室根神社の特別大祭は、養老2年(718)に紀州の熊野から熊野大社の御神霊を勧請して以来、連綿として行われてきたものです。長い歴史をもち、古くから奥州の三大荒祭として有名です。

 神社は本宮が伊弉冉命、新宮が速玉男命・事解男命を祭神とする旧県社。古くは奥六郡の総鎮守として広く地方の信仰を集めてきました。室根大祭-祭り場行事全景

 神社は、養老2年(718)、多賀城で蝦夷征伐にあたっていた大野東人(おおのあずまひと)が朝廷に請い、紀伊国の熊野神を勧請したのが始まりと伝えられています。海を渡った神が、唐桑半島の細浦(現宮城県気仙沼市鮪立)に着き、当時鬼首山といわれていた室根山に鎮座の神意を表されたので、大野らは矢越の民とともに白馬を仕立てて迎えのために行列を作って向かいました。途中で一行は翁に粥をふるまわれ、折壁で仮宮を立てて迎えました。このようすを再現するのが特別大祭のマツリバ行事といいます。勧請の年の故事にもとづき、旧暦閏年の次の年に大祭を継承してきました。

 

 奉仕する神役は古の神役の末孫などによって伝えられており、その範囲は一関市(室根町、大東町、千厩町、川崎町)、大船渡市、宮城県気仙沼市に及んでいます。祟敬者が、広範囲にわたっていたであろうことが想像されます。

 

 室根神社祭は、神役制による祭りの古い形態を残した地域的特色のある大規模祭り行事として、昭和56年(1981)に岩手県無形民俗文化財、昭和60年(1985)には国重要無形民俗文化財に指定されました。

 

 献膳(室根神社)

献膳宮城県気仙沼市新城から粥の献司が参殿し粥を奉ります。粥の炊き方に秘事があるといわれています。陸尺の御飯炊事役は、神社勧請のとき勅使供奉の神士のお宿をした上折壁郷長に由来の神役が奉仕します。

 

 

 

御塩役御塩役

 祓塩を奉る神役で、養老2年(718)細浦に神霊が着いたとき祓塩を奉納した漁民の末裔として本吉郡唐桑(気仙沼市)の舞根から来ています。現在も舞根より塩水を竹筒に入れ新しい塩とともに祭日の19日深夜神前に捧げます。

 

長刀役  

長刀役 往時坊中の左近坊、慈近坊の末裔が猿田彦の役をもちます。直垂を着て毛頭をかぶり、神前の長刀を振りまわし猛烈な祓をします。

 

 

 

 

 

 御鍵持参殿

 川崎町門崎浄円坊由来の神役で、先祖が室根山四十八院のうち神社奥の院の鍵取締神職であったのが、文応年中(1260~1261)廃寺のときから門崎に移ったといいます。

御魂移しの式

 御堂の中の一切のあかりを消し、暗黒の中で行われます。終わると神官から神輿が陸尺頭に渡され、神官から一切の権限がはなれます。

神輿舁陸尺頭は、本宮神輿の取締り役で、養老2年(718)神社勧請のとき、早くも出迎えて供奉した今上(速留)某の子孫ということです。背じるしに蛇の目の紋を用います。一方、新宮は天台の坊中の子孫とされ、背じるしは菱の紋を用いて出ます。

神輿につく陸尺にしても「七祭奉仕しなければ、棒にふれられない」といわれていました。七祭とは7回の祭に参加することを意味し、いかに厳しいものであったか、往時がうかがわれます。

発輿式

 本宮、新宮の御魂移しが終わると、本宮、新宮お互いに出発の準備が整ったことを7度にわたって使いを出して確認し合ったのちに出立します。

新穀献納の式

 御輿は神社の階段を降り、途中「田植の壇」で農王社に新穀献納の式を行い、それから山をかけ降ります。

途中行事途中行事

 大先司先乗り、御神馬、荒馬先陣、袰先陣、御袋神社背負騎馬等が途中山麓まで神輿をお迎えし、前後に供奉し、長刀役が、不浄を祓い、先導します。

 お仮宮はお旅所ともいい、立柱2丈8尺5寸が、3尺土中に掘り込まれて高さは2丈5尺5寸(約7.7m)です。新宮の方は本宮より2尺下げて建てられます。これは昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)の行在所を模して建てたとも伝えています。

 大祭の前、陸尺頭から造営の役に引渡し、寸法が少しでも合わなければ再造営を命ずるなど厳格なしきたりがありましたが、今は氏子たちで造っています。

お仮宮行事

お仮宮行事 両宮先着争いのあと神輿が仮宮に御着になれば、献膳、神職の祝詞奏上など祭典の式が行われます。舞姫による舞が奉納され、大先司をはじめ荒馬先陣、袰先陣、山車等が仮宮の周囲を3度めぐります。

 行事が終わると行列を仕立て神輿還幸を町尻まで見送りします。

 

 

 

 

荒馬先陣荒馬先陣

 神社勧請の時、矢越の郷民が白馬17騎を整え、神輿を供奉した故事によります。上折壁浮船左衛門尉義光の末孫といわれる本田屋敷が継承してきましたが、その後、地域で継承されてきました。

袰先陣

袰先陣 仙台藩初代藩主伊達政宗の時代には領主の参拝がありました。それが取止めになり、祭典が淋しくなったことを遺憾に思われた当時の地頭真山氏が、家臣を江戸に遣わし細川家登城の行列を習い、それをまねて地域で行わせたものが袰先陣の始まりです。

 現在は子供が騎馬して大名行列と山車が従い、祭りを盛り上げます。行列に中には牡丹の造花「曲ろくの花」を背に取付けた馬が歩き、まわりで馬子歌を唄います。

 

 

南流神社南流神社

 和銅2年(709)の創建といい、室根神社勧請のときに勅使が参拝した古例によって、神役などが祭りの各日参拝することになっています。