不変を貫く不動の美学 本寺に生きる。 06 民力
06 民力 本寺の一番の財産は人だ 使命は故郷を守ること
温かい人々と中世の農村風景は故郷の誇りだ。
全ての人の知恵を結集して、新しい時代へ挑む本寺地区地域づくり推進協議会の佐藤勲会長に聞いた。
トップに聞く本寺のビジョン 佐藤勲さん
温和な人々
本寺地区のイベントや行事は、全てボランティアの力で行われている。
収穫祭も、それぞれ仕事があるにも関わらず、みんな集まってくれた。
互いに協力しあい、力を合わせて頑張るからこそ、良いものができるのだと思う。
その原動力は家庭であり家族だ。
夫婦の仲や親子の関係など、家庭がうまくいっていればこそ、地域のことにも主体的に関われる。
本寺の人たちは皆さん温和な人たちばかり。
どこの家でも快く送り出してくれる。
イベントや行事に参加してくれる人はもちろん、留守の家を守ってくれる家族にも感謝したい。
本寺を訪れる人は年々増えており、約30万人に上る。
本当にありがたい。
その一方で、地域の少子高齢化は加速度を増している。
これまでのように、全てをボランティアで賄う仕組みでは継続することは難しい。
一人一人の負担を減らせるような仕組みを再構築する必要がある。
故郷の誇り
本寺は一関市西部の山間地だ。
私は小さい頃、本寺に自信を持てなかった。
学校は小さいし、人口も少ない。
中心部(市街地)の人たちと交流する機会もなかった。
中心部の人たちは、なかなか本寺に目を向けてくれることはなく、「本寺ってどこ?」と聞かれることも少なくなかった。
人は地域への自信や誇りを持てなくなると、消極的になってしまう。
それではダメだ、意識を変えなければと思った。
大人になった。
県職員だった私は、転勤があっても本寺から通った。
本寺から離れたことは一度もない。
本寺の風景は、中世から変わらない「不変」の風景だ。
それは日本人の心に宿る「普遍」の風景でもあり、その価値は世界にも誇れるものである。
今は、そんな素晴らしい土地に暮らせることを心から誇りに思う。
知恵を集めて
本寺から内外に情報を発信をしているが、まだまだ多くの人に理解してもらうには至っていない。
私たちの力不足だ。
今年7月、骨寺村荘園交流館「若神子亭」の管理棟部分がオープンした。
ここを本寺の地域づくりの拠点に、骨寺村の情報発信の拠点にしたい。
来年度中には隣に展示棟も完成する。
若神子亭と展示棟が、骨寺の歴史、景観や文化を伝える施設として確実に機能するよう、知恵を集めて運営を考えたい。
一関ニューツーリズム協議会が設立された。
グリーンツーリズムと本寺をタイアップできないかを模索している。
観光客は年配の人が多い。
これからは子供たちや若い世代に関心を持ってもらうことと九州や四国など遠方から訪れる人たちの受け入れなどが課題だ。
農業体験はもちろん教育旅行の受け入れなども考えていきたい。
地域を活性するために考えることはたくさんある。
若神子亭を拠点に、みんなで議論し、知恵を出し合い、魅力ある本寺をつくっていきたい。
新たな時代へ
「世界遺産登録から外れて残念ですね」とか、「今後、登録に向けてどんな活動をしますか」などとよく聞かれるが、私たちは世界遺産登録を目標に地域をつくっているわけではない。
一つの方向性や手段としては重要なことだと思うが、大切なのは骨寺を、本寺をいかにして守っていくかだ。
ここは国の重要文化的景観である前に本寺の人たちの生活の場である。
景観保全と生活環境の両立には、人材が不可欠だ。
現在、個人やボランティアが本寺を守っているが、このまま少子高齢化が加速すれば、住民レベルで本寺を守っていくことは困難になる。
生活を守る、農業を守る、景観を守る、情報を発信するなど、本寺の地域づくりは多岐にわたる。
これらをマネジメントするためには、市や関係機関・団体の支援、協力を得ながら、組織的に取り組んでいく仕組みが必要だ。
法人化なども視野に入れた運営システムの検討が急務だ。
骨寺は先人たちから受け継いだ本寺の財産だ。
同時にそれは、国が認めた日本の財産でもある。
大事なことは、骨寺を守ってきたのは人であり、本寺をつくってきたのは人であるということ。
そのことを忘れてはならない。
みんなが互いの価値を認め合いながら、互いの持ち味を発揮し合いながら、共に未来を切り開いていく地域づくりを進めたい。
私たちの使命はその基盤をつくり、次の世代へと引き継ぐこと。
それが故郷を守ることにつながると信じている。
2012年度の完成を目指し、工事が進む展示棟(奥)。
隣接する「若神子亭」と共に骨寺村の歴史、景観や文化を伝える
●さとう・かおる
1944年一関市生まれ。
県職員、市職員、団体職員を経て93年から09年までの15年間、市農業委員として在職。
この間、99年から6年間は会長を務める。
JA岩手南総代や本寺ブルーベリー生産組合副組合長を歴任。
04年に発足した本寺地区地域づくり協議会の初代事務局長に就任。
10年からは会長として、本寺地域発展のために東奔西走している。
妻、母と3人暮らし。厳美町字駒形在住、67歳
(広報いちのせき23年12月1日号)