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川原慶賀画
絹本著色
縦24.0cm 横43.0cm
嘉永年間(19世紀半ば)
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嘉永年間(19世紀半ば)の長崎の出島の様子を、川原慶賀(1768―?)がオランダ人の要請に応じて描いたものです。
出島は、寛永13年(1636)に江戸幕府が作らせた扇形の埋立地で、この中に限りオランダ人の居住が許され、安政4年(1857)に開国するまで、日本で唯一のヨーロッパとの接点でした。
川原慶賀は、オランダ商館の医師シーボルトの日本研究を、風俗や植物などを正確に描いて記録して補佐したことで知られ、彼の描いた精密な写生画は国内外に残っています。この絵も、風にはためくオランダ国旗、軒を連ねた建物、ひときわ大きい二階建てで白壁のカピタン(商館長)部屋や、庭園の様子、石垣、長崎の町とを結ぶ橋、付近に立てられた制札などばかりか、道行く人々や犬、それらの影までもが細かに描かれています。
出島への出入りは、限られた商人、人夫、遊女等のみに許され、特別な許可が必要でした。大槻玄沢は、29歳のころ長崎に遊学していますが、その時、オランダ人との通訳を担当する役人(オランダ通詞)らのはからいで、たびたび出島に行ってオランダ人に面会し、オランダ料理に舌鼓をうったり、時には病気のオランダ人の治療に当たるなどして、日本の中の「オランダ」を体験しています。
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