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大槻文彦著
24.4×16.7cm 及び 25.0×17.2cm
明治時代
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大槻文彦は日本語辞書の完成を目指して言葉の海と格闘する中で、日本文法の必要性を深く認識し、明治11年(1878)数名の仲間と共に文法会を立ち上げて研究に取り組んでいきました。文法会は都合56回開かれ、その成果は「日本文典」として結実しました。
この「日本文典草稿」はその文法会時に文彦案として提示されたそのもので、文部省の罫紙に漢字と片仮名で書かれています。言語篇の内の「用言」部分2冊にあたり「第三」「巻四」と順番が付されています。冊子中にはそれぞれに朱の書込による批評があり、「第三」の批評者は国語学者佐藤誠実、「巻四」は哲学者井上哲次郎です。書かれた時期は不明ですが、二人の参加から考えて明治14年(1881)前後かと思われます。
明治24年に文彦が日本初の近代国語辞書として完成させた『言海』の巻頭には、語釈に先立って「日本文典」の摘録として「語法指南」が掲げられていて、その後のわが国における文法研究に多大な影響を与えました。「日本文典」自体は未刊のままでしたが、明治30年に至って『広日本文典』『広日本文典別記』が刊行されて全容が世に示され、翌年には文学博士の学位が文彦に授与されました。
このように「日本文典草稿」は文彦による文法研究の原点であるばかりでなく、日本文法史上においても貴重な史料と言えるでしょう。
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