岩手・宮城内陸地震から4年
私たちは3.11だけでなく 6.14も忘れてはならない

落橋した旧祭畤大橋を見つめる勇樹さんと美穂さん
落橋した旧祭畤大橋を見つめる勇樹さんと美穂さん

風化させるな災害の記憶

相次ぐ大地震で甚大な被害を受けた本市
自然の猛威は止められない
いくつもの災害を経験して多くの教訓と課題を得た
被災の悲しみを払拭しても、風化してはいけない
私たちの使命は、災害の記憶を後世に伝えることだ

止められない自然の猛威
大地震で甚大な被害

日本列島は、地球を覆う十数のプレートのうち4つのプレートの衝突部にあり、世界で発生する大地震の10%は日本で発生している。
まさに地震列島である。

08年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震、11年3月11日に起きた東日本大震災と相次ぐ大地震で本市は未曾有の被害を受けた。

このうち岩手・宮城内陸地震は、厳美町市野々原地内を震源とする直下型地震で、岩手県南部と宮城県北部の山間部に甚大な被害をもたらした。
午前8時43分頃、ゴーッという地響きと共に激しい横揺れが襲った。
マグニチュード(M)は7・2、本市の震度は5強。
新緑まぶしい山々のあちこちが崩落、はだけた土が顔を出した。
磐井川上流の同町鬼越沢地内にかかる国道342号祭畤大橋は、中央部からポキッと折れたかのように落橋。
周辺の路面は舗装が裂け、大きく波打った。
各所で地滑りや地割れが起こり、被害額は本市だけで44億円にも上った。

新祭畤大橋から望む2つの橋
新祭畤大橋から望む2つの橋。上は旧祭畤大橋。落橋した当時のままだ。手前は1950 年まで利用されていた祭畤橋

古里の宝栗駒山麓を急ピッチで復旧
災害遺構を残して防災教育の場に

急ピッチで復興
災害遺構で忘災対策

市は国や県の協力を得て、治山事業や砂防堰堤整備などを展開、恒久対策を進めた。

復興にあたり、震災の教訓を忘れてはいけないと保存を決断。
防災教育や学習の場に役立てるため祭畤大橋周辺の災害遺構の形状を残した。
11年6月には断層や地滑りが起こす驚異を再認識してもらうため、「祭畤被災地展望の丘」と「祭畤見学通路」を整備、市民や訪れる人の防災意識の高揚を図っている。

NPO法人「須川の自然を考える会」会員と市職員約30人は6月14日、「岩手・宮城内陸地震4周年記念防災事業」として、施設の清掃や周辺の草刈りなど行った。
作業に参加した同会の千葉邦夫さんは「自然風化は免れないが、できるだけそのままの形で残していけるよう手を掛けたい」と語り、地震の爪痕を後世に伝えたいと願った。

被災の悲しみを払拭することは必要だが、被災体験を風化させてはならない。
今、私たちがすべきことは、災害の記憶を後世に伝えること。
過去の災害を教訓に、災害に強いまちづくりを進めることだ。

自然の猛威は止められない。
将来起こる災害にどう立ち向かうか。
大切な命を守るため、どう経験を生かすか。

多くの人を渡し、つないできた旧祭畤大橋は今、過去と未来をつなぐ重要な役割を担っている。

急ピッチで進められた復旧工事。土砂崩れが発生した場所には緑が戻り始めている急ピッチで進められた復旧工事。土砂崩れが発生した場所には緑が戻り始めている急ピッチで進められた復旧工事。土砂崩れが発生した場所には緑が戻り始めている
急ピッチで進められた復旧工事。土砂崩れが発生した場所には緑が戻り始めている

6月14日に行われた「岩手・宮城内陸地震4周年記念防災行事」で清掃活動する参加者
6月14日に行われた「岩手・宮城内陸地震4周年記念防災行事」で清掃活動する参加者

旧本寺小祭畤分校舎を利活用した祭畤野外活動センター前に、見学者のためのテラスの設置が進む
旧本寺小祭畤分校舎を利活用した祭畤野外活動センター前に、見学者のためのテラスの設置が進む

残存したことに価値がある。後世へとつなぐ鍵は人の心に

登山道以外の森林は誰のものでもない市民の環境財産です。
自然保護のため、登山道整備や森林管理などを行っています。

旧祭畤大橋のたもとには旧本寺小祭畤分校舎や祭畤橋が残っています。
多くが被災した中でこれだけの物が残存したことに価値があります。
言葉で説明するよりも実際に見て、感じてほしいです。

「災害の記憶」を次代へとつなぐ鍵は人の心にあります。
自然の破壊力は大きいですが、ここまで復興させた人の力もまた、大きいのです。

須川の自然を考える会 熊谷健理事長須川の自然を考える会 熊谷健理事長
くまがい・たけし
1932 年一関市生まれ。
88 年須川の自然を考える会会長。2000 年NPO法人須川の自然を考える会理事長。
関が丘4区行政区長。
妻と二人暮らし。一関市関が丘在住、79 歳

小岩勇樹さん
小岩勇樹さん(25)会社員 
立石美穂さん(25)美容師

温泉に行く途中に立ち寄りました。
震災後に来たのは初めて。
ここは、子供の頃、温泉やキャンプで訪れた身近で思い出の多い場所です。
橋だけでなく、道路の崩壊も激しかったんですね。
地震前の状況を知っているだけに、間近で見ると衝撃的でした。

広報いちのせき「I-Style」 平成24年7月15日号