骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)

 一関市厳美町本寺地区に所在する骨寺村荘園遺跡は、平安時代末期から室町時代初期まで約300年にわたって陸奥国平泉中尊寺の経蔵別当領として経営されてきた地域です。
 中尊寺には鎌倉時代に描かれた2枚の骨寺村の絵図が残されており、中世の骨寺村の状況を視覚的にうかがい知ることが出来ます。そして、そこに描かれた景観は、現地を歩く中で今でもあまり大きくは変わっていないことが実感できます。中世荘園の雰囲気を今に伝える、日本でも希有の場所です。そのため、骨寺村荘園遺跡一帯は国の重要文化的景観に選定され、絵図から特定できる場所が国の史跡に指定されました。古文書や絵図という史料の伝存、絵図の世界を彷彿とさせる農村の景観、荘園時代の貴重な遺跡など、中世の農村世界をこの場所で見つけることができます。

場所と環境

 骨寺村荘園遺跡は一関市本寺地区に所在します。村の範囲は、奥州藤原氏の滅亡後に源頼朝によって東は鎰懸(かぎかけ)、西は山王窟(さんのうのいわや)、南は磐井川、北は峯山堂(みたけどう)から馬坂(まさか)にいたる山の稜線と定められました。現在では周辺環境を保全する目的で、JR一ノ関駅から国道342号を栗駒山方向に向かった約14km付近を基点として、西端は21km付近に位置する山王山までの東西約7km南北約2kmの範囲、761haが重要文化的景観の景観計画区域に指定されています。
 この場所は、栗駒山(くりこまやま)から東流する磐井川(いわいがわ)左岸に形成された段丘平野で、周囲は標高300m前後の低い山々に囲まれています。農耕が営まれている平野部の標高は150~180mで、西側から東側に向けて緩やかに傾斜し、磐井川は平野部と山稜を割り込むようにさらに約20m下を流れています。中世の絵図では、山と川に囲まれた空間として描かれており、現在の航空写真でもその様相を見て取ることができます。
 本寺地区の水田は、北・西の山からの自然湧水を利用した区域、平野部を東流し磐井川に流れ落ちる本寺川からの取水を利用した区域、近世に整備された磐井川から取水する下り松(さがりまつ)用水を利用した区域というように、平野部全体にわたっています。また、イグネと呼ばれる防風林が家々の西側に造られ、栗駒山から吹き下ろす強風を防いでいます。イグネを含めた伝統的な家屋構造が垣間見え、大規模な開発行為が及んでいないこの場所は、中世以来営々と受け継がれてきた農村景観をとどめているのです。

1 2 3 4