一関のお祭りの原点 田村大明神御祭礼

風流屋台絵(ふりゅうやたいえ)一関市博物館蔵(小林正氏寄贈)

地主町熊谷文之助(熊文)が出した山車(だし)の題材を告知した絵。

題は「田原藤太竜宮城(たわらとうたりゅうぐうじょう)におもむき乙姫(おとひめ)へまみへる体」。

版画を刷って大量に頒布したもの

江戸時代、一関城下を代表するお祭りは「田村大明神御祭礼」で、これは一関のお祭りの原点でした。

「御神祖御祭礼」とも呼ばれ、藩主田村家の祖とされた坂上田村麻呂を祭った田村社の例祭でした。

田村大明神は、元禄7(1694)年2月18日に、初代藩主の田村建顕が近江国(滋賀県)土山の田村社より勧請(神仏の分霊を他の地に祭る)し、城下の八幡社(現在の字釣山)に合祀(二柱以上の神を一社に合わせ祭ること)したものです。

例祭は毎年3月18日に行われましたが、明治44(1911)年に新暦の4月18日に改められました。

これ以降、田村神社の4月18日の例祭を臨時祭とし、八幡神社の8月15日の例祭を9月15日に改め、二柱合わせて春秋祭として行われました(「一関町誌稿」)。

田村大明神御祭礼(御神祖御祭礼)の様子は、元治元(1864)年の「御郡方御用留」に記載されています。

3月18日から3日間の、藩と町方、官民あげての祭りであったことがわかります。

祭りにあたっては、大明神の祭られている田村社の別当文殊院から領内へ守り札が配布されました。

また、警護の役人・足軽・目明、労役の人夫が動員されました。

祭りは、田村社から地主町の本陣(現在の新光写真館付近)玄関前に設営された行宮(仮のお宮)までの神輿の渡御(神輿のお出まし)で始まります。

百人町(現在の宮坂町・新大町)・大町・地主町を経由し、行宮は盛砂をし紫の幕で囲われました。神輿の行列には町方の出し物が加わりました。

町方の出し物は、地主町・大町、両町の「町印」、「浦島太郎」「八幡太郎義家」「牛若丸」などの故事を題材とした風流屋台(山車)や、色とりどりの造花などを飾り付けた風流傘(大きな傘の上に作り物を飾り立てて持ち歩いた)、武者行列、子踊りなどでした。

この元治元年は藩政改革の最中で諸事倹約向きの命が出ていて、町方世話人をはじめ絹・紬の着用は禁止され、子踊りのための特設舞台の設営は控えさせるなどの規制がありました。

しかし、御神祖田村大明神の御祭事であり、藩主邦栄の初入部ということもあって例年と同じように行われ、広小路四辻(現在の一関文化センター角、上の橋通りと広街通りの交差点)の辻番所前で藩主の上覧に供しました。

地主町の金森多吉が田村大明神へ「すためん」(stament 羊毛に麻を交ぜて織った、オランダ舶来の織物)の旗を奉納し、祭礼中地主町通りの井戸脇(現在の日専連前の交差点中央)に立てられるなど、祭りの3日間、これらの出し物で町方は大いに盛り上がりました。

また、祭礼中は地主町・大町・百人町の継立人馬の通行は禁止され、う回路が設定されるなどの交通規制も行われました。祭りの出し物の記録や風流屋台(山車)絵が松川村(現在の一関市東山町)に残っていて、祭りには近郷近在から多くの人々が集まって、大変なにぎわいだったのでしょう。 

一関市博物館案内

テーマ 展「一関城下の町方」
町割・屋敷・商い・人口・五人組・火消組・祭りなどを中心に、活気ある商業活動で城下を支えた町方を紹介します。
■会期…4月24日土曜日~6月6日日曜日
■展示解説会…4月25日日曜日、5月9日日曜日、6月6日日曜日 11時~12時
参加者募集
【和算講座上級コース】「算法新書を読む」
江戸時代の数学・和算の魅力に迫ります。

■日時…初回は4月10日土曜日10時~11時30分。2月を除き月1回開催

■定員…一般36人※参加無料

【ワークショップ】「グラス・ペインティング(ガラス絵)に挑戦」
透明な板ガラスの裏側から絵を描く「ガラス絵」に挑戦しませんか。

■日時…5月1日土曜日・2日日曜日午前の部9時~12時、午後の部13時~16時

■定員…小学3年生以上、各回15人

■参加料…200円※汚れてもいい服装で参加してください。

【いわての博物館交流セミナー】「野の花の標本をつくろう」

■日時…5月3日月曜日9時30分~15時30分

■講師…鈴木まほろさん(県立博物館専門学芸員)ほか

■集合・解散…博物館

■定員…小学4年生以上20人(小学生は保護者同伴)

■受付期限…4月25日日曜日

■参加料…300円(保険料込み)※昼食は各自。汚れてもいい服装で参加してください。古新聞持参。

(広報いちのせき 平成22年4月1日号)