなると、中学校を卒業した子供達はみんな外に出ていってしまいます。普通科の看板の付け替えだけに留まらず、卒業後の就職先も確保し、子供たちを地元に定着させるまでの戦略をしっかり立てて提案していく。こういったことをやらないとだめだと思います。
地域の特色をどれだけ生かせるのか。その前提として、自分たちの地域はどういう強みをもっているのか。私は、移動市長室で各地域をいろいろ回りますが、花泉、藤沢は食材が豊富です。それ以外の地域も特色のある食材を持っています。今東京で行っている「うまいもんまるごといちのせき」を地域ごとにやっても、みんな大成功して爆発的な人気を得ています。どの地域の食材を持って行っても、ディナーをその地域の食材だけで全部飾れる。これが一関の強みだと思います。

 普通は、高校再編と地域の食材がどう結び付くのだろうかと思われるのですが、物事というものは、黙っていただけでは結びつかないものも、とことん考えることでこれが結び付くんですよ。ですから考えなければダメ。先だって庁内にできた農商工連携チームの発足式の挨拶では、農業、工業、商業だけで考えてはダメで、福祉も、スポーツもすべてのものをごった煮風に一つの鍋の中で考える、その中で農商工連携に結び付くものができれば、より厚みのあるものができるのではないかと話しました。
皆さんに「脳みそが筋肉疲労を起こすまで考えなさい」と言わせてもらいます。これは私が企業誘致の仕事をしていた頃にある社長さんから言われたことです。とにかく「考えろ、考えろ、もっと考えろ。考えたつもりでいても考えたつもりで終わってしまっているだけだろう」と言われたんです。
前の京セラの会長で日本航空の再建に努めた稲盛和夫さんです。彼は、人の顔を見ると「おう、考えたか」と挨拶代わりに「考えてるか?、考えろ」と言う人でした。
管理職の皆さんは、考え方一つで一見関係ないようなものが組み立てられていくということを念頭に置くようにしてほしいと思います。

次は、「定住促進」。
人口が減っていく中、定住促進の取り組みは確かに魅力的で地方の活性化につながる起爆剤になると思うんです。どの自治体のホームページを開いてみても、首都圏からの移住定住を促進するためのさまざまな支援策が書かれています。しかし、定住化に成功した例はあまりないんです。猛烈社員といわれながら働き、定年退職後は今まで住んでいた東京の家は息子夫婦にまかせて、自分たちは少しゆとりのあるところに住もうと考えている人はいるんですが、実際に定住してくださる人は多くありません。
例えば、JRさんと相談して、東京の家に簡単に帰れる安い切符を商品開発するとか、そうでもしない限り難しいのかなと思っています。残念ながら、そこから先の事はなかなか思いついていませんので、皆さんからいろいろ提案いただければと思っています。
なかには、小さいお子さんと一関に移住してきている若夫婦もいます。そういう人に対して住宅環境、教育機関、医療費の補助など手厚く支援していくべきだと私は思っています。
一関市は小学生まで医療費を無料化しました。市長会に行くと、他の市長から「よく踏み切りましたね」とたびたび言われます。規模の小さい町村は、小学生あるいは中学生まで全額無料にしているところもありますが、5万人超えているところで全額無料に踏み切ったところはないはずです。
それから、予防接種のなかには高額なものもあるので、一気にというわけにはいきませんが、本人負担が無いようにもっていきたいなと思っているんです。病気になる前に予防接種を受けてもらうことで親の負担が少なくてすむんです。予防接種だけなら、せいぜい親が仕事を半日休むだけで済みます。病気になって入院でもしたら長期間仕事を休まなければなりません。それだけでも予防接種の無料化を積極的に進めるための理屈が出てくると思います。
今、定住自立圏構想を平泉と協定を結んで、地域の環境を整えていこうとしているわけですけども、移住定住をしっかり進めていくということは、教育、医療など暮らしに直結したところの環境をしっかりインフラ整備する。そこが大事かなと思っています。住みやすいということだけでなく、もう少しハイレベルなところに目標設定をしないとなかなか移住定住というものは実を結ばないのではないかなと思います。

次のテーマは「協働」。
言葉の上滑りだけにはならないように、気を引き締めていかなければなりません。何年か前に産学官連携というものが流行りましたが、「産学官連携」と話しただけで産学官連携に結び付いていくというようなことは絶対にあり得ません。ですから、協働のまちづくりについても、スローガンに終わらせることなく、これから自分達の地域を築いていくための欠かせない仕組みなんだというところをしっかり認識し、取り組んでいく必要があります。
しかし、当分はいろいろ試行錯誤が続くと思います。私がよく言うように、日本の歴史は400年ごとに主役が変わってきています。「協働のまちづくり」ということで、主役を江戸時代から400年続く役人から市民に変えなければならない。我々が先頭に立って引っ張っていくのではなく、むしろ主役は市民の皆さんで、我々がバックアップしていく形で地域づくりを行っていくことが不可欠だと思っています。試行錯誤が続くのは、まちづくりを行うにあたってのトレーニング期間だと捉えて、少しずつ経験値を高めていくことだとウエルカムに考えなければならないと思います。
元気な地域づくり事業では、地域の皆さんが話し合って内容を決め、そして取り組んでもらっていますが、「終わった。良かった」ではなく、しっかり検証することが大事です。この事業は、市長が口出ししないということで行っています。すばらしい事業が並んでいますが、一言だけ感想を言わせてもらえば、もっと文化の視点があってもいいと思います。文化はいろいろなところに刺さっていけるんです。自分たちの地域に伝わる文化を色濃く出して、その事業に参加する人、あるいは見に来る人に、自分達の地域にはこのような文化が根付いているというあたりを情報発信できれば、この事業が年齢層を超えたところで、支持を得られるのではないかなとみているわけです。

それから協働というのは1つの関係ではなく、3つに分類されると思うんです。

         委託
(1)   行 政  ==⇒    民 間   実施:行政

一つには行政が民間に委託して実施する形。これはあくまでも民間が実施するわけですが、実施する事業は、行政の事業なんです。これがまず一つの形態。

       支援(補助)
(2)   行 政  ==⇒    民 間   実施:民間

二つ目は、同じように行政から民間に矢印が向いているんですけれども、(1)と違って委託するんじゃなくて補助金を出すなどして支援をするんです。実施するのは、民間の事業なんです。ですから、実施するかしないかの決定権、責任は全部民間です。実施する事業は何かで変わってきます。

(3)   行 政  ===    民 間   実施:民間

それから三つ目は、行政と民間の間に矢印がつかない。簡単にいえば共催っていうんですか、決定権であるとか、責任の度合いとかを全部共有する。

いろいろな事業をやっていく場合に、この3分類をしっかり頭の中に置いておく。この3つの形態をどれか一本に統一する必要もないですし、これは3つあって然るべきです。ケースバイケースでこれをやっていくんです。
「協働のまちづくり」とは、何か一つの特別の形があって、それに沿って実施されていくものなんだと、狭く考えないようにしていただければいいのかなと思います。

それでは、次は「政策力」という言葉。
市民の皆さんに「行政に何を強く求めますか?」と質問すると、必ず入ってくるのがこれです。我々行政職員にもっと「政策力」を身につけてほしいというのが市民の要望です。これを強く受け止めなければならないと思います。
政策力とは何か。まず一つは、「情報収集力」。アンテナを高く持ちましょうということです。アンテナを低い所に置くと障害物があると受信困難になる。高くして360度プラス複眼的に見る。そういうアンテナが必要です。
二つ目に「情報分析力」。やはり、これからの地域協働を進めていく中で、行政に一番求められるのはここでないかと思います。分析力と言っても、問題意識がないとダメです。組織論にも結びついていくんですけれども、個人の問題としてではなく、将来的には組織としても問題意識を持って臨んでいくということなんです。
三つ目に「ネットワーク」。特に、異分野の人的ネットワークです。同じ分野の人たちだけで仲良しグループをつくっても意味ないんです。異分野のネットワークが絶対必要になってきます。農商工連携なんていうのは、そのスタートに過ぎないのかもしれません。
四つ目に「住民とのパートナーシップ」。しっかりとしたものを持っていないと政策を打ち出していくことはできなくなると思うんです。
五つ目に「コスト感覚」。批判的に言われる事が多いですね。予算措置されたものは満額使い切ろうと一生懸命努力する。もっと別なところに努力すべきではと言われる。そのとおりです。役所の人たちは、事業をやるとき身銭を切るつもりでやってほしいというのが、市民の皆さんの思いです。身銭を切る覚悟でやっているのかと聞かれると胸を張って言えるかどうか? これから市民の皆さんと一緒に事業を組み立て、動かしていくとき、コスト感覚というのは相当厳しい所に目標をおいてやる必要があると思います。
最後、六つ目は「個人の資質」。これは自己研さんに努めましょうということです。これはもう個々の職員の努力あるのみ。
地域協働とは、これから我々職員一人ひとりが全部関わっていく問題ですから、政策力は自分たちの専売特許だと言えるくらいのレベルで臨んでいかなければならないと思います。一から六までのことをぜひ頭の中に置いておいてもらえばと思います。

最後は、「国保」の問題です。
国保問題は議会でもいろいろ議論されてきました。いずれ、国保の問題はそれ自体が構造的な問題を抱えています。これはもう今の状況では何ともならないですね。加入者の年齢が高い。したがって医療費も高くなる。それから所得が低い人も加入しているので、保険料の負担が多く感じる。これはそのとおりです。これらは、もはや地方自治体で解決するのではなく、国がこの問題にしっかり取り組んでもらわないと困るんです。県、東北、全国の各市長会でずーっと言い続けてきました。ここにきてようやく地方6団体でまとまって国と協議をするようになってきた。今、全国市長会で議論を行う中で、国保の問題は、高知県高知市の岡崎市長に窓口になってもらい、我々の声を反映させて国と協議をしていただいている。
少なくても県、東北の市長会の中で、国保問題について、早期にしっかりとした体制を作るべきだとずーっと言ってきているのは一関です。東北市長会でも、一関の主張がそのまま採択されて全国市長会にもちあがる。
よく一般会計から繰り入れすべきといわれています。これは気持ちとしてはわかります。ただ、一般の税金を払っている人から見れば二重払いになるんです。自分たちの税金を払った他に、国保加入者の分も自分たちの税金から回すことになりますので、その取り扱い、対応の仕方はかなり慎重にやらなければならないと思います。国保は、国民皆保険制度の中で重要な役割を占める制度です。絶対に破たんさせてはいけません。そのために国保は基本的には集めたお金の中でやっていくしかないんですよ。私はそこをベースに言っています。病気が重症化すれば医療費が高くなっていく。それをどこかで抑えなければならない。重症化するケースの増加をできるだけ避けていくような政策を打っていく。限られた医療資源の中で重症化を少しでも防いでいく。地域によって特色があると思います。糖尿病の人が多い地域、絶対にこの地域では人工透析患者は出さないぞというぐらいの、そういう健康づくりに結び付くところでの柱、そういうものを打ちたててやっていく必要があると思っています。いずれ今、国はこの問題について、税と社会保障の一体改革の中で検討していますが予断を許さない状況にあります。消費税増税でまわってくるお金も、最近は本当にくるのかどうかもあやしくなってきている。国の動向もしっかり注意して見ていかなければならないなと思っています。具体的な政策の中で気にしているのがこの国保です。

最近、地域の市政の課題の中で新聞紙上をにぎわしているのは放射能汚染対策です。汚染廃棄物の処理のため、環境省が指導して仮設焼却炉を作り、そこで8000ベクレル以上のものを燃やす。これについての議論もあります。反対している理由をいろいろお聞きすると、不安なんです。我々がいくら地域に入って説明しても、我々の説明で安全だという確証が得られない。その理由の一つは、放射能に対する知見が我々にはないということ。我々がいくら住民の皆さんに「安全だから大丈夫」だと言っても全く信用されません。ですから、これについては、昨日も環境省に行ってお願いしてきましたけれども、いずれ、環境省の方に直接来ていただいて、仮設焼却炉の安全性について、しっかり専門的立場からの説明をしていただく。人々が不安に思う時っていうのはあるんですよね。要するに、専門家でない人がいくら説明しても不安は取り除けない。しかも、提示した資料の中に単純な記載ミスがあったとすれば、一気にその説明会は信頼を失う説明会に終わってしまう。つまらないところで失敗してしまうと、住民との間の溝が大きくなる。ですから、我々としてはそういうところを注意していかなければなりません。

仮設焼却炉は、国が8000ベクレル以上のものを燃やし、8000ベクレル以下のものは、市がその焼却炉を引き継いでやっていくんですけれども、その焼却灰はこのように管理するという事を、国から説明してもらわないと後が続かないんです。さらに、焼却炉が古くなっているから新しいのに取り替えたいという話になってくると、そこの地区に「もうここにはごみ焼却施設は作りません」という覚書がある。これにはしっかり答えなければならないと思います。当時の市長がはんこをついた覚書ではありますが、私がその責任を負うことになります。説明責任を負っている。このような理由でこのようにしたいんだと、私が説明していかなければなりません。
今一番心配なのは、側溝の土砂です。完全に埋まっている箇所があるんです。そこにバケツをまけたような雨が降ると、側溝に雨水が入らないでほかの家の宅地にどんどん雨水が流れていくので、それだけは避けたいと思っています。今の状態で、一か所にまとめて保管することについて、なかなか地域の同意をいただけておりません。できればそれぞれの箇所で一時保管する場所を確保してほしいのですが、そのような場所がない。それで仕方なく何ヶ所にも細かくわけて置くよりは、まとめて仮置きした方がいいと思って提案したのですが、同意がいただけていない。なんとか雨でほかの災害に結び付かなければいいなとそこだけを祈っています。

そのような身近な目の前にある課題、ある程度中長期的な課題、さらにはもっと長期的な課題、いろいろありますけれども、ぜひこういう私があれこれ考えていることを皆さんと少しでも共有できればと思っておりますので、今後も業務に少しでも参考にしていただければと思います。
以上で終わります。 ありがとうございました。

 

平成26年度新採用職員研修(前期Ⅰ)(平成26年4月2日)

  今日は1時間いただいております。肩の力を抜いて楽にして聞いてください。楽な気持ちで聞いて、その中からひとつでもふたつでも、これから市職員として仕事に向き合うとき、参考にしてもらえばいいと思います。皆さん、会議の時は名札を短くしてください。名札は相手に自分を知らせるための名札です。普通の長さにしていると、座った時、机の陰に隠れてしまいます。座った時に自分の名札が相手から見えるようにしてください。
部長以上になると秀衡塗の漆の名札が用意されます。これは一関の特産品です。特産品をPRしながら自分の名前を相手にしっかり知らせる。金箔で秀衡塗のマークが入っていますから、否が応でも目立つんです。そこから初対面の人との話題が始まる。様々なところで一関を情報発信するための工夫やアイデアが必要です。皆さんのような若い人たちのアイデアをどんどん出していただきたいと思います。
  皆さんは、これからの人生の大半は市の職員として生活することが多くなるでしょう。「一関市の職員」という肩書きがついてまわります。その時に、市の職員として何をやるべきかと考えると、やはり「市民に対する行政サービス」となります。
昔から「主役」がどんどん変わってきています。平安時代に主役だったのは貴族、鎌倉時代は武士、江戸時代になると役人、たまたま偶然ですけど、だいたい400年ごとに主役が変わっているんです。今は、江戸時代から400年経ってますから主役を変えなければならないんです。
今度の主役は誰なのか。それは「市民」です。ところがこれがぴんとこないんですネ。今まで行政は、地域住民から要望があれば、国にお願いして予算をつけてもらい、橋・公民館・学校・体育館などのいわゆる“箱もの”をどんどん造ってきました。田んぼを整備してほしいと言われればそのとおりにしてきました。ところが、ここにきて今までのようにはいかなくなった。人口がだんだん減ってきて、管理が大変になったんです。管理するにもお金がかかります。橋やトンネルの維持補修にもお金がかかります。全部それは税金で賄わなければなりません。地元にもそんなにお金がありません。小さな単位では難しいということで合併の話がでてきました。一関も前は西磐井郡と東磐井郡があって、全部で9つの市町村がありましたが、平成17年に7つが合併しました。そして、平成23年に藤沢町がさらに加わりました。平泉町は世界文化遺産登録を目指して頑張ってきたので、当面単独でやっていきますということです。それはそれで尊重しなければいけません。そのかわり、平泉町と一関市はいろんな面で一緒に物事を進めてきています。“定住自立圏構想”。これは平泉町と一緒にいろいろな事業をやることによって、この地域を定住しやすい、そして地域として自立していける、そういうエリアを作っていきましょうということです。その他に平泉町とは広域行政組合を作っています。ゴミ処理やし尿処理、介護保険など、我々の日常生活に密着した近いところで、いろいろな業務を平泉と一緒になってやっています。
それから東日本大震災についてですが、東日本大震災の3年前に岩手宮城内陸地震があったんです。東日本大震災が起きてから多くの人の記憶から消えかかっていますが、祭畤大橋が落ちてしまったんです。すごい地震だったんです。そのすごい地震をはるかに上回るのが東日本大震災でしたから、忘れられてしまうのもやむを得ないのかなあとも思っているわけです。
岩手宮城内陸地震の被害からようやく復旧工事が終わって、これから復興に向けて頑張らなければという時に東日本大震災が発生しました。3月11日もすごかったのですが、一関の場合は、それよりも4月7日のほうがもっとすごい被害がでました。3.11でぐらぐら揺すられてなんともなかったところが、また同じぐらいの規模で地震が起きた。こっちの4月7日の地震でかなりダメージを受けました。道路、田んぼ、民間の庭などそっちこっちが陥没したんです。この地では実際に亜炭が結構採れたらしいんです。国の政策として亜炭を採掘していた場所なんです。特に、花泉のほうが多いんですが、地面の下に亜炭を掘った後「坑道」がたくさん走っているらしい。それが地震で陥没した。どこをどのように「坑道」が通っているか詳しくはわからないんです。それから、一関の赤荻の周辺では住宅にかなりの被害がでました。地盤によるんですね。今回の地震で一番はっきり出たのは、住宅地の被害です。斜面のところを切って平地を造り、その土を持ってきて埋めて宅地を造った。この盛土をした方の家が被害を受けた。地盤が軟らかいんです。盛ったところですからね。切ったこところの地盤は、割合に安定していますが、土を持ってきて埋め立てしたところは地盤が軟らかい。このような宅地被害・住宅被害が一関の場合非常に多かったんです。
この地震被害の復旧工事、これがやはり長くかかっているのです。今だに自分の家に戻れないで、仮設住宅に生活している方もいます。そのような中で、一関は陸前高田市と気仙沼市に職員を応援に出しているんです。陸前高田市に11名、気仙沼市には2名。頑張ってもらっています。13人ですから岩手県のなかでは一番人数が多い。なぜかというと陸前高田市の場合は、津波直後は、市内にあった旅館もホテルも民宿もすべて流されてしまった。他の市町村から応援に行っても泊まるところがない。そういう状況の中で一関の場合は、大東、室根出身の職員は陸前高田や気仙沼に自宅から通勤ができる。大東の大原の地域に自宅のある職員は、一関市役所に来るよりも陸前高田の市役所に行く方が近い人もいるんです。隣町として支援をしていかなければということで陸前高田市と気仙沼市に対して集中的支援を行ってきました。災害直後には気仙沼市の災害対策本部に一関の職員を加えてもらいました。そうすれば、気仙沼市では今何が必要なのかがすぐわかります。また、気仙沼市の場合は、仮設住宅をつくる適地が少なくて困っていたんです。気仙沼は坂の多い街で、平地が少ないんです。そこで、私から気仙沼市長や宮城県知事に「一関に仮設住宅を造ったらどうですか。用地は提供しますよ。」と話をして、室根や千厩に仮設住宅を造ったんです。地図をみてもわかるんですけど、気仙沼の場合は宮城県の一番北にあります。ほとんど岩手県に入っている状態です。津波の直後は、道路が寸断され、橋が落ちてしまっていましたから、気仙沼や南三陸町には宮城県のほうから救援物資が全く入っていけなかったんです。全部一関経由。南三陸町の方々もそのような状況でありましたので、藤沢の雇用促進住宅を若干手直しして、それを仮設住宅とみなして、みなし仮設住宅にしました。一般のアパートもそのようにしました。一関の赤荻地区の方々には一関市内のアパートを仮設住宅とみなしてお入りいただきました。
私はだいたい3~4か月くらいに1回程度、仮設住宅を回って歩いているのですが、最初、「困っていることはないですか」と聞いたら「テレビを見ていてもおもしろくない」と言われました。どうしておもしろくないかというと、宮城県のニュースが見られないからです。自分がそれまで生活していた地域がどうなっているのか心配なんです。ところが、室根も千厩も藤沢もテレビのスイッチをいれるとローカルニュースは盛岡放送局発なんです。私、そこまで気を回すべきだったなと思うんです。宮城県の人たちが避難なさってきて。岩手県のエリアで避難生活を送る。その時に盛岡放送局発のニュースしか見られない。自分が生活していた地域が今どうなっているのかテレビで見ることが出来ないのはつらいです。そこで、総務省にお願いして、一関の光ファイバーに宮城県の電波をもらって、それを仮設まで引き込みました。そうして初めて避難している方々に笑顔が戻ってきました。
東日本大震災を通じての私自身の教訓になりましたが、用地を提供して仮設住宅を造り、避難していただいた。お風呂も、それから冷蔵庫洗濯機も布団のワンセット全部を提供した。だから「これでよし」とはならないのです。さらに、そこから一歩進んで日常生活に何か不便なところがないかと相手の立場になってニーズを把握する。これが私たち公務員としての役割です。言われたことだけをやって終わりではだめです。
“のりしろ”を大事にするということです。皆さんも、昨日、辞令をもらって公務員としての仕事がスタートしているわけですが、そうすると事務分担表、自分の仕事が定められるわけです。たとえば、仮に8項目あったとする。「○○に関すること」と書かれている。それだけをやっていればそれで合格点をもらえるかというと、もらえません。“のりしろ”の部分まで含めてやらないとだめなんです。ところが、この8つの中に“のりしろ”は入っていません。自分で見つけるしかないのです。例えば、一関をPRするために、秀衡塗という特産品で名札をつくってアピールする。そんな小さなことでいいのです。“のりしろ”を意識することです。“のりしろ”は上下左右いろんなところについています。この“のりしろ”を使って、一人で出来ない仕事だったら隣の人と“のりしろ”でくっつけばいいんです。同じ係の同僚のAさんと、“のりしろ”でくっついて二人で仕事をしていく。あるいはAさんも“のりしろ”を持っていますから、さらにBさんとくっつく。“のりしろ”っていうのは、そういう意味なんです。どんどん連携していく。しっかり連携しなければだめです。のりの塗り方が弱いとすぐに剝がれてしまいますから。それが連携です。一緒にやったつもりが実は一緒にやっていない。そういうことの無いようにしてください。
“のりしろ”をうまく使うことによって1枚の紙が2枚、3枚、4枚になり、6枚の紙がそれぞれの“のりしろ”でくっつくと立方体ができます。
1枚の紙だと、たった一人ではなかなか物事が進まない場合でも、2人が一緒になって、3人になり、4人になり、どんどん面積が増えていく。それが組織なんです。組織は“のりしろ”で成り立つんです。そして、一枚の紙の面積が大きくなるだけではなく、6枚合わせれば立方体にもなるんです。それが“組織力”です。
今、我々に求められているのは、その“組織のちから”、“組織力”を持つことです。この“組織力”をつけていかなければなりません。それが身について初めて、住民の皆さんに対して行政サービスの提供が出来るんです。このことだけは、ぜひ、頭に入れておいていただきたいと思います。
具体的に、この“のりしろ”を使ってどのように動いたら良いかとなると、皆さんそれぞれ個性があるわけで、共通して言えることは行動力です。宮澤賢治さんを知ってますね。岩手県が生んだ詩人で、この一関にも非常に関わりが深い人です。晩年、宮澤賢治さんは、東山の東北砕石工場で技師として働いていました。東山は石灰がいっぱい生産されるんです。その石灰を配合した土壌改良剤を、賢治さんは自分のトランクにサンプルを入れて持ち歩き、普及を行ってました。東京にも何度も行ったり来たりしたらしいです。そのときに持ち歩いていたトランクの底から、彼が亡くなった後に1冊の手帳が見つかりました。弟さん(宮澤清六さん)が見つけて、その手帳の中を見たら、書かれていたのが「雨ニモ負ケズ」という詩だったんです。ひょっとしたら、これは宮澤賢治さんが東山で働いていた時に書いた作品ではないかと思っていたのですが、ちょっと時期がずれていたようなんです。宮澤賢治さんが東山の工場で働いていて、たまたま東京に出張で行っている時に病気が悪化して倒れて、そのまま花巻の実家に帰って床に伏せるわけですけれども、後から出てきた手帳っていうのが、東山の砕石工場で働いていた年の翌年の手帳なんです。ですから、そこのところは東山で作った作品にはならないのかもしれませが、いずれ、「雨ニモ負ケズ」が出来た背景には、東山での宮澤賢治さんの経験やいろいろな思いがあるんだろうなと思います。その中に「行って」という言葉が入っています。「東に・・・、西に・・・、南に・・・、北に・・・」。宮澤賢治さんは、行動力・現場主義の人です。それを「雨ニモ負ケズ」の詩の中から、教えてくれているのかなあという思いがしているわけです。
人間には、足は二つあります。手も二つあります。耳も二つ、目も二つ。ただ口だけは一つしかない。自分の足で、何かあったなあと思ったらそこに行ってみる。まさに「行って」です。そして何が起きているのか、自分の目で確かめてください。それが現場主義です。行くだけではだめです。そこで何が起きているのか、自分の目で見てください。現場の人がどんな話をしているのか、自分の耳で聞いてください。必要であれば、実際に触れてみてください。触れなければわからないんです。冷たいのか温かいのか、柔らかいのか固いのか。そこまで確認してください。話すのはその後でいい。神様は人間の体をうまく作ったもんだなと思います。現場主義っていうのはこれです。よく、市民の“視点”でという言い方をします。この“視点”の「視」、見るっていう意味ですけれども、これでは本当は不十分です。私が言いたいのは「起点」です。そっち側に行ったつもりで考えるんではなくて、実際に行くんです。そして見る。まさに「行って」です。自分の足で動く。触れてみる。現場の声を聴き、何が起きているのかを見る。それが「起点」です。皆さんは、これからいろいろな仕事に就くわけですけども、どんな仕事でもこれは共通しています。たまたま宮澤賢治さんの「雨ニモ負ケズ」という作品を引用して、「現場主義」の話をしましたが、実は、本当の意味での「現場主義」はこの「起点」以上のものが求められます。
皆さんはカスタマーディライト(CD)という言葉を知ってますか?よく顧客満足度(CS)といいますが、我々は、当然、市民の方々のニーズを踏まえて、行政サービスを提供していかなければなりません。では、満足してもらうだけでいいのか。それ以上のものを目指さないとだめです。「相手に満足をしてもらうこと」が一つの目標であったとして、それ以上のものを目指しなさいと言われたら何を目指しますか?相手に満足をしてもらうだけでは不十分です。その先を目指さなければなりません。それがこのカスタマーディライトです。究極のカスタマーディライトというのは、相手に“感動”を与えることなんです。そういう行政を目指していかなければなりません。難しいことですが、そこを目標に頑張っていかなければならないのです。
市民の方々に対するアンケート調査でいろいろな項目ありますよね。不満が無いところに「○」をつけた人が、全部満足しているわけではないんです。それを我々は、とんでもない勘違いをしてしまうんです。「アンケート結果で不満が無い。だから、みんな満足しているんだ」と。それは違います。単に不満が無いだけであって誰も満足しているとは言っていない。そこを間違わないようにしてください。
皆さんも、これから市の職員としての仕事をやっていく上で、常に「現場主義」、宮澤賢治さんを思い出してください。
「雨ニモ負ケズ」の詩の中に出てくる東西南北の英語の頭文字を並べてみてください。「NEWS」になるでしょ。東西南北に行って、歩き回って初めてNEWSになるんです。市役所職員も市民サービスを行ううえで、自分の足で歩いて、聴いて、見てください。理屈をしゃべるのは最後でいいんです。出来ればしゃべらなくていいんです。動いている姿を見てもらえば、住民の方々はわかってくれます。 
これからのみなさんの「現場主義」に大いに期待して、私の話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

 

平成25年度管理職研修(平成26年1月9日)

 「公務に対する強い意識を 」

1.〝経営〟感覚(コスト意識)
2.予算要求~予算措置……これで終わりではない
3.今日すべきことは、明日やることはできない
4.「戦略」の意味
5.ネットワークづくり
6.地域に出る
7.雨ニモ負ケズ
8.ILC

皆さんは管理職として一関市の一番大事なところを担っていただく方々ですから、そういう面では非常に重い話もところどころに入りますので、よろしくお願いしたいと思います。

レジュメを配らせていただきましたけども、こういうことを話したいなという項目を書いてそれをただ並べただけのものです。これをどうつなげていくかが準備できなかったんです。もしうまくつながらなかった時は、それぞれの解釈でつなげていただきたいと思います。

大きなテーマとしては「公務」というものに対する強い意識をもっていただきたいと、単なる公務に対する意識ではなく、「強い意識」とあえて書かせていただきました。これから協働のまちづくりとかいろいろ今までのやり方と違うやり方がいろんなところで出てきます。そうした時に市民の方々、住民の方々と一緒になってやっていくわけなんですが、役割分担をはっきりと明確に決めて、それぞれが協力し合う、そこが大事ですから、我々とすれば公務という意識をもって、そして、どれだけ良質の行政サービスを提供していけるかというところが我々の一番大きな任務ですので、是非、公務というものを常に頭において、仕事に向き合ってほしいと思います。

1番から8番まであるんですが、順序にお話ししていきます。

 1.〝経営〟感覚(コスト意識)

まず、経営感覚をもちましょうね、という話です。要するにコスト意識をもってやらないとだめ、という話なわけですが、我々は民間企業とは根本的に違うわけですよね。民間企業の場合は、利益追求、それが第一の目的でございますけれども。それとは根本的に違うわけでして、市民の方々からの貴重な税金をお預かりして、それを大切に活用していく、というのが我々の仕事です。そのためにはやはりコスト意識というものが不可欠でして、最小のコストで最大の効果を生むためにはどうしたらいいかっていうのが、管理職としては一番頭におかなければならないテーマになってきます。この最小のコストで最大の効果を生み出すために、どうすればいいかっていうのは非常に難しい課題でもあるんですが、私はこれはですね、物事を「複合的」に見る、あるいは「複眼的」に見る、そういう習慣づけをしていけば、ある程度、このコスト意識っていうものは出てくるんじゃなかろうか、と思っているんですよ。何か一つの課題が出たと、その課題をそこだけの分野で見るのではなく、簡単にいえば、周辺にくっつくところがないかと。皆さんには「のりしろ」の話をしたことがあったでしょうか。聞いたことない?聞いた人は復習のつもりで聞いてください。今ここに一枚の紙があったとします。ここに、のりしろっていうのが、こういうふうにつくわけです。高校生にキャリア教育の講演をやったときに、去年ですけれども、「のりしろって知ってるか?」って聞いたら3分の1くらいしか知らない。びっくりしました。昔はね、月刊誌とかなんとか雑誌にね、必ず付録がついてきてね、厚紙をこう紙工作で貼って、昔は、って言ったって、皆さんとたいしてあまり変わらないけれどもね。必ずのりしろっていうのがついていてね、この一枚の紙だけで、ひとつの課題だけを、それだけを一生懸命やっていても、所詮一枚の紙の範囲なんですよ。例えば、誰かの事務分担表を一枚の紙に書く。その人の担当事務はこの一枚の紙に書いてありますよと。それをやっていれば合格点をもらえるかというともらえない。管理職になるとどうしても、周辺、つまりあたりほとりっていうものとの関係が出てくる。その時にもう一枚の紙を持っている人のところに行って、のりしろでぴたっとくっつくんですよ。そうすれば一枚の紙の大きさが二枚の大きさになって、さらにくっついていけば、三枚、四枚、五枚、六枚、どんどん増えていく。六枚の紙がくっつけばですね、場合によっては、正方形の紙であれば立方体になりますから。サイコロがそうでしょ。1から6まであるでしょ。そうすると立方体になる、たった一枚の紙がのりしろでくっついて立方体になる。これが組織力なんですよ。一枚の紙で終わらせないで、例えば自分が管理者としている組織の一人ひとりと、のりしろでぴたぴたとくっついていく。立方体にならなくても、非常に大きな面をもった紙になる。これが組織力です。そういうふうにどんどんこう簡単に言えば、あたりほとりとくっつき合っていく。そういう習慣づけを、意識をもっただけではだめですから、それを実践していけば、私はコスト意識っていうのがその中から生まれてくるし、自ずと組織力もついてくると。例えばですね、何の例がいいかなあ、例えば高校再編、市とは直接関係ないですよね、高校は県立学校ですから、県が直接やるわけで、小中学校だったら市の教育委員会が担当しますけれども、高校再編を例にとって、生徒の数が減ってきて、どうしても一クラス維持できなくなってきたとする。一関市内でもそういう学校がやがて出てきます。そうなった時にさあどうしようかと。非常に地域にとっては大きな課題なわけです。それを高校って県立学校の問題だけに、この一枚の紙の中でとまらせておいていいかっていうことです。一枚の紙の中だけではなかなか物事は解決しないんですよ。だからこれをのりしろでぴたぴたと手足を伸ばしていくと。そしてその中から解決策を見出していくということを考えたらどうだろうか、そう考えるんです。生徒数がどんどん減っていく、何もしなければやがて我が地域の高校はなくなる。さあどうしたらいいでしょうか。そういう大きな課題になって、もうそうなった時には遅いんですよね実は。県教委が新規入学を受付しませんということに決めた後で、地元でさあどうしましょうかと言ったって遅いんです。その前に、あまりこれは現実的ではないですけど、例えば花泉ね。花泉地域に高校がある。生徒数が減っている。今あそこは普通科一クラスです。一学年一クラスです。これ以上減ったら本当にクローズになっちゃう。それじゃ花泉の地域っていうのはどういう特色をもっているかと、第一次産業がさかんで食材が非常に豊富だ。しかもいい品質のものをいっぱい生産している。女子生徒が多い、どこの学校もそうなんですけどね。行政サイドとすれば地産地消という大きな課題がありますよと。ここで何か出来てこないだろうかなと。例えば今ここでは普通科しかありません。それじゃ普通科以外の何か有効な科を設置したらいいんじゃないかと。ええと、食物調理科。例えばそういうものをつくって、この地域の特色である食材を活かす方法はないかと。それで、食物調理科のなかには調理師コースのようなものを設けてもいいでしょう。今若い人たちはその調理師っていうか、お菓子づくりとか、ああいうところは希望が多いそうなんです。その地域の特色にあったものと、その地域のニーズ、そういうものを組み合わせて、何かここで食物調理科という新たな科を設置して、高校を存続させる方法はとれないだろうかと。そういう複合的にものを見ていくと。ここの部分は県が直接やっていることでなかなか手を出しづらいところではあるんだけれども、こういうあたりほとりのものと関連づけて、そこから何か解決策を見出すというやり方、これはですね、やはり行政に長年携わってきた皆さんくらいの年齢の方々、要するに管理職でないとできないんです。若い人にやれって言ったって、なかなか。ああそいういえば、あそことくっつくんじゃないか、こことくっつくんじゃないかと。こういうのは経験から出てきますので、管理職の皆さんが率先して、こんなことは考えられないか、こういうことは考えられないかと、あるいは若い人がアイデアを出したのをうまくこう導いてやって、こういう複合的、複眼的なやり方に誘導していく。それが管理職の仕事になると思います。そして、食物調理科、せっかくここまで出来たら、卒業したらどうするかと、今、就職状況を見ると働く場所がない、雇用の場が少ないと。それじゃ創ればいいんだと。ここに高校新卒者が経営するレストランなんていったら、お客さんいっぱい来ると思いますよ。レストランをつくったらどうだろうと。全部高校生だけにやらせるのはちょっとリスクが大きいなというのであれば、農協さんが一枚加わってもいいだろうし、産直がくっついてもいいだろうし、どんどんどんどん手足を広げていって、何か解決方法はないかなと、そういうことを考えていくのが、私は皆さんの立場にある方々だと思っております。そういうこの経営コスト、経営感覚、コスト意識っていうものは、そういうところまで気持ちを張り巡らせておいて、事にあたっていただければいいのかなという感じがいたします。

 2.予算要求~予算措置……これで終わりではない

それから、2番目ですが、予算要求、予算措置、これで終わりではないと。これは当然ですよね。ところが、往々にして予算要求して、査定を受けて、3月議会に議案として提案する、それで議会が終わったら、やれやれ予算がついたとそこでエネルギーを使ってしまって、終わった終わったって打ち上げやっているところも現にあるんですよね。これはね、逆なんです。予算というものをどれだけの重きをおいてみるか、あるいは、決算というものをどれだけの重きをおいてみるか。私は決算の方が大事だと思ってる。
身銭を切ってですね、我々行政の側にある人間が、さっきも言ったとおり、市民の方々から貴重な税金をお預かりして、それをより効果的に活用していくという、そういう基本線があるわけですから、それを実際に執行していく場合は、身銭を切るつもりで予算を執行していかなければだめなんです。せっかく予算でとったんだから、全部使ってしまえと、そういうことではだめでね。自分のお金だったら、使わなくていいものは使わないでしょう。ですから、予算の執行にあたっては、身銭を切るつもりで、しっかり取り組んでいく。これを是非ですね、管理職から全職員に徹底をしていただきたいというのがお願いですね。
そしてもう一つ大事なのは、予算のついた事業をいよいよ実施するという段階になった時に、それをどうやって市民の方々にお知らせするか。これ大事なんですよ。予算要求した、査定を受けた、予算がついた、議会もとおった、あとはやるだけだと。それだけではだめなんですよ。議会で説明しているからいいんだ、それもだめなんです。どういう手段で、どういう内容で、より分かりやすく、そういう視点で事業の中身を情報発信していかなければだめです。できるのであれば、予算を節約して全部使わなくても済むものがあれば残す。そういうつもりでやらなければだめだと思います。ここのところがね、やっぱり長年の習性が残っていてね、どうしても全部、使い切り予算ということで使っちゃう傾向があるんですよ。ほんのちょっとだけ残したってだめだから、という意識があるんでしょう。
それから、事業をやった後、しっかりとした効果の検証をやったかどうか、この事業をやったことによって、どれだけの効果があったのかと。どれだけ市民の方々に満足感を提供できたのかと。案外ここの部分っていうのは調査をやってないんですよ。事業をこれから始めますよ、あるいは、こういう事業を企画しますよっていう時、あるいは、こういう計画が固まったのでいかがでしょうかと意見を聴くときはやりますよね。アンケート調査とか様々な調査をやる。やった後、この事業は皆さんにとってどうでしたかっていう調査はあまりやっていない。私はこれからはそこもしっかりやっていくべきだと思います。そして、その効果の検証をデータ化して、文書でもいいんですけど、それを決算書に添付するくらいでないとだめです。決算書っていうのは数字だけ並んでいますけれども、そうでなくて、文言でね、これはどうだったのかと。2、3日前に、家帰ってテレビ見ていたら、盛岡のホテルで、県の主催する会議のニュースのことをやっていまして、大きな会場に20人いるかいないかの出席者だったんです。しかも前方の席に全然いない。後ろの方にぽつんぽつんといるだけ。ああいう時一番困るのはね、マスコミさんです。どこからどうやって写真撮ったらいいだろうなって。いっぱい、たくさんの人が出席しているように写真におさめるにはどうしたらいいかって。
せっかくいい企画だなと思ってやっても参加者が少なかった、その原因までしっかり検証して、そして反省すべきところは反省して、不足した部分はしっかりこういうところに対する配分が足りなかったとかね。そういうことをしっかりと踏まえたうえで、決算に回すと。私はこれが基本だと思います。

3.今日すべきことは、明日やることはできない

それから3つ目。今日すべきことは明日やることはできないということ。当り前のようなことを書いていますけどれも、言葉をかえて言えば、今日歩かなかったら明日は走んなきゃならない。要するに、今日やらなければならないものについては先延ばしできませんよということ。これけっこうね、そう思っていてもついつい、「明日があるさ」っていう歌もあるように、人間っていうのはやっぱり弱いからね、じゃ明日にするかってなっちゃうんです。でも今日すべきことっていうものは今日すべきです。
今日が人生「最初の日」と思うか、今日が人生「最後の日」と思うか。私はね、朝家出てくる時に、いつも、今日、自分の人生で「最後の日」になるかも知れないな、と思いながら、それで玄関出る時にちょうどわが家の、父親のお墓が遠くに見えるんです。毎朝、お墓参りしてから出てくるんですよ。私は、今日が「最後の日」と思って、出勤してる。私はね、自分にとって今日が「最後の日」になるかも知れないと意識を持つことによって、今やらなきゃならないもの、今必要なものっていうものが見えてくると思うんですよ。そうするとね、いろんなものがある中から、今やらなきゃならないものっていうのがはっきりしてきますから、今やらなくてもいいものが省けるんです。優先順位をつけやすくなるんです。今必要なものは何なのか、今やらなきゃならないものは何なのかというのが、鮮明に目の前に出てくるんです。だからと言って今日が人生「最初の日」と捉えるのを否定するものではないですね。新たな気持ちで日々、新たなスタートをきって、「よし、今日がスタートの日だ」と「最初が肝心だから頑張るぞ」と、私はいい意識づけになると思います。
今日が人生「最後の日」になるかも知れない、これをずっと気持ちの中に持っていると、必ずそうなるんですよ、いつかは絶対に。これね、絶対当たり外れないですから、必ず最後の日が来ますから。1993年に雫石スキー場で世界アルペンスキー選手権大会があった。私あの時、メディアセンターのチーフやっていたんですけれども、前の年の暮れは、全然雪が降らなくてね、みんなで困っていたんですよ。偉い人達が対策を練ってこのままじゃスキー場は雪のない大会になってしまうっていうんで、拝みに行ったんですよ。雫石の土地改良区の神社に。その神社が雨乞いの神社でね、その結果、大会中に思ってもみない大雨に遭いましてね。ドイツの新聞社なんかは大きな見出しでね、「私たちは水上スキーをしに来たのではない」なんて報じてね、上手いこと書くなと思ったりしたものです。ずいぶん願いが通ずる神社だなと思ってね、全国農協中央会の会長やった人がその土地改良区の理事長で。実は雨乞い神社だった。拝む方もちゃんと何に効く神社か確認して、神社なら何でもいいと思わないことですね。雪乞い神社っていうのはあんまりないですからね。あと面白かったのは、同じアルペンの頃で、これは別の神社の人と話をした時のことですが、「必ず神社で願い事をすると当たります」と言うんです。雨を降らせる自信がありますと言うんです。すごいなと思いましたね。神社に行ったらとにかく拝みなさい、そうすれば必ず雨は降りますからと。だけどいつまで拝めっていうことを言わないんですよ。ずっと拝んでいればいつかは雨が降るんです。今日が最後の日だと思って毎日毎日いけば最後の日が来ますと。必ず来るわけです。どんどん余談になっちゃいましたけども、いずれ、今日すべきこと、明日やってもいいことまで今日やらなくてもいいってこと、逆に言えば。やってもいいんですけれども、それよりも今日すべきことがそこにあるのであれば今日すべきことの方を片付けなさいと。よくありますよね、重要性があるかないか、緊急性があるかないか。重要性があって緊急性もあるっていうのは一番優先順位が先に来るわけです。重要性も緊急性も低い、後からでいいわけですよね。そうするとこの中で優先順位っていうものが出てきますから。
明日やっていいものを、こっちの方が手をつけやすいからといって今日やるべきことを明日にまわしたらだめなんです。そこの優先順位のつけ方の間違いは絶対してはだめだということですね。

4.「戦略」の意味

それから次に書いているのは、戦略についてです。戦略っていうのは「相手と戦うために自らを略す」と書くんです。これが戦略です。自らを略さないで、要するにムダを省かないままで、ムダをいっぱいつけたままで相手と戦ったって負けます。相手と本当に勝負しようと思ったら、まずは自分のムダを削ぎ落として、要するに優先順位を明確にして臨まなければだめだ。ムダ、ムリ、ムラ。ムがつくのはね、けっこうあんまりいい言葉ではない。ムダなことしてはだめだ、ムリをしてはだめだ、ムラがあったらだめだ。これを因数分解してみてください。ムダとムリとムラ、これ因数分解すると残るのはダラリ。そういうだらりとしたふうでは相手に勝てっこないです。物事を戦略的に進めるっていうのは、このムダな部分を削ぎ落として、ムリのない計画で、ムラのない計画で実践していくということに尽きます。
戦略を考える時に、変化をどう見るかという、兆しをどう見るかって言った方がいいね。この「兆し」っていう字に手偏をつけるから「挑む」になるんですよ。しんにょうをつけると「逃げる」になるんです。ですから、兆しっていうところをしっかりと捉えて、その兆しを掴む。これ手偏。兆しがあってもそこから逃げてしまってはだめ。しんにょうつけちゃったらだめ、兆しが認知できないのはもっとだめ。「兆しを掴め、逃げるな挑め」っていうのが、一昨年だったかな、色紙に書きましたね。いずれ、変化にどう的確にタイムリーに対応できるかどうか。ですから戦略っていうのは要するにチャンスをどう捉えるか。黒田官兵衛。大河ドラマ始まりましたよね。あれも興味を持って見たいなと思っていますけれども。あの軍師という立場っていうのは非常に興味もあるんですよ。公務員の仕事に、組織に当てはめて見ていくと、けっこうためになるところもでてくるんじゃないかなと思いますので。皆さんも機会があれば見てみるのもいいのかなと思います。チャンスをどう捉えて、どうタイムリーに策をうって出れるか。策の内容ではなくて、私は機敏性だと思いますね。兆しを掴んですぐ手を打つ。黒田官兵衛というのはそういうところを重要視していたのではないのかなと思います。ダーウィンの進化論、この前テレビで、「ダーウィンが来た」とかっていうのがありました。あの中で、強い者、賢い者だけが残るのではないのだと言っていましたね。進化論というのは、そういう、強い者、賢い者だけが生き残っていくっていうことを書いたのでないと言っていました。
変化にうまく適応していけるかどうか、ポイントはそこなんだと。だから変化はチャンスなんだと。ですからね、私は、今、新年会の真っ最中なんですけども、去年から今年にかけて様々なものが変化していると語っているんです。商工会議所も合併した。より大きな組織体になった。森林組合も合併した、農協も3月に合併する。平泉町と一関市が定住自立圏構想の協定を結んで今ビジョンの策定に入っている。地域の括り方が今までと変わってきているんです。そういう変わり目っていうのは、私はチャンスだと思っています。ですから、強い者、賢い者だけが生き残るのではなく、変化にうまく適応する者が残るんだということをですね、一関も今そういう変化の時なんだと、捉えることができるなと。これをチャンスに一関の発展のために踏み出しましょうということを新年会で盛んと言っているんです。この新年会なんですが、大変なんですよ。地域ごとの新年会には全部行くんですけれども、来賓がどこに行ってもだいたい同じ顔ぶれなんです。来賓挨拶は、同じ顔ぶれの中で同じことしゃべるからね、「あ、市長はまた同じ話をしているな」なんて思われている。ちょっとずつは変えていますけどね。もう割り切って、来賓が数人だけであとは初めて聞く方々なんだと思えばいいんですけどね。
いずれそういう一関の地域を考えた時に、括り方が変わってくることになりますので、その時期にあわせて、国際リニアコライダーというものね、一つの大きな変わり目になるとは思います。

5.ネットワークづくり

それから5番目にはネットワークづくりということを書いておきました。これはね、フットワーク、ヘッドワーク、チームワーク、ネットワーク。こういうふうに流れてきています。フットワークっていうのは、自分で動くっていうことなんですよね。自らの足で動く。四足歩行、動物。そういうように見ることができます。四足歩行だから、手が使えない。それがやがて、二足歩行になるわけです。これはヒトです。手を使えるようになった、立って歩けるようになったから、手があくわけですよ。その手が文化を育んできたんですよ。手が使えるから、脳が活性化して様々な知恵が出てきて、そこからどんどんどんどん文化が生まれてくるヘッドワークですね。次がチームワークとなります。人間なんですね。ここで仲間が出来る。ここで欠かせないのはコミュニケーションです。それでネットワーク。フットワーク、ヘッドワーク、チームワーク、そしてネットワークというものが出てきた。このネットワークっていうのはこの流れの中でいうと何て書けばいいのかな。動物、ヒト、人間ってきたら、地球人かな。我々はこうやって進化してきたんだと思うんです。ですから、このネットワークっていうのは、どっちかって言うと、点だったものが線でつながり、やがて面になっていく。そういう流れだと思うんですよ。地球人っていう言い方、何も思いつかないからそう書きましたけど、いずれ、そういういきなりネットワークっていうものが最初からあったわけではなくて、人類の進化とともに、最初は動物で四足歩行だったものが、立って歩けるようになって手が自由になって、そこで色々なものをそこからつくり出して文化を生んできた。そしてやがて、そういう人たちが集まって仲間をつくって、コミュニケーションを取れるようになってきた。今はさらにそれが壁を越えて地球人として自由に交流できるところまできた。ここはコミュニケーションの下にはコンピュータっていうのが入るかも知れませんね。コンピュータっていうものがなければやはり壁を越えてっていうところがなかなか難しいと思います。距離の壁だけでなく、時間という壁も越えて、あらゆる壁を越えて交流できるようになっていくということです。

フットワーク

自ら歩く(動物)

四足歩行

ヘッドワーク

知恵を生む(ヒト)

二足歩行(手が文化を創る)

チームワーク

仲間と協力(人間)

コミュニケーション

ネットワーク

壁を越え交流(地球人)

コンピュータ

そういうネットワークづくりっていうものがこれからどうしても避けて通れない。
ですから役所の仕事一つとっても、市役所の中、支所の中だけでネットワークを終わらせていてはだめなんですね。我々はやはり市民の皆さんのニーズを踏まえて仕事をしていかなければだめですから、この市民の皆さんのニーズっていうのは、年々多様化、高度化してきている。これをしっかりと把握するためには、やはり、市役所から出て、支所から出て、地域の中に足を踏み入れて、そしてニーズの把握に努めるということが今強く求められている部分だと思います。この前、県に行った時に、県民センターっていうものを今後どうしようかと。ここのね、県の出先もだんだん縮小していくはずですから。あの県民センター、私はね、「圏民センター」と書くべきだと思いますよ。圏域の「圏」。こっちの方がいいですよ。一関だからこれ言えるんですよ。我々、一関っていうのは、宮城県北、沿岸部の気仙沼まで視野に入れて、様々考えているんですよと。岩手県の「県」を使っていると対象が岩手だけになってしまう。こういうね、ことば遊びってけっこう好きでいろいろやるんですが、「近助」とか様々やっていますけど、何も流行語大賞とろうと思ってやっているわけではないんですけどね。こういうのを考えているとけっこうおもしろいですネ。一関だからこそ出来るっていうのはね、県境を背負っているっていう。この県境を背負っているっていうことを一関の特色として、国とか県から特別な予算を引っ張り出せないかと思っているんですが。何か県境だからこその、県境ならではの、なるほど予算をつけるか、と思ってもらえるような何かを出していけないかなというところであります。

 6.地域に出る

皆さんには、この「地域に出る」っていうところで考えていただきたいのは、仕事している時は、一関市の職員として、管理職として働いてもらっているわけですけれども、地域のニーズっていうものを全く知らないままに住民の方々に対して、満足度の高い行政サービスを提供できるかって言うと、私はなかなかこれは難しいのではないかと思います。ですから、皆さんがご自宅のある地域の一市民として役割を自覚して事に当たる。家に帰れば一人の市民なわけですから、自分の生活環境を少しでも良くしてもらいたいという、市民ニーズがあるわけですよね、当然。そういう市民感覚を遠慮しないで持つべきだと思います。自分は地方公務員だからそんなことは言ってられないなんて立派に考えなくてもいいんですから。家に帰れば一人の市民。ですから、一人の市民として、例えば、家の前の水路が濁って臭いとか、生活に密着するところでのニーズがたくさんあると思うんです。地域にはどういうニーズがあるのかというものを、自ら肌感覚で把握することに努めてもらうということが大事だと思います。そういうものの積み重ねが公務員としての仕事をしていく時の質を高めていくんだと思います。市民の一人としてっていう意識がないまま、実践をしないまま、市民の皆さんに対して、参加型の行政ですよとか呼びかけても説得力がないと思います。ですから、まず地域に出ていきましょうと。参加型の市政っていうものを実現していくためには、そういう積み重ねが大事になってくると思います。そして参加して様々な活動を実践していく中で、こちらの姿も住民の方々にしっかりと見ていただく。これが私は本当の意味での参加型の市政の理念といいますか、協働のまちづくりの理念といいますか、そういうものに理解をいただくための積み重ねとなっていくであろうと思います。
一方でね、今度はちょっと見方を変えると、市民の方々っていうのは、その地域に一時滞在しているお客さまじゃないんですよね。自分の家を構えてそこに住んでいる。客人ではありません。ですから、市役所の職員の立場で市民の方々に対する時はですね、お客様扱いしないということです。住民の方々に対して、あなた方もここの地域の生活環境をどうするかとか、そういうものに対して責任を持っているんですよと、はっきり話をしていくようにこれから努めていく必要があるんだろうなと思います。ここの、何々民区という地区の、あなたも一員ですよ。私も一員ですよと。そこのところを抜きにして協働のまちづくりについてこっちが一生懸命話を持っていってもなかなかのってきてくれないのではないかと思うんです。言葉だけが上滑りしてもだめですから、これからは、市の組織あげて全ての地域に浸透させていかなければだめです。その取りまとめが協働推進課だからそこが担う事務ということになっているんですが、実際に協働のまちづくりをやっていくっていうことであれば、全ての組織が同じ目盛の物差しを持って地域に出て行かなければだめです。それをやらないといつまでたっても前に進まないということになってくるかも知れません。そういう地域の一員として、自らの地域の生活環境をより良いものにしていこうという、そういう役割、責任、自覚、こういうものが絶対必要になってきます。そういう自覚のもとに市民の方々には市政に参加してもらいたいなと思っていますので、そこのところを、機会を捉えてお話をしていかなければだめだなと思います。最初はね、抵抗あると思いますよ。市役所が職員どんどん減らして、その分、自分たちに押し付けてよこすんだ、なんてね。そういうところはしっかりと説明していく必要があると思います。そういうことをする上で、行政の方も住民の方も、お互いの経験であるとか、そういう積み重ね、実践、そういうものをもとに、本当の意味での参加型の市政っていうものが実現できていくのかなと思っております。住民自治の基本っていうのもだいたいそこから大きく変わらないと思うんですよね。これからはここのところは全庁的に取り組んでいかなければだめな部分ですので、この後、様々な場面で話をさせてもらう時が出てくると思います。

7.雨ニモ負ケズ

それから7番目にはね、雨ニモ負ケズって書いたけれどもね。これ、特に何をどうのこうのってことはなくてね、今まで言ってきたことが全部包括されているんですよ。宮沢賢治さんは要するに現場主義の人だったっていう話です。東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい、北、ここがね、「行って」が入ってないんですよ。これを友達に宮沢賢治学会に入っている人がいるので、これはどうなってるんだって聞いたら、賢治さんはよくそういうことあるんだって、忘れて書いてないんじゃないかって。それで、北のところで、「行って」という文字が抜けたんでしょう、何かの拍子で。いずれ全部、自分の足で行って看病してやり、行って稲の藁を背負い、というふうに。必ず現場に足を運んでいる。
東西南北の英語の頭文字、合わせるとNEWS。NEWSっていうのは現場を歩いて取材して、集めてきて、それを報道するのがNEWSなんですよ。宮沢賢治さんという人はそういう現場主義を貫いたっていうのが、この雨ニモ負ケズから読み取れる。そしてこの雨ニモ負ケズっていうのは、賢治さんが亡くなった後、弟さんがこの作品を発見したんですよね。トランクの中に一冊の手帳が入っていた。その手帳に鉛筆で書かれいてたのがこの雨ニモ負ケズの詩なんです。そのトランクっていうのは、賢治さんが東北砕石工場、東山、あそこで技師として働いていたときに持ち歩いていたトランクで、それに石灰を土壌改良材のサンプルとして持って歩いて、東京から東日本全部歩いていたんですね。その時持って歩いていた賢治さんのトランクの底にその手帳が残っていたんです。それが賢治さんが亡くなった後に見つかった。だから私はね、雨ニモ負ケズという作品はこの一関でつくられたんじゃないのかなと。勝手にそう思っているんです。状況証拠からはね、揃っているんですよ。その作品が書かれていた手帳がトランクに入っていたと。そのトランクは賢治さんが東山の砕石工場で働いていた時に持ち歩いていたトランクだと。出来ればね、その手帳の横に鉛筆が一本残っていて、その鉛筆の横に「東北砕石工場」なんて書いてればね。なんかそういうのがなかったのかと思いながらね。でもね、私どこに行ってもこれしゃべっているからね。私は宮沢賢治さんからいいプレゼントをもらったなあと思っているんです。この現場主義っていうプレゼントを。

 8.ILC

そして最後、ILCですが、ここはいろんなところで話をしているんですが、今日もこれから盛岡に行って、岩手経済同友会の新年交賀会で挨拶をしなければなりません。ILCについて触れてくれというリクエストです。
素粒子物理学の実験研究のスパンっていうのは30年なんですよ。1テーマで30年使うんです。今までの世界各国の研究所の研究を見てもそうですよ。日本の筑波の高エネルギー物理学研究機構の実験研究見てもそうです。それで、スイスのCERNっていうのは、年が明けたから、今年で60周年、還暦です。最初の30年で一つの研究を終えて、次の30年でずっとやってきたわけです。それでエネルギー領域をぐんぐん、こう、粒子のスピードを上げながら、それで29年目にヒッグス粒子が見つかった。ヒッグス粒子が29年目に見つかって、今30年目に入りました。それで実験研究が終わりかというとまた違うんですね。今、機械を入れ替えている最中です。そして次の30年に向かってまた準備しているところです。おそらく来年あたり、また新しい実験研究が開始されるでしょう。そうやって30年、60年、90年というそういうスパンでまわっていくプロジェクトですから、ILCもおそらく、きっかり30年となるかどうかはわかりませんが、そういう長いスパンでの実験研究が行われるということになります。
ですから、それにあわせて地域づくりをやっていくということになりますと、やはり、30年、60年、90年、要するに約100年先まで視野に入れなきゃだめです。あと30年も経てば、県の合同庁舎も市のこの建物も老朽化してどうにかしなきゃだめになりますよ。その時にはもう県の組織はなくていい。全部市がやってあげますからって。ここがなくなればね、ずいぶん広くなりますからね。ですから、30年先を視野に入れたとしても、これから造る保健センターであるとか今やっている図書館であるとか、ああいうところは30年先でもまだ大丈夫だとは思いますけれども、30年先になるとこの市役所もどうなのかな、合同庁舎もどうなのかなと。なのはなプラザも無理だろうなとか、文化センターも古くなるよなとか。そこまで考えながらやっていかないとだめです。その時にはILCがもうすっかり実験研究が始まって、研究者もどっと、そのご家族も来てると。その方々がどの辺にお住まいになっているのかということによって、サービスの拠点というのがどういうふうに配置されていくかが変わってきます。国際会議場っていうのも造らなきゃならないし。今の文化センターは非常に便利な場所にあります。ところが大きさが足りない。あれはあれでね、町場のど真ん中にあって、「サンダル履きで行ける文化センター」ってサブテーマをつけてもいいくらい便利な場所にあるわけです。今度、それとは別にまた造らなきゃだめだとなった場合には国際会議場併設の文化センターとか、そういうものになると思います。
あとはこのILCについては、調査事業費が満額つきましたので、いよいよ国においては、日本学術会議で指摘をした、例えば総事業費8,300億と言われているけれども、もうちょっと中身を精査したらどうなんだということなど、その作業をこれからやっていく。だいたい研究所がまとまった場所に形成されるんですけれども、どういう研究所が建つのかっていうのがこれからですよ。それから、研究者の数がどれくらいなの、というふうに聞かれた時にはっきりと何千人ですというように言える段階にないんです。そのつかみ方ですけれども、まずこのILCは日本がホストとなってやるわけですから、日本に国際研究所を設置しなきゃだめなんですね。ILC研究所、まあ仮にそういう研究所だとします。ILC研究所というものが出来るとすれば、各国からおいでになる研究者はどこに属するのか。そのILC研究所の研究員になるのか、あるいは、筑波の高エネルギー物理学研究機構に所属して、そこから派遣されてくるのか、あるいは、海外のそれぞれの研究所から直接、籍は置いたままで派遣されてくるのか。様々なパターンがあると思うんです。これが金額にも影響してきます。例えば、日本が設置する国際研究所で全員雇いますよ、となると、年金から何から全部みなきゃならない。そういうのが、8,300億で済むのか1兆5,000億になるのか、そのあたりでまた議論されるわけですよ。そのあたりを細かく精査していくのがこれからの作業です。それはILC研究所っていうのが出来て、そこが国際ルールをつくっていくことになりますが、そのILC研究所をつくるための準備室の設置が決まりましたので、具体的にこれから動いていくと思います。方向性ははっきりと見えているんですが、まだ具体的に研究者が何人だ、どこに籍をおいて、どういう形態で派遣されてくるかとか。研究所にはどういうものがそこに建つのかとかね。研究所の中にホテルもできますし、幼稚園とかもできますし、管理棟のほかにどういう建物が、どういう研究部門が必要なのかとかね。これからなんです。それによってかなり金額も動いてくるので、今すぐ具体的にいくらというわけにはいかないわけです。これについては、やっぱり、30年、60年というスパンでものを見ていかなきゃだめなので、その都度その都度、皆さんには情報を提供させていただきたいと思います。今、ILC推進室をつくって企画振興部に設置しておりますけれども、市の職員、全職員がILCの担当者になったつもりで、市民の方々から聞かれても、今私が言ったところくらいはしゃべれるようになってもらえればなと思います。少なくとも管理職の皆さんはそうあって欲しい。あと、それから一歩進んで専門的になってきたら、それはもうわかりませんでけっこうですから。一般の市民の方々が、一般的な質問として、質問してきた時に答えられる部分っていうのは、皆さんにもお願いしなきゃだめだなと思っているんです。千厩の老人クラブのじいちゃん、ばあちゃん達、お茶飲みながら素粒子の話しているんですよ。すごい話ですよ。最初に行った時なんかは、「わかりましたか?」って聞いたら、「わかった」って、本当かなと思って、「本当にわかったのすか?」って聞いたら、「よくわからないことがわかった」って言っていました。正しい答えでした。夢のある話ですのでね、あまり深刻になって勉強する必要はありませんけれども、最低限のところをみんなで勉強して、いずれ興味をもって臨んでほしいと思います。

 以上、まとまりのないような話で終わってしまいまして、研修の足しになったかは自信がないところですけれども、あとは皆さんのほうでよく咀嚼をしていただいて、それぞれの業務等に活かしていただければと思います。

 どうもありがとうございました。

平成25年度市政課題研修(平成25年5月16日)

今、職員課長の挨拶の中で、相手の立場に立って、市民の立場に立って、という話がありましたけれども、非常に大事なところです。こちら側にいたままで、その反対側にいる相手の立場に立つというのは非常に難しいのです。ですから、そのときは本当に相手の立場に立って、相手の側に行ってこうやって見てみなければいけない。これが簡単なようで難しいのです。

市民の視点とよく言いますよね。これは自分の今いる場所から、相手になったつもりでこちらを見るんです。だから、細かく言えば、相手の立場に100パーセント立っていないのです。

相手の立場に立つということは、そこに行って立ってみなければいけない。ですから、例えば窓口の対応業務がいろいろ言われていますけれども、市民の立場に立って窓口業務を考えるといった場合には、窓口のカウンターの内側にいて考えていたのでは駄目なのです。担当者としての自分がカウンターの外側にいることを前提にしなければ駄目なのです。そうでなければ本当の意味での視点ということにはならないのです。これは、視点ではなくてむしろ基点。あるいは、こちらの字(起点)を書く場合もある。視点では駄目なのです。これだけは覚えてください。視点では駄目なのだと、基(起)点なのだと。これは現場主義です。自分の足で行ってみて、そこで何が起きているか、どういう問題があるか確認する。確認の方法は自分の目で見る場合もあるし、情報として耳で聞く場合もある。実際に触れてみる場合もある。ですから、足とか手とか耳とか目を使って確認しないと駄目だということ。これが現場主義の本当の姿です。これだけは本当に、きちっと理解してもらいたいと思っているのです。市民の視点に立って、とか、何々の視点で、と言うのは簡単なのですが、実際、行動が伴わないと全く絵に描いた餅になってしまいます。自分の足は2本ある、手も2本ある、耳も2つ、目も2つ、口は1つ。カウンターの内側にいて、いくら丁寧な言葉を並べて説得しようとしても、それが伝わらない場合がある。それは何が欠けているかと言うと、自分の足と手と耳と目、これが十分に活用されていないからです。それらをフルに活用して、相手の立場に立つ。これが本当の意味での現場主義です。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩がありますネ。あの中に、「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」と書かれてあります。東西南北すべてに「行って」という言葉が入っているのです。彼ほど現場主義を徹底した人はいないと思います。この詩はあの宮沢賢治が岩手で生きていた時につくった詩です。問題はここから先なのです。「雨ニモマケズ」という詩が発見されたのは、彼が亡くなってからです。亡くなったあと、弟の清六さんが、お兄さんの遺品を整理していた。そうしたら、トランクから一冊の手帳が出てきた。その手帳の中に書いてあったのが「雨ニモマケズ」だったのです。そのトランクの中に、宮沢賢治は土壌改良剤、要するに石灰を入れて、全国各地を回って歩いて普及に努めていたのです。そのときに彼が勤めていたのが、東山の東北砕石工場なのです。ここのところ、はっきりした結びつきの証明はされていないので、あくまでも私の考え方ですが、私は宮沢賢治がこの一関(東山)にいたときにつくった詩が「雨ニモマケズ」なのだと思っています。そう考えると、現場主義というのは、宮沢賢治が一関の我々に対してとんでもないプレゼントを遺してくれたなと、そういうふうに思うわけです。宮沢賢治の詩に出てくる東、西、南、北。英語の頭文字を思い浮かべてください。組み合わせればNEWSになる。ニュースというのはやっぱり東西南北歩いて、足を運んで、報道、新聞記者などはそうやって歩いて靴を減らしながら、情報を収集してきたものがニュースになるのです。いずれ現場主義というのは、何の職業にも共通している事です。

今回の研修では、「国家課題と地域課題が一致」というテーマで、大きく二つのことをお話ししたいなと思っています。

今まさに我々がいるこの一関、あるいは岩手県、東北、そういうエリアで見ると、国全体としての課題と、この一関地域が置かれている課題とが一致するのです。日本全国の自治体が皆同じような課題を抱えているのです。国も同じ課題を抱えています。その一致するものは何かというと、一つは人口減少への対応をどうしたらいいのかという問題。これは国家課題でもあります。それから二つ目はグローバル化へどう対応していったらいいのかという問題です。この二つについて、やはり私たちはしっかりと現状を踏まえて対応策を打っていかなければならないと思います。こういう項目については、既に皆さんも問題意識を持って、いろいろ考えているところだと思いますけれども、復習の意味でまたちょっとお時間をいただいてこの話をさせていただきたいと思います。まず、人口減少への対応。これは昨年度、私が庁議の場で言いましたが、既に人口減少社会に入っているわけです。しかも当初予想した以上にスピードを増しています。日本の人口が2007年にピークを迎えると言われていたのです。これが2007年問題と言われました。それが2年も早まってしまった。2005年にピークが来てしまったのです。日本の人口がピークに到達する時期が2年も早まったということは、人口減少に入るピークの地点が早まった分だけ、減少のスピードも増しているのです。つるべ落としのようにずっと下がっている。倍、そのまた倍というふうに凄いスピードで人口は減っていきます。なぜ減っていくかというと、女性が一生のうちに子供を産む数、合計特殊出生率といいますけれども、今1.39ぐらいでしょうか。2.07か2.08無いと日本の人口は減るのです。産まれてくる赤ちゃんは、だいたい男の赤ちゃん、女の赤ちゃん半々だそうです。ところが将来赤ちゃんを産めるのは女の赤ちゃんですから、少なくても出生率は2.0ないと計算が合わないのです。静止人口状態というのは、日本の人口減少傾向にストップがかかって、横に安定して、増えもしない減りもしないという、ほぼ横ばいにいく。そういう状態のことです。これは合計特殊出生率が2.07あるいは2.08。そのぐらいにいかないと日本の人口は減っていく。今、1.39だと思いましたけれども、1.4としてね。1.4をこの2.07まであげるということは、これは、今の状況の中では、ほぼ不可能に近いのです。当面目標として、今、国の方では、まず1.7を目指そうという目標があります。少しでも減少傾向にブレーキをかけましょうという施策が国の方で言われております。ですからかなり長期的な戦略を立てないと、なかなか日本の人口減少というものはブレーキがかからない。安倍政権は、デフレ脱却のために物価上昇の数値目標を設定したり、いろいろやっていますけれども、本当の課題というのはその先にあるのです。人口が減っていく社会構造をどうやって活力のあるものにしていくかというのが、究極の課題です。ですから、人口減少への対応というのは、つきつめれば地域の活性化をどうやって維持していくかという問題になってきます。2030年に一関の人口は9万6,800人となり10万人を切るんですね。日本の人口も今1億2,700万人ですが、それがどんどん減っていって、2050年には、日本の人口は1億人を割り込んで8,800万人まで下がります。1億人を割り込むのは、2046年というふうに推計が出ています。今のままの合計特殊出生率でいくと、西暦3000年には日本の人口は29人という数字になるのです。極端に言えば子供の代で半分になって、孫の代で4分の1になって、という、そういう減り方でいきますからね。何とかして減少傾向に歯止めをかける必要があるということで、いろいろ手を打っているわけです。そのためにどうしたらいいか。子育て環境を充実したものにしていく必要もあるでしょう。さまざまな支援策、今でもあるのですが、更にこれを充実させる必要がでてくるでしょう。子育て環境を整備するといっても、子育ての部分だけ見ていては駄目なのです。収入が得られないところでいくら子育てをしっかりやってくださいといっても、これは無理ですから。雇用環境を良くしないといけない。やはり、若い人達がしっかり職に就いて、安心して子供を産み育てられるような環境をどうつくっていくか、そういうことがこれからの地域社会にとっては非常に大きな問題になっていきます。

間もなくその若い人達に支えてもらうような、高齢者の人数がどんどん増えていきますから、行政サービスというのはこれから非常に難しくなっていきます。どこにどれだけのウエイトをかけて行政サービスを維持していくか。今までの行政サービスは変わらざるを得ないのです。それで去年の庁議の時に、我々のやっている行政サービスが今のままで良いのか、職員それぞれが担当している職務を通じて何が問題かをしっかり検討していきましょうということを指示したところです。皆さんのほうにはどういうふうに伝わっているか分かりませんが、いずれそういう問題意識を持ってもらわないと駄目なのです。今まではどちらかというと、高度成長期の名残で依然として右肩上がり、という考え方が頭のどこかにあったのだと思います。バブル崩壊というところも経験していますから、もう右肩上がりの時代ではないというのはみんな分かっている。けれども、分かっていても頭のどこかにそれが残像として残っていたりすると、これからの施策を進めていくときになかなか大変になってくるのです。これからは我々自身も頭を切り替えていかなければならないし、本当の意味でのこれからの行政サービスというのはどうあれば良いのか、何でも役所が先頭に立って引っ張っていく時代ではない、ということも、お分かりいただけると思います。

そういう中から、協働のまちづくりという、「協働」という言葉も出てきたわけです。

今、その協働のまちづくりというものを各地域でいろいろ議論していただいています。

主役はもう行政ではないのです。市民の方々が主役なのです。

日本の歴史を見た場合、平安京が出来たのが794年。そして平安の次が鎌倉で1192年。だいたい400年です。鎌倉の次が江戸幕府ですね。これがだいたい1600年。そして今、西暦2000年をこの間迎えた。平安時代には主役は貴族です。鎌倉時代の主役は武士です。江戸時代になると主役はお役人様です。まだ我々は役人と呼ばれているのです。これまで400年単位で時代が代わってきています。主役が代わってきていますから、役人から主役が代わらなければ駄目なのです。次の主役は市民です。年表を見ていましてね、気付いたんです。だいたい400年くらいで主役が代わってきているのです。ですから、サービスが代わるということよりも、その地域を動かしていく主役は市民の人達の代わるのです。役人と呼ばれている我々も市民の一人として動いていかなければ駄目なのです。そういう社会にならなければならない。なるべく早く、地域づくりの協働という体制が整えば良いのですが、そう簡単にはいきません。「協働」という言葉はだいぶ浸透してきてはいると思うのですが、実際に地域の方々、住民の方々の話を聞いてみると、じゃあ、私たちは一体何をすればいいのかという、まだ役所に依存する傾向にあります。自分たちでやっていかなければ駄目なのですが、そうなるまでにはやはりもう少し時間がかかるでしょう。いくつかの経験をして、それを蓄積していく中で、ああそうか、こういうものが協働なんだ、と体験の中から出てきたもので固めていく必要がありますから、耳から入ってくるものだけで地域協働というものが分かったというふうにはなりません。ですから時間がかかります。時間はかかるけれどもこれはやっていかなければ駄目な課題です。例えば、若いお父さんお母さん方の世代。子育て世代の方々です。雇用問題も前よりは良くなったとはいえ、有効求人倍率の数字を見てもまだまだだなと思います。依然として国内の生産拠点が海外にどんどん出て行っている。そういう中で、安定した雇用を確保して、しっかりとした収入を得て、そして子供を産み育てるという環境に持っていく為にはもうひと踏ん張りしていかなければならない。そういう子育ての支援策をいろいろやったとしても、その子供が社会を支えていくには成人するまで20年以上かかるわけです。ですからこれは、最低でも20年というスパンで戦略を立てていかないと駄目なのです。そういう大きな課題が今あるという事も覚えておいてください。その20年かかる間をどういうふうにして凌いでいくかというところが一番の課題なのです。

昨日、小学生たちが放課後いろいろな活動をしている赤萩の学習交流館を見学に行きました。そこで小学2年生の子供たちにたててもらったお茶をいただいてね。

畳の上で、小学校2年生の頃からそういう経験をさせるというのもなかなかいいですね。学校中心にだけ考えていると、社会人としての基礎的な部分というのはなかなか身についていかないのだろうと思います。ですから、学校ということよりも、むしろ地域という、地域の力がどれだけそこにあるかということによって、子供の社会的な、基礎的な知識、力というのがついていくのだろうと思います。昨日行った所でも、お茶やそろばん、書道などさまざまやっているようです。そういう地域全体で、次の世代、その地域を背負っていく子供たちをしっかり育んでいくという取り組みが、各地で行われています。今は、一握りのボランティアさんの力で何とかやっているというところもあるのでしょうけど、それを地域全体で取り組んでいけるようになれば、私はその地域の力というのは、2倍にも3倍にもなっていくのだろうと思います。そこまでどうやって持っていくかという時に、今やっている方々に「頑張ってください」と言うだけでは駄目です。やっぱりそこの中に行政の経験というものを持っている我々が、何らかの形で、関わりを持てないのかなということを考えているところであります。地域づくりの中で、自分はサービスを提供する側の行政の立場にあるから、そちら側とは違うと思わないで下さい。自分の住んでいるこの地域で頑張っている人がいる。そこに自分も何らかの形で関わりが持てないかと。ちょっとしたところでいいんです。少しずつの関わり方が積み重なれば、その地域はずっと良くなると思います。ですから皆さんも市の職員という立場を離れて、一住民という立場で地域というものを見つめる時間をつくってください。ぜひお願いしたいと思います。そういうことで、その地域の中での取り組みというものが継続していくと思います。それが、さっき言った赤ちゃんが成人するまでの20年間どうやって凌いでいくか、そこに対する答えが出てくるはずです。

二つ目の国家の課題と地域の課題が一致している部分というのはグローバル化という問題です。経済のグローバル化がどんどん進んできて、生産拠点を海外に移す企業が後を絶ちません。

私が市長になる前に県庁で企業立地課長という、企業誘致の元締めをやっていたとき、ある雑誌に、岩手県の企業立地課長は日本一ということで書かれたことがありました。普通に聞けば、随分名誉なことですけれども。全然名誉でも何でもなかった。一番、誘致企業に逃げられた課長。平成13年度でした。全国の都道府県の中で一番、岩手県の誘致企業が海外に出て行ったのです。1年間で38工場無くなりました。それで、トータルで7,000人前後の従業員が職を失いました。一関の千厩のソニーさんだとか、NECさんなどが合理化を図ったのがその後です。その前が一番のピークでね。岩手県の県民所得も、平均所得で年間270万ぐらいだったのが、一気に240万まで下がってしまいました。平均でそこまで下がるというのは、これはもう大変な問題でしてね。そういうときに何とかしなければ駄目なのです。7,000人の雇用の場を何かでつくらなければ駄目なのです。それで沖縄まで行って盛岡にコールセンターを持ってきました。岩手の言葉は標準語に近いということで、コールセンターの方々はそういう評価をしていたんですね。それで4社。だいたい1社あたり700人くらいの規模のものを持ってきましたから、全体の雇用の場がなくなった分の半分近くはそのコールセンターでカバー出来ました。そういう雇用の場の確保というのが大きな課題でした。誘致企業がどんどん外に出て行くというのは、これはもう止めようがなかったですね。例えば縫製工場。縫製工場だけで、38社のうちの半分近く、縫製工場が東南アジアのほうに、あるいは中国のほうに出て行ったのです。当時、中国は人件費が安かった。平成12年~15年辺りは安かった。ところがその後、中国の人件費はどんどん上がってきた。もう、最近では見切りをつけて帰ってくる企業も多い。一旦日本に帰って来てベトナムに行っています。東南アジアに行っています。中国から東南アジアへというシフトというのは結構あります。ベトナムの国民性というのがかつての日本の、世界から評価された勤勉な国民性とそっくりだそうです。それで、ベトナムでだいぶ日本の企業が立地するようになってきています。日本の国内だけを視野に入れていたのでは駄目な時代ですから、そこはグローバル化の中で外を見ていかなければ駄目な時代であります。日本社会そのものが変わってきている。社会構造が変わってきている。これからその日本の中で生きていく我々もそうですし、我々の後輩たちもそうですし、これから生まれてくる子供たちもそうです。そういう子供たちにどういうことを期待し、そして期待するだけではなくて、そうなってもらう為に何をすれば良いかというところが対策そのものになってくるわけですけれども、私は、一つは日本人としてのアイデンティティーを身に付けることが欠かせないだろうと思っております。アイデンティティーという言葉は、よく言われた言葉だったのですが、具体的にどういうことかというと、日本の歴史あるいは文化をしっかり身に付けさせるということです。させるというと語弊がありますけれども、行政サービスも、軸足を少しシフトしていく必要が出てくると思います。例えばこの一関という、あるいは中東北というこの地域をしっかりした地域につくっていこうとするのであれば、私はやはりアイデンティティーというものをしっかり身に付けてもらうための施策というものが必要になってくるのではないだろうかと思います。それからもう一つは、バイリンガル。これはもうだいたい分かるかと思います。どうしてもグローバル化社会の中で身に付けていかなければなりません。これは、技術的に語学が出来るかどうかというだけではないのです。国際化というのは英語が話せるだけでは駄目なのです。国際感覚を身に付けられるかどうかです。これから教育の場でもやっていかなければ駄目なことなのですが、そういう所に軸足を置いた施策というものが必要になってきます。そういう意味では一関は今大きなチャンスに恵まれるかもしれない。

国際リニアコライダー。今年の夏には、国内候補地が一本化されると言われています。

この、国際リニアコライダーの研究所というのは、世界でただ一つ設置される研究所ですから、凄く規模が大きい。先月、スイスのジュネーブのCERN(セルン)という国際研究所に行って来ました。ここは今、世界で一番大きい素粒子物理の研究所です。18年前に1回行っていますが、その規模の大きさにびっくりして帰って来たわけです。今度は2回目だったために、びっくりしないで済みましたが、初めて行った方々はやはりびっくりしていました。当然だと思います。今までどういう立場にあった人でも、あんなに大きな研究所というのは見たことがない。それを上回る規模の研究所がここに来るかもしれない。その研究所というのは英語が公用語でして、その中で私は出来れば行政経験を活かして、この中からも国際リニアコライダーの研究所に派遣されるようなスタッフが、多分、相当数出てくるだろうと思います。研究活動をするためでなく研究所のスタッフとしてです。研究所というと、研究者がいっぱいいるところというふうなイメージがあると思いますが、一番多いのはスタッフです。研究者やエンジニアではないのです。その他に研究所が運営するホテル、あとはユーザーズオフィス。このユーザーズオフィスというのは国内外から来る研究者の方々に対して、さまざまなサポートをしてあげる場所です。アパートを借りたい方とか、海外の方の運転免許はどうすればいいかとか。あるいは、奥さんの働く場所を世話してほしいとか。さまざまな不安な部分をしっかりサポートする、研究所の中では重要な部署なのです。図書館、幼稚園、レストラン、銀行、病院、自動車整備工場、メンテナンス関連の企業、トラックセンター、ガソリンスタンド等々。一つの都市ができるのです。そういうところで働くような場面もかなり高い確率で想定されます。その他に地元として整備するもので、間違いなく整備しなければ駄目なのは、ウェルカムセンターです。

人口減少へどう対応していくかという問題、あるいはグローバル化社会に対してどう対応していくかという問題。そういうものへの対応のためには、まず我々自身が目指すべき地域の姿というものをはっきりと自分の頭の中に描くということが必要です。例えば、国際リニアコライダーが来る。そうすると、こういう施設ができる。これだけの人が入ってくる。そういうイメージをつくる。それがだんだんこう具体化していきますから。今の段階では、スイスのジュネーブでこういう施設があるから、多分それもこうくるだろうなという、そういう想定でしか物言えませんけれども。具体的に国内候補地に、一本化になって、ここに建設されるということになれば、具体的な計画が出てきます。そうすると我々の頭の中にも、その姿が、輪郭がはっきりしてくる。そういうその地域の姿というものをまず設定するということ。それを踏まえて、一関市という行政としてどういう対応をしていったら良いのかというところをやっていかなければなりません。それが無いままにやっていくと、例えば子育て支援は何をやったら良いか。いまの対応策だけいくらやっていっても駄目なのです。人口減少対策、いろいろなことがこう考えられますけれども、それが結びついていって、一連性のあるもでないと駄目なのです。これからの政策の進め方というのは、やはりそういう連結性、連動性、連鎖性というものに裏打ちされたものでないと、なかなか大変になると思っています。

そういう、これからの人口減少社会への対応の仕方、グローバル化社会への対応の仕方、これが非常に大きな部分を占めてくるということを今日は言いたかったわけであります。

そして今、職員の皆さんに私から市長の立場で何をこう語りかけたいかなと、お昼時間にあれこれ考えまして、四つ挙げさせてもらいました。

「責任感」と「良心」と「志」と「専門性」です。

「責任感」というのは言うまでもなく、皆さんそれぞれがおもちなわけですけれども、誠心誠意、全力で仕事に取り組んで最後までやり遂げるという責任感。これは公務員でなくても、人間として自分の目の前にある問題に対して、しっかりと取り組んでいくという意味でも、この責任感というのは我々常に頭に持ってなければ駄目なことだと思います。そして「良心」。住民に対して常に思いやりの心を持って考えるということです。サービスの受け手、受ける側に常に思いやりの心を持って考えるようにしましょう。それから三つ目は「志」ですけれども、責任感を持って最後まで努力をする。そして、思いやりの心を持って対応する。いくらそういう心掛けを持ってやったとしても、時には、さまざまな困難に直面することもあるでしょう。そういう時にそれを乗り越えていくエネルギーを養っていく必要があります。まさに「志」です。これもまた大事なことだと思っています。そして四つ目は「専門性」です。これは、事務分掌でそれぞれの担当分野というのは決まっていますので、そういう担当分野で自分はその第一人者になるんだと、そういう気概を持って仕事にあたっていただきたいなと思います。過去の経緯をしっかりと踏まえてください。良い事例も悪い事例も過去の経緯なのです。良い事例、悪い事例それぞれをしっかりと踏まえて現場に学ぶということが必要です。現場というのは今日冒頭にお話ししましたとおり、施策を、その効果を測定する場所なのです。現場以外では測定できません。自分が今までやってきた仕事の評価をしたいなというときには、現場に足を運んでください。そこに必ず答えがあります。そうすることによって、より高い専門性をもった職員になっていただければと思います。これからの人事についても、今までのようなものさしがずっと続くかどうかというのは分かりません。この専門性というものが、やはり行政の一つの特色というか、長所というふうに評価されるのであれば、それを活かしていく必要も出てくるでしょう。特にも国際研究機関が立地する自治体ということになれば、他の自治体にはない一関方式というものも当然あって良いはずです。さっきも言いましたとおり、この中の何人かは研究所のスタッフとして国際舞台で飛躍する人も出てくるかもしれません。いずれ、他の追随を許さないぐらいの専門性を身に付ける。それを、新しい形の行政サービスの中でどう活かしていくかという問題になると思います。その為にも、部下を持つ職員の方々は、最後にこれだけは言っておきたいのですが、より横断的な目で物事を見るようにしてください。より複眼的な目で物事を見るようにしてください。例えば、何か企画書が1枚でてきた。この企画書だけではなくて、何かとこれを組み合わせたら、もっと良い内容になるのではないだろうか。その「何か」というものを、横にこう広げていって探してください。横断的に。縦割りは縦割りで長所はあります。責任の所在をはっきりさせて仕事に取り組むという、そういうメリットはあります。ただ、縦割りはあくまでも縦割りですから横に広がらないのです。ですから、部下を持つようになったら、横に広がってください。                                                                   

この前、一関の姉妹都市である福島県の三春町に行ってきたんです。そのときの話ですが、福島県の福島原発の近くの町である富岡町は避難区域になっているので、三春町のほうに役場を持ってきたそうです。それから、葛尾村という村。そこもやはり原発の近くで避難区域になっているので、今、三春町のほうに村役場をつくっています。その、葛尾村が4月に中学校を三春町で再開したのです。三春町の廃校になった学校の校舎を利用して葛尾村の中学校にしたらしいのですが、原発事故の前は120人くらい居た生徒が再開後はたった19人しかいなかったそうです。2年間、避難先の学校に通っているわけです。前の学校の校歌を忘れているのだそうです。村長さんが言っていました。2年経つと校歌をすっかり忘れて子供は歌えなくなっている。これが現実です。

そういう時に、三春町がどのようなことを提案しているかというと、いずれ将来的には避難区域の再編があって、一部は帰れるようになる。けれども、帰りたいと言う人は極めて少ない。ただ、畑とか自宅とかがある。三春の役場では、そちらの自宅は自宅で、今の三春にある仮設住宅を、公営住宅に少し立派につくりかえて、居住地を2つ持つということを提案したらしいです。国のほうの規制もあって、なかなかすんなりとはいかないのですけれども、そういう、縦割りの壁を打ち破って両方に住む。どっちに税金払えばいいかとか、さまざまな問題があるのです。だけどそういうのは後回しだと。そして今、三春の町長さんはそれを実現するために、避難してきている葛尾村の方々のために、国に行ってお願いしたりしています。非常に私は、感銘を受けてきました。そういうふうにやはり、上に立つ者、あるいは部下を持つ者というのは、自分の目先の部分だけではなくて、自分の担当分野だけではなくて、どんどんその周辺にある部分に、横広がりに、横展開していくような考え方を持って、取り組んで行かなければ駄目なんだなと改めて思った次第であります。

ぜひ皆さんにもそのことを覚えていただいて、これからの仕事をする際に、少しでも頭に止めていただければと思います。

これで話しは終わります。

ありがとうございました。

平成24年度管理職研修市長講話(平成25年1月9日)

今年は、特に1つのテーマを定めてそれについて喋るということではなくて、いろいろなことを寄せ集めて話をしたいと思います。

まず、これは急きょ、今朝つくった資料です。こういう数字は部署に関係なく管理職として覚えておいた方がいい。いろいろなところで使えるはずです。使うように努力して欲しいし、いろいろな場面でデータを持っていればいいだろうなと。いくつもの引き出しを持ってください。その引き出しの中にいろいろなデータをどんどん入れていって、引き出しを開ければそこからデータが取り出せるというような努力をしていくことも管理職の1つの役目ですから、よろしくお願いします。

この資料は何を言おうとしているかというと、これからの人口減少社会がどのように推移していくかという話です。厚生労働省の外郭団体の国立社会保障・人口問題研究所が将来の人口を2010年と2060年で比較して、50年間で4,100万人以上人口が減ると推計しています。65歳以上の割合が40%になり、平均寿命もどんどん延びる。男性が84.19歳まで、女性は90歳に到達します。そういう高齢化が進む一方で、人口は逆に2046年には1億人を割り込む予想です。西暦3000年には、日本の人口が29人。これは大変です。西暦3200年には1人しかいなくなる。1人の女性が一生のうちに何人子どもを産むかを示す合計特殊出生率という数字があるのですが、それが今1.3くらいしかないのです。2.0でようやく人口はトントンなんですが、今は1.3なんですよ。
子の世代で半分、孫の世代で4分の1という風に加速度的に減っていきます。恐ろしくなるような数字ですけれども、いずれ人口がガタガタと減っていくということです。
もっと大局的に見ると、江戸時代初期には3000万人の人口がいました。明治初期には4000万人。江戸時代は長く続きましたが、日本が鎖国をして、外国との交易が遮断していたこともあってあまり増えなかった。明治維新があって明治初期あたりから人口が増えてくるわけです。外国との交易が始まって、西洋医学が導入されて、医療が進歩してきたということもあるでしょう。それとともに寿命が延びた。大正になると4000~4500万人。2100年の4109万人が大正時代の初期と大体同じくらい。昭和になって6000万人、そして第2次世界大戦で300万人がお亡くなりになったわけですけれども、それ以降、高度成長期で1億2700万人という数字になっているわけです。こういう歴史的観点からの人口減少というものを見ていかないと、本当の意味で、これからの人口減少社会というのを正確に把握して対策を打っていくことは難しくなると感じます。こういうデータは頭にいれておいていただけたらと思うのです。
それから裏のページを見てください。これもちょっとしたことからまとめて見たら、面白いことが分かったのです。権力の主役というのは、だいだい400年単位くらいで変わっています。平安京ができたのが794年。平安京から鎌倉幕府ができる間がだいたい400年です。鎌倉幕府から江戸幕府まで大体400年。江戸幕府から現在までが大体400年です。400年ごとに、貴族、武士、官僚(役人)、というように権力の主役というのが見事に変わってきているのです。そこから400年経ったから何か変わらなきゃいけない。今度ここに何が入るかというと、私は「市民」というのが入ってくると思います。協働のまちづくりというのも、その辺の歴史的な流れを抑えておかないと駄目なのだろうと思っています。
ですから、1つの物事を、そこの点だけで見ないで、前後をもっとグローバルに、歴史的なところまで広く高いところから俯瞰するような感じで物事を観る習慣をつければ、かなり引き出しの中のデータは面白いものが集まると思います。そういう努力をしてもらえば、自分自身のためにとっても非常にいいと思います。それから資料の下の方に管理職の要諦、要するに心構えが書いてあります。これは、本に書いてあったのを書き出したものです、そんなところまでというのもありますが、非常に面白いことが書いてあるので挙げておきました。
(1)管理職は生活の為の職に非ず。市民の為にあるものと認識すべし。
(2)部下の見本となるべき行動をとるべし。
(3)部下を正しく指導できるほどの教養を身に付けるべし。自己啓発を怠らないこと。
(4)上職への報告、連絡、相談を怠るべからず。それが部下の「ホウレンソウ」を促す。
(5)才に長けるよりも徳を磨くべし。
(6)できぬ理由を探す前に、どうしたらできるかをとことん考えること。
この中で特に強調したいのは(6)番ですね。できない理由を探す前に、どうしたらできるかということを考えるわけですね。次の(7)番目。
(7)部下から気の毒に思われるほど率先垂範すべし。
いいですね、部下から「なんて気の毒だな」と思われるくらい率先垂範を心がけていただきたい。
(8)家族は大切に行動の原動力は家庭にあることを認識すべし。
(9)部下があってはじめて自分の存在があることを知るべし。部下の欠点が見えなくなるほど部下の長所を伸ばすこと。最も説得力があるのは、背中で仕事をすることと知るべし。
(6)番以降、特に強調したいところであります。
私はほとんど全ての一関市内の中学校、高校で講演、キャリア講話を行いました。その中で言ってきたのが「社会人基礎力」という言葉です。文部科学省では、小中学校は「生きる力」というのを教えています。それはあくまでも教育サイドから見た「生きる力」ということであって、産業界から見た「生きる力」とはちょっとニュアンスが違う。私が県の雇用対策局長時代に、日本経団連の代表幹事である北城恪太郎氏が「どんどん若者が就職して会社に入ってくるのはいいけれども、産業界が期待するような人材にはなっていない。それを学校のせいだというのは簡単だが、採用した自分たちの方で責任を持って人材として育てていかなきゃ駄目なんだ。だから、自分たちから積極的に、こういう人材が欲しいと情報発信する必要がある」と話していました。そのリクエストに経済産業省が応えて、全国の経営者のアンケート調査を行って、産業界が求める人材、若者像を作っていくという作業が始まったわけです。
そこからできたのが「社会人基礎力」です。社会人として最低これだけのことが備わっていないと駄目だということ。これは、学校教育の中ではなかなか身に付かないものですから、地域社会全体でキャリア教育をやっていかないと駄目です。
社会人基礎力の中には「前に踏み出す力」というのが1つあって、これは行動力のことです。じっとして立ち止まっていても何も解決にならない、とにかく動いて一歩前に出て、自分の立ち位置を変えれば見方も角度も変わってくる。そうすればそこに解決の糸口が見えてくるということです。
2番目が「考えぬく力」。考えるだけでは駄目です。考え抜くこと。日本航空の再建で有名になった稲盛和夫さんが、「脳みそが筋肉疲労起こすぐらい考えろ」と何度も話していました。とにかく考え「抜け」ということですね。人間の脳細胞というのは、嫌だなと思うとやらない理由を考え始めます。難しそうだなと思うとできない理由を考え始めます。でも、人間の脳みそは優秀ですから、何とかしたいと思えばすごいアイデアを出してきます。ですから、最初の段階で嫌だなとかちょっと難しそうだなと思うか思わないかでも大きく変わってくる。逆に、やれる方法がないかと前向きに考えれば、どんどん解決のアイデアをアウトプットするのが脳みそなんです。そのあたりが非常に大事になってきます。それが2つ目です。
3つ目は「コミュニケーション能力」です。ともすると、コミュニケーションというのは「会話」だけと解釈している人たちがいるのですが、そうではありません。コミュニケーションを構成している一番大きな要素は、「聴く」ということです。「聴く」、「観る」、これが基本です。そして「話す」というのは最後です。耳も目も2つあるのに口は1つだけですから。コミュニケーションを構成する要素というのは、「聴く」、「観る」、「触れる」、それから「行く」。「行く」というのは「歩く」ですね。現場に自分の足を運ぶ。実際に現物に触れてみる。確認するということですね。「聴く」は相手の話を「聴く」、現場の人の声を「聴く」。「観る」は現場で何が起こっているかを観る。相手のしぐさを観るというのはコミュニケーションなんです。そして、うなずくというのもコミュニケーションです。会話が全然できない人でも、うなずきだけでもコミュニケーションをとれることが結構あります。コミュニケーションは、言葉以外の部分が極めて重要です。
「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「コミュニケーション能力」、これらの「社会人基礎力」を学校教育の中でやってくれといっても先生方は大変です。これは社会全体、地域全体で若者を育てていかないと駄目なものですから、行政も含めて地域社会全体で「社会人基礎力」というのを若者に身に付けさせるように取り組んでいかないと駄目だと思います。
例えば、市民の立場に立って考えろと私はよく言いますけれども、時間は1日24時間しかないわけです。「時間にも主語がある」ということを覚えておいてください。「私の」時間、「相手の」時間というように、時間にも主語があります。待つ1日と待たせる1日。これは全く違います。そういう時間の主語というものを大事に考えてほしいと思います。
元気な地域づくり事業というのを私が市長になってからずっと継続してやってきているわけですが、これは、これからも続けていきます。枠も拡大していきたいと思っています。簡単に言えば市の予算を地域の方々で使い方を決めて、自分たちで練り上げて実施することです。まさに住民自治の部分です。ここをしっかりと検証して、1つの事業が終わったら、またしっかり検証するという作業をしっかりしていかないと次に結び付きません。やらないよりはやった方がよかったなという検証ではだめです。だったら検証する意味が全くない。しばらくは、いろいろな試行錯誤を行って、さまざまな苦労をしながら住民の方々と一緒になって、汗を流してやっていくしかないと思います。それが自治のトレーニングだとも思います。そういうことを積み上げていって、初めて目指すところの元気な地域づくりが出てくるのです。
検証するという作業は実にシンプルです。一番の中心になるのは。ムダ、ムリ、ムラ。ムダを無くす、ムラを無くす、ムリを無くす。これを、「ムダ」「ムラ」「ムリ」。“ム”で因数分解すると「ダラリ」となります。しっかりとここを検証しないと、ダラリとしたものになってしまいますから、きちんと検証する必要があります。
地産地消とよく言っている。それと、地元になかなか就職口がないという話もあります。高校の生徒がどんどん減ってきて、今の高校の仕組みのままだと今後存続するのは厳しいところもありますね。何かいい方法はないかと思っていろいろと考えていました。例えば、地元食材を加工し調理をして店頭に並べるというところまで、若い人たちで起業できないかといろいろ調べていたら、北海道に、高校を卒業した人たちが産直の隣で加工工場を持って、地元の食材を加工して産直に出している地域がある。ですから、高校の中に食物調理科のような科を設けて、調理師コース、あるいは製菓コースなどを作って若い人たちに地元食材を使って製品を作ってもらい、それを販売していく。そういうものを作るのも1つの方法かなと思っています。働く場所がなかったら作ればいいのです。乱暴な言い方ですけれども基本的にはそうなのです。
かつて、昭和40年代には、働く場所がないから工場を誘致してきた。雇用の場を作ったのです。県や市町村が中心になって誘致活動を行って、工場がどんどん出てきました。今度はもう行政に頼るのではなくて、働く場所がなかったら自分たちの地域で創っていこうというくらいの意気込みがないとなかなか難しいだろうと思っています。ですから、高校に調理師コースあるいは製菓コースというものをつくって、その高校を卒業した人の就職先が地元にある。そこで作ったものの販路についてもしっかりと地域の中で出来上がっている。そういう仕組みができていけば非常に地域としてのパワーが付いていくのだろうと思います。

次は、情報公開、情報提供、そして情報共有。情報公開は、相手から公開請求があったら見せるという受け身です。行政側はそういう受け身では駄目です。積極的にこっちから提供していこうというのが情報提供です。さらに、情報提供するだけでなくてそれを共有しましょうというのが情報共有。その先にあるのは情報共鳴です。お互いに共鳴するようにしましょう。ちょっとした情報が共鳴しあって、それが大きな動きにつながって、やがて世の中を変えていくようになってくれればいいなあと思います。
北京の蝶って聞いたことありますか。北京の郊外で1羽の蝶が羽ばたいた。その羽ばたきによって空気が揺らぎ、それがやがてニューヨークでハリケーンを起こすという話です。北京の街路樹というのはプラタナスが多いんです。ある日、雨が集中的に降って、蝶は葉の裏で雨を避けるんです。やがて雨が上がると、蝶も一斉に葉の裏に隠れていたのが出てくる。そのときに、蝶が一斉に羽ばたくから街路樹の周りの空気が揺らぐわけです。それに、雨あがりですから、湿気がどんどん空に上がっていく。そこにたまたま偏西風が吹いてきて、上昇気流にそれが合流してアメリカの方に動いていく。アメリカの上空に行く頃には大きなハリケーンになって、ニューヨークではとんでもない暴風雨になってしまう。北京の蝶の羽ばたきが揺らぎを与えて大きな変化をもたらす。この揺らぎを起こすベースを体内に持っているかどうか、そういう小さな変化をもたらすものを持っているかどうかです。

最後、これをやります。「川と私と石ころたち」。私の趣味が石集めです。産学官連携の図です。
川の上流、中流、下流とあって、河口がある。上流の源流に近いところ、ここで基礎研究をやっていく。中流になると横から支流が交わってきて合流点ができてくる。ここが、産学官連携共同研究です。要するに本流と支流が一緒になって研究を行う。ただ、これが順調に流れて行かない。上流は上流で川幅は狭いし流れも急です。岩にぶつかって弾き飛ばされて、そのまま蒸発してしまうものもあって、なかなか上流だけではものになるのは少ないです。そういう、急流なところを降りてきた水がやがて中流域にくると支流と交わりあって、産学官連携がそこで構成されます。ただ、その川の交わったところによどみができやすいんです。それが産学官連携の一番の課題でもあります。それから下流の方にいくと、そういうよどみはなくなりますが今度は全体としての流れが鈍くなる。なかなか商品化に結びつかない。上流、中流、下流、それぞれの課題なり問題点などを「川」を例にして表現した図です。
石というのは最初から丸い石というのはありません。最初はゴツゴツしています。「大地のかけら」なんです。それが川の中でぶつかりながら、だんだん角が取れて丸くなります。
先日、ある中学校でその話をしました。皆さんも最初から丸い石なんてないのだから、衝突を恐れないで物事をやりなさい。ただしあんまり丸くなりすぎるなよと話しました。

いずれ、今日の資料でお話した管理職の要諦の(6)番以降、これは日頃から常々私自身も心掛けております。「心構え」とは、本当は心を構えてはいけないんです。構えると堅くなってしまいます。
こういう風に考えてください。「心が前」。気持ちを前に出して積極的に対処していくということが必要かと思います。これからもいろいろなところでそういう機会があると思います。管理職の皆さんには、所属職員の人材育成という大きな役割がありますので、よろしくお願いいたしまして私の話を終わります。
ありがとうございました。

平成24年度市政課題研修市長講話(平成24年5月22日)

私の机は両袖で、左側の引き出しが4段あるのですが、下から2段目の引き出しにはさまざまなメモを入れてあります。今日も3つ程持ってきました。いろいろな所で講演を頼まれてお話をさせていただいたときの参考にした資料ですね。あとは、さまざまなもののコピーをとったものがあるのですけれども、それらをうまく組み合わせて話をするのがいつもの私の講演のパターンなんです。
今日は皆さんにあらかじめ資料を配付させていただきました。今ここで詳しい説明は省略しますが、私が市長になる前の平成21年7月17日、この日付で私は県を退職したわけですけれども、そのときに県職員全員に対して掲示板でメッセージを出しました。岩手県職員憲章というものは、私が県庁の総合政策室にいたときに作ったものです。ところが、作った後にフォローがあまりされていないことが気になっておりまして。大体こういうものは、計画もそうですけれども、作ることにエネルギーをかけすぎて、出来上がった段階でほぼ目的達成だと思っている職員が非常に多かった。策定するのにエネルギーが100あるとすれば、作ることに90くらい使ってしまって、残りが10くらいしかない、そういう状況が得てしてある。これはなにも県職員だけではないと思うのです。私たちの身近なところでもそうです。作ることが目的化している、そういうことがちょっと気になっていたものですから、辞めるに際して、憲章の本文が5項目あるのですが、それをこれはこういう趣旨だよということを書いて職員に残してきたものです。この岩手県というところを一関市と置き換えて読んでもらえれば、どちらも同じ公務員で行政サービスに携わる仕事をしているわけですから、共通する部分が多いと思いますので、これから仕事をしていく際の参考にしていただければと思います。当たり前のことしか書いていないのですが、この当たり前のことをやるということがどれだけ難しいことかというのは、皆さんも既に理解なさっていると思いますけれども、当たり前のことをごく当たり前にやっていく、これが1番のベースになるところですので、ぜひ1度目を通していただきたいと思います。
それから、「市長へのひとこと」で今日届いた分が2通。大体1日に3つから4つ来るのですけど、手書きもあれば、メールで来るのもある。私は全部目を通します。秘書室でゴム印をついて私のところに持ってきますので、ゴム印には私の印をつく欄と指示事項という欄があります。この欄には至急調査、要回答、そういうことを書いて指示します。毎日、私は目を通して回答するものはする。時々は東京出張の新幹線の中で、ハガキがいつも私のかばんの中に入っているのですけれども、ご意見をいただいた方に対しては、御礼のハガキを書いて投函することもあります。いずれ、この「市長へのひとこと」に対して回答するということを非常に大事にして、これからもやっていきたいと思っています。
結局、住民とのコミュニケーションというのが1つの大きな課題で、直接言葉を交わすということだけではなくて、こういう「市長へのひとこと」に対する回答、あるいは今度FMあすもが始まって3週間くらい経ちますが、私も隔週で出演することになっています。先日オープニングの日に出て、そして2回目は先週の金曜日夕方6時20分ころですか、その時間はどこにいてもラジオに出演するということでやっていきたいと思っています。いろいろな質問も入ってきているようです。
いずれ、説明責任を果たすということは、自分の担当業務をやっていく上で非常に大事になってきます。説明責任を果たすということは、結局われわれの年度単位でやっている仕事で言えば決算なんです。決算というのは、ただ単に数字合わせをするだけではないのです。市民の代表である議会に対して、今まで自分たちがやってきた仕事を説明し、その承認をもらう。これが決算ですので、説明責任というのは、われわれの仕事ではどういう仕事にも付いてまわります。省略せずにしっかり対応していただく必要があります。直接住民の方と向き合ってコミュニケーションをとりながら説明する場合もあるでしょうし、あるいは報告書とかいろいろな文書、あるいは市の広報、そういうものを発行することによって説明責任を果たすということや、マスコミの取材に答えて、直接市民ではなくマスコミを介して説明責任を果たすということもあるでしょう。
直接市民に向かって「こうこう、こうですよ」という機会というのはそんなに多くはないですよね。ですから直接住民と向き合って話をするという場合の重要性というのは特に留意する必要があります。市民の方々は、毎日同じ人が何回も市役所に来るようなケースは珍しいと思います。本当に必要なときに必要な用件を市役所へ持ってくる。そのたまたま来たときに、職員の応対が悪いとか、気になったことがあると「ひとこと」などでのクレームになってくるのです。私が見ている範囲では、そんなに「ひとこと」に書かれているようなぞんざいな対応はしていないと思っていますし、実際、何度かそういう指摘をいただいて調べても、書かれているような失礼な態度をとっている事実関係もなかった。ただ、受け取る市民の側からすれば、ものすごく急いでいて時間を気にしながら窓口に来るとか、1人1人事情が違うわけですから、ちょっとしたことでも、ものすごく大きな不平不満に結びつくように受け止めてしまう場合もあるのだと思います。ですから、特に窓口を担当している職員には苦労をかけているなと思っています。去年の大震災直後の「り災証明」とか、ものすごく大変だったと思うのですが、そういうときの対応についても、私は一関市役所の職員はものすごく頑張っていたと思っていますし、市民の方々からも良くやっているという声を耳にしております。これからもぜひ自信を持ってやっていただければと思います。
直接市民と向き合って会話をする、コミュニケーションをとるときに注意することが1つあります。それは言葉の果たす役割です。言葉の果たす役割というのが重要なのですが、一方で、実際に特に窓口業務などをなさっている方は実体験としてよく分かると思うのですが、言葉自体はそれほど大きな役割を果たしていないのです。全体の7%しか役割を果たしていない。アメリカの人類言語学者レイ・バードという人がそういうデータを発表している。何が1番大きいかというと、言葉以外の音、イントネーションであるとか、あるいは声の調子であるとか、そういう部分が大きな役割を果たしているといわれています。その学者が言うには、言葉が果たす役割は全体のわずか7%しかないが、声の調子、イントネーションなど言葉以外の音が38%、残り55%は何かというと、表情、しぐさ。ですからコミュニケーションイコール会話と狭く考えていると間違いなのです。われわれは言葉というのに気をとられすぎて、お客さんに対してどういう言葉を使ったらいいかというのを気にする、それももちろん大事なのですが、それ以上にイントネーションであるとか声の調子、さらにそれ以上に表情、しぐさ。そういうものの方が大事だということです。
それで、その言語学者が1日のうち自分たちはどのくらい言葉を発しているのだろうかと、自分の家族とその近所の人を調査してみた。そうすると、1日のうちで人間が言葉を発しているのは10分ないし15分。そんなものかなと思うのですが、調査結果に基づいて言っている。この学者はしきりに、表情、しぐさが大事だということを強調しているのですね。コミュニケーションの場合も、相手が何か言ったらうなずくというのもコミュニケーションの1つです。相手が一生懸命何か言っているのに、黙って不動の状態でいると、この人は本当に理解してくれているのかなと思いますよね。うなずくということはしぐさの1つなのでしょうけれども、コミュニケーションの1つでもあるんですね。
説明をする、「説明責任」といいますけれども、要するに行政の側から市民の側に対して説明をするという場合には、そういう言葉だけでなく声の調子であるとかイントネーションであるとか、さらには表情、しぐさ、そういうところにも意を十分用いなければならない。説明を受けているという市民の側の立場に立って、言葉だけでなく、声の調子、イントネーション、しぐさ、そういうものにも十分気を遣わなければならないということです。

これをまず先に言いたかったのは、これからの行政が市民からの要望に対して、今までのように応えていけるか、ということがあるからです。
これからの社会というのは財政も厳しい。これはもう皆さんもわかっていると思います。一関はまだこれから、ある程度大きな事業はやらなければなりません。それは合併の特例債を使ってやれるのですが、それ以外の部分でまだまだやることがいっぱいあって、その全部をやれるかというと、はっきり申し上げてそれはやれない。一方で市民からの要望はものすごく多様化してきています。限られた財源の中でどういう風にやっていくかとなれば、やはり思い切った事業の見直し、市長の立場で言うと「政策の見直し」、これをやっていかなければならないと思っています。
市長の立場というのは2つあって、一関市という組織体、行政の組織体の長としての市長、皆さんにとっての上司というか、「トップに立つ市長」そういう立場が1つ。あとは「政治家としての立場の市長」。この2面性があります。ですから市長というのは、市役所で皆さんからの書類が上がってくるのを見たり、説明を受けたり、決裁したり、そういう地方自治体の長としての仕事をやっている部分もあるし、あるいは政治家としての動きをする場合もある。私はあまりそっちはやっていないですけれどね。もともと政治家ではないので。いずれそういう2面性もあるわけですけれども、市民の多様化しているニーズを受け止めて聞くことなのです。受け止めてとことんそれを議論して、優先順位がどうなるのかという部分を行政が勝手に決めてはだめなのです。これからは協働によるまちづくりということを柱としてやっていくわけですので、市民の方々に政策を問いかける。この部分が大事なのです。
市長として政策を問いかける。ここ何年かはあまり耳にしなくなったのですが、マニフェストというのがありますね、首長が選挙に臨むにあたって、マニフェストを公表する。どうも私はちょっとしっくりこないところがあってマニフェストを作りませんでしたけど、政策は作った。政策を作ってそれを公表した。それがマニフェストだといえばマニフェストだということになるのですが、マニフェストの場合は、数字を細かく、これを今70だけれども80までもっていく、83までもっていく、そういう具体的な数字を各項目にきちっと書いてそれを公表し、これが自分のマニフェストであるとして選挙戦を戦うようなケースが多いですが、私の場合は各項目について数字を並べるというのはしませんでした。あえて数字をあげたのは雇用対策と高校新卒の新規学卒者の就職希望の新卒者を100%就職させる。無理だとみんなから言われましたが、今年の3月に卒業した高校生は、4月末現在で100%全員就職しました。ということで、その時点で私も一応目標に掲げた数字をクリアしたわけです。なかなか、この100%というのは難しいかなと私も内心は思っていたのですが、今までの事例を詳しく見ていくと、雇用対策の分野というよりは、むしろ社会福祉の方の問題を抱えており、なかなか職業に就くというのが難しいケースがあったんですね。今年はそういう生徒さんも頑張って職業というものを前向きに捉えて職に就いたということであります。いずれ、目標はしっかりと持つことが大事です。

ちょっと話題が広がりますが、皆さんの立場で言えば、自分が所属する組織、職場の目標は何なのかということも大事です。恐らく、組織目標をはっきり掲げているところと、なんとなくみんなわかっているだろうということで明確に1人1人の職員に徹底されていないところもあるのではないかと思います。無理やり「組織目標を掲げるぞ」と言って、ではどうやってそれを決めていくかということになると、いろいろと困難な問題も出てくるわけですけれども、いずれ、自分たち1人1人が、まず自分の所属する職場が市全体の中でどういう位置にあるのか、どういう分野を担っていく仕事をしているのか、そこを自覚して、組織としてこれをしっかりやっていこう、という目標を持つということは非常に大事なことです。この組織目標がしっかりしているか、していないかということはものすごく重大な問題になってきます。
何か問題が起きたときにその組織が強みを発揮できるかどうか、それを乗り越えていけるかどうかは、まさに組織力、組織の底力というのが大事になってくるのですが、組織目標がしっかりしているところは、これは乗り越えていけます。ここは、管理職の課長さんたちの腕の見せ所なのです。課長1人で組織目標を作っても駄目なのです。みんなが共通の認識を持って、その中で自分はどうすればよいかという自覚を持っている職場は強いです。

先ほど、説明する場合の言葉の重要性、そして言葉以上に声の抑揚、イントネーション、それ以上に表情であるとかしぐさ、そういうものが大事だということを話しました。相手、市民から見たら、耳から入ってくる情報よりも、目から入ってくる情報のほうが重要なのです。半分以上が目から入ってくる情報として相手に受け止めてもらえるように努力していかなきゃならない。見た目は大事ですよ。そういうことをいつも考えていて、今年、いろいろなところで講演や挨拶をする場合に、とにかく「笑顔」ということをしきりに今年は言っているのです。「笑顔で過ごしましょう」と。顔は自分だけの顔ですから、今さら自分の顔に不平不満を言っても仕方ないです。ただ、表情は相手に差し上げるものなのです。自分のものではないのです。鏡を見て初めて自分の表情がわかる。表情は相手が見るものですから、相手に差し上げるもの。笑顔というものは相手にすぐに伝わるのです。ですから笑顔でいましょう。
先日、ゲートボールのチャンピオンシリーズが弥栄の元の中学校のゲートボール場であって、300人くらいの方が参加した。ゲートボールをやっているときの皆さんの表情っていいですよね。本当にニコニコしながら、その中に闘争心を秘めて。5人のチームプレイで、接戦になってくると顔がキリッと引き締まって若々しく見えるんですよね。
余談になりますけれども、ゲートボール大会に行ってよく挨拶をするのですが、挨拶が終わって、これから競技が始まるというときに始球式というのがあるんですよ。私はゲートボールを全然やったことがなくて、先日の土曜日が4回目でした。始球式は、ゲートがあるのですが、ボールがそこを通れば審判長が「第1ゲート通過」と言ってほっとするわけですけれども、今までの3回は全部ハズレ。右にいったり左にいったり、実にあらゆるはずし方を経験して、ゲートボール協会の会長に「俺のを貸すから少し練習したらどうだ」と言われました。この日は予定時間より早めに会場に行きまして、本部のテントの後方で練習して、本番の始球式は無事に通過ですね。普通、ゲートは大体30cmくらいの幅なのですが、今回は会長が考慮してくれて、倍の60cm以上1mくらいの大きいゲートを作ってくれていました。それを300人みんなで見ている。すごいプレッシャーですよね。やりながら、たぶん大丈夫だろうなと思いながらも、これを外したらちょっとまずいなと思いながら、何とか真ん中を通過しました。真ん中といってもこんなに広いところの真ん中ですからね。普通のゲートが3つくらい並んでいる幅ですから。
バレーボールもよく始球式があるんですが、私は出たことがありません。副市長に完璧に任せております。東北の高校の女子バレーが総合体育館で22年の春にあったのですが、あのときに私が他の行事があって、副市長に歓迎の挨拶と始球式を頼んだ。そうしたらその行事が意外とあっさりと終わってしまいまして、帰ってきたらまだ開会式が始まる直前だった。私が行けば私が挨拶をして始球式もやることになったのですが、せっかく副市長に頼んだのだからと、2階の観客席の隅の方で目立たないように見ていたのです。挨拶を終え、いよいよ始球式。コートの横で一生懸命ポンポンと練習をしていて本番。アンダーハンドでサーブして、ネットぎりぎりのところで相手コートに。それ以来私はバレーボールの大会といえば、「サーブの名人が行ってきなさい」と。バレーといえば副市長ということになっています。何かあったら話題にしてください。
ソフトボールの始球式も苦手ですね。普通に上から投げるのはいいのですが、下からの始球式というのは、どこに球が飛んでいくかわからないので。他にも地区の運動会。去年も来賓レースで走りました。そういういろいろなこともしながら運動会などに参加していると、その後住民の方々とコミュニケーションをとれる。何か話題が1つできると、どんどんコミュニケーションが深まっていく。ですから、言葉だけではなく相手の目に入っていくような情報発信の仕方、われわれはそのノウハウを身に着けていかなければならないのではないかと思うんです。

一方で住民からいろいろ質問される、あるいはクレームが出てくる。まずこっちでしっかりと受け止めなくてはいけない。相手が言っていることをしっかりと聞く。電話で来る場合もあるでしょうから、相手が言っていることをしっかり耳で聴く。その場合の聞くというのは「聴く」。傾聴の「聴」。気持ちを相手の方に傾けて聞くという意味です。そうではない「聞く」というのは自然に耳に入ってくる状態です。気持ちを傾ける、気持ちを寄せるというのはこっちの「聴く」です。
今まで言ったことをまとめますと、コミュニケーションというのはまず相手の話をしっかり受け止めて、聴く。そしてこちらからの発信は相手の耳だけではなくて、相手から見て目に入ってくる状態で発信する。情報収集、情報発信の場合は若干違う。
笑顔というものはですね、相手に伝染するのです。笑顔が誰かに伝わって、そこからまた誰かにまた伝わっていくのです。作り笑顔という言葉がありますね、作り笑いとか。これもレイ・バードという言語学者がいうところでは、作り笑顔、あるいは作り笑いしたときの顔というのは左右アンバランス。右左が、極端に表情筋がやっぱり違うのでしょう。彼は、表情というのは右脳が司るから右脳から左半身に信号が出されて、したがって意識的に作る笑顔は左側に顕著に出るという研究発表をなさっております。左右アンバランス。表情筋というのは30本前後あるそうです。それがそれぞれ独立した動き方をするので表情がみんな違う。それからこの言語学者は、その表情だけではなくて目、相手を見るということもコミュニケーションの重要な要素だとしきりに言っている。「目は口ほどにものを言う」ということわざがありますが、視線の送り方で、ある程度のコミュニケーションも維持できるということです。私は目についてはあまり詳しくないのでこれ以上のお話はできませんけれども。 

それから、今までの講演の資料を見返して見ますと、これは18年2月に県立大学でのキャリア講座。今でも年に1回だけ県立大学の講座を持っているのですけれど、前は6回持っていました。市長になってから余裕がなくなってしまって、回数を毎年減らして、今本当に最低限の年1回。そのときの資料ですけれども、なぜ今コミュニケーション力が強く求められているのかという話をしました。
日本経団連が調査をした結果があって、若者に何を求めるかという質問に対して、経団連に加盟する全国の経営者が複数回答をしているのですが、コミュニケーション力が第1位で75.1%、次がチャレンジ精神で52%、3番目が主体性、4番目が協調性。この4つが、40%以上の経営者が若者に求める部分です。コミュニケーション力というのがダントツなのですけれども、なぜコミュニケーション力が今強く望まれているかというと、その背景にはやはりビジネス環境の変化などがあります。
今のビジネスというのは極めて短期間に付加価値の高いものを作ってそれをマーケットに出していく、それの連続なのです。それで今の産業が成り立っている。新しい物を作るにあたって、より付加価値の高いものを作らなければならない。これは当然です。それを短期間に作って市場に投入していかなければいけない。これも当然。ということは、その短期間に付加価値のあるものを作るということに際して、1人1人が強みをもち、チームを組んで、そのチーム力で付加価値のあるものを生み出していくという組織になっていく。
ですから、人材の材は新卒者の場合は材料の「材」でいいのです。これがどういうふうに化けるかわからない。財産の「財」になる人もいるだろうし、いるだけで駄目になってしまいそうな犯罪の「罪」を書く人罪というのもあるかもしれない。ですから、新卒者の場合は材料の「材」で構わない。材料として企業のほうは捉える。それを、企業は財産の財に引っ張り上げていく。これが大事になってくるわけですけれども、その極めて短い期間のうちに付加価値のあるものを次から次へと投入していくためには、強みを持った1人1人のスタッフが、チームを組んで協調しながら製品を作っていく。そこには課題発見力であるとか課題解決力であるとか、そういうものも養成されてくるのです。そういうところが非常に大事であります。そういう組織を作っていくためには、やはりそのチームの中でのコミュニケーションというのが不可欠です。だから、今の経営者は、こぞってコミュニケーション力というものを強く求めるわけです。
私が県庁の雇用対策局長だったときに、菜園の映画館通りにあるジョブカフェ岩手というところのセンター長を兼務していて、フリーターの人たちと何回も話をする機会がありました。フリーターの人たちというのはコミュニケーション力がちょっと弱いのです。フリーターの仕事というのは、決められた仕事を繰り返し、繰り返し反復しているケースが多いので、マニュアルにしたがってきちっとやっておけば合格点がもらえるわけです。それの繰り返しですから課題発見力とか課題解決力とかそういうところを自ら訓練する機会にあまり恵まれていない。そこを何とかしてやろうということで、ジョブカフェのようなところが側面から支援しているわけです。そういうコミュニケーション力というのをどれだけ高められるかが、やはりこれからの大きな課題になるのです。これはなにもフリーターだけの問題ではなくて、もう既に職に就いている、たとえば市の職員でも同じことがいえるのではないでしょうか。
さっき言った組織目標が掲げられている組織はなぜ強いかというと、ここは組織目標があるだけではなく、組織の中でコミュニケーションがとられている。そういう組織は、いざとなったら底力が出てくる。ぜひ組織の中でコミュニケーション力というものを強めていってもらえればいいなと思います。
その組織の中でコミュニケーション力を高めるということと関連するのですが、「のりしろ」ってわかりますか。この「のりしろ」を大事にしてください。皆さんの仕事というのは、必ず「のりしろ」が付いていると思ってください。この「のりしろ」の部分が、自分の仕事ではないから誰かがやるだろうと、そういうことをすれば組織としての仕事は成り立たない。必ず自分の仕事には「のりしろ」がある。この「のりしろ」の部分をやってこそ初めて、この1枚の紙が他の人とくっついて大きくなる。それがどんどん広がっていくとやがて立体的になる。6人ののりしろがくっつくと立方体ができますよね。それと同じです。ですから「のりしろ」の部分をしっかりと組織の中で意識し合ってやっていくことが、組織目標を実現する大きな力になるということを意識していただきたいと思うわけです。

最後にお話しますが、前半に、住民のニーズが多様化している一方で財源は非常に厳しい状態にあり、そういった中で思い切った事業の見直し、政策の見直しをやっていなければならないという話をさせていただきました。その場合に、何でもかんでもやれない時代ですから、やはり住民に対してしっかり説明責任を果たしていくことが大事ですが、その説明をする場合に言葉だけ、相手の耳に入る情報だけで説明しようと思ってもこれは無理です。やはり相手の目に入っていくような情報の出し方、広い意味での説明手段、そういうものが必要となってきますよということ。そうして、はじめて住民の方々とのコミュニケーションがとれる。ここまでしっかりやれば、必ず理解してもらえます。その意識をぜひ強く持っていただきたい。
そして今、一関は、放射能問題、原発事故の問題で次から次へと自粛対象品目が増えてきております。風評被害、これがなかなか抜けないのですよ。安全なものしか出していないということを言っても、そう簡単に風評被害は消えない。私も先月、東京品川の家畜市場での枝肉のセリに行ってきました。値段が戻っていないんです。今までであれば、上物はキロ当たり3,000円いったのですが、お願いして頑張ってもらっても、一番高い値がついたものが2,400円。それでも頑張った方だと思います。福島の牛は最初のスタートの値段からして違うのです。気の毒です。福島に比べればまだいいのですが、それでも一関の場合、シイタケ農家はですね、作っても出荷できないことをわかっていながら作らなければいけない。そうでないと賠償金が入らない。生産して初めてそれが賠償の対象になるのですから。市場に出せないとわかっていても生産しなければ駄目なんです。そういう生産農家の気持ちを考えたら、これはちょっと辛いです。仮にその安全性が認められて市場に出せるようになったとしてもなかなか買い手がつかないでしょう。風評被害というのは、買う方の気持ち、受け止め方です。そういうものが根底にありますから、なかなか消えにくいんです。極めて情緒的です。これから厳しい状況がずっと続きます。正面から向き合って、なんとか乗り越えていかなければ駄目なんです。市としてもやはり、生産農家の立場というものをしっかりと理解して、自分たちの問題として受け止めて、これからいろんな場面でそれをみんなで解決する方法を考えていかなければならないと思っています。是非、そういう面でもそれぞれの組織の力を付けていただきたい。
そういうことをお話させていただいて私の話とさせていただきます。
どうもご清聴ありがとうございました。

平成23年度管理職研修市長講話(平成24年1月16日)

年に一回、この管理職研修があるわけですが、今日のテーマでまず話そうと思っていたのは、報告する場合のまとめ方、要約の仕方です。
私のところには、毎日、決裁、その他業務報告とか、さまざまな資料が上がってきます。人それぞれ個性があっていいのだけれども、これだったらA4用紙1枚で充分要約できるのに6~7枚の報告が上がってきて、結局その中のどこが大事なのかわからないといったことがあり、限られた時間の中で次から次へと書類を見ていかなければならない私の立場にしたら、もうちょっとまとめてもらった方が良いというものが沢山あります。
そういうのを組織として全体でやって行くためには、課長さん方のところでしっかり職員の指導をやっていかないと、いつまでも直っていかないのかなと思っています。私は、今まで少なくとも皆さんよりは長く公務員をやっていますから、今まで私が心掛けてきた事、先輩方から怒られながらも叩き込まれてきた事、その事についてお話ししたいと思います。 
その他に、報告する際の説明の仕方、かっこいい言い方をすれば、プレゼンテーションということになるのでしょうけど、パワーポイントを使って説明するとかそういうものでなくて、日常の業務の中で説明を求められた場合のポイントとか、報告あるいは説明、これを効果的にやることによって仕事がすごくはかどりますので、その辺りを中心に話をさせてもらえればと思います。

私の手帳にはほとんど隙間がない。左側が日程表、右側はメモ欄で、終わったのは赤で消して行く。そうすると、やらないのは何かが全部分かる。どこを開いてもこんな感じ、ほとんど余白無しです。
私はメモ魔でして、書かないとダメなんですよ。いろいろなものに書くと、どこにしまったか分からなくなるので全部手帳に書く。この中に書いてある、どこか探せば出てくる。その安心感もある。これが30冊以上あります。だから県庁に入って本当に間もない頃から手帳はつけています。でも、今はつけていません。日程管理が自分でできなくなってきていますから。今日の日程だけでも、項目で13~14あるはずです。
その日の日程は頭に入っているのだけれども、明日の日程はどうだと言われると分からない。今、日程の方は全部秘書に任せておいて、私はそれが固まってからアイパッド(iPad)で管理している。アイパッドや携帯でスケジュール管理もできるのですけれども、一覧性がないんですよね。その日の予定はちゃんと正確に出てくるけれども、ぱっと開いて見るということができない。
県庁にいた時は、知事の所に行く時にいちいち書類を抱えて出たり入ったりするのは格好悪いものですから、手帳1つだけ持っていって、その中で説明したりする。なるべく担当の部を呼ぶとかしないで、出来る限り私の所で知事からの質問に答えられるようにしてある。
それから、「何々について提出」というのは、例えば、項目があったとしても、それについてその全てを知っていなければならないというわけではない。例えば、今だったらTPPという問題がある。あの資料を担当部でまとめるのであれば、多くは「そもそもTPPとは何か」と、定義から入ってくるんですね。でも、そういう定義付けから入っていく必要は全くないのです。今、問題になっているのは何なのかということです。そこから、核心から入っていいのです。
面白いと言ったら失礼になりますが、私の所に上がってくる書類を見ていても、非常に丁寧な、至れり尽くせりの資料が上がってくるケースがあります。どこに行ったら核心の部分に行くのかなと思っていると、一番最後の方になってようやく出てくる。と思うと、2~3行書いて終わり。
的を射た資料の作り方にもつながって行く問題ですから、物事の要約の仕方、まとめ方イコール報告の仕方にもつながると思います。
まずは、全般にわたって概略を広く平面的に説明するような資料は作らなくていいと思います。報告を求めている背景を良く考えてみることが大事だと思います。報告を求めているのは結局、「これについてこの部分が分からないから、ちょっと教えてくれないか」というのが一番多いんですよ、部分的なものが。全体の体系付けから始まって、その沿革とか、そういうのは日常の報告の中にどんどん入って来ますから、そういう報告は考えておかなくていいわけです。
挨拶文なんかもそうです。私は基本的に挨拶の時はメモを読みません。けれども、メモはもらいます。なぜかというと、私の挨拶の要旨を書いてもらうことが、担当者にとってはすごく勉強になることが多い。ですから、皆さんは、もし、市長挨拶の要旨をまとめなければいけない時は自らまとめるのではなく、なるべく、若い職員にやらせてください。そうすると、その会議がどういう位置付けの会議なのかが分かってくるものですから。なるべく、職員の職場研修の一環としてやらせるのが一番いいかと思います。
いろいろ回ってきます。箇条書きで3つか4つで書いてくるものもあるし、私は口語体で書いてもらう必要は全くないと思っています。

今日の話の結論から先に言いますと、物事とは3つにまとめることができます。
2つでは少ない、4つでは多い。だから3つなんです。
「これ」と「あれ」と「その他」。この3つです。3つの中で重要なのは「これ」と「あれ」。「あれ」と「これ」。この2つです。「その他」、これはまさに、担当の人が思っていることを1つそこに入れ込む。そういうまとめ方が一番いいのかなと思います。
それで、なぜ3つかというと、3つという言葉、3という数字、これは結構面白いです。昔話によくある「昔々、おじいさんとおばあさんがいました」。要するに、「あれ」と「これ」、「これ」と「あれ」、“誰と誰”、“1と2”。それで済んだんですね、昔は。これとあれ、要するに1と2と言う数字があって、3以降はその他、沢山と言う意味なんです。その後、文明が発達してきて3、4、5、6、7と、どんどん数字が出来てきた。私はそう理解している。ですから、最初は「これ」と「あれ」、そしてその他沢山。3という数字はその他沢山という概念の中の最初の数字だったのではないかと思います。
3という数字が持っている意味は結構面白いです。少なすぎることもなく、多すぎることもないちょうど良いポジションです。中国にも、「3人の人間がいればそこに政治が必要になってくる」ということわざがあるんですよ。3人いればそこに政治が必要になってくる。政治が必要だと言うことは結局、社会の成り立ちが、人が3人いればそこに当然必要になってくるというふうになります。
3という数字でどんなのを思い出しますか。物事の分かれ目、分岐点だと私は思います。
「仏の顔も三度まで」というのがありますよね。3回までは許されるけれども、4回目はもう仏様は許してくれない。これは分岐点ですよ。許されるか、許されないかの。
あとは、「石の上にも三年」。例えば、今の若い人達が就職して3年以内に半分辞めてしまう。早期退職、早期離職。3年経験しないで辞めてしまうから、キャリアにはならない。再就職しようと思っても、面接試験で「何で前の所を2年で辞めたの」と聞かれてしまう。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもありますね。
固定電話の通話料金、基本料金が3分なんですよ。公衆電話も3分10円です。今、公衆電話も少ない。どこにあるのかもあまり目につかない社会になってきたのですが、人と話をするのにちょうどいい時間が3分なんです。ですから、「話は3分でまとめる」と接遇研修などで言われることがあるんですが、3分と言うのが1つの目安です。接遇研修では、電話の呼び出し音が何回までは相手に対して失礼に当たらないかということもよく話題になりますが、これは3回までです。呼び出し音が3回以上鳴ってから出た時は、謝ってから話を進めなければいけない。
それから、砂時計、一番売れているのが、3分計です。ですから、3分と言うのは理屈があるのかなぁと感じます。
ベスト3と言うけれども、ベスト2とは言わないです。
御四家とは言わず御三家。あとは三大祭り。ずーっと三大祭りだったんですよ、全国どこでも。それが五大祭り、六大祭りと、だんだん日本列島が全部、金太郎飴的になっていって数字が増えてきています。
それから、よく新聞なんかでは「上・中・下」という特集の組み方をします。新聞社は3回に分けて1つのテーマで特集を組むのが基本なんです。2回の時も目にしますが、基本は3回です。
ですから、私はその概念的な意味での複数の始まりと言うのが3だと思います。  
例えば、シンポジウムで皆さんもそのうちコーディネーターをやる立場になるかもしれませんが、その時の心構えは、3分話法なんです。1人だけに長くしゃべらせず、3分、3分で切って行く。素晴らしいコーディネーターだと言われます。
あとは、話の3要素。これはあまり聞かないかもしれませんが、話をする場合の要素は、「手短であること」「多岐にわたること」、「核心に触れること」この3つなんです。1つ1つ見ていくと矛盾している感じがしますけれども、話というのはそれだけ難しい。ですから、多様な、多岐に渡る話題を持っている必要がある。その中で手短に核心に迫るような話をすれば、その人の話はすごく印象に残るということになります。議会の答弁も、そういう答弁を心掛ければいいのですが、質疑のやり取りになるとなかなか難しい。
私がよく使う手は、「課題は3つあります。」と、最初に「3つ」と言ってしまうことなのですが、これは県庁時代に大失敗したことがあるんです。課題は3つありますと言ってから、どうしても2つしか思い出せない。3つ目をどうしようかと思って、結局1つ目に言ったことを、言葉を変えてしゃべった。質問した人は分かったような分からないような感じで、さらに追求はなかったのですが、聞いている人はいるんですね。休憩時間になってから、議員に「さっきごまかしただろう」と言われました。
でも、「課題は3つあります」と最初にしゃべってから話し出すと言うのは、非常に私は良い方法だなと思って、今でも時々使っております。最初に3つですと言ってしまえば、相手が頭に入りやすいんですよ。「3つだ。1・2・3」。相手の頭に入っていきやすい、納得感を得られやすい。それからもう1つ、記憶に残りやすい。そういう、納得感を得られやすくて記憶に残りやすいというのは、結局相手が自分の話を本当に耳を傾けて聞いてくれる、傾聴して頂けることに繋がります。
逆に、「課題は1つです」と言ってしまうと、非常にシンプルに絞り込んだように見えるのですが、これは余り使うべきではない。なぜかと言うと、「1つだけか、あとないのか」と思われます。「本当にそれだけか」と言うふうに。
ですから、これとあれとその他。1つ目2つ目3つ目のうちどこに重点を置くかはそれぞれの人の好みでいいですよ。最後の3つ目に一番大事なところを持ってきて説明したり、最初から一番大事なところを持ってきたり。これは、話す人の一番話しやすい形にすればいいのだろうと思います。
いずれ、そういうふうにして、3つと言うものがいろいろな面で非常に重要な数字になってきます。報告する場合、話をする場合、自分で何かをまとめようとする場合なんかも特にそうです。
何もないところでこれをまとめよう、要点を絞り込んでいこうとする時に最初から3つにまとめるんだという頭で入っていけばまとめやすいんです。それが何もない状態で、これを要約しようと思ってもなかなか難しい。
ですから、私の場合は3つに絞り込んで行く。そこからスタートでやっているわけです。したがって、その3つであればA4版1枚にまとまるはずです。前は、B5版でしたよね、今、B5版の書類を見ると、こんなに小さいものに書いていたのかと思います。B5版の倍のB4サイズ、私の上司にはあれが限度でした。それを超えると怒られた。A4になったらB4よりもさらにスペースが小さくなる。これ1枚にいかにしてまとめるかと言うのが、ポイントかと思います。
今年度、初めて課長さん達に、職場の課題などについてレポートを出してもらいました。
A4で1枚と言うのが基本で、8割方の人はちゃんと1枚にまとめて書いていただいたのですが、多い人もいましたよ。一番多い人で13枚。よく頑張って書いたと思います。ただ、求めているものが全然違うんです。A4版1枚にまとめてもらいたくて、敢えてそういう課題にしたんですが、書いているうちに熱が入ったんでしょう。13枚にわたって書いて、一番最後の行に「長くなってしまって申し訳ございませんでした」と。
A4版1枚にまとめるのは基本です。一番参考になるのは、報道機関に投げ込み、資料提供するプレスリリース。大分中身が良くなってきていて、今日の投げ込みは非常に良い資料でした。1枚あって、その下に別紙でチラシを付けていたんですが、非常に分かりやすい。あれだったら、マスコミも書いてくれるだろう。最終的に読者、あるいは視聴者がそれを見て、「行ってみようかな」という気持ちになるかどうかですから、そういう気にさせるような資料を作るのが必要なんです。

これからの職場での研修、そういう時に活用してもらえればいいのですが、仕事が上達して行くプロセスはこういうプロセスだそうです。
まず、知る、そして分かる、理解する、それを実行する。やり続ける、そしてやり続ける。ここで一番大事なのは、「やり続ける」。自分自身もそうでなければならないし、職員に対して指導する場合も、職員がやり続けられるような環境を作ってあげる。
知る、分かる、理解する、ここは、デジタルで身に付けられますよね。しかしながら、後の方はアナログでなければ絶対ダメ。いくらデジタル世界になったといっても、実行する、それをやり続ける、そして教える。ここはアナログの世界です。「実行する」から「やり続ける」までのここの部分が非常に大事で、まさに職場そのものです。そして、ここで一番大事なのは失敗を恐れないということです。「間違えたらどうしよう」とか、「失敗しそうだ」とちゅうちょしてしまうことがよくあるんですが、失敗を恐れないでやる。
私が、よく若い頃に言われたのが、「失敗を恐れるな。どうせ最初は皆、下手なんだから」。よく、怒られた時に、「下手くそ」と、怒られます。言葉があまり上品ではないのですが、「下手くそ」と、怒られた時に、「やけくそ」になるか、「何くそ」になるかです。「何くそ」にならなければならないんですね。「やけくそ」になってしまっては駄目です。
これからも、これまでもそうでしたが、職場における人材育成の本当にど真ん中です。いろいろな面に捉えればいいんです。
部下職員に率先垂範して上司がやり続ける、その背中を見せて行く。自分自身がそういう前提で考えてもらってもいいし、対部下職員という見方をしてもいいし、部下職員に対してやり続けるように背中を押してあげる。
やり続けると言うのが、現場そのものになります。
本で歌舞伎役者との対談を読んだことがあるんですけれども、その中で、歌舞伎役者が「稽古を1日休めば、休んだことによって体の「キレ」が劣っていくのが自分で分かる。2日休めば演じる時の相手方に分かってしまう。そうして3日休めば観客に分かってしまう」という話をしていたのが非常に印象深く、今でも覚えています。結局、やり続けている時にこういうところが非常に大事になってくるんだろうと思います。
何となくいい環境、いい環境というか、例えばクレームも何も出て来ない。前はクレームが沢山あったのだけれども、最近はこなくなった。そういう本当に平穏な環境が続くと、人間はちょっと脇が緩むんです。安心してしまうんですね。そうすると先程の歌舞伎役者が言っているようなことにつながっていきますので、やり続けるというところがしっかりしていないと仕事が上達しない。仕事のプロになれない。ここで一番の大敵はやっぱり、「安心感」なんですね。仕事をしていく上で自分の担当している仕事に安心感を持ってしまっては駄目だということなんです。
特に今の若い世代の人達は、周りと同じ行動をとることよって安心する傾向があります。「誰々さんがフリーターで、自分の希望する仕事が見つかるまではフリーターをやるって言っているから、自分もフリーターでいいや」。友達と同じ行動をとる事によって安心してしまうという部分が今の若い人達に目立ちます。
この安心感と言うのは、非常に厄介なものですね。私は物事が失敗する始まりが、「安心」という言葉だと思います。決して安心しては駄目なんです。
やり続ける。やり続けるということについて、日本航空の再建に大役を果たした稲盛和夫さんの専売特許。“考えろ考えろ”、“続けろ続けろ”。稲盛さんがやり続けろと言う場合、「考動力」という字を書く。考えながら動けということを盛んに言われるわけであります。

あともう1つ。今までは、紙に書いて3点にまとめるとかA4にまとめるとか、紙のことについて言いました。今度は、報告をする、説明をするという場合ですが、その時に大事になってくるのは、それをベースに話で説明しなければならないということです。
要点は3つあります。課題は3つあります。そしてまず1つ目はこれです。口で説明しなければならないのですが、その時の言葉の果たす役割、これにもやはり注意していく必要があるんじゃないだろうかと思います。これはですね、どこかでメモを取ったのを手帳に書いてあったのを写たのですが、言葉の果たす役割、これは全体の7%でしかないのだそうです。声の調子あるいはイントネーションは38%。表情とか態度が55%。正直、ものすごく意外だったので、書き留めたメモなんです。言葉というのはもっと多いだろうと思っていたんです。情報を伝える時、受け取る方からすれば、耳に入ってくる情報より、目に入ってくる情報の方が大きいんですね。表情とか態度は目に入ってくる情報ですよね。説明というのは相手の耳にさえ入ればいいと思ってやったのでは駄目だということなんですね。相手の視覚にも訴えていかなければならない。
ですから、説明のペーパーの掲載も、ある程度、目に訴える部分も考慮しなければならない。
市長がこの前の研修でA4版1枚にまとめると言っていたので、字を小さくしてびっしりと書いて、4~5枚分を1枚にまとめても何のメリットも無い。読みやすい、ある程度見た目がいい、そういうところも考慮していかないと説明とか報告というのは、損をしてしまう場合が出てくるかも知れない。

最近、いろいろな表情について話をする機会が多いんです。最初は、婦人団体連絡協議会の講演会のときでした。
顔に表情筋というのがあるそうです。32本あって、その表情筋が皆、全員違う。この表情筋を鍛えなければ駄目ですよという話。表情筋を鍛えなければ顔が弛んでシワが多くなる。32本あると言うのは私が勝手に考えた。右側に16本あるわけですよ、表情筋が。左側にも同じように16本ある。16本と16本、このまま放っておくと、シワになりますよ。
4×8=32。
このシャレを言いたいが為にこれを考えたのですが、時間を掛けて考えたわりには、あまりうけなかった。表情筋が30本前後と言うのは事実なんです。だから、私は敢えて32本にしてシワと結びつけたんですが、これを鍛えることによって若々しい表情が保てるというのも事実です。この表情というのもやっぱり、大事な要素なのだと思います。
市長室に書類を持って来た人が説明する時というのは、緊張するのか、いきなり説明に入るんですね。余裕を持ってきてもらうために、一呼吸置いてからやってもらえるとこっちもいいですね。こっちもその時、その場で何だかんだ言うと、若い職員だと緊張してしまうからかもしれませんが。今年のテーマは何せ、「笑顔」ですからね。
表情というのは相手にそのまま伝わりますから、これからの行政サービスの場合は非常に大事だと思います。窓口業務だけでなくて、相手が見えない電話対応の場合もそうです。受話器の向こうには相手がこっちを真正面から見て、受話器を持っていると、そういう想像の下に受話器をとらなければ駄目なんだそうですけれども、いずれ、表情がそのまま声に影響します。声が変わるそうなんです。表情にも十分注意をしていくということなんですね。

いずれ、報告する場合は要点を絞って、それは人それぞれあるんでしょうけれども、私がこれまでの公務員生活でさまざまな人達に教えられてきたことを総合的にまとめると、やはり、3つに要約するのが一番合理的だと思います。3という数字が持っている不思議な重要性は前半で紹介した通りであります。
3つにまとめるとしてA4版にまとめるのが一番、見た目にもいいだろう。
情報を伝える場合は言葉だけではなくて、見た目にも相手に訴える力のある物、評価の高い形に受け入れられるような資料を用意すべきだろう。
さらにその場合、相手の目に訴える必要もあるので、資料だけでなくそれを説明する時には表情筋を考えていかなくては駄目です。これをまず、管理職、なかなか「おしょしい」ものでしょうけれど、やっぱり管理職はいろいろなもので率先していかなければ駄目ですから、自ら笑顔を作って。部下の前でいきなり今までムスッとしていた人が笑顔になると、「うちの課長何かあったのか」と思われるので、その辺は自然体で臨んで、部下諸君を指導していただければと思います。
いずれ、課長職とは、仕事の半分以上は人材育成ですから。良い部下職員をどんどんつくっていくのが、大きな仕事の一つでもありますので、どうか、そのことを頭に置いてこれからの職場での職員指導に心掛けていただければと思います。
ありがとうございました。

平成23年度市政課題研修市長講話(平成23年5月24日)

皆さん、こんにちは。1時間おつきあいをいただきます。
お昼時間に、今日は何を話そうかと考えて、1枚のメモを書いて持ってきたのですが、いつもこんな調子なんですよ、実は。
いろいろな会合に行って、挨拶をと、担当の課から原稿がくるのですが、箇条書きにこれだけは絶対触れてください、あとは市長が自由にお話しくださいというのはいいですね。これから皆さんも挨拶メモを用意するときは、最低限絶対ここを、という部分を書いていただきたい。そうしないと、実際にそれを話す私の方も、聞いている人たちにも伝わらない。
このことは挨拶だけでなく、行政の施策を、戦略性を持って展開していくときも同じなんです。あれもやりたいこれもやりたい。やりたいことはいっぱいある。確かにそのとおり。ニーズが多様化しているからいろいろな要望が地域からでてくる。全部応えていたのでは、とてもじゃないけれど予算も足りなくなる。どういうふうに戦略性をもっていくかというと、やっぱり省いていくしかない。戦略というのは省く、これは「他と戦うために自らを略す」ということ。戦うために自らのやるべきことを略す。言葉を代えれば絞り込む。今やるべきことを「ぎゅっと絞る」ことによってピントも合って、的外れなことがなくなってくる。
そういうあたりを前提として意識を強く持っていただいた上で、この頃私は、どこへ行ってもこの話をしているのですが、東日本大震災について、今日は、市の職員である皆さんを対象とした話になりますので、行政の役割的な部分も含めて、この大震災を見ていこうと思います。

被災者に対する支援をどういうふうにしていったらいいかというものすごく大きい問題ですけれども、私は4つのくくりがあると思っています。

1つ目は「避難・救助・捜索」という場面です。
地震が起きた、津波が来るぞ、避難しろ。避難、逃げ遅れた人を救助する。それでも行方がわからなくなった人を捜索する。そういう初期の状態、これが第1ステージです。このステージにおいて大きな役割を担うのが、警察とか消防団の方々。本当に、わが身の危険も省みず救助にあたるわけです。陸前高田の場合も、消防団の方が市民を救助しようと避難誘導している時に最後になってしまい、十数名の団員が命を落とされている。陸前高田の消防団、私も実際に行って話を伺いましたけれども、行方不明となった仲間は自分たちの手で探すんだ、言葉は悪いけれどもよそから来てあまりかき回してほしくない、ということを言われるわけです。それで、彼らはプレハブの物置の中で毛布にくるまって寝ながら毎日捜索活動、夜明けと同時に出て行って、暗くなるまで仲間を探している。気仙沼だったら室根の消防団、陸前高田なら大東の消防団の方々には、すぐにでも駆けつけたいという気持ちがいっぱいあったと思うんです。一関が合併する前は、大東町消防団、室根村消防団の方々は、隣町だから何かあるとすぐ飛んで行っていたと思うんです。それがやはり大きなくくりになって、1つの統制の下に行動しなければ駄目ですから、相手からの出動要請がなければ出られない。そういう事情もあって、消防団の方々には、自分たちの気持ちをどこにも発揮できない面が非常にあったと思うんですね。
それでも、10日、2週間くらい経ってから、気仙沼の方でぜひ消防団の出動をお願いしたいと要請がありましたので、室根、千厩を中心にして消防団の方々に出動していただきました。これは夜間の警ら活動です。幸いにも津波や火災を免れて家は残ったけれども電気がつかない、水もこない。そういう家の方々は避難所に避難しているわけですが、夜、盗難事件が相次いだために、気仙沼の消防団だけでは足りないのでぜひ頼むということで出動命令を出し、2週間行っていただきました。
初期の避難・救助・捜索というこのステージでは、避難、これは消防とか警察という専門的で高度なノウハウを持った方々に依存する部分が多いかと思います。救助、捜索もそうです。行政が手を差し伸べる場面は、初期の段階ではなかなかないんです。
しかしながら、避難所をどうつくるか、どこどこの公民館を避難所にしよう、ありったけの毛布をかき集めよう、そういうのは、まず行政がやる仕事なんです。そういうところが行政の役割の1つでもある。そして、避難してきた方々、今回の場合、例えば陸前高田の方々は下矢作の方までずぶ濡れの着のみ着のままの状態で避難されて、ガタガタ震えている。雪も降るような時期でした。毛布はというと、避難先の公民館だか集会所には1枚もなく、座布団しかない、そういう状態です。それで大東支所から急きょマイクロバスを差し向けて、それにお年寄りの方々を中心に大原公民館までお連れしてお風呂に入れる、そういうところをやったわけです。
それから、もっと大変だったのは、人工透析患者がいらっしゃったんですね。この方々は、定期的に透析をやらないと大変なことになるんです。その方々も例えば気仙沼から千厩病院の方にお連れして、そこで透析を施した。そういう場面では、県境なんて関係ないですよ。1番近いところ、やれるところが、すぐ飛んで行ってやらないと駄目だなと思っていますし、もともと、気仙沼あるいは陸前高田と一関とはそういう昔からの関係がありますから、今回の震災についても本当に県境を気にしないでやってこられたと思っています。
まず、この避難所の開設、それからそこでの医療、健康問題。第1ステージでは、この分野で行政が精一杯の機能を発揮しなければならないだろうと思います。

それから、次の段階に進みますと、避難所生活ですね。
すぐ家に戻れればいいけれども、停電、断水が続いている、もっとひどくなると陸前高田のように市街地が全滅する。自宅のかけらも残っていない。そういう精神的にもかなり参った状態で避難所生活を送らなければならない。そういう方々が、例えば中学校、陸前高田の高田一中には、今でもまだ何百人もいるんですよ。もう2か月以上経っていますね。私は1か月ちょっとで精神的に限界なんだと思います。ちょうど1か月経った頃に、陸前高田から気仙沼の避難所を一通り視察してきたのですが、避難所のボランティアスタッフに話を聞くと、やっぱり1か月を過ぎたあたりから口論が多くなる。些細なことで、もめごとが起きるようになる。精神的にも目一杯の状態になってきているんですよね。そういう状態の時にその避難所生活を、快適にとまではいえなくても、少しでも過ごしやすくするためにはどういうことを支援していったらいいかと。
もちろん支援物資、物を届けるということも必要です。避難所にいる方々は、自分で物を調達してそれを食べるというところまでいっていないわけですから、支援物資に頼っているわけです。その支援物資が、集まる避難所にはいっぱい集まって、いかないところには全くいかないという現象が起きたんです。高田一中にはいっぱい集まって、病院も中に設置されていましたし、郵便局も売店も床屋も、それから、マッサージも。そういう状況の避難所でした。そして、報道機関が被災地の取材をしてそれを全国に流すときは、いつも高田一中しか映像が映ってこない。国から、例えば内閣府とか国土交通省の担当官が調査に来ると、高田一中の避難所を視察して、立派な避難所ですねと言って帰っていく。一方で、その頃に1個のおにぎりを分けて2人で食べている避難所もあるわけです。物が届かないんです。特にリアス式海岸ですから、半島の唐桑の先の方とかね。私が1か月経った頃に行った時も、ようやくパン以外の食糧がくるようになったと、そういう話をしているんですよ。ですから、避難所によって、物が豊富に揃っている所と、食べるものには何とかありつけるけれども選べない、そういう避難所もあったのも事実です。
それから、毛布が足りないということになると、毛布が集まってくるのですが、タイムラグがある。集まってくる頃には、毛布だけが集中的に送られてくる。今、室根の体育館に行ってみると、中が全部毛布です。高く積んでいるんですよ。アリーナの部分が全部毛布で埋め尽くされている。それで、ここを何とかしたいなと思っているんですよね。室根の体育館は、沿岸への救援物資をある程度全部受けて、室根で止めてピストン、あとは気仙沼から必要な時に必要なものを取りに来てもらうという中継基地にするはずだったんです。気仙沼市内に車が入るととんでもない渋滞になりますから。ところが、救援物資として入ってくるのが全部毛布なんです。そのうち、もう毛布は十分ということになってもどんどん送られてくる。このあたり、まあ後ほどボランティア活動という部分でも若干触れたいと思うんですが、そこをどう調整していったらいいのかというのは今後の大きな課題です。室根体育館がこれ以上入らないというところまで毛布がきたんです。気仙沼に届けてくれときた毛布ですから、気仙沼さんのご了解をいただいて、一関の各支所の倉庫にも分けた。それでも毛布がまだ入ってくる。
それから、避難所生活では、学校の体育館のような大きい所で、何百人の方々がプライバシーがない状態での生活を送られるわけです。私がちょうど避難所の視察に行った時に、避難者同士で若干言い争いになっていたような光景を目にした。子どもの走り回るのがうるさいということでの口論でした。1か月経った時点で、今頃こういう話が出てくるのかと思ったのですが、やはり、精神的に参ってくるとささいなことが気になるのでしょうね。体育館は響くんですよね。寝ている人にとってみれば、足音というのもかなり頭に響いてくると思うんです。そうしたささいなことでの言い争いが非常に多くなってくる。そういう避難所のプライバシーの問題。
それから避難している方の身内の安否確認、そういうところも行政が支援して行かなければだめだと思います。
さらには健康管理。着のみ着のままで避難されていますから、薬も何も持ってきていない。これも一関では、保健師さんと栄養士さんと事務方と3人一組でチームをつくって、毎日、陸前高田の方に出かけて行って、市民の方1人1人の健康相談にのって、健康チェックをしている。
陸前高田は、約70人の市の職員が津波の犠牲になりました。公用車も残ったのはたった3台。今何が1番必要か市長に聞いたら、とりあえず車がないと動けない、ということで、「分かった、中古になるけれどもかき集めて持って行く」ということで、平泉から1台、一関から7台、合計8台持って行ったんです。市長からは非常に感謝されました。「ところで、市長さんの車は」と聞くと、「私の乗る車はもうない」とのことで、あまりにも気の毒だと思って、私が乗っていった車も置いてきました。
それから、その避難所生活が2か月半になろうとしていますけれども、今度はそこからいかに脱出させるか、これが次のステージの大きい課題です。
今も何百人、何千人という方が岩手県内で避難所生活をしています。そこから仮設住宅に移っていただく。計画通り順調に進めば、今頃は全員仮設住宅に入っているはずでした。ところが、なかなか建設が思いうようにいかない。いろいろ調べてみたのですが、さまざまなところにちょっとずつ問題があり、それが大きな問題となってなかなか進まないということになっている。
まず、計画は作ったものの、そこの場所に建てる仮設住宅の戸数が計画よりも少ない。計画に合わないからもう1回計画の作り直し、と時間がかかっている。今度はすぐにでも造れるんだけれども材料が集まらない。資材がなかなか入手できない状態になっている。あるいは、市の方で市民の方々の意見を聞きながらどこに仮設住宅を造ったらいいのかを市として決め、その計画を作って県に申請し、県が設置するんですが、気仙沼の場合はなかなか仮設住宅を造る平坦地がない。気仙沼の市長には、真っ先に室根にきてもいいですよと話した。折壁小学校が統合で廃校になって、昨年度で校舎も体育館も全部解体して広い用地が今あるんです。あそこであれば気仙沼の中心部から車で15分ないし20分です。こういう場所があってだいたい150~200戸は仮設住宅の建設が大丈夫だからいつでもいいですよと話をしている。しかし、未だに実現していない。なぜかというと、市民の方々が今まで住んでいた所の近くを希望している。自分たちは、ずっと昔から海を見て生活をしてきたのでそこから離れたくない。けれども新学期も始まる。学校なんですよね、避難所の多くは。子供たちの教育の場を自分たちがいつまでも使っていていいんだろうか、そういう葛藤も大分あったようです。気仙沼の本吉の小泉地区の方々は、室根の津谷川小学校に二次避難していただいた。それまでは小泉中学校の体育館に避難していたということで、津谷川小学校もまた体育館では気の毒だろうと思い、教室を開放したんです。そうしたら、小泉地区の区長さんが、将来必ずみんな揃って前に住んでいた小泉地区へ戻るんだ、だから、避難所でも地域のコミュニティは大事に守っていかなきゃならない、そういうお考えで、教室に誰と誰を入れるというのを、機械的にではなくて、小泉地区で住んでいた時の向こう三軒両隣という感じのくくりで、本当に近い隣近所で教室に入るという工夫までしていただいた。あとは、今度の震災でひとり暮らしになったお年寄りの方々が相当います。今まではお年寄りのご夫婦で暮らしていたのが、旦那さんか奥さんかどちらかが犠牲になり、1人だけになってしまった。そういう方々がお気の毒なんですよ。精神的にもかなり滅入っていますし。そうしたお年寄りは、もう1つ津谷川小学校の近くに集会施設があって大広間があるんですが、そこで一緒に生活していただいて、避難所で少しでも心和らげるような生活ができるような支援をしていく、これも行政の大きな役割だと思っています。

次は3つ目のステージ、いよいよ仮設住宅への入居という部分に入っていきます。これは、簡単にいうと自立に向けた第一歩、今までは支援救援物資で与えられたものを食べていたのが、仮設住宅に入ると自分で作って食べるという、自立に向けての第一歩、要するに「かまど」を持つということ。学校の体育館での避難生活では、いつまでたっても「かまど」は持てません。「かまど」を持って自分の食べるものは自分で料理して食べるということをやらないと、なかなか自立に向けて動き出せません。
今、仮設住宅、学校の校庭などへ造っているのだけが仮設住宅ではないんですね。国の運用でみなし仮設住宅というのを認めていただきまして、民間の借り上げアパート、これも仮設住宅扱いされています。それで、今どれくらいの方が一関市内におられるかというとですね、雇用促進住宅が200名、民間のアパートが230名。それから、これは県がやっている事業ですけれども、かみくら、端泉閣、かんぽの宿に全部で64名の方が避難しています。それから津谷川小学校のようなところに二次避難してきた方、全部で580名が仮設住宅といわれるところにおられます。このうち気仙沼の市民の方が350名、半分以上気仙沼なんです。陸前高田が135名、あとは、南三陸町であるとか、もちろん一関市内の方もおります。赤荻の被害で家屋が全壊になった方もおりますしね。福島、南相馬の方から来ている方もおります。今のところは集団で避難してきているという状況ではなくて、親戚筋を頼って一関においでになっているという方が10名程度。いずれ、未だにそういう避難所からなかなか脱出できないでいる方が、まだまだ多く残っているということです。
仮設住宅へ転居し、そこで自分の「かまど」を持って自立に向けた行動を始める。それにはまず、働く場所を何とか見つけないとだめなんですが、これが厳しいです。これからの問題です。どういうふうにして働く場所を確保していくか。非常に厳しい雇用状況の中で、さらに沿岸部で職を失った方々が内陸に職を求めてくる。内陸部での雇用の場がどんどん増えればいいのですが、なかなかそう簡単に増えるような状況にもない。やはり、沿岸部で仕事を起こしていかなければならない、仕事をつくっていかなければならない。今、宮古とか山田とか大槌、釜石の方で弁当プロジェクトという、内陸部で仕出し屋などがお弁当を作って沿岸部に運び、一個500円は県が補助し、なるべく500円で済むような弁当を作って提供するということをやっている。ところが、大船渡、陸前高田の方に提案したら、「うちはいいです」と、簡単にいえば断られた。私も大船渡、陸前高田の立場だったら断ったと思うんです。というのは、いつまでも与えられるものをもらっていたのでは駄目なんです。いつまでたっても自立できない。ですから本当にその弁当プロジェクトを沿岸被災地の方々のためを思ってやるというのであれば、沿岸被災地で弁当を作る事業を起こすべき。内陸の方でよかれと思って支援することが、すべて最善の方法でない場合もあるということです。被災地の方々にやっていただくような仕組みを作っていく必要があります。これからこれは、ものすごく大きな課題になっていくと思います。壊滅的な被害を受けたという所であればあるほど、そこで新しい仕事を起こしていかなくては駄目なんです。ですから、この前、岩手県内の被災地のどこかで、がれき置き場から自転車を全部集めてきて組み合わせれば、壊れた自転車7、8台分くらいで乗れる自転車を1台作れるんじゃないかという発想で一生懸命作業している方が映っていましたけれど、ああいうところから事業を起こして、それを雇用に結び付けていくということも大事でしょう。いずれ工夫しなければ駄目なんです。本当の意味での自立には、「自ら立つ」というとおり、与えられるものだけでやっていたのでは遠のいていくだけですから、やはり、自分たちでどこまでできるかと頑張っておられる沿岸被災地の方の後方、側面から手を差し伸べるようにしていかないと。何でもかんでも後方から届けるという支援だけが支援ではない、そこをしっかり間違わないようにしなきゃ駄目だなと思っております。

それで、第4ステージに入るわけですけども、第4ステージはまさに復興です。
5年、10年、あるいはもっとかかるかもしれません。県の計画では年内には復興計画を都市ごとに作成するとされておりますが、なるべく県で示す大枠は、本当に大枠だけにしてもらいたいと思っているんですね。あまり細かいところまで枠をはめられてしまうと、被災地の自主的な発想が出てきませんので。そこに住んでいた方々が自分たちの町を復興させる、それは地元の人たちが本当に責任を持ってやるべきことだし、周りがとやかく口を挟むべきものではない。聞かれたら協力したい、そういうスタンスでいいと思います。これからの被災地への支援というのは、初期段階の、何でもかんでも物資を届けよう、食糧を届けようという一方的な矢印だけでは済まなくなるということです。

第1ステージから第4ステージまで見てきましたけれども、避難所生活の第2ステージのところ辺りからどうしても話しておきたいのは、ボランティアについてです。
ボランティアグループが、全国から大挙してやってくるわけです。災害ボランティアというのは、1995年に阪神淡路大震災がありましたが、あの時に初めて災害現場に認知された形で登場してきたわけです。その時もいろいろな課題を残しました。
さまざまなボランティアの方々がいます。私は、ボランティアの方々の活動を否定するつもりはありません。本当に地域のために役に立ちたいと思って来られる方が大勢います。しかし、その一方で、まだ捜索活動が行われているところに、菅首相が視察にいったところだからと押しかけていく、がれきをバックにVサインをしながら記念写真を撮っている人もいたそうです。災害ボランティアセンターであそこの泥かきをしてくださいとお願いしたら、汚れるからいやですと帰っていく、あるいは救援物資の仕分け作業をやりたいとの申し出に、そっちはいっぱいなので他の所に行ってくださいと話すと、そのまま帰ってしまう、そういう話もずいぶん聞きました。
ボランティアの方々への対応は、行政が手を出していい部分と出すべきじゃない部分とがあります。ボランティアというのは、自己完結で来ていただくのが原則ですから。現場で今何が求められているのか、現場の状況をちゃんと把握して、交通手段はどういうのがあるのか、宿泊場所はちゃんと自分で確保できるのか。そういうのをしっかり調べた上で来ていただかないと困るんですね。災害発生以来ずっとこれでもかこれでもかとツイッタ―で一関の情報をとにかく発信して、この間にフォロワーが2,500ぐらいまで増えた。ツイッタ―で私が誰かの質問に答えると、その人が拡散してくれる、広がるんです。そういういい面もあるし、あるいは匿名性がありますから、醜い言葉も飛び交うのも事実。それを覚悟で続けてきたわけですけれども。そういう中で、そのボランティアの方々から感謝もされましたし、嫌なことも言われました。一関に来て被災地まで行くのに、なぜ一関はバスを出さないんだ。公共交通機関があり、大船渡線も通っているからそれに乗ってください、と言いましたがバスを出せと。宿泊場所を世話してくれという話もありました。自分で探してほしいと言ったら、それにまたかみつかれましてね。一関の市長はボランティアに冷たいと。
いずれ、本当の意味でのボランティア活動は、まだまだ日本では根付いてないのかなという感じを受けました。阪神淡路のときのボランティア活動に対する反省点が改善されないまま今回も同じようなことが起きたなあと。ですから、ゴールデンウィークが終わったら一斉にスーッといなくなってしまった。ボランティアが。ボランティア活動が一番欲しいのは今なんですよ、本当は。がれきの処理もある程度片付いてきて残った家の中の泥かきとか、そういう、本当に元の生活に戻るぞというときの手助け、一番ボランティアに来てもらいたいと思っている時にいない。そういう状況が今あるわけです。

それで、今後大震災のような災害が起きたとき、まさに危機管理の対策ですけれども、防災対策というのは、昭和34年の伊勢湾台風、あれが原点なんですよ。あの時に災害対策基本法ができて、都道府県ごとに災害基本計画、市町村も災害対策計画を作って、日本の災害対策の大筋の形が出来上がったわけです。その時にはまだ災害ボランティアという概念がなかった。行政が先導に立って、けん引役をする。そういう仕組みだったんです。
伊勢湾台風の後の防災対策から30年以上経って、阪神淡路の大震災の頃に災害ボランティアが登場してきて、行政だけでぐいぐい引っ張っていく対策では駄目なんだ、さまざまな地域の主体が力を合わせてやっていかないと防災対策はうまくいかないんだということがわかってきたわけです。その頃には、地域によっては自主防災組織の活動も活発になってきた。企業でも自分たちの企業を守るための防災計画というのが次々出てきた。そういう流れにあるわけです。
さまざまな防災計画が作られていく中で、今、それぞれの組織にはあっても、それを横につなぐ部分が全く整備されていないのが現状です。そういう辺りをこれからしっかりやっていかないといけない。地域として自分たちの地域をどう守っていくかということは、やはり行政だけ、会社だけではできない。横の連絡を取っていかないと駄目なわけです。

「自助」「共助」「公助」という言葉があります。自分のことは自分でやらなきゃだめだというのが「自助」、助け合い協力し合いながらやっていこうというのが「共助」、そして行政が手を差し伸べていく「公助」。こういう区分ができると思うんです。
これが、今の日本人の意識は、「それは役所がやってくれるだろう」と思っている人が7割、「自分たちで助け合いながらやらなきゃだめだ」と思っている人が2割、「自分が何とかしなきゃだめだ」と思っている人は1割しかいない。外国は逆、1対2対7ですからね。自助が7割。
先日、本を読んでいてこんなことがありました。アメリカのテネシー州では、州の法律で75ドルを予め払っておかないと救急車が来てくれないんだそうです。例えば、州のある町で、AさんとBさんの家が並んで建っていた。Aさんは75ドルを年度当初に納め、Bさんは納めていなかった。Bさんの家から出火し、Bさんは必死になって何度も消防署に電話したけれども、75ドルを納めていないから消防車が来ない。どんどん燃えていってAさんの家に延焼しそうになった。Aさんは、これは大変だと電話した。そうしたらすぐ消防車が来た。結局、その本は、自分のことは自分で守らなければならないということをそこから言いたかったようなんですけれども、全く数字が違いますよね。
日本の場合、やはり昔から役所がなんとかやってくれるだろうという意識があまりにも強い。何か問題が起きるとそれは市役所がなにもやってくれないからだと。いずれ、これからはこの自助の比率を高めていくように、最後は自分の身は自分で守らなきゃ駄目ですよというところを、市民の方々に語りかけていかなければならないなと思っています。
それが1つと、それから、何とかしてやっぱり元気になるような施策を展開していきたいなと思っています。この前、「一関」という字をつくづく見ていたら、数字の「一」なんです。一から十まで、市にどういうところがあるか調べましたら、結構あるんですね。それで、例えば「イチ、ニのサン」という事業を何かできないか検討中です。一関と二戸と三沢、ここで「イチ、ニのサン」で元気のいい企画をしようかなあと思ってやっております。
とりとめのない話になってしまいましたけれども、一番言いたかったのはこれです。「自助」。この意識を市民の方々に強く持っていただけるように、これから市役所の職員1人1人が、あらゆる場面でそれを意識しながら市民の方々と接していってほしいということです。
ご清聴ありがとうございました。

平成22年度管理職研修市長講話(平成22年11月9日)

これまで、市長の仕事を一回り経験させてもらい、市役所の仕事を見てきたわけですけれども、その中で、もう少し情報提供をうまくやっていればもっと高い評価を得ていただろう、あるいは情報提供の仕方がもう一工夫あっても良かったのかな、ということを感じています。
そこで、今日はパブリシティというテーマで話をしたいと思います。
あまり聞き慣れた言葉じゃないかもしれませんが、このパブリシティというのは、素材は提供するけども、書くのは報道機関。そして報道機関が、市役所とはまた違った客観的な立場からニュースとしてそれを発信する。受け取る方、市民から見れば、より客観性があって信頼を持たれるわけです。それがパブリシティなのです。そこをうまく使って、市役所自らが情報提供するのよりももっと客観性を持たせて、市民の皆さんに発信していく。そういうやり方なわけです。これはお金がかかりません。
例えば新聞の一面を見ますと、15段なんです。この15段の下3段分には、普通広告が載りますよね。ここを全部広告で買って市の情報を出すと、何百万円とかかります。
ところがパブリシティというのは、紙面の上の部分の見出し、リード記事、そして記事がずーっとあるここの部分が全部タダなのです。ですからパブリシティを有効に使うことによって、われわれの情報発信しようとするところがお金をかけないで読者に伝わる。
そのためには、こちらの意図するところをしっかり書いてもらわなければ駄目なのです。
そして、マスコミの特性というものをしっかり踏まえて、それに合った情報提供をしていかなければならないわけです。新聞とテレビでも違う、雑誌も違う、それぞれ特性があります。そういう基本的なところからまず入っていきたいと思います。

私たちは公共の仕事をしているわけですが、サービスの受け手である市民へ伝えるというのが1番の狙いになります。ただ伝えるだけでは駄目で、それがちゃんと理解されなければならない。市民に理解されてはじめて私たちの仕事は完了なのです。そういうことをまず前提として頭においていただきたいと思う。
然らばどのようにして伝えるかというと、さっき言ったように一関市の場合で見ますと、1つには市の広報紙があります。これは月2回のペースで発行されています。藤沢は月1回だそうですね。この広報紙も、例えば一関の場合は全部自分たちで作っているわけですけども、県内の市町村の中には、全部外部委託しているところもあります。広告をとって新聞のように下の方に企業広告を入れているところもあります。それから、市の場合はその他にホームページでも情報発信をしていますね。新鮮さが1番の価値を生み出しますので。
そういう中で、一関市の去年の10月から今年の9月までの1年間にどういう情報提供、情報発信の実績があったかというと、まず定例記者会見。これを月に2回やっております。その他に記者懇談会。毎週月曜日の庁議が終わった後に、定例記者会見が無いときは私が記者クラブに行って、記者との懇談をしている。市長の記者会見ではないけれども、懇談、いろいろと話題を出して話をする。ですから結局毎週あるということですね。去年は臨時の記者会見もありました。これは、職員の懲戒処分とか企業の立地の決定についてとか、そういう臨時にやらなければならなかったものが入っています。定例記者会見は15回ありまして、発表件数が8件。開催回数よりも発表件数の方が少ないんですよね。本当はこれこの逆でないと駄目なんです。臨時記者会見は発表する事項があったときにやりますから、回数は合っているんですね。
それからもう1つは、各部レクチャー付き発表。
これが1年間に1件しかなかった。本当はここが1番大事なのですよ。記者クラブのボックスにただ資料をポンと入れてくる、これは投げ込みというんですけども、それだけでなくて、記者クラブに行って課長なり課長補佐なりが5分でも10分でも説明をしてくる。そうすればこっちの活字だけでは伝えられないような部分を言葉で語ってもらえる、そういうメリットがあります。それがこの1年間で1回しかなかった。資料提供は273件あった。各部毎では多いところもあれば少ないところもあるということで、やっぱり商工あたりはいろいろなイベントが多いですから、件数も多くなってくるんだろうと思います。
可能な限り資料提供で済ませている部分をレクチャー付きの発表にするように努力をすべきだろうと思います。それによって記事の扱いが全然違ってきます。ただ単に記者クラブのボックスに入れてくるだけでなくて、もう一味そこに付け加えたい、ここは書いてはいるんだけれどももっと強調したいと思ったときは、積極的に記者クラブに行って。これはレク付きでやりたいと、広報を通せば設定してくれます。そうしてその際はしっかりと言いたいところを伝え、確実にこっちの考えていることを書いてもらえるようにもっていくのが、このパブリシティでもあるんですよね。

メディアにとっての「製品」とは何だろうかと考えると、ニュースとか新聞記事が彼らの製品なわけです。材料、要するにニュースの素材を仕入れて、それを原稿におろし、編集局に持ち込んで活字となって新聞で出てくる。そういう記事が彼らにとっての製品なわけです。その製品が売れる、新聞の場合は読者にしっかり読んでもらえる、そういうものでなければ駄目なのですね。となれば、どういうのがいい製品かというと、何か論争が起きている、あるいは何かトラブルが起きている、ドラマチックなストーリーがそこにある、有名人が絡んでいるとか。それから新しいもの。新何々、初めての何々とか。こういうのは、マスコミが好意的に取り上げてくれます。
1番、最高というのもそうです。でも自分たちの職場というか仕事の中で、なかなか1番とか最高というのが無いから困ったなぁと。全然困らなくていいんです。過去10年間で1番というのがダメだったら、過去○年にすればいいんです。それを見出しに使うんです。最近の中では1番とか。逆に最低、最悪っていうのもこれも記事になりやすい。紙一重なんです。
それから社会的に大きな変化が潜んでいる場合、これは記事になります。そのようなニュース性を、発表する資料の中、あるいはレクチャーするときに盛り込む。そういうふうにすれば新聞、テレビは興味を持ってニュースにしよう、記事にしようと、そういう動きになってきます。
メディアについて、やはり特性をしっかり押さえなければ駄目です。
まず共通の事項として、メディアは、どういうメディアであっても締め切り、テレビであればいつ放送されるかという放送時間、そういうものを常に意識しています。同じニュース素材があったとしても締め切りに間に合わなければ短縮するのです。
次に、情報は継続的に出すということですね。それでマスコミの向こう側にいる情報の受け手を意識すると。常に読み手がいる、テレビを見ている人がいる。そういう意識を持って情報提供していかないと、情報の受け手の意識と、情報発信する方の意識が合わない。そうすると伝わらないんです。
それから窓口の一本化。これは取材を受けるときに窓口を一本化していくということです。常に特定の人に一本化するというのではなくて、その個々の事案に応じて1番詳しい担当者が、最初から最後まで責任を持って対応する。そして実際取材を受けるときは、できればその担当者にその組織の責任者が同席して対応する。ですから、記者クラブに行ってレクチャーする場合も、担当者だけでなく、その組織の責任者、あるいは補佐役が一緒に同席して対応する。記者に対応した場合は必ず記録を残す。
組織の論理は通用しない。これはもう当たり前のことで、いくら一関市は今までこういうふうにやってきたからと言っても、まったく通用しません。
それから公平性。Aというマスコミに詳しくレクチャーして、Bというマスコミには資料を渡しただけ。こういう違いがある対応をすると、後でとんでもないしっぺ返しがきます。私が県の公聴広報課報道主査当時に作った「パブリシティ“いろは歌留多”」というのがあります。「「え」えこひいき した後始末に 悩まされ」。差をつけた対応をしたら絶対ダメだということですね。だいたいそういうことが共通事項なのです。

それぞれのメディア別に特性をみていきましょう。
まずは新聞。新聞というのは詳細報道に適している、要するに記録性に優れたところがあります。それから読者側にニュースの選択権がある。新聞を広げたときにどこを読むかというのは、もう読者の方に選択権があるんです。取材にはシナリオがあると思うこと。新聞記者が来ていろいろと質問されますよね。彼らは、何の用意もなくパッと来ていきなり取材するわけじゃないんです。必ず頭の中に考えています、シナリオを。
次にテレビ。新聞の場合はさっき読者の方にどこを読むかという選択権があると言いましたけれども、テレビは新聞と違って、そういう選択権はないのです。時系列的にとにかくテレビが流した映像を見るしかない。見るか、スイッチを切るかです。それから限られた時間で多くのニュースを流すわけで、長くても3分です。したがって、短い時間の中にどれだけニュース性を持たせるかということになりますから、長々の取材を受けても、映るのは本当にわずか。ですから、テレビの取材を受けるときの1番の注意は、内容を短いフレーズでパッパと答えていかなければならないこと。長い文章で答えていくと、途中を切られたときに全然意味の無いものになってしまう。極端に言えば、どこをどういうふうに編集されても必ずキーワードが入っている。そういうテクニックまで使えるようになればテレビ取材の対応としては完璧に近いところまでいくのではないかと思います。放送内容はニュースの実態の一部に過ぎない。そしてテレビの場合はインパクト性であるとか面白いコメントを求められがちです。これもうっかり乗らないようにしなきゃ駄目です。そして速報性。これはやはりテレビの命ですね。「「て」テレビジョン 速さと視聴に特異性」。新聞は何か事件が起こって、もう夕刊には間に合わないとなれば、明日の朝刊しかない。テレビは夕方のニュースで出せる。ラジオは今すぐ出せる。最近はテレビもテロップ、ニュース速報がだいぶ多くなってきましたけれども。
次は雑誌。雑誌の場合はですね、取材にいろいろな人が来ます。単にデータを集めに図書館とか、あるいは統計調査部門に入って資料もらっていくだけの人。それから執筆者、社員である記者、専属ライター、フリーライター、編集のプロダクション。例えば、私がマスコミ対応をやっていた当時1番規模が大きかったのが、「全国海づくり大会」。天皇陛下、皇族が来られた大会が大槌町であったときに、マスコミ対応の責任者が私だったのですが、あのときには、地元のマスコミだけでも50人を越えたんですね。その他に宮内庁記者会というのもある。報道カメラマンとか、そういう人たちの対応もこちらでしなければならない。雑誌は、完全に企画記事でシナリオがあります。
次にラジオ。これはもう緊急性、機動力があります。主婦、中小企業、自営業。リスナーは大体このあたりが中心です。ですから、生活密着型の切り口で何かを訴えていきたいという場合、1番いいのはラジオ。ただラジオは1対1の感覚で、取材を受けているのが電話のような場合はそのまま放送されますから、そこは要注意です。
それから広報手段です。
市長の定例記者会見があり、レクチャー付き記者会見があり、投げ込みがあり、その他としてぶら下がりというのがある。私が例えば、文化センターでの行事が終わって大ホールから玄関前に停めておいた市長車に向かう途中、あの件はどうですとか、これは実際に去年の不正事件が発覚したときに行列ができたんです。うれしいニュースでそういうふうに囲まれるのは良いのですが、辛いニュースの場合は本当に辛いです。

プレスリリースは、わかりやすく伝える技術というふうに捉えてください。
まず結論から先に書く。5W1Hを数行にまとめる。「「り」リリースは 5W1Hが 最低条件」。それをできるだけ1枚にまとめ、冒頭に記載する。それ以外のものがあったら、それは資料としてできるだけ図表とかグラフを使って示す。次が難しい。記者の心をつかむ「見出し」作り。これは今でもなかなかできません。でも、これをしっかりやるかどうかで、それが記事になるかあるいはゴミ箱行きか、この違いがあるわけなんです。
それから、よく記者の人たちが不平を漏らすのは、質問に対するレスポンスが悪いこと。これはやはり、行政に対する彼らの思いとしては本音の部分だと思います。上司に質問してもよく理解していない。担当者が不在だと誰も対応できない。内部手続きがあって取材対応が遅い。何か取材で聞くと上司に聞いてきますからと言って上司に聞く。その上司、例えば課長補佐がまた上司に聞いてくる。いつまで経っても記者さんの前には誰も現れない。締め切り時間に間に合わない。それから、資料が小出しに出てくること。これこれと資料を出されても、記者が質問すると、ではこれとまた出てくる。さらに質問するとまた別な資料が出てくる。最初から全部出せと言いたくなるんですよね。
それから、緊急時の対応です。あまり良いニュースでない場合、どんどん取材に入ってくる。その時の対応、これが広い意味での危機管理として捉えていただければと思います。例えば、不正があった、事故があった、その時の対応に不手際があると無責任だとか、悪質だとか言われる。クレーム対応と似ているんですよ。クレームが出たその時にしっかり対応していれば、それはクレームで止まる。その対応を誤ってしまうと、クレームが苦情になってくる。
ですから、クレームと苦情とは違うのですよ。クレームの段階できちんと対応する、そうすれば、それは、むしろクレームの効用でその相手の人と信頼関係ができる場合が多い。それをほったらかしにしておくから、とんでもない、取り返しのつかないところまでもめてしまうということになる。そういうこともよくあります。最初の対応が非常に大事になってきます。
発表内容は「原因」と「影響」、「症状」と「対策」に尽きます。何らかの「原因」が必ずあります。それが、どういう「影響」を及ぼしているのかという、そこの辺りのつながりを、しっかり書きこむ、あるいは、しっかりと説明する。どういう「症状」がそこに出ているか、それにどういう「対策」をとって対処していこうとしているのか。そのところをうまく説明しないと、緊急時の対応としては理解してもらい難い。
そして、取材対応の基本です。
まず、自分が、確実に知っていることだけ話す。推測は、絶対に避けてください。これは無責任だと言われるだけです。それで、知らないことは、はっきり知らないと言えばよいのですが、それではなかなか進まない。「何で、担当部署なのに知らないの」となるわけです。「「い」“言えない”と“知らない”とでは大ちがい」。記者から追及されると、いや私は知りませんと言いたくなりますが、それは間違いです。自分が担当だったら分かっているはずなのです。その時は「言えません」、これが正しい答え方なのです。何で言えないのかと聞かれたら、「言えない」から「言えない」、分かっているけれども言えないのだという事をハッキリと言うべきです。
それから、何回も出てきました5W1Hを心掛けること。犠牲者が出た事案の場合、追悼の意をきちんと表すこと。進行中の行動について、現在このように動いていますというところを説明する。安易に不注意を認めない。責任転換をしない。カジュアルな雰囲気は、絶対禁物。その辺りが取材対応の基本になるわけですけれども、何か、この説明を聞いていると、そんな取材対応は、ご免被るなというふうに思うかもしれません。ただ、いつ何時こういう事態になるかも分からないのです。ですから、最低限の基本として、管理者はパブリシティ、積極的に資料を出すだけでなくて、取材への対応の仕方、これも、資料を積極的に出すというのと同じことなんですね。むしろ取材にこられた時の方が情報発信のチャンスです。こちらの考えを理解してもらうチャンスなのです。その辺りをよく理解していただければと思います。
マスコミというと怖いように感じるかもしれませんけれども、全然、怖くないですよ。本当に辛い思いをした方も中にはいるかも知れませんけれども、逃げるから駄目なのです。逃げるという字は結構面白い字で、「兆」きざし、何かの「兆」があるのを逃げるから駄目なのです。手でつかめば良いのです。「逃げる」のしんにょうを手偏に変えると、「挑」いどむになります。挑戦する、そういうふうに考えればいいわけです。

「パブリシティ“いろは歌留多”」です。これは、私が県職員の時、記者クラブ担当の時に作ったものです。
「“言えない”と“知らない”とでは大ちがい」。ついつい知りませんと言いたくなるのだけれども、それは違う、言えないというのが正しいのだとさっき申し上げました。
「論より 事実が モノをいう」。
「“初めて”や“一番”が 記者の目を引く記事になる」。さっきこれも出てきましたね。初めて、一番、最高。過去10年間というのが、一般的なデータのとり方なのですが、そこで過去一番でなかったら、過去12年間ではどうだろう、過去15年ではどうだろう、過去5年ではどうだろうと逆に、一番とか最高になるまで追いかけてみるのも1つのヒントかもしれません。
「逃げるな、待たすな、ウソつくな」これは、記者対応の3原則です。役所の内部手続きで、上司の伺いをとっている間に、時間だけ経ってしまうという。「防衛型の 対応だけでは 活路なし」、「へりくつは 言えばいうほど 追い込まれ」これはその通りです。
「特ダネを 求めて記者は 靴へらし」、「チクチクと 攻められるところが ポイントに」、「リリースは 5W1Hが 最低条件」、あと直接参考になりそうな所は「大げさな 売り込みコトバは ボツにされ」これですね。記者の方々は、いくら大げさなオーバーな表現を使ってこちらがインパクトのあるところをピーアールしようと思ってもそうは乗ってきません。乗せられて失敗した結果は、私らよりも彼らの方がいっぱい経験していますから。
「“書いてくれ”だけでは 記者もソッポ向き」、「“だったと思う”では 記者は納得せず」、「レクチャーは 長いばかりが 能じゃない」。
それから、「ラブレター書くつもりで リリースを」。ラブレターを書いたことがないという人も、ぜひこの機会にラブレターを書くつもりで書いてみるのも良いと思います。
「無意味な カタカナ言葉は 悪印象」。カタカナ言葉もなるべく少なくする。
「おさえても 必ずバレる スキャンダル」
中には、どうしても思いつかなくて、無理やり作ったところもありますけども、この中にほとんどすべてマスコミ対応の基本的な部分というのがあると思っています。
「魚とニュース 新鮮味で勝負する」。ニュース「NEWS」の4文字は、東西南北の頭文字なのです。ですから、自分の立ち位置から、東西南北いろいろなところから、記者は情報を持ってきてニュースにする。
「身から出る ボロもサビも特ダネも」。マスコミ対応というのは厄介な所もありますが、基本的なところをしっかり理解していれば、煩わしいことはないわけです。
ですから、どうか皆さんも、自分が担当している業務について、これは、今までは記者クラブのボックスに入れるだけだったけれども、レクチャーした方がより効果があるなと、そういう風にぜひ努めていただきたいと思います。必ずこれは効果があります。記事になる確率が高くなります。
そして、これを、皆さんが自ら実行するというものでなくて、実際に担当している若手職員の研修の一環だと思ってやってみてください。一緒に記者クラブに行って側に座り、いろいろ質問されて若手担当職員が困っていそうだなと思ったら、ちょっと助け舟を出してあげる。そうすると、やっぱりうちの課長は違うなと思いますよ、職員も。そういう人材育成の面からも、パブリシティというものを管理職の皆さんの方から、職員に対して浸透させていくということも必要だと思っております。
記者会見に臨む心構え。これは、極めて技術的な部分です。マスコミの前で自分が記者会見するとなると、やっぱり緊張して困るということもあるでしょう。私は、講演も、今は緊張するという神経が麻痺しているからかもしれません、何の気なしに行っているのですけれども、最初の頃は、やっぱり大変だったのですよ。いっぱいいるところで話すのは、かなりプレッシャーになりました。そういう時は、足の裏で床をぐっと加圧するような意識を持つのです、そうすると、妙に落ち着くのです。人それぞれ違いがありますけれども、自分はこうすると落ち着くというのを持っていた方が良い場面が多いということで、参考にしていただければと思います。
「逃げるな 待たすな 嘘つくな」。逃げちゃ駄目だ、待たせても駄目だ、ウソをついても駄目だ、これが、私のマスコミ対応の基本であります。
いずれ、皆さんには、少しでも記者クラブに足を運んで、レクチャーする機会をつくるように心掛けていただきたい。あとは、どういう風な方法でやったら良いかというのは、秘書広報課に遠慮なく聞いていただければと思います。支所の場合も、どんどんやっていいと思います。一番いいのは、元気な地域づくり事業。今年度から始めているわけですけれども、それを支所の分をまとめて、例えば千厩支所ではこの7件をやります、そういう発表を記者クラブに行ってやってもいいでしょうし、毎週月曜日に庁議があって、その後に必ず私が記者クラブに行って記者懇談、昨日もやったのですけれども、そういう機会を持っています。それから定例記者会見もあります、いくらでもそういう機会は設けられると思いますので、ぜひレクチャー付き記者発表、こういうものを心掛けていただきたいと思います。
さっき言いましたとおり、若手職員の研修の場としても活用するようにお願いしまして、私の話を終わりたいと思います。
ありがとうございました。