木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)~室根地域~

木造、カヤ材、寄木造り、漆箔仕上げ、彩色のあとを残す。南流神社蔵 ―今を去ること1330年ほど前、「朝一時山(あさいっときやま)」と呼ばれていた室根山には、身の丈八尺(2.4メートル)もある、髪が縮れ赤ひげの鬼のような山男たちが住んでいました。この山男たちが人々の生活を脅かしていたので、里人の願いにより、朝廷では953騎を派兵し、討伐を行いました。討伐した首領の首を山の中に埋め、以来、「朝一時山」は「鬼首山(おにくびやま)」と名を改められました。山男の2人の副首領の首二つのうち、一つは里に埋め「鬼地塚」と名を付け、一つの首は都に送られました。後に、この戦いで死んだ多くの者を弔うために、都に送られた首がこの地に戻り、首塚と供養塔を建てるとともに、聖観音を勧請し、宝物として太刀やお経が納められたのです―
 この時が和銅3(710)年正月17日で、「南流山慈眼院観音寺」、現在の南流神社の始まりと「慈眼院南流山観音本地品」に記されています。
 南流神社の本尊は、見ると目がつぶれるとされていたことから、永遠にその姿を見ることを禁じられ、人々の目に触れることはありませんでした。しかし昭和22年、日蓮宗の行者の「この仏が世に出る時が到来した」との言葉を受けた当時の南流神社別当、吉度義雄さんの手によって、荒コモに巻かれちりの積もった観音像が発見されたのです。それがこの木造聖観音立像です。
 高さは約118センチ。容姿や衣の彫り、天冠台の形式など、華やかながら品のいい、まとまりがよく穏やかな観音像です。平安後期の藤原様式の優品とされ、33年5月県指定文化財となり、平泉文化を今に現す一つとされています。この聖観音立像は南流神社の本堂奥の院に安置され、一般に見ることはかないませんが、室根山中腹にある室根神社とともに、室根の信仰の歴史を物語っています。