文化財探訪 木造来迎阿弥陀及菩薩像 =東山地域=

菩薩像の一部 桂材、布張り漆箔仕上げ 二十五菩薩像保存委員会蔵

 木造来迎阿弥陀及菩薩像は、地域で昔から「二十五様」と称し崇敬されてきました。本尊の阿弥陀如来は坐像で、像高が約110㌢、材質は桂材の寄木造り、布張り漆箔仕上げ。頭部は後補で、損傷していますが衣紋に飜波紋の名残を留めています。二十五菩薩像群は、いずれも一部が欠けていて、頭部はすべてありません。総片数は約200に達し、造形的に優れたまれな作風として知られています。平安時代後期の作です。
 奥州藤原氏が栄えていた平安時代後期は、浄土信仰が盛んで、地上にも極楽浄土のような世を作り出そうと各地に阿弥陀堂が建立されました。来迎の群像をすべて彫刻にするのは大変なので、多くは壁画で現したり、如来と脇侍だけを彫刻するなどにとどめられています。この二十五菩薩堂は、京都の即成院とともに来迎仏すべてをつくってまつったという珍しいものです。
 二十五菩薩堂について『仙台封内名蹟志』には、「松川に大飛閣があって、上棟の文には『御奈良帝の天文11(1542)年に、葛西の臣横沢重持が再建したもの』とある。堂中には二十五菩薩が安置されていたが、昔の御堂は無くなり仏像や上棟文は村の民家にある」と書かれていることから、松川の内館城主千葉氏のころには村内のお堂でまつられていたものの、天正18(1590)年の葛西氏、千葉氏の滅亡とともにお堂も荒廃し、仏像は民家でまつるようになったものと思われます。現在のお堂は、堂内にある棟札から文政12(1829)年再建のものと考えられます。お堂は昭和9年、松川字町裏ノ上地内に移され、その時屋根がふき替えられました。
 仏像は昭和31年、県の有形文化財に指定されました。その後京都の国宝修理所で修理結合し、昭和44年から現在の収蔵庫に安置されています。

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(広報いちのせき平成19年7月15日号)