原本無刑録 (大東地域)

「刑は刑無きを期す」

世界的な刑法理論の書として評価されている無刑録の1回目の草稿『原本無刑録』 県の有形文化財に指定されています

 無刑録は、郷土の先哲芦東山(あしとうざん)(1696~1776)が書き記したもので、14篇18巻からなり、宝暦5(1755)年に完成しました。県指定有形文化財の『原本無刑録』は宝暦元(1751)年に完成した自筆の1回目の草稿(15巻)で、推敲(すいこう)した書き込みなどを見ることができます。大東町渋民に今年秋オープンする芦東山記念館で展示されます。

 無刑録は、中国の古典、聖王、君主、偉人などの言行を集め「徳林(※)按ずるに…」として意見を記した刑法理論の書です。執筆された時代は因果応報主義の封建社会でしたが、「刑は刑無きを期す」として、刑法の制定は刑法を適用する犯罪をなくすことが目的であるとする、いわゆる教育刑の思想について述べています。

 このような思想はヨーロッパでは19世紀末に生まれたとされていますが、この100年以上も前に芦東山によって書き記されていたことに驚嘆させられます。

 しかし、完成した無刑録はすぐには刊行されず、明治10(1877)年に明治政府から近代日本の刑法の原点として出版、全国に配布されるまで待たなければなりませんでした。その後は法制史に欠くことのできない理論となり、世界的な刑法理論として評価されています。「東北の世界的な文化を挙げるとすれば『平泉文化』と『芦東山の思想』だ」と評価する学者もいるほどです。

 建設中の芦東山記念館に隣接する芦東山先生記念館(芦文八郎館長)の建物自体も、『芦家住宅』として市有形文化財に指定されています。嘉永5(1852)年に仙台藩主伊達慶邦が当地方を巡視する際の宿泊用として、仙台一本杉の藩邸をまねて造られた、大肝入・芦家の広間(離れ座敷)です。明治35(1902)年ごろ現在地に移築され、当時の姿をよく残しながら、分家の芦家で使用して現在に至っています。通常の農家とは違う造りに目を見張るものがあります。

※芦東山の別名

市有形文化財『芦家住宅』

  

問い合わせ先

一関市役所大東支所教育文化課 TEL 0191-72-2111(内線306)

(広報いちのせき 平成19年2月1日号)