和算に挑戦

平成19年度出題問題①[初級問題]&解答例

 京都へ飛脚(ひきゃく)Aが出発しました。その4日後にもう一人の早飛脚Bが追いかけ、5日走って宿に着いたところAは3日前に出たといわれました。
 さてBはあと何日でAに追いつけるでしょうか。※福島の和算家佐久間纉が嘉永6年(1853)に出版した『当用算法』にある問題です。

審査員講評

 団体応募として、小・中・高生より多数の解答を寄せられたのが、今回の大きな特徴です。学校を通じての、和算への熱心な取り組みの結果の表れと思います。大変感謝申し上げます。
 問題に接しての素直な飾らない感想、大きな感動が、数多くしたためてあり、採点に一層の力が入りました。7歳から83歳まで、広範囲の年齢層の方々からの応募ということも、初級ならではのことであり各自の理解の範囲で、問題解決にあたっては、いろいろなアプローチがあり、楽しませて頂きました。家族の絆が深まったとか、大学で数学を専攻している方が前向きに取り組み何通りかの解を寄せてくれたなど、話題に事欠かず、この「和算に挑戦」が回を重ねるにつれ、大きな刺激になってきていることをひしひしと感じました。
 解答のパターンを、多い順に大別しますとおおよそ次のようになります。

 (1)  直観的に、「5日で1日追いつく」から3日の差を縮めるには、「5×3=15日」であればよいとする初等的で簡潔な解。このことを図示して実証してある。
 (2)  関係方程式をつくり解く。
 (3)  A、Bの行動を座標化し解く。(2直線の方程式を利用)

 小中学生の解答には、まどわされるものが多かったです。直観にたよるあまり、何故そのような答えに行き着いたかという理由が欠けていたり、簡潔にできそうな部分の説明がやや冗長であったり、自分の考えを数式などを使って、適確に表現できずに終わってしまう解答がありました。論理的に考え、それを自分の言葉で表現してみるという練習を望みます。次の段階へ進むための大事なステップであると考えております。次回に期待しております。
 答えは正しくても、その理由がはっきり示されていないものは、正解との差はごくわずかと思われますが、今回は△印として、不正解扱いとしました。
 多くの優劣つけ難い正解の中から、各賞に該当するものを選定する作業は至難の業であり、大変苦心しました。毎回すばらしい解を寄せてくれる人々には心苦しかったのですが、今回初めて応募された人々にも可能なかぎり道を開けました。
 改めて、初級問題へ多くの方々から絶大なる支援をいただき感謝いたします。
 最後に、題意のくみとりかた(宿にいつ着き、いつ出発するかなど)で、答え方が変わる部分が問題文の中に一部あり、ベテランの方から3~4条件付しての念入りな解答がありましたが、その緻密さ厳密さに敬意を表します。類似の指摘は2、3人の方々からもありました。この点については、原問題(原文)をわかりやすく現代風に提示し、それに基づく解を検討の上でしたので、原文の解を尊重し、正解としましたことを申し添えます。
 この種の問題は、現実的面を反映した解釈より、抽象化した単純なものと考えていただければと願っております。このことは、中級、上級でもありうる事柄ですが、後世の私どもが題意の神髄をそこなわずに、補正を加えることも可として、あらかじめ問題が設定されてあるのではないだろうかと考えれば、その深謀遠慮に、「和算」の底の深さ、おおらかさ、楽しい夢を感じます。

(瀬川光政、古玉 晃)

 

解答例

【解答例1】
 宿に着いたとき、BはAに5日間で1日追いついたことになる。
 このことから、残りの差3日間では追いつくのに
 3×5=15日 を要することになる。

 (答え)宿より15日間で追いつく

【解答例2】
 BはAに5日間で1日追いついたのであるから、
 1日あたりBがAに追いつく日数は
 1÷5=0.2日 となる。
 このことより、残りの差3日を0にするのに必要な日数は
 3÷0.2=15

 (答え)宿より15日間で追いつく

【解答例3】

 

解説

 初級問題は、現在の福島県にあった三春藩の家臣、佐久間纉(つづき)が著した『当用算法』(嘉永6年(1853)刊)にある問題です。
 佐久間纉は、文政2年(1819)に生まれ、明治29年(1896)に没した最上流(さいじょうりゅう)の和算家で、号を「庸軒(ようけん)」といいました。明治10年『算法起源集』、明治11~12年に『和算独学』など多くの著作を著したほか、石森村(現在の福島県田村市船引町)の自宅に「庸軒義塾」という塾を開き多くの門弟を育てました。
 現在残っている算額の数は、岩手県が103面で全国2位ですが、福島県は111面で全国1位です。佐久間纉は、このような福島県の和算の普及に大きく貢献したのです。岩手県では主に関流(せきりゅう)が学ばれましたが、福島県では、山形の会田安明(あいだやすあき)が関流に対抗して起こした最上流が主流でした。
 一関地方に和算を普及させた千葉胤秀(たねひで)(安永4年(1775)~嘉永2年(1849))と佐久間纉とは、農民の家に生まれながら数学の力を認められて藩士に取り立てられたこと、地方の和算の普及に貢献した優れた教育者であったことなど、共通する部分が多いのですが、『当用算法』も、胤秀の『算法新書』(文政13年刊)と同様に、わかりやすくまとめられた和算の独習書です。

 

最初の衰(差)4日、5日後の差3日、4日から3日を引いた値(1日)と、追いかけた日数(5日)、追いつく日数の関係で「同矩(どうく)」(2つの図形が相似であること、比例すること)の関係をつくり解いています。

 

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