特集、よみがえる学び舎

少子化などの理由で閉校になった学び舎があります。かつて子供たちの声が響き渡っていた学び舎の表情はどこかさびしそう。
しかし、その学び舎を再び生き生きとした表情にした人たちがいます。
今号では、生まれ変わった学び舎を特集します。

地域待望の集会施設完成

旧京津畑小再生 その名も「山がっこ」

地域の人たちが開業を餅まきで祝いました
地域の人たちが開業を餅まきで祝いました

宿泊施設を備えた集会施設にリニューアル

大東町興田地区の商店街から北東へ約10キロ。
奥州市江刺区伊手と境を接する京津畑集落。
世帯数53戸、人口150人の山あいの小さな集落です。
稲作、畜産などを中心とする第二種兼業農家がほとんどで、高齢化率も高く、43・9パーセントに及びます。

その集落の旧京津畑小学校は、明治16年に中川小学校京津畑分教場として開校して以来、教育施設のみならず地域活動の拠点としても活用されてきました。
しかし、少子化などにより興田小学校として興田地域の他の4つの小学校と統合し、平成18年3月に閉校。
一時は解体も話し合われましたが、地域の自治会で利活用を検討した結果、宿泊施設を備えた集会施設として生まれ変わりました。
その名も「京津畑交流館・山がっこ」。

施設改修の総事業費は、3130万円余りで、国の交付金と市の補助金を活用。
地域の負担金を合わせて整備しました。

施設は、総面積518平方メートルで21畳の広さを持つ多目的ホール、食堂、地域で農産加工に取り組んでいる「やまあい工房」(※)の加工施設、定員12名の宿泊室、交流作業室、男女別のお風呂とトイレを完備。地域の集会施設、宿泊施設、加工施設の3役を担う建物としてリニューアルしました。

※農事組合法人京津畑やまあい工房
京津畑地区に伝わる昔おやつや伝承料理を一堂に集めた「食の文化祭」開催をきっかけに同地区の主婦を中心に平成12年に結成。現在11名で構成。
げんべだ、ぼたもちなどの昔おやつや手作り弁当、仕出し、餅などの製造販売を行い、道の駅かわさきやスーパーにも商品を売り出している。

盛大に餅まきで開業を祝う

7月16日には開業式が行われ、地域の住民、市関係者など約70人が出席。
京津畑自治会長の菊池建さん(79)は「学校が閉校してから協議を重ねてきた。会議は50回を超え、議論の結果、集会施設とグリーンツーリズム施設にすることを決めた。教育文化活動を通してこの施設を交流の場として大いに活用し、地域の活性化をさらに進めることを願う」とあいさつし、テープカットで施設が開業しました。

式では、餅まきも行われ、地域の女性グループ「野の花の会」が作った餅約700個がまかれたほか、「やまあい工房」手作りの紅白餅が全世帯に配られました。

山がっこの近くに住む伊東リツさん(84)は「学校がなくなり寂しかったが、地域の若い人たちが心を一つにして取り組んできた。地区の出身者も、この施設をみれば、ふるさとへの想いが強くなるだろう」と感慨深げでした。

飾らないサービスを心掛け

施設は、自治会のスタッフが運営を行います。
宿泊は、1泊2食付きで6000円。
すでに宿泊客や問い合わせもあるとのこと。
スタッフの伊東光浩さん(53)は、「地元の人間らしさ、田舎の人間らしさを出してまごころが伝わればいい」と話していました。

やまあい工房の製造施設も担います
やまあい工房の製造施設も担います
看板も「小学校」から「山学校」に衣替え
看板も「小学校」から「山学校」に衣替え
初の団体客は「興田中学校バレー部」と陸前高田市の「気仙中学校バレー部」。夏の強化合宿で利用
初の団体客は「興田中学校バレー部」と陸前高田市の「気仙中学校バレー部」。夏の強化合宿で利用
集落には山ユリの群生地も。訪れる人を歓迎しています
集落には山ユリの群生地も。訪れる人を歓迎しています
合宿の夕食後に花火を行い、自然と笑みがこぼれる気仙中バレー部員
合宿の夕食後に花火を行い、自然と笑みがこぼれる気仙中バレー部員

インタビュー「懸田等さん」

懸田等さん

宿泊機能と食事の提供を行う「山がっこ」の運営には、それぞれ法律に基づいた営業許可が必要。
その許可は「農事組合法人京津畑やまあい工房」が取得しています。
代表理事を務める懸田等さんにお話を伺いました。

宿泊施設を整備しようとした理由は?

【懸田】閉校した校舎を集会施設にしようと集落で決定した。
集落では空き家も出ており、出身者がお墓参りに来ても泊まるところもないことから、それならば宿泊機能を合わせてはということになった。

すでに宿泊者もあり、滑り出しは順調のようですが?

【懸田】今は、開業したばかりで話題性もあることから順調だが、これから収支均衡を図っていくのが最大の課題。
宿泊客を呼び込むグリーンツーリズムの企画や在京の出身者への利用呼びかけなど積極的に行っていきたいと考えている。

小さな集落での取り組み。そのエネルギーは?

【懸田】何もしなければジリ貧になっていく。何もしないと何も動かないと思う。そういう考え方かな。
子供からお年寄りまでそれぞれに役割がある。京津畑では、昔からそのような考え方でみんなが主役の地域づくりを行ってきた。

懸田さんの優しいまなざしからは、よみがえった学び舎への愛着と地域の今後を思う気持ちが伺えました。

PROFILE

昭和12年大東町生まれ。昭和33年旧大東町役場入庁。厚生課長、議会事務局長などを歴任し、平成9年から収入役、11年から14年まで助役を務め、同年退職。現在、農業の傍ら「農事組合法人京津畑やまあい工房」代表理事を務める。74歳。

旧釘子小、命守るプロを養成する専門校に

県外からの入学者も

今年の4月に室根町に救急救命士を養成する専門学校「国際医療福祉専門学校一関校」が開校しました。

平成21年3月に児童の減少により閉校した室根町釘子小学校を活用し、開校した同校。
千葉県に本部のある学校法人阿弥陀寺教育学園が運営します。
同法人では、千葉県の千葉校、石川県の七尾校でも救急救命士を養成する学科を設置しています。
2年課程で医師の指示のもと、気管挿管や薬剤投与などの救急救命処置を施こす救急救命士の国家資格の受験資格を取得できる厚生労働省の認可を受けた指定養成機関です。

一関校への本年度の入学生は、男性26人、女性4人の計30人。
市内はもとより千葉県など県外の出身者もいます。
また、救急救命士の資格を取得するために勤めていた職場を退職して入学している人もいます。 

実習に適した立地条件

同校で学科長として生徒の指導を行っている立岡伸章さんは、「山あり、川あり、また気仙沼の海にも隣接しているこの地は、資格取得のための様々な実習に適した環境」と立地条件の良さを語っています。
また「勉強するには、この静かな環境はもってこい」とも語ります。

立岡さんは、「救急救命士の仕事は、患者とのコミュニケーションが何より大切で大事なこと」と語ります。
そのため同校では、救命救急士の活動の中で人との会話などがスムーズにできるようにと室根西小学校の運動会の手伝い、月1回の沿岸被災地でのがれき撤去作業、イベントでの救護対応などボランティア活動を積極的に行っています。

最近では、学校の名前も覚えてもらい、地域活動への誘いも受けるようになったとのこと。
立岡さんは「生徒一人ひとりが高い志をもって勉強している。必ず2年後にいい結果が出るようにサポートしたい」と生徒の指導の決意を新たにしています。

立岡伸章さん

立岡伸章さん

PROFILE

昭和45年埼玉県生まれ。埼玉県で約20年間消防署職員として勤務。退職後、国際医療福祉専門学校に就職。現在、一関校救急救命学科長として生徒の指導に情熱を燃やす。41歳。

再生、活用 かつての学び舎

旧丑石小(大東)

旧丑石小(大東)
▲労働組合「連合」が沿岸被災地へのボランティアセンターとして9月末までの予定で運営。

旧中川小(大東)

旧中川小(大東)
▲高齢者グループホームなどとして「NPOいわい地域支援センター」が運営。

旧天狗田小(大東)

旧天狗田小(大東)
▲解体が終了した後、社会福祉法人「秀和会」が老人福祉施設に再生。

旧千厩中

旧千厩中
▲気仙沼市の仮設住宅約220戸が建設されている旧千厩中跡地。

旧折壁小(室根)

旧折壁小(室根)
▲旧折壁小(室根)も気仙沼市の仮設住宅建設用地として活用される。建設戸数約90戸。

取材のため訪れた閉校舎。
かつての通学路は、雑草もきれいに刈られ、校庭も整地されていて、以前の面影のままでした。
閉校から5年が経ちますが、今でも周辺の環境整備を地域の人たちが行っているそうで学び舎に対する思いが伝わってきました。

学び舎は、地域の人たちの活動の拠点として、心のよりどころとして役割を果たしていました。
少子化などの影響で閉校になった学び舎は、卒業生や地域の人たちに惜しまれながら、いったんその役割を終えました。

平成18年3月に興田小学校として統合のため閉校した大東町興田地区5校のうち旧中川小、旧天狗田小、旧京津畑小は再生され、旧丑石小も短期間であるものの利用されています。
気仙沼市の仮設住宅建設用地として旧千厩中と旧折壁小跡地も活用され、新たな息吹が吹き込まれます。

役割を終えた学び舎を、学び舎に愛着を持つ地域の人たちや法人などがよみがえらせています。
それらの学び舎は、役割を変えても地域に愛され続けるでしょう。
  
特集「よみがえる学び舎」(終)

(広報いちのせき 平成23年9月1日号)