みなさんこんにちは、一関市長の勝部修でございます。
去年は、いろいろなところから呼んでいただいて30回くらい講演をしました。
ふつうだと何の話をするか考えて講演会場に来るものですが、私の場合、前の日にならないと準備しないんですね。
これは長坂小学校時代からの癖でございまして、前日の一夜漬けというのが得意でございました。
夏休みにも毎日遊んでばかりで、母親に怒られながら一ヶ月分の絵日記を全部一晩で書いてしまったりしました。
そういう離れ技をやった経験があります。(笑い)
人間というのは団体とか組織で何かをやろうというときは、「いつから始めよう」というのは決めます。
でも「いつまでにやり遂げましょう」というのは決めない。
そういう傾向があります。
会議もそうです。
「さあそれでは来週からやりましょう」 ところが、「いつまでにそれを終わらせましょう」というのが弱いのです。
ところが個人で何かをやるときは、その逆なのです。
いつから「それを始めましょう」という意識は弱いです。
だから、夏休みに入っても、「宿題をいつからやるんだ」と言うことをあまり気にしていない。
「いつまでにやろう」という意識だけはあるけれども、なかなか手がつけられない。
個人でやる時というのは、そういう傾向がありますよね。
団体とか組織とかグループで、「いつからやろう」、「いつまでにやろう」というのを「段取り」と言います。
日本人の弱いところがこの「段取り」です。
「段取り」は全てに当てはまります。
「段取り」さえうまくつけておけば、うまくいくものがいっぱいあります。
しかし、世の中には段取りをしっかりしておいても、うまくいかないものがあります。
それは、今回のような大災害です。
「段取りのつけようがなかった」そういっていいと思います。
そこで、今日のテーマは、「東日本大震災から4ヶ月経過して」にさせていただきます。
今日は東日本大震災の話だけでなく、「地域づくり」に向けた話にもっていこうと思っています。
最後の方では、地域づくりのために地域の一人一人が、「どんなところに意識を持って取り組んでいったらいいのか」という話をさせていただきたいと思います。
1 一関地域の被害状況
●3年前の岩手・宮城内陸地震の4倍の被害額
今年は、岩手宮城内陸地震から3年になります。先日、厳美町市野々原の災害復旧事業が終わったので、被災した場所に地元の小学生たちと一緒に植樹をしました。
また「地震のエネルギーを学習してもらおう」ということで、地震で落ちた「祭畤大橋」には、見学コースとして散策路を作りました。
あの時は、道路が寸断されたり、山の斜面が大きく崩れたりしましたが、住宅の被害が少なかった。
山間部だからそういうことがいえるのかもしれませんが、私も、あらためて行って見て判ったのですが、1軒1軒の家の柱が太いんですよ。
祭畤地区は、雪が多いところで冬期間2メートル近く雪が積もる豪雪地帯です。
その雪に耐えるような柱や家の構造になっています。
そのことが住宅の崩壊が少なかった理由だろうと思います。
それにしても、今度の地震被害は、3年前の地震と比べて4倍以上の被害額になっています。
今回の震災の場合は、津波が目立ってしまって、なかなか一関の家屋被害や宅地被害が取り上げられません。
規模にしてみれば、津波被害と比較すると、本当に小さい規模かもわかりません。
ただ、被災者一人一人で見れば 津波の被災者も一関の地震で被害を受けた被災者も、被災者としては全く同じです。
ですから、この1週間東京に足を運んで、「津波の陰に隠れてしまっているけれども、内陸の地震被害も大変だから、しっかりとした救済策を取ってほしい」とお願いしました。
5回行きました。
タイミング良くいろんな大臣さんとお会いできました。
有名になった「松本復興大臣」とも2度ほどお会いしてきました。
松岡厚労大臣、片岡総務大臣、大畑国土交通大臣。
そういう方々と何度もお会いして、「内陸の地震被害も大変な状態ですから、しっかり対策をお願いします」と、話して来ました。
今、良い方向に動いています。
●停電、断水、燃料不足(ライフラインに打撃)
一関の被害の特色は、ライフライン関係が一気に駄目になってしまったことです。
「電気がだめ」、「水道がだめ」、「燃料がだめ」これが一気に来ましたので、回復も遅かった。
水道にしろ燃料にしろ、ベースになるのは電気です。
まず、電気が復旧しないとだめなんですね。
岩手に供給されている電力は、青森県の八戸、秋田県の能代、それから秋田市、この3カ所の火力発電所からの電気です。
岩手県には、火力発電所もないし原発もありません。
小さな電力発電所はありますけれども、電力は県外から99%の供給を受けています。
今回の地震で、先ほどの3カ所の火力発発電所がダウンしました。
1カ所でも残っていればもう少し早く回復したのでしょうけれども、3カ所ともだめになってしまったので、岩手県の電力はどこからも来なくなってしまいました。
新潟、山形、宮城県から岩手へ来る南のルートもあるのですが、宮城県があのような状況になり寸断されてしまいました。
復旧していくときには、秋田県の方から岩手県の雫石の変電所に電気が来るのだそうです。
雫石の変電所で、岩手県内の変電所に電気を配ります。
ですから、雫石から盛岡、花巻、北上、水沢と順次復旧作業が行われます。
一関は一番最後です。
一関は、花巻に電気がついて3日後にようやく来ました。
●家屋、宅地、農用地の被害
宅地被害は西が多かったです。
特に、花泉と赤荻が被害を受けました。
花泉の被害は、亜炭を掘った坑道跡が地震で揺すられて陥没しました。
危険で住める状態ではない住宅は、すぐ解体しなければなりません。
解体すれば「がれき」を処分しなければなりません。
けれども、被災された方に解体やがれき処理まで負担させるには、あまりにもつらいものですから、「津波被害のがれき処理は、国や県で全部負担するのに、なぜそれと一緒にできないのか?」と国に要望いたしました。
それで、「個人負担はなし」になりました。
最終的に、国が出すことになりました。
「個人住宅がそうなら、事業者の方の工場とか事務所とか、そういうものも被害を受けたので、それも一緒にやってくれませんか。津波の被害地は、個人の住宅も会社も工場も国が一緒に面倒を見てくれる。それと一緒にしてください」という要望をしました。
これも、まだ決まっていませんが、ものになりそうです。
国では、「企業もいいけれども、大企業は自分でやれるだろうから、中小企業にだけにする」といってきたんです。
「そんなことを言わないで、全部面倒みてください」とお願いをしているところです。
地震で被害にあった市内の道路などは、災害査定が今盛んとされており、これから復旧工事が本格的に始まります。
東山から一関に行くときに、相川地区の道路に段差があって大変ですが、査定が終わるまでは、手をつけられないです。
今は、応急で細い砕石を敷いてますけれども、いよいよこれから、本格的な復旧工事に入ります。
橋の付け根が弱いというのは、この地震で初めてわかったんですね。
橋の両側の段差はどこに行っても大きいのですが、盛り土しているからです。
盛り土の部分はほんとに弱いですね。
道路を走っていても「あ、ここの部分は盛り土した」というのがはっきりわかるんですよ。
切ったと所と盛った所では、亀裂の入り方が全然違います。
一関市内の被災現場の復旧が本格化してきましたが、小学校、中学校など教育関係施設が多く被害を受けました。
子どもたちが存分に校庭を走り回ったりできない箇所があったりして、本当に心が痛いところですので、急いで工事をやって、地震などの災害に強い頑丈な施設作りを進めているところであります。
2 津波被災地のこと
●被災者も支援者も疲労がピーク
津波で家を失ってから4ヶ月たった今でも、中学校の体育館に避難なさっている被災者の方々がいます。
例えば陸前高田市の中心地に近い高田一中の体育館には、今なお3~400人の方がいます。
体育館の中は冷房もありません。
扇風機だけです。
ストレスが非常にたまる環境で4ヶ月過ごしています。
私は、避難所にいる方々が一日でも早く避難所から出て、自分のカマドを持ってもらいたいと思っています。
避難所を出て仮設住宅に入ることは、自分のカマドを持つことです。
「毎日の食事を自分で作る」これが自立に繋がるのですから。
このままいくと秋になっても避難所にいることになってしまいます。
それは絶対に許されないことだと私は思います。
国は「お盆前には」と約束したんですよ。
これは国が責任を持つべきです。
陸前高田市では、基本的に仮設住宅は市内でまかなう。一部不足する分は住田町にお願いするということで陸前高田市長さんと協議しました。
気仙郡のなかで陸田高田市と住田町は絆が非常に強い。
何がそうしているかというと「川」ですね。
気仙川という川。
この川の源流が住田にあって、河口が陸前高田にある。
川の流域の繋がりというのは、非常に強い繋がりがあるんだと思います。
住田町と陸前高田というのは昔からそういう繋がりのあるところです。
一部の方が住田町に行くことになるかもしれませんが、今月中には全員が仮設住宅へ行くことができると思います。
●一関への避難者
一関への避難者は、陸前高田市からは304人の人が市内に避難して来ています。
304人の内訳は一関に167人、大東に68人、 千厩に57人、東山に8人、室根に4人ということです。
次に気仙沼ですが1124人で一番多いです。
一関に322人、花泉に16人、大東に75人、千厩に474人、東山に8人、室根に227人、川崎に2人。
ですから、陸前高田市に比べて気仙沼市からの避難者が多いです。
千厩と室根の284号線沿いに3分の2近くの人が避難して来ているということです。
また、福島の南相馬市から避難している方がたくさんおります。
全部で2082人。
7月1日現在の資料ですが2000人以上の人が市内に避難したということです。
気仙沼の仮設住宅が室根と千厩に建設されと、約400戸で1000人以上の方が増えます。
それで問題は、「ほとんどの人は一時的に避難して来ている人」だということです。
陸前高田や気仙沼からの避難者の皆さんは、あくまでも一時的な避難ということです。
「将来、自立していくための一歩をそこから踏み出していこう」と思って来ています。
避難者の皆さんは、「復興計画がどのように進むか」、「どのような市街地が形成されるか」、「どのような復興住宅が作られていくか」そのようなものを見ながら、今後の対応を考えていくと思います。
ですから、一関市が高田からの避難者の皆さんに対して、「陸前高田の情報」をどのように提供していくか。
気仙沼から避難してきている方に対して「気仙沼の情報」をどのような方法で提供していくか。
これが、ものすごく大きな課題となるのです。
避難してきた人たちに「自分たちがほしい情報は自分たちで取りなさい」と、言ってしまったら、自分で、わざわざ気仙沼市や陸前高田市まで行かなければなりません。
●後方支援
一昨日、陸前高田市役所に行ってきました。
ようやく仮設庁舎が建って引越しをしていました。
床に書類が積み重なっていましたが、書類をみたら津波をかぶってボコボコになっているんです。
そんななか記録を引っ張り出しながら、やっている状態です。
高田市役所には、一関市からも県内の市町村では一番多い11名の職員が応援に行っています。
理由は「隣町」だからです。
他の町から行っても、ホテルも、アパートも泊まるところがないのです。
ですから、一関市では自宅から通える職員を選んで派遣してあります。
大東出身者と千厩出身者です。
一昨日は、職員が行って3ヶ月ほど経ちましたので激励に行ってきました。
一人一人と会って、変わりなくやっているかどうか見て参りました。
さすが一関市の職員です。
いろんな他の自治体から来ている職員たちが頑張っていましたけれど、そのなかでも一関市の職員は中心的な存在になって働いておりました。
陸田高田市では、250人位の職員のうち70人ぐらいが津波の犠牲になっています。
なかでも係長クラスが犠牲になっています。
一番の働きどころ中間層ですね。
私は職員を派遣する前に、鳥羽高田市長と3回・4回と打ち合わせをしました。
そこで、「専門分野ができる係長クラスの人間がほしい」というわけです。
ですから、「わかった、そういう人間を選んで出します」と言ったものの、大分、悩みました。
「市長、そんなに優秀な職員を出すと、一関が弱くなってしましますよ」と、言われたこともあります。
「そこは皆で力を合わせれば、なんとかなるから、まず高田の応援に出す」と決めて、出しました。
結果として「陸前高田の復興の大きな力になって頑張っている」それを一昨日、目の当たりに見まして、「やっぱり出してよかったな」そう思いました。
一関市からの派遣は、一年間です。
他では、一ヶ月交替で人が変わります。
その度に覚えたことが振り出しに戻ります。
一関は最初からずっと同じ人にやってもらっていますので、高田市長から感謝されているところであります
津波で、陸前高田市役所のホームページもだめになってしまいました。
広報も出せない。
陸前高田の情報を避難してきた方々にどう提供しているかといいますと、一関市のホームページを通じて陸前高田市の広報を載せました。
また、区長さん方にご協力をいただいて、「どこに」、「どこから」、「何人くらい」避難して来ているのか、がわかっていましたから、市内に避難された方には、それを印刷して、回覧板方式で情報を入れて歩いたりしました。
雇用促進住宅の場合は、階段の上がり口に掲示板を出すとか。
考えられることは、あれも、これも、やっております。
どれが一番効果的なのかは、もう少し時間がたってから、実際に避難なさっている方々のご意見を聞きながら、一番いい方法を考えていかなければだめだなと思っております。
これだけの支援をしているのは、他の市町村ではありません。
本当にこれでもか!というくらい、やってきたつもりです。
これを実施するに当たり、私から職員に「自分の身内が被災したと思って、何をやったら良いのか考えろ」そう話しました。
そして各部からできたものを「やろう。やろう」と、やってきた。
陸前高田にしても、気仙沼にしても「隣町」です。
合併前から、「大東と陸前高田」、「室根と気仙沼」は、「隣町」で人の交流も盛んにありました。
そのような関係でしたから、一関市としては、「自分の身内が被災した」つもりで支援の内容を考えてきたところでございます。
なかでも特徴的なものは、平泉と藤沢と合同本部を立ち上げたことです。
「少しずつ支援するよりも、まとまって支援する方が良い」という考えで行いました。
公用車も提供しました。
これは陸前高田に最初に行った時、「山手の方に出かけていたミニバン3台が残っているだけで、50台くらいの公用車が津波で流されてしまい車がない」と、いうことから、各支所や平泉町へ声を掛けまして、中古ですが使ってくれと7台持って行きました。公用車は、全部で10台です。
東山からも1台出してもらっています。
また、5月23日に「陸前高田市支援室」を設けました。
大東支所に置いています。
毎日、陸前陸田高田へ足を運んで、「今、必要としているものは、何なのか?」と言うことを、聞き取りをして、ミスマッチの無いように支援していくことが何よりとの考え方から行っています。
同じように室根支所には「気仙沼支援室」を設けました。
例えば、「明日の朝までにコピー用紙が欲しい」と県庁にいっていたのでは、遅くなりますが、一関市だったら、前日の夕方に言われても、明日の朝には届けることができる。
そのような細やかなことでも、しっかりと対応できるように体制を取っていきたいと考えています。
●ボランティアのこと
夏休みには、夏期休暇を利用して大学生ボランティアが大勢きますが、宿泊施設がありません。
宿泊施設は、沿岸の支援に来ている民間企業の方々で満杯です。
観光客はあまり増えてないですが、ホテルは満杯です。
例えば摺沢の勤労青少年ホーム。
それを手直ししてボランティアさんに使ってもらおう。
そういうことも考えていかなければと思っています
●被災地の医療支援のこと
陸前高田市では大船渡病院や住田病院が無傷だったものですから、大部分はそちらの方でカバーしていただいておりましたが、気仙沼市は病院がすっかりやられてしまって、千厩病院と磐井病院がカバーしました。
なかでも、人工透析患者の対策では大分苦労しました。
人工透析とういうのは一定の期間ごとにやっていかないとだめなものですから、「迎えに行って人工透析をして、また送っていく」ことをしました。
災害時の医療対応で判ったことは、来るのを待っていたのではだめなんですね。
「迎えに行って、治療をして、送っていく」ことをしないとだめなものですから、藤沢町さんと一緒に巡回バスを運行しました。
●消防団の活躍について
消防団の方々には夜間の警ら活動をやっていただきました。
気仙沼市では、建物の一階が海水に浸っても、全部流されたわけではありません。
家は崩壊していないので、家財道具を二階に運びあげた人が多くいます。
でも、住人の方は停電で電気がつかないし、水道も出ないので、夜には避難所に行きます。
そこをねらって犯罪が増えました。
気仙沼市から「一関市の消防団の方々にも、せめて夜だけでもいいから手伝ってもらえないか」と、依頼が来ました。
そこで、室根、千厩の消防団を中心に出動してもらいました。
10日間くらい出動してもらったら、一気に犯罪が減ってきました。
消防車両で鐘を鳴らして夜通しパトロールしたことで効果がありました
●コミュニティーを大切にした避難について
本吉地区の小泉小学校体育館に避難していた方々に、統廃合で廃校になった津谷川小学校学校に二次避難してもらいました。
体育館から体育館では気の毒だと思ったものですから、小泉地区の区長さんに「体育館でなく教室を開けるから教室の方に避難先として入ったらどうですか」と相談しました。
区長さんは「判りました。向こう三軒両隣くらいの単位で、ご近所のコミュニティーを大事にして地区ごとに教室に入ってもらいます」ということになりました。
これがすごく良い方法だったと感じております。
このような、後方支援をやって来ていますが、復興までにはまだまだ時間がかかります。
5年、10年という単位で見ていかなければならないです。
そのなかで言えることは、今までの枠組みだけで考えていくのは限界です。
なにをやるにしても、「新しく法律を作るとか」、「例外措置を大幅に認める」とか、国の対応をしっかりとしてもらいたい。
これが、一番の願いです。
ところが国は、「復興計画は、自分で考えなさい」と言っています。
「何も考えない人には何もやらないよ」と、大臣が言ったことは確かです。
「地元で考えなさい」、「地元が中心になって考えなさい」と言っているのですけれども、国で基本的なところを示してもらわないと、地元は考えられない部分もあります。
陸前高田市では津波で市街地を全部やられてしまいました。
「市街地をどのように作っていくか」、「平らな所をどうするか」、「土地の所有権をどうするか」を考えた時に、国では、「国が土地を一時買い取る」というような方針を出さないので陸前高田市長さんも、なかなか、方針を決められないでいます。
例えば「海岸線から山手の方に何本か真っ直ぐな道路を通す時には、私有地を国が買い取ってください」と国に要望していますが、いっこうに返事が来ません。
これでは、いつまでたっても描けない。
国はもう少しスピード感をもってやってもらわないと困ります。
避難所で生活している方々もいらいらしているし、被災地の行政もいらいらしています。
ここは、国がしっかりとした考え方を示すべきだと思います。
まさに「国難」といっていいと思います。
「なぜスピード感をもって方針を出してもらえないのか」と思うときもあります。
「放射能問題」もそうです。毎日のニュース報道で、「一関は大丈夫か」と、心配している方が大勢います。
「岩手県の一番南だから、岩手県で一番先に影響が出てくるのではないか」と、心配されている皆さんがいっぱいいらっしゃる。
そのとおりです。
ですから独自に調べています。
調査結果が少しでもおかしい時は、県と連絡を取り対応することで手はずを取っております。
けれども、国の基準を明確にしてもらいたいです。
「暫定基準」という、判ったようで判らない表現ですが、暫定基準を下回っていれば安全なのかといえば、必ずしもそうでもないと言っている方もいるようなので、そこで暮らしている人が安心できるようなことを、国で言ってほしいと思います。非常に悩ましい問題です。
3 自助・共助・公助
3番目には、「自助」、「共助」、「公助」についてです。
これは、今後の地域づくりにもかかわってきます。
「自助」は、自らを助けている。
自分たちの地域は自分たちで守っていくんだ。
自分の命は自分で守るんだ。
これが一番のベースになると思います。
「共助」は、お互い助け合うこと。
「おたがいさま」の関係をしっかりと築いていくこと。
「公助」は、行政、役所からの支援策。
これの理想の形は「自助」が七割、「共助」が二割、「公助」が一割。
ところが、今、日本では逆になっています。
「自助」が一割、「共助」が二割「公助」が七割。
「何でもかんでも役所が何とかしてくれる」、「役所に言えば何とかしてもらえる」大学の先生たちから聞いたのですが、日本のくらい「公助」に期待する傾向が多いのは、世界にないそうです。
それだけ災害が起きた場合には、役所が司令塔の役割をしてきたのでしょう。
災害復旧にしても、役所が先頭に立って旗を振りながらやってきたんでしょう。
これまではそれでよかったかもしれない。
今回の津波被災地の状況を見ますと、あの状況のなかで、いくら「110番へ電話しても」、「119番へ電話して」も、消防車も救急車も来てくれません。
最後は「自分の命は自分で守る」ところに行き着きます。
アメリカのテネシー州の法律では、「消防車を呼ぶのには、あらかじめ年の初めに75ドル納めてください」という法律があるそうです。
75ドルですから7~8千円です。
それをあらかじめ納めておかないと「いざというときに消防車が来ない」
例えば、隣り合わせたAさんの家とBさんの家があったとします。Aさんの家から火がでて、Aさんは「火事ですから来てください」と消防署に電話してもこない。
Bさんが「これはヤバイと、うちにも延焼するかもしれない」と思い、消防署に電話したらすぐ消防車が来てくれた。
ということにもなりかねない。
アメリカの場合は、個人主義が発達しているのでかもしれませんが、「あらかじめ税金を納めなければだめだ」という事例もあります。
日本の災害対策について話します。
昭和34年の伊勢湾台風のときに「災害対策基本法」という法律ができました。
その法律に基づいて「防災基本計画を作りなさい、国も作るし、県も作りなさい、市町村でも作りなさい」ということになりました。
その結果、どこの市町村にいっても「中身が全く同じような防災計画」ができあがりました。
その防災計画のように動くかというと全く動かない。
その原因は、国からこのように作れといわれたから作った。
それを受けて県がこう作った。
市町村はそれと同じように作っていれば間違いないな、と作ってしまってきている。
上からの押しつけのように作っているので、「いざ」というときに、防災計画書に書いてあるようには、物事がうまくいかない。
今回の震災の経験では、ライフラインが一気に寸断されてしまうと「もうバンザイ!!」でした。
今年度から準備に入って来年度に作る「一関市防災計画」は、そういう時のことも考えて「国県の内容にかかわらず、災害に強い町をつくっていくのだ!」という内容に変えていかなければならない。
と、私は考えています。
防災計画をつくることは、地域づくりと同じです。
「災害から自分たちの地域をどうやって守っていくか」を、つくる計画ですから、立派なことを書いてもだめなんです。
イザという時に、その計画にもとづいて動いて行けるような計画。
実効性のあるものにしないと、「立派な表紙をつけてロッカーの一番奥に納められている」ようでは、だめであって、作ることが目的ではないわけですから。
そのことをこれからやっていこうと思っております。
昭和34年に伊勢湾台風があり、平成7年に阪神淡路大震災があった。
この二つが日本のこれまでの災害防災対策の節目になっています。
そして今度の東日本大震災です。
阪神淡路の時には、行政だけではなくいろいろな人がかかわって復興を遂げました。
そこで災害ボランティアがでてきたのですね。
ボランティアの歴史はまだ浅いですから、日本の場合はこれからだと思います。
伊勢湾台風、阪神淡路、大きな災害のあとで日本の防災対策も変わってきました。
東日本大震災で、今までとは全く異なる観点から見直して行く必要があると思います。
それが何なのか、国の復興会議がどのような方針を出してくるかは、まだ判っていません。
今はまだ言葉だけが走っている状況です。
それを具体的に被災地で適用できるのか、まだ見えてきませんので、しっかり見極めながらやっていく必要があります。
今いえることは、「行政にだけ頼る時代ではなくなった」ということです。
正直を言うと、行政も全部には、手が回らなくなってきているんです。
一方では住民の方々はニーズが多様化しておりまして、非常に細かなところまで行政サービスとしてやっていかなければならない時代になっています。
したがって「どこまでが行政サービスの領域で、どこからが市民個人の領域か」という境界線が常に動いています。
そのようななかで、市としての行政サービスを展開していかなければなりません。
「役所は何をやっているんだ!」とお叱りを受けますが、今後の防災対策は、そのことを念頭にやっていかなければなりません。
このことは、ものすごく大きなエネルギーを使う仕事ですが、しっかりと取り組んでいかなければなりません。
●危機管理をどうするか
「災害対策」にも当てはまりますが、危機管理には、3つのことが言われています。
一番は「意識」を持つことです。
「危機の意識」がないと、まわりでいくら言ってもだめです。
次に「認識」、最後は「知識」。必要最小限の「知識」は持たないとだめです。
この3つの要素が危機管理に必要です。
一関市では、「市民と行政と民間企業、団体などが危機管理に必要な3つの要素を共有する」そのような防災計画を作っていきたいと思っています。
危機管理はここがスタートです。
危機管理をする部署が一関市にはありませんので、来年度あたりには「組織」を作りたいと思っています。
そうすると「意識」、「認識」、「知識」のほかに「組織」というものも大事になってきます。
「組織」については、市役所の組織もですが、皆さんの身近なところにある「自主防災組織」が一番大切です。
この「自主防災組織」は「自分たちの地域を守る」ところからスタートして、「隣接する隣同士」と繋がりをもち、「おたがいさま」という関係を作っていくことが何よりを重要であると思っております。
私が考えている「危機」というのは災害だけではありません。
例えば「熱中症」がテレビ報道されていますが、あのような状況が多発してきたときも、地域の「危機」なのです。あるいは、スキャンダルでも危機に直面します。
「一関市のイメージを著しく損なうこと」これも「危機」です。
あるいは「テロ」。
いろいろな所に「危機」はあります。
●原発の問題について
今度の放射能問題も「危機」といえます。
放射能で汚染された牛肉が花巻に食肉で来ていたことがわかりました。
でも、どの店で誰が食べたのか全然判りません。
人体にどの程度影響があるのか?というと、人体にはあまり影響がない。
マスコミの出す数字に惑わされずに、冷静な対応が必要だということです。
数字にあまりに過剰にならない。
過剰反応を示さないことだと思います。
国では、はっきりとした判断基準を作るべきです。
いつまでもあやふやな状態で国民を引っ張っていくわけにはいきません。
われわれは、このことを国に盛んと言っています
最近のニュースで「シーベルト」や「ベクレル」という言葉をよく聞きます。
このうち「シーベルト」は、放射性物質が人体に及ぼす度合いをいっています。
「ベクレル」というのは放射性物質が出す放射線の量です。
牧草とか校庭の土に放射性物質が付着しているかどうかを計るときは、ベクレルの単位を使います。
このほかにグレイという単位もあります。
ベクレルというのはフランスの学者です。
シーベルトはスウェーデンの学者の名前です。
日本では、原発で働いている人で年間50ミリシーベルトの放射線の被曝を受けて大丈夫との基準があります。
リンパ球が減るのが500ミリシーベルトですから、これの10分の1です。
原発で働く方は、内部に入る回数を減らしたりして50ミリを超えないように、年間の総枠で調整しています。
胸部のレントゲン撮影でも放射線を浴びますが1回当たり0.05ミリシーベルト。
CTスキャンはちょっと多くて6.9ミリシーベルト。
それでもこの500からみれば断然下の方になっています。
今の報道を見ていると、わずかな数値でも、すぐ人体に影響が出るかのように聞こえる風潮があります。
国では、早い時期に「大丈夫だという基準」を示してほしいと思います。
東山もですが、東磐井地区は多くの方が酪農をされています。
風評被害が出た場合には非常につらい思いをすることになります。
「これは口が酸っぱくなるくらいに継続して、国に言い続けていかなければならない」と思っております。
●「地域づくりの秘策」について
地域づくりを行うにあたって、特にお願いしておきたいことは、「笑顔」なんですよ。
さきほどは「おたがいさま」の関係を築きましょう、といいましたが、「おたがいさま」の関係を築く際に一番大事なのは「笑顔」です。
お互い様に協力していくときに、コミュニケーションの基本です。
私が「笑顔」、「笑顔」って言っているもので、「その割には、市長はさっぱり笑顔がない」といわれます。
それは、市長室にいるときには、真剣にあれこれの問題に取り組んでいますので、あまり笑顔ではいられないのです。
努めて笑顔になりたいなと思いますが。
「笑顔」がなぜ必要かというと「笑顔」は伝染するからです。
人に伝染していくんです。
地域の中でお互いに「笑顔」でいれば、その地域はものすごく明るくなるんです。
この「笑顔」っていうのは、朝起きたときから始めなければならないですね。
まず洗面所に行って、鏡の中の自分に向かって「おはよう」と笑ってください。
そうすれば、鏡の中の自分も笑ってくれますから。
そのままの顔で家族に向き合うわけですよ。
でも、あまり笑いすぎないこと。
「うちの母ちゃん、今日何か変だぞ!」って言われますから。
これを家庭からスタートさせて、隣近所に伝染させていくんですよ。
そうすると地域が明るくなります。
朝の笑顔の挨拶がコミュニケーションのスタートです。
「おはようございます」が、朝の笑顔に一番似合っています。
笑顔には「おはよう」と「ありがとう」が一番似合います。
人間の顔には「表情筋」があります。
ここには筋肉が通っているんです。
顔の右側に16本、左側に16本の筋肉が複雑に入っていて、それが人の表情を作っています。
16プラス16が32。
表情筋を鍛えないと皆シワになりますよ。
「シワサンジュウニ」っていうでしょ(会場から笑い)。
ですから、シワがこれ以上増えないように、表情筋を鍛えて「過度にならないように笑うこと」、笑いすぎはだめです。
かえってシワができますからね。
一日一回は声を出して笑う。
一日中ではなくて、一日一回でいいですから。
そういう「笑顔」と「笑い」がある生活で過ごせるように、近所の人たちと会ったら「自らがそういう「笑顔」になれるような話題を探して歩く」というのもおもしろいかもしれません。
一関市内のいろいろな所で、そういう地域づくりができると、すばらしい町になると思います。
なにせ、秋田県境から気仙沼まで、「横にずっと長い」ところですから、歩いてみると、それぞれ文化も違います。
これはおもしろいと思います。
室根と祭畤では、お祭りとか神楽とかも違います。
北上山系と奥羽山脈では違うんだなと思います。
お互いに交流を図りながら地域づくりの参考にしていくというのも、非常におもしろいと思います。
今年もまもなく夏祭りが始まります。
今年は、外から2000人の方々が避難して来ています。
その方々にも一関の夏祭りに入っていただいて、「一緒に楽しんでもらう機会になれば良いな」と思っています。
また、陸前高田の「酔仙酒造」が千厩の横屋酒造さんのところで酒造りを始めます。
清酒を造るのには2、3年かかるらしいですが、濁り酒はできます。
今年の11月頃には酔仙の「ゆきっこ」が飲めます。
今から楽しみにですね。(笑い)
醤油を造っている陸前高田市の「八木沢商店」は、摺沢に営業所を構えました。
酔仙さんも八木沢さんも、将来は陸前高田にお戻りになりますが、それまでの間、「一関のフィールドで力強く、大きな一歩を踏み出してください」という気持ちをもって皆で応援しましょう。
いろいろな企業が、どんどん一関に来て、再出発の足がかりをつけていきます。
一関市でもそれを応援していくことが大事なことと思っています。
今年の夏祭りは、その思いを込めて、「復興に向けて被災地の方々と一緒に楽しみたい」と思っています。
川崎の花火が中止になったのは残念ですが、スポンサーも大変なようですので、その分は来年に、大きくやってもらおうと楽しみにしております。
それから、今年の夏祭りに初めて披露することとなりますが、お祭りの時に私が着る半天がまもなく完成いたします。
これまで全国の市長さんが着たことのないような「半天」がまもなくできてきます。
「この半天を見れば一関市が全て判る」というような半天を今製作中でございます。
私と副市長とで、いろいろなところを手分けして歩きますから、市長用と副市長用の2着しか作りません。
「ずいぶん太い広告塔だな」って思われても困りますが「歩く広告塔」です。
特注で少し長めの半天なんです。
「今度、市長が着ている半天、あいつは寝間着じゃないか」なんて言われても困りますので。
作ってみて皆さんのご意見もいただきたいと思いますが、「こういうときだからこそ、明るく、笑顔で過ごしていきたいな」と思います。
皆さんも「笑顔」を忘れずに、地域で人に笑顔を伝染させていただければと思います。
以上で私の話を終わります。ご静聴ありがとうございました。
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