条件は厳しいが苦労して耕されてきた土地 体が動く限りは農地を守り続けたい

佐藤律雄さん=厳美町字祭畤=(64)
寒さに強く、酸性土壌を好むブルーベリーに取り組んで20年以上。
初夏、花が咲き始めたブルーベリーを眺める佐藤律雄さん

一面の水田はすべて佐藤さん宅で耕作「寒くて厳しい土地ではあるけれどもここが好き。地震では農地に大きな被害があったけれど修復することができた。体が動く限り農業を続けたい」

厳美町市野々原で生まれ育った佐藤律雄さんが現在住む祭畤に家族で移ったのは平成7年。息子夫婦に子供が生まれ、それまでの家が手狭になった折、のびのび暮らしたいと、離農する人の家と土地を譲り受けました。

現在は妻の洋子さん、息子直樹さん夫婦と孫4人、両親の4世代10人家族で暮らし、近くの温泉施設に勤務する傍ら、水稲2.5ヘクタール、野菜50アール、ブルーベリー50アールを耕作しています。

岩手・宮城内陸地震の震源地近くに暮らす佐藤さん。

農地も自宅も大きな被害を受けました。

「田に行く農道は幅50センチもの亀裂ができたし、田の土手は30カ所ほど崩れた。自宅は風呂桶が二つに割れ、2階のサッシは全部割れた」と振り返ります。

道路やライフラインが寸断されたため家族で避難所へ。

自宅に戻ったのは、避難勧告が解除され祭畤大橋の仮橋が通行可能になった20年11月末でした。

水田の修繕は地震後に市役所関係課職員の手を借りて応急処置はしたものの水が漏れ、コメの収穫量は例年の5割。

昨年春、ほとんど自分で田の修繕を行いました。

昨年は水田の半分を県の工事の土砂置き場として貸したため、今年は2年ぶりに全部の田に作付けしました。

母・ミサヲさん(87)が祭畤出身のため、子供のころから祭畤によく来ていて、「家がもっとあり、今よりもにぎやかだった」と佐藤さん。

市野々原地内にある水田は、父母が開拓した土地。

「この地の人たちが苦労して耕してきた土地を捨て置くのは惜しい。この一心で農業を続けている」と語ります。

タクシー運転手をしていたものの不規則で子供とも顔を会わせられないと昭和51年から11年間、専業で農業に取り組んだ佐藤さん。

多い時は水田4.5ヘクタール、受託作業も含めれば7ヘクタール分を耕したことも。

ダイコンやリンドウにも挑戦し、農業で暮らすために何をしたらいいか手探りだった昭和55年、ブルーベリーに出合いました。

農協主催の営農講座で講演を聞き、火山灰の影響で酸性が強い土壌と寒冷なこの地にぴったりだと仲間10数人で研究会を組織。

長野県から苗木の親木を導入し、挿し木で苗作り。

現在の本寺ブルーベリー生産組合へとつながっていきます。

「この2年間はあっという間だった。多くの皆さんにお世話になり、義援金もいただいた。感謝の気持ちでいっぱい」と振り返る佐藤さん。

「祭畤地区に住むのは現在4世帯だけで、高齢化が進んでいる。農地をどう守るかが課題」としながらも「87歳の父も現役なのだから自分も負けられない。前向きに取り組み、いずれは息子に引き継ぐだけ」と自然体です。

(広報いちのせき 平成22年6月15日号)