社会資本整備に関する7団体の役員会と合同総会 H29.5.30

午前中盛岡市で、道路、都市計画、河川海岸など
社会資本整備に関する7団体の役員会と合同総会が開催されました。
一関に戻る車中にエフエムラジオ番組(ラジオ市長室)に電話出演。
午後は総合教育会議。
今回は郷土の先人たちを学ぶことについて活発な意見交換になりました。
その後は書類の決裁や協議など。

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いわて平泉農業協同組合の通常総会 H29.5.28

岩手県中途失聴・難聴者協会佐々木理事長が本年9月に開催予定の大会の協力要請にお見えになりました。
いわて平泉農業協同組合の通常総会が市文化センターで開催され、来賓出席(祝辞)しました。
食生活改善推進員協議会総会が市保健センターを会場に開催され、来賓出席(祝辞)しました。
新規高卒者にかかる来春の採用に向け経済団体や個別企業に対して求人票の早期提出、
採用確保の要請に市内団体、企業を訪問させていただきました。
一関商工会議所青年部の定時総会懇親会が市内ホテルで開催され、来賓出席(祝辞)しました。

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全国治水期成同盟会連合会総会 H29.5.25

7時10分一ノ関発、9時23分東京着。
10時N社M氏訪問。
11時議員会館O議員訪問。
11時30分同J議員訪問。
議員会館にて昼食(和風パスタ)。

13時全国治水期成同盟会連合会総会(役員改選で監事に就任、写真)。
この後再び議員会館にてH議員、O議員、S議員を訪問。
16時56分東京発、浅い睡眠時間を経て現在福島付近通過中、19時14分一ノ関着予定。

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須川岳(栗駒山)の「本寺キツネ」 H29.5.25

須川岳(栗駒山)の「本寺キツネ」が麓の田植えが終わるのを待っていたかのように帰って行きました。
それにしても、この切れ長の目といい、胴長の姿といい、毎年田植えの時期に現れてくれます。
全国で「いなり寿司」発祥の地を標榜する所が数ヶ所あるそうですが、
「いなり弁当」は東北本線が一ノ関駅開業の年に駅弁として売られたのが最初なそうです。
さて、毎日各団体の「総会」シーズンで、来賓出席、祝辞が重要な公務になっています。
1日の3つも4つも祝辞が予定されていると直前の確認作業に神経を使います。
一関東工業団地企業連絡協議会総会、一関市交通安全対策協議会、市町村総合事務組合議会、
宮城県登米市長・栗原市長との懇談、県議会総務委員会視察調査対応、
特定非営利活動法人設立認証書交付式、牧澤神楽海外公演渡航前の表敬訪問対応、
地区協議会役員との協議・・・
牧澤神楽はインド、ブータンの2ヵ国訪問して公演予定です。
南部神楽は台詞が特徴でもあるので、台詞の意味がどこまで理解されるか興味深いところでもあります。
帰国報告を楽しみにしています。

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週のスタート H29.5.23

朝イチの副市長等とのミーティングに始まり、庁議、定例記者会見、FMラジオ番組出演。
毎週月曜日はこんな感じで週のスタートを切ります。
午後からは、いわて南牛振興協会通常総会に会長として出席、
職員研修の講師として60分の講話、県南技術研究センター理事会に理事長として出席。
記者会見、番組生出演、挨拶、講話、議長役・・・と休みなく話し続けた一日でした。

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宮澤賢治さんの生きていた時代 H29.5.22

宮澤賢治さんについて、詩碑「まづもろともに・・・」を5回にわたって投稿しましたが、
当時の出来事を調べてみると、賢治さんの生きていた時代には相次ぐ異常低温、日照不足、
水不足などが続き、植付け不能、凶作、収獲不能、自然災害発生など・・・・・
賢治さんの作品の生まれる背景になったものが見えてきます。
賢治さんが誕生した年、賢治さんが亡くなった年に、
あまりにも偶然なのでしょうが「大津波」が発生しているのも驚きです。
明治29年(賢治誕生)*明治三陸大津波 18,158人死亡
明治35年(賢治6歳)は7~8月低温(17~18度)による凶作。
明治38年(9歳)も7~8月の低温で収穫量は72%の減少。
大正2年(17歳)異常低温、日照不足で凶作、34%の減少。
大正9年(24歳)大雨洪水被害で収穫量激減。
大正13年(28歳)空梅雨、干害、植付け不能水田多数。
大正15年(30歳)干害、植付け不能水田多数。
昭和2年(31歳) 干害、植付け不能水田多数。
昭和6年(35歳)低温、 日照不足による凶作。
昭和8年(賢治死去、37歳)*昭和三陸大津波 死者行方不明2,661人。
この年は有史以来の大豊作になりましたが、
グスコーブドリの伝記の結末とあまりにも酷似しているのは驚きです。

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栗駒山の山開き安全祈願祭 H29.5.21

栗駒山の山開き安全祈願祭が、須川温泉前の須川ビジターセンター駐車場で行われ、
大勢の登山客が頂上目指して行きました。
私は膝の調子が完全でなく登頂は断念、安全祈願祭、テープカットまでの参加でした。
安全祈願祭には一関市のほか秋田県東成瀬村長のほか、宮城県栗原市、秋田県湯沢市からも首長代理が参加して、
栗駒山が3県の共通の財産であることを確認しあいました。
今年は頂上で「もちまき」が行われる予定です。

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 岩手県歯科医師会創立100周年記念式典 H29.5.21

週末の公務まとめてみました。
岩手県歯科医師会創立100周年記念式典が盛岡グランドホテルで開催されました。
地域医療、特にも小中学校の歯科検診では大きな貢献をしていただいております。
記念コンサートとして不来方高校合唱部の合唱が披露されました。
イオン一関店2階の展示場では、5月末までの期間でILC特別展示を開催中ですが、
21日は「いちのせきサイエンス キッズ inイオン一関店」を開催しました。
ILCかるた大会、ILC紙芝居、ブラックウォールを作ってみよう!など
多くの親子連れにお寄りいただきました。
講師は高エネルギー加速器研究機構の高橋しょうた先生。

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東京日帰り出張 H29.5.20

昨日は早朝からの東京日帰り出張でしたが、持参する予定の資料を前日に市長車に置いたままで、
運転手さんに届けてもらうという失敗をやらかしました。
東京は暑かったです。
環境省、農林水産省、財務省、経済産業省が今回の用務先でしたが、
地下鉄やタクシーを利用する距離でもなく徒歩。
汗を拭きながらの移動でした。
霞ヶ関界隈での昼食は昼時間に入ってしまうとどの店も満席が多く、
結局午後3時過ぎの昼食でした。(用務を終えて東京駅。地元にお帰りになる4人の国会議員の方々とお会いしました。)
一関に戻って、ジェイコブ・コーラーの「ジャズで奏でる、麗しの映画音楽」の演奏会へ。
蓄積していた疲労が和らぎました。
さて、久しぶりに遅い起床。
今日の公務は午後盛岡での岩手県歯科医師会創立百周年記念大会への出席です。

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詩碑「まづもろともに」その5 H29.5.19

賢治さんの代表的な作品といえば、「雨ニモマケズ」をあげる人が多いでしょう。
その詩文はもちろん素晴らしいものですが、賢治さんが亡くなった後に、
愛用していたトランクの中から見つかった1冊の黒色の手帳、
その手帳に鉛筆で書かれてあったのが「雨ニモマケズ」だったという出現のストーリーが
余計に賢治さんからのメッセージ性を高めているのではないかと思います。
この手帳は、賢治さんが東北採石工場の技師として東京で営業活動する途中に発熱して倒れ、
花巻の実家に戻って病床にあった時の数ヶ月の間に書き込まれた詩やメモで埋め尽くされています。
その手帳の51ページから60ページに「雨ニモマケズ」が書かれています。
ページの右上には鉛筆書きで「11.3」と日付が記されています。
(全文を記載しようと思いましたが省略します)
職員研修や若者のキャリア教育講座で、私は必ずと言っていいほど宮澤賢治さんを、
そして「雨ニモマケズ」の一部分を引用させてもらっています。
それは、賢治さんが最後に東北採石工場の技師として働いていた当時の作品であること。
そして、賢治さんの「現場主義」についてです。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ・・・
自分の周囲で何かの出来事が起きている時に、
自分には関わりがないとか、関わりたくないとせずに現場に「行ッテ」・・・という賢治さんの行動力、
現場主義に学ぶところは大きいと思います。
ただ、賢治さんは「北」のところでは「行ッテ」とは記してはいません。
これが単に書き忘れなのか、「北」だけを別扱いした理由があったのかは分かりません。
しかし、東(病気の子供)、西(疲れた母)、南(死にそうな人)に対するいたわり、
励ましの気持ちと、北(ケンカ、訴訟)に対するものとで、賢治さんは表現に違いをつけたのでは・・・と、
勝手に考えています。
手帳をよくよく見ると、「南ニ・・・・・コハガラナクテモイイトイヒ」のページの左上に(薄くなっていて読みにくいんですが)
「行ッテ」と赤いペンで記しています。
賢治さんはこの赤い文字をどのような気持ちで書いたのでしょうか、どなたかご存知でしたら教えてください。
人間には足が2つ、手も2つ、耳も2つ、眼も2つあります。
自分の足で現場に「行ッテ」、自分の耳で現場の声を聞き、自分の目で確認し、実際に手で触れて確認する・・・。
私は現場主義をこんな感じで説明しています。
また、コミュニケーションも同じで、足、手、耳、目を使ってすることが大事で、
会話の技術だけではコミュニケーションは成立しないと思います。
足、手、耳、目は2つずつありますが、口は半分の1つしかないですから。
さらに付け加えれば、東西南北の英語の頭文字を繋げると「NEWS」になりますが、
東西南北の出来事を足で稼いで集めてこそニュースになります。
最近の食卓はコメの消費が減っていると言われますが、
賢治さんの時代には「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」ていたんです。
コメの消費が拡大を呼びかける時に引用します。
このように私は、宮澤賢治さんからたくさんの贈り物をいただいているのです。
感謝、感謝です。


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岩手県建設業協会一関支部優良従業員表彰式 H29.5.18

岩手県建設業協会一関支部優良従業員表彰式に来賓出席。
来客対応(危険業務従事者叙勲と春の叙勲受賞の報告)。
一関商工会議所女性会の定時総会に来賓出席(千厩)。
岩手地区国道協議会総会、講演会、意見交換会(盛岡)。
写真は各2枚です。
市役所千厩盛岡一関(自宅)と移動距離が長かったので、
移動車中で資料に目を通しながら、時々は奥羽山系の残雪の風景に眼を細めながら、
そして時々はスヤスヤしながらの一日でした。明日は早朝の新幹線
で上京します。

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詩碑「まづもろともに」その4 H29.5.18

昭和5年(1930年)、賢治さんは陸中松川駅前で砕石工場を経営する鈴木東蔵から
石灰を原料とする肥料のつくりかたについて相談を受けます。
この時、賢治さんは東蔵の農民救済、農村振興にかける情熱や
無尽蔵にある東山の石灰石に大きな関心を持ちました。
その後賢治さんは東蔵と手紙のやりとりで酸性土壌の改良肥料や
事業拡張などの助言をするようにまで親密な関係になっていきます。
やがて賢治さんは、自身の健康も回復が進んできたこともあり、
「事情が許すなら事業に協力したいので、小生に東北砕石工場技師の辞令を交付してほしい」
との手紙まで書いています。
宮沢家との調整も済み、賢治さんは正式に東北砕石工場の技師として着任しました。
その時の賢治さんの給料は年600円(月額換算では50円)という契約で、
長坂村の町長の給料が月35円でしたからかなりの高給だったことが分かります。
また、当時は砕石工場の経営が苦しい時期であったため、
炭酸石灰をもって現物支給することになっていたようです。
賢治さんは、正式に着任する前にも何度か工場に来て現場の状況などを見ていますが、
その際には工員のみんなにタオルを持ってきたり、
生菓子やお酒を持ってくるなど気を配っていたようです。
仕事が終わった工員たちと囲炉裏を囲んで談笑もしたようです。
賢治さんの仕事は調査から宣伝、注文とり、販売、出荷までを担いました。
この頃の賢治さんの詩に「あらたなる」があります。
あらたなる
よきみちを得しといふことは
ただあらたなる
なやみのみちを得しというのみ・・・・・
賢治さんの苦悩の一端が告白されているのでしょうか。
「ひとははかなく」「たまたまに」などの詩にも賢治技師の奮闘と悩みの状況がみてとれます。
この頃の賢治さんの作品ではやはり「グスコーブドリの伝記」が有名です。
この作品(童話)は『賢治自伝』とも言われています。
イーハトーブの森の中でグスコードブリは両親とネリという妹と暮らしていましたが、
凶作、飢饉が続き家族は離ればなれに・・・、
クーボー博士との出会い、イーハトーブ火山局での老技師ペンネンナームとの出会い、
そしてカルボナード火山へ・・・。
まさに、人々の真の幸福を願う棄私の生涯、かがやく宇宙の微塵となって、無方の空に散った・・・。
「まづもろともに・・・」のモデルとなった作品、一関との関係性の強い作品だと思っています。
是非とも一度お読みいただきたい作品です。
写真は砕石工場横の小広場にあるモニュメント。
その原画となった写真。
16年前にお客様を案内した際の記念写真。
砕石工場の作業風景。
次回(その5)では賢治さんの死後、愛用のトランクの中から見つかった「手帳」について紹介します。

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本日のお客様 H29.5.17

プロレスFREEDOMSの代表 佐々木 貴さん(一関市本寺出身)と
今年デビューしたばかりの一関市三関出身の 泰里(ひろり)さん。
6月25日(日)に一関総合体育館で今年も地域に元気をくれるプロレスイベントが予定されています。
特に今回は三関出身の泰里さんのデビューを記念して佐々木代表とタッグを組むことも計画されているようです。
佐々木貴代表は毎年、故郷への恩返し、故郷を元気にしたいとの思いでイベントを企画開催してくれています。

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坂本龍馬像と携帯電話 H29.5.17

午前中の日程が6本。予定通り終了して一息ついています。
市長室には坂本龍馬像を置いていますが、その足元には使わなくなった携帯電話が並んでいます。
東京オリンピックの金メダルをこの携帯電話に使われている金を回収して原材料にするプロジェクトのために、
自宅の物置、引出しなどから集めてきた6台。
まもなく回収ボックスへ行きますが、しばし、龍馬さんと一緒の時を過ごさせています。

龍馬さんの時代は携帯電話はもちろん、インターネットもファックスも、電報もテレビもラジオもなかった時代、
ましてやツイッターやフェイスブックもない時代でした。
そんな中で龍馬さんはたいへんな「筆まめ」でした。
長崎にいたかと思うと京都に移動していたり、たいへんな行動力の持ち主でもありました。
今の時代に龍馬さんがいたら、どうだったんでしょうネ。

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詩碑「まづもろともに」その3 H29.5.17

碑文の揮毫を依頼され、谷川徹三さんは「まづもろともに・・・」をお選びになりました。
そして「これは象徴的な深い意味をもっていますから」と付け加えたそうです。
やがて谷川さん御揮毫の書が青年団に届き、これを宮沢家に持参し報告に伺った際に、
署名が書かれていないことが話題になったそうです。
たしかに、宮沢賢治の名も谷川徹三の名も書かれていません。
これについて谷川徹三さんは
「立派な言葉というものは誰が言ったか分からなくても独り歩きできるものです。
言った人を離れていつまでも生きつづけられる言葉は一層の普遍性と独立性をもつという点で
一層立派な言葉ということができます」
と語っています。
しかし地元の青年団の強い願いもあって
「どうしても、というのであれば碑面ではなく裏に書くこともいいでしょう」と
裏面に書いていただいた経緯があるそうです。
裏には『宮沢賢治記念のために 谷川徹三 書』と刻まれています。
深~い話ですネ。
次回(その4)では、「グスコーブドリの伝記」「雨ニモマケズ」にも触れてみたいと思います。

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国際リニアコライダーの誘致実現に関する決議 H29.5.16

本日、仙台市において「東北市長会」が開催され、一般議案の審議に先だって特別決議3件が付議され、
「国際リニアコライダーの誘致実現に関する決議」について私が提案理由を説明しました。
5年前の24年度の東北市長会から毎年、ILCについての特別決議は満場の賛同を得ています。

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 詩碑「まづもろともに」その2 H29.5.16

現在の一関市東山支所の裏手の丘に建てられている「まづもろともに・・・」の詩碑は、
70年前の昭和23年12月に完成、除幕されました。
戦後、地元長坂村青年団(団長は宮澤賢治を採石工場に招聘した鈴木東蔵の長男である鈴木實)の若者たちが、
虚脱状態から脱して村を立て直そうとしていた時期で、
その頃に宮澤賢治さんの作品など数多く学習の機会を持ったようです。
「ポラーノの広場」・・・・・長坂村をポラーノの広場にしよう・・・など
賢治さんへの思慕が高まっていったと当時の青年団員たちは語ります。
青年学校の前にある軍人勅語が書かれた石碑の表面を削って「雨ニモマケズ・・・」を刻もうとなり、
当時花巻に疎開していた高村光太郎さんのところへ赴いて揮毫を依頼するも、
光太郎さんから「宮沢家の許可がなければダメ」断られ、宮沢家に行きますが、
賢治さんの弟清六さんから谷川徹三氏(谷川さんは当時、国立博物館の次長を務めていました)を紹介され、
谷川さんからは「まづもろともに・・・・・を刻んでは」と、青年団の意を汲んで賢治さんの農民芸術概論綱要の中から一文を選定していただき、
自身が揮毫することについてもご快諾いただきました。
やがて長坂村には宮澤賢治詩碑建設委員会(会長は小原民雄さん)が結成され、
現在地への建立が決まり、石碑用の石も新しく調達することとなり、薄衣村の堀内石屋に発注しますが、
石の値段が1万5千円だったと記録されています。
当時の一般の平均給料が月520円というからたいへん高価な石であったと言えます。
ここからの青年団の奮闘が凄い!

建設資金は全くのゼロからの出発。
薪の運搬、材木流し、団子売り、催事の切符売りなど資金に結びつくものは役割分担して全員で取り組んだと懐かしそうに語ります。
「たいしたもんだ!」
谷川徹三さんが碑文の揮毫を依頼された時に「まづもろともに・・・」をお選びになりました。
そして「これは象徴的な深い意味をもっていますから」と付け加えたそうです。
谷川さん御揮毫の書が青年団に届き、これを宮沢家に持参して報告した時に、署名が書かれていないことが話題になったそうです。
たしかに、宮沢賢治の名も谷川徹三の名も書かれていません。
これについて谷川徹三さんは「立派な言葉というものは誰が言ったか分からなくても独り歩きできるものです。
言った人を離れていつまでも生きつづけられる言葉は一層の普遍性と独立性をもつという点で一層立派な言葉ということができます」と語っています。
しかし地元の青年団の強い願いもあって
「どうしても、というのであれば碑面ではなく裏に書くこともいいでしょう」と裏面に書いていただいた経緯があるそうです。
裏には『宮沢賢治記念のために 谷川徹三 書』と刻まれています。
深~い 話ですネ。
なお、詩碑の土台造りも青年団が中心に行ったようですが、
土台の石を埋めてコンクリートで固めるための砂利は長坂中学校の生徒たちが砂鉄川からバケツで運び上げたそうです。
まさに地域総出での、協働の精神の源を見る思いです。
そしていよいよ昭和23年12月10日。除幕式。
揮毫していただいた谷川徹三さんを迎えて講演会も行われたようです。
谷川さんはその日の夜、もち料理を楽しみ、特にくるみもちを喜んで召し上がったようです。
この頃も一関は「もち」によるおもてなしだったんですネ。
詩碑建立から70周年の今年6月4日。
谷川徹三さんの御子息で詩人の谷川俊太郎さん、孫で音楽家の谷川賢作さんをお招きして記念行事を開催します。
次回(その3)は、「まづもろともに・・・」の詩文や採石工場技師としての賢治さんについてです。
お楽しみに。

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詩碑「まづもろともに」その1 H29.5.16

東磐井郡東山町(現一関市)。昭和33年、私が小学一年生の時から住んでいた町です。
この年に東北総合開発岩手セメント工場が岩手県で初の誘致企業として東山で操業開始するのに合わせて
父親が釜石から転勤になり一家で引っ越してきました。
現在のJR「げいび渓」駅の所に社宅がありました。
セメント工場の操業を機に石灰工業が盛んになり工場も次々にでき、
学校も転校生が年々多くなり学級の4分の1ぐらいは転校生という状態だったと思います。
その頃はこの東山町が、宮沢賢治さんが石灰工場の技師として働いていた町であったことなど知るすべもなく、
小学校4年か5年の頃に役場の裏の小高い場所にある「まづもろともに」の詩碑を見学(遠足だったか、写生会だったか?)した時に、
この石碑に刻まれている詩が宮沢賢治さんの作品であるということを知りますが、
詩の意味も分からないまま「賢治さんの詩」という程度の認識でしかありませんでした。
この詩碑が建立されたのが昭和23年。今年で70周年になります。
花巻にある「雨ニモマケズ碑」に次ぐ二番目に古い歴史をもつ詩碑です。
この詩碑建立に至る地元青年団の取り組みは、終戦直後の、しかも一関地方がカスリン、アイオンという
相次ぐ台風大雨による大洪水に遭い大勢の犠牲者を出した直後の困窮と不安の中で、
新しい村づくりの指標に賢治さんの詩碑を建てようと奮戦した青年たちの素晴らしい取り組みだったのです。
今でも地元の人々は言います。「たいしたもんだ!」
次回はこの青年団の取り組みを紹介します。
〈追記〉3枚目写真は賢治さんと採石工場の工員たちとの記念写真。
現在、工場横の小広場にこの写真がモニュメントとして展示されています。

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都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト H29.5.15

「言い出しっぺ」の一関市の取り組み(3)
中小家電(携帯電話やノートパソコンなど)には様々な金属が使われています。
「金」を例にすると世界の金鉱山の全埋蔵量のうち、16%が「都市鉱山」に存在していると言われています。
しかも、都市鉱山から回収される金は高品質で含有率が高い(携帯電話1万台から約300グラムの金が回収できると言われています)。
オリンピックのメダルは、「金」と「銀」がそれぞれ1,600個、「銅」は1,800個つくられます。
3位決定戦のない競技もあるので「銅」が少し多いんですね。
金メダルは、実は360グラムの銀メダルを「金メッキ」したものなんです。
これに使われる金はメダル1個あたり6グラムです。
銀メダルは純度92.5%の銀でつくりますが、金メダルのベースとなるものも含めると約580万台の携帯電話の回収が必要です。
この「みんなのメダルプロジェクト」は、4月1日にスタートしました。
31年3月31日までの2年間で600万台の携帯電話回収を目標としています。
一関市ではさらに、「地元からオリンピック選手を!」の夢を掲げて
「みんなのメダルプロジェクト」を市民運動として盛り上げていきたいと思います。
多くの皆さまのご協力をお願いいたします。(了)

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ライオンズクラブ国際協会100周年記念 H29.5.14

ライオンズクラブ国際協会100周年記念332―B地区第63回年次大会が一関市文化センターを会場に開催されました。
来賓は達増拓也岩手県知事、一関市長(私)、青木平泉町長、332―C地区(宮城県)岩本政郁ガバナーなど。
来賓を代表して知事と私が祝辞を申し上げました。
また、ライオンズクラブからは記念事業として市立図書館に図書等の購入のための費用を寄贈いただきました。
「市民の読書環境整備の充実強化は重要施策であり有効に活用させていただく」と御礼を申し上げました。

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都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト H29.5.14

「言い出しっぺ」の一関市の取り組み(2)
前回(1)では、一関市が、中小家電に使われている僅かな量の金を回収して、
東京オリンピックの金メダルをつくってはどうか、
という企画を東京オリンピック組織委員会や文部科学大臣、五輪担当大臣に提案した経緯について投稿しました(昨日)。
提案した際の写真が何枚か見つかりましたので紹介します。
最初の写真は文部科学大臣就任直前の馳浩 衆議院議員への提案説明、
馳浩文部科学大臣就任直後にあらためて要望(大臣室)、
元プロレスラーだけにチャンピョンベルト(黄金色)が飾ってある。

八戸市長とともに遠藤利明五輪担当大臣へ要望。
一関市、八戸市(小林眞市長)、大館市(福原淳嗣市長)の3市長合同での要請活動。
市内の公共施設には回収ボックスが設置されています。
私が出席する会議の挨拶ではかならず金メダルプロジェクトの話に触れ、市民に協力をお願いしています。
歩行者天国のイベント開会セレモニーでも「引出しの奥にケータイ電話が眠っていませんか?」
次回(3)は「オリンピックのメダルって何個用意するの?」
「ケータイは何台集めればいいの?」などの質問にお答えします。

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一関第二高等学校創立110周年記念式典 H29.5.13

「岩手県立一関第二高等学校創立110周年記念式典」に来賓として出席、祝辞を述べました。
文化センター大ホールを埋める820人の歴代校長、歴代PTA会長、同窓会長、学校医、部活動の外部コーチ、警備員のほか、
50年にわたって学校技術員を務めた高橋清人さんにも感謝状が贈られ会場から大きな拍手を受けていました。
校舎の軽微な修繕や花壇など環境整備を半世紀にわたって続けてこられた高橋さんに、
特に在校生の席からの拍手が大きかったように思います。
自主の心、意志の力、創造の意欲 を校訓とする。
スポーツではフェンシング男女とも県内無敵。文化部系では太鼓道場部が特に有名です。
一関活性化プログラム(PRIC)では日本の高校生として二高の生徒が参加。

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市長杯小学生女子ソフトボール大会 H29.5.13

朝から霧雨が降るなかで「第2回一関市長杯小学生女子ソフトボール大会」が始まりました。
各チームとも県大会へ向けて日頃の練習の成果を発揮してほしいですね。
昨年の県大会では一関のチームが優勝、準優勝となり全国大会へ。
今年も一関のチームの活躍が楽しみです。
挨拶の中で「一関市は今年、女子ソフトボールの社会人チームをつくります。
みなさんが将来、一関を離れることなく地元でソフトボールを続けていけるようにしたいと思います。
世界の舞台で活躍できる選手を目指して頑張れ」と激励。

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都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト H29.5.13

「言い出しっぺ」の一関市の取り組み(その1)
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、
金・銀・銅のメダルを日本の「都市鉱山」から確保しようというプロジェクトです。
3年前に一関市が単独でオリンピック組織委員会に提案したのが始まりで、
その後、青森県八戸市、秋田県大館市とともに共同取り組みに移行、
オリンピック組織委員会が昨年末に正式にプロジェクトとして決定したものです。
今年4月から上記3市をはじめとするプロジェクト参加自治体と
全国のドコモショップで都市鉱山の「鉱石」である携帯電話、
スマートフォンなど情報機器の回収が始まっています(写真)。
このプロジェクトを提案した経緯は、東北の地から再び黄金の情報発信を!というコンセプトからでした。
今からおよそ900年前、平泉の黄金文化は中国大陸に滞在していたマルコ・ポーロの耳に伝わり、
それが「東方見聞録」で黄金の国ジパング(黄金の宮殿)として紹介されましたが、
今再びこの地から中小家電から回収する「金」でメダルをつくるプロジェクトを発信をすることで、
オリンピック東京大会が「環境に優しい大会」であることをアッピールでき、
日本のリサイクル技術のレベルの高さをアッピールでき、
日本のリサイクル産業の振興に結びつくというストーリーで組み立て、
「金色」の提案書を作製し(写真)、
東京オリンピック組織委員会やオリンピック担当大臣、文部科学大臣などに提案したものです。
その後、東北において中小家電からの回収について経産省から認証を受けている事業所が所在する
八戸市、大館市に呼び掛けて3市共同の取り組みとして運動をしてきました。
次回(その2)では、一関市の取組状況について紹介します。

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一関市民憲章推進協議会通常総会 H29.5.13

一関市民憲章推進協議会の通常総会が開催され、来賓出席しました。
花いっぱい運動や青少年健全育成など地域における様々な分野で
横の連携を深めながら活動をしている多くの団体が構成員となっています。
昨年は特に国民体育大会に向けて花いっぱい運動を中心に国体への機運を高めていただいたことに感謝し、
「一人一人が少しずつ汗をかけば大きなうねりとなって大きな成果に結びつくでしょう」と
今後の取り組みへの期待を込めて挨拶としました。
一関合唱連合会の皆さんから、今年も東日本大震災からの復興支援のための「復興支援金」が寄贈されました。
一関市では市内に多くの合唱団が構成され「合唱のまち一関」として有名です。
東日本合唱祭、第九合同合唱などは市民が楽しみにしているイベント。
皆さんからの善意を震災復興のために役立てたいと思います。

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東北国道協議会情報交換会 H29.5.12

東北国道協議会通常総会、開会しました。
役員改選で山本宮古市長が協議会会長に選任され、明日、早速国交省などに要望活動を行います。
情報交換会は地元色満載に「ねぶた」。青森市役所のチームとのこと。

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東北国道協議会通常総会 H29.5.11

今日は東北国道協議会通常総会に出席のため青森市に来ています。
道路整備促進に期待する住民の要望は国道、県道、市町村道の区別なく大きいのですが、
事業費総額の確保が不可欠です。
今日の総会においては「国道」についての新規、継続事業から、
長寿命化など維持管理に及ぶ広範囲の分野における国の事業費総額確保に向けての意見も出される予定です。

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内外情勢調査会県南支部懇談会 H29.5.9

内外情勢調査会県南支部懇談会。
演題「働き盛りの健康法」
講師(有)トータルフィットネス企画ピュア
インストラクター 西本真寿美さん
NHKのテレビ体操のお姉さんを務めた西本さんが体操の実技を交えながら、
本来の体の動かし方などを分かりやすく解説してくれました。
私たちがやっていた(と思っていた)やり方が全く間違っていたことを痛感。
途中からモデルとしてステージに引っ張り出された男性も汗だくになりながらの好演技(?)でした。
実は彼、取材のため会場に来ていた地元紙の記者さんでした。
お疲れさまでした。
連休明けの本日の定例記者会見から、従来の「着席会見」から「立ち会見」に切り替えました。
記者さんからは県内の首長では県知事以外では一関市だけではないかとのことでした。
実際にやってみると立ち会見の方が緊張感が増して満足しています。

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いちのせき賑わい「ど市」 H29.5.8

毎年5月から10月まで、夏まつりのある8月を除く毎月第一土曜日に
錦町水天宮通りで開催される『いちのせき賑わい「ど市」』が今年で21年目を迎え、
6日、賑やかに開会されました。
オープニングセレモニーでは「餅つき」。
つきあがりを待つ市民の皆さんの長い行列も含めて、一関のお馴染みの「風景」です。
中里鶏舞の披露もこの開会式には欠かせないものとなりました。
翌7日には、前副市長の田代善久さん(5月2日逝去)の葬儀があり、お別れをしてきました。
孫たちが帰ったわが家は、あうんの呼吸で情報が飛び交う いつもの環境に戻り、
今日からまた新しいスタートです。

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満100歳の誕生日 H29.5.5

市内川崎町にお住まいの千葉キヨノさんが、
満100歳の御誕生日をお迎えになられました。
長男夫婦との3人暮らしの日常ですが
今日は親族29人(子5人、孫10人、ひ孫13人、玄孫1人)に囲まれて
お祝いの会が開催されました。
市からの祝い状、記念品、記念の「お目出鯛」色紙、花束をお送りいたしました。
キヨノさんは殆ど自立した日常生活ができ、
好き嫌いもなく家族と同じものを食していて認知症状もみられない。
お祝いへの御礼の挨拶でキヨノさんは
「100歳になりましたが、もう少し足を延ばして長生きに努めますので、
お集まりのみなさんも健康に気をつけて100歳まで頑張ってください」と
逆に励まされてしまいました。
お見事な100歳の御誕生祝いでした。

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満100歳の誕生日 H29.5.3

市内三関の「いこいの園」に入所している日比野傳輔さんが今日、
満100歳の誕生日を迎えました。
祝い状、記念品、色紙、花束を贈呈させていただきました。
永年教職に身を置いてきた傳輔さんは、
施設入所者の皆さんからも「先生」と呼ばれ頼りにされる存在です。
誕生日の御祝いの返礼に自慢の詩吟を披露していただきました。
詩吟の県組織の会長を務めたことがあるとのことで、
周囲がびっくりする声量に参集者は驚きを隠せませんでした。
傳輔さん、元気に明るく毎日をおくってください。
市内の満100歳以上高齢者は男性が18人、女性は80人と
女性の高齢者が圧倒的に多い情勢です。

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一関工業高等専門学校の留学生 H29.5.2

一関工業高等専門学校が受け入れている留学生5人の表敬訪問を受けました。
ラオス、マレーシアからの2人は高専3年生に編入、
フランスからの2人は4月~6月の短期留学生です。
高専では平成3年から留学生の受け入れを開始し、
28年度までに69人を受け入れています。

「フライング ダンゴ」
全員が厳美渓のカッコウ団子が面白いと言っていました。

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須川高原牧野の開牧式 H29.5.2

昨日の室根高原牧野に続いて、今日は須川高原牧野の開牧式、安全祈願祭。
須川岳を正面にして広がる放牧地(255ヘクタール)では
昨年から高原牛舎で越冬した牛たちがのんびりと草を食んでいました。

室根高原は乳牛中心なのに対して、須川高原は和牛中心で、
預託頭数も27年の170頭(夏95、冬75)から28年には345頭(夏218、冬127)と倍増。
預託頭数が増えることは一方で和牛繁殖農家が高齢化し、
深刻な担い手不足にあることも示唆しているのだと思います。

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市下水道事業等経営審議会 H29.5.1

一関市下水道事業等経営審議会が開催され、
10人の方々に審議会委員の委嘱状を交付させていただきました。

市内では一関地域と千厩地域で下水道整備が進められていますが、
合併前の市町村の土地開発や利用状況など地域事情により、
負担金・分担金の算定方法に違いのあるまま推移してきました。
ところが最近、中心部の一関地域で郊外への整備が急速に進み、
大区画の宅地を有する農家への高額な賦課が想定されるようになりました。

このような課題への対応について、
現在の検討状況を説明し審議会としての意見をいただきたいという趣旨で諮問をさせていただきました。

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室根高原牧野 夏季放牧安全祈願祭 H29.5.1

室根高原牧野の夏季放牧安全祈願祭が越冬牛管理牛舎で行われました。
室根高原牧野(313ヘクタール)は昭和45年に室根山の中腹に開設され、
一関市からJAいわて平泉へ管理委託している。
東日本大震災では放射性物質による汚染で放牧自粛を余儀なくされ
平成24年から草地の除染作業を開始し、27年6月で全牧区が放牧利用可能となった。
これに合わせて公共牧場ハブ機能強化し、土壌診断、肥料設計の見直し、
本年度は外周牧柵をすべて電気牧柵に改定の予定です。

市内にはこの室根高原牧野で乳牛を、明日開牧式を迎える須川高原牧野で和牛を受け入れられている。
広い牧野へ出番を待つ乳牛たちもソワソワしているように見えます。

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