春の叙勲
長年にわたって各分野の進展に尽力、その功績が認められ平成25年春の叙勲を受章した皆さんです。
なお、鉄道業務功労で元日本国有鉄道職員の及川宏さん(85)=花泉町=も瑞宝単光章を受章しました。
瑞宝双光章 小山奬さん
おやま・すすむ 70 大東町
郵政事業功労 元特定郵便局長
1965年に郵政省入省。東京中央郵便局に14年間勤めた後、79年8月から大東町興田郵便局に勤務。
85年3月に同郵便局長に就任し、03年3月に定年退職しました。
局長時代は県南部特定郵便局長会長も務めるなど、地域郵便業務の発展に寄与。
「地元で働くことができて光栄だった」と語り「多くの皆さんに郵便局を利用してもらい、ありがたかった」と住民と心の通いあった当時を振り返ります。
受章に当たり「地域の皆さんのおかげ。苦労をかけた家内にも、やっと恩返しができたかもしれない」と感謝しています。
瑞宝双光章 小岩三男さん
こいわ・みつお 87 南新町
鉄道業務功労 元国鉄職員
1940年に旧国鉄入り。一関機関区庫内手として鉄道員の一歩を踏み出し、教習所生活を経て憧れだったSLの機関士に合格。東北本線や大船渡線で旅客、貨物列車をけん引しました。
釜石、盛岡両機関区の助役、盛岡鉄道管理局運転部総務課補佐なども務め、近代化・合理化の流れの中で東北本線複線・電化や東北新幹線の工事などに携わりました。
75年には国鉄総裁から特別功労賞を受賞。「苦労も多かった」と当時を振り返ります。
受章に当たり「41年間頑張れたのは上司や同僚のおかげ。家庭を守ってくれた家内にも感謝している」と話しています。
瑞宝双光章 新妻由利子さん
にいつま・ゆりこ 71 萩荘
人権擁護功労 人権擁護委員
1993年に就任以来、相談者の声に耳を傾けてきました。
寄せられる相談は家庭内、夫婦間や親子間の問題から地域のトラブル、心の問題などさまざま。
相談者の期待に応えたい、不安な気持ちを和らげてあげたいという思いで日々活動しています。相談者に寄り添うあまり、自身の体調を崩したことも。
悩みを抱える人はまだまだいると認識し「私たちの活動をもっと周知していく必要がある。自分自身がしっかりしなくては」と決意します。
受章に当たり「身も心も引き締まる思い。初心に帰った気持ちです」と語り「他の委員さん、関係機関の皆さんや家族のおかげです」と感謝しています。
瑞宝単光章 佐藤とし子さん
さとう・としこ 66 花泉町
社会福祉功労 元特別養護老人ホーム「関生園」寮母
1979年から介護の道へ。市内真柴の関生園寮母(介護員)の草分け的存在として20年にわたって利用者に尽くしました。
介護保険制度が始まった2000年、介護支援専門員に。利用者の相談を受けて個々に合った適切なサービスを提案。
長年にわたり培った豊富な経験と技術で現場を支えました。
現在は非常勤の現役。利用者と若手職員の「つなぎ役」として、現場の良好な環境づくりにも尽力しています。
受章に当たり「私でいいのかという思い。厳しい介護の現場で働く人たちの励みになれば」と話しています。
瑞宝単光章 高橋清男さん
たかはし・きよお 83 花泉町
消防功労 元花泉町消防団分団長
消防団員だった父親が退団し、入れ替わりで1947年に当時の花泉村消防団に入団。87年から分団長を務め、89年3月に退団するまでの41年間、地域の防災活動に尽力しました。
責任感が強く、災害発生時はいち早く現場に駆け付け、団員の指揮に当たりました。
在任当時を「設備が不十分の中で、いかに早く現着できるかを考えていた」と振り返り、住宅火災発生時に消防車両が足りず、自転車で現場へ向かったこともあったといいます。
受章に当たり「家族をはじめ、先輩や同僚らの協力があったからこそやってこれた」と感謝しています。
瑞宝単光章 千葉初男さん
ちば・はつお 82 大東町
消防功労 元大東町消防団副団長
1962年に大東町消防団に入団し、副分団長、分団長、副団長などを歴任。2000年3月に退団するまで、昼夜を問わず地域の安全、安心のために尽力しました。
「火災や災害から住民の生命、財産を守るため、通常の業務以外にもポンプ操法などの訓練に取り組んだ」と普段からの備えの重要性を指摘。
「仕事は厳しく責任は重いが、住民を救助できたときの達成感は何物にも替え難い」と38年間の団員生活を振り返ります。
受章に当たり「私でいいのかという思い。家内の助けがあったから消防団活動に集中できた。まさに内助の功。感謝している」と話しています。
危険業務従事者叙勲
瑞宝双光章 小野洋さん
おの・ひろし 71 関が丘
警察功労 元県警部
1960年に岩手県警入りし、盛岡署を皮切りに宮古、大船渡、北上署勤務などを経て、千厩署室根駐在所長を最後に2001年退職。
大半を交通畑で過ごし、事故の原因特定や交通安全の啓発に尽力しました。数々の現場を踏んだ中で、最も心を痛めたのは子どもの死亡事故。
「悲しみしかない。何とかなくしたい」という一心が激務を支えたました。
退職後も熱意を失うことはなく、市の専任交通指導員として交通安全教育に尽力しました。
受章に当たり、大病を乗り越えて受けた叙勲を喜ぶ一方で「家内の支えと同僚のおかげです」と感謝しています。
瑞宝双光章 宍戸久さん
ししど・ひさし 61 田村町
防衛功労 元一等陸尉
1970年に入隊し、青森県の八戸122特科大隊に配属。通信班長、補給班長などを経て06年、青森地方協力本部青森地区援護センターの副センター長を最後に退職。
「部隊の神経」とされ、責任の重さを自ら知る通信手を中心に職務に励みました。
通信手時代で印象に残るのは、83年の久慈市大規模山林火災。災害派遣で出動し、現地中継所と本隊間の連絡を正確、迅速に伝えました。
「訓練の成果を全力で発揮した3日間だった」と振り返ります。
受章に当たり「上司、同僚や後輩の協力、家族の支えがあってこそ」と感謝しています。
広報いちのせき「I-Style」 平成25年6月15日号