館蔵品

関孝和画像せきたかかずがぞう

関孝和画像

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 紙本墨画
 縦.19.5cm 横19cm


 17世紀後半に活躍した数学者で、和算の流派「関流」(せきりゅう)の祖、「算聖」と讃えられた関孝和の肖像です。
 現在私たちが使っている数学は、明治のはじめごろに伝来した西洋の数学が元になっています。それ以前は、中国の数学を基盤として日本で独自に発達した数学があり、これを西洋の数学「洋算」に対し「和算」と呼びます。漢字とかなとで縦書きで書く数学です。
 関孝和は、寛永19年(1642)ごろに生まれ宝永5年(1708)に没しています。甲府藩(現山梨県)の勘定吟味役を努め、後に幕府直属となり江戸で活躍しました。
 方程式や行列式、円周率などから天文学や暦学まで広い分野に渡り研究し、業績を残しています。ニュートンやライプニッツと同じころ微積分の発想まで到達していたことが知られています。
 また、中国から伝来した計算道具の算木(さんぎ)と算盤(さんばん)を元に、記号を使い紙に書いて計算する筆算の方法(傍書法)を考案しています。この方法が、和算の幅広い展開を可能にしたので、狭い意味での和算はこの人に始まるとされ、「和算の始祖」とも賞されます。
 関流は、全国に広まった和算の一大流派でした。特に一関周辺では、千葉胤秀(ちばたねひで)を中心に盛んとなり、明治以後も長く続けられています。
 この画像は、東京の数学道場から千葉家を経て、門弟である一関の石川家に伝えられたものです。関孝和の画像は、二系統知られていますが、うち一系統の原本とされています。

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