旧沼田家武家住宅

かやぶき、寄棟造りの直屋(すごや)形式。表側の道路に近い場所に台所、奥に座敷を置き、通常の武家住宅とは上下の関係が異なった珍しい間取りが特徴

 一関の市街地中心部を流れる磐井川の東側に、「中街」という通りがあります。そこには「世嬉の一酒造場」や「日本基督教団一関教会」といった国の登録有形文化財に選定された伝統的な建造物群、松尾芭蕉や一関地域が輩出した先人にまつわる史跡など、この地域の歴史を伝える施設が点在しています。その一角のひときわ目を引くかやぶき屋根の建築物が、市指定文化財の「旧沼田家武家住宅」です。
 江戸時代後期に一関藩家老職を勤めた沼田家の住宅で、創建は18世紀の初頭から中ごろと推定されます。約300年の歴史を有し、当時の農民住宅の様式を素地として、次第に武家住宅として体裁を整えていく過程を示しています。素朴ながら古式な様相を呈する武家住宅は明治9年の大火を免れ、付近を流れる磐井川のたび重なる水害にも倒壊することなく今日に至りました。
 沼田家は2代重延の時代に、伊達政宗のひ孫で初代一関藩主となった田村建顕とともに一関に移ってきました。石高は代々90石前後でしたが、文政5(1822)年に7代延雄、天保12(1841)年に8代延道が相次いで家老職となり、延道は役料と合わせ300石取りとなって明治を迎えました。
 沼田家がこの屋敷に居住したのは、他家との屋敷替えによる寛保元(1741)年のことで、昭和に至るまで度々増築・改築を繰り返してきました。平成15年3月には全面解体による修復工事を終え、家老職就任以前の創建当初に近い姿を復元しました。
 広く一般公開され、年間約2700人が訪れるこの武家住宅。訪問した人たちは、一様に日本の原風景であるかやぶき屋根の建物が市街地に残っていることに驚くとともに、心がとても安らいだと話します。

問い合わせ先
生涯学習文化課 TEL 0191-25-6595 

 

(広報いちのせき平成19年11月1日号)