館蔵品

算法童子歌車さんぽうどうじうたぐるま

算法童子歌車
算法童子歌車
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 安倍保圓編 東奥環水社蔵
 板本 縦15.0cm 横6.0cm
 嘉永2年(1849)刊 


 赤荻村(現一関市)出身で、関流九伝の安倍勘司が編集し、千葉胤英(千葉胤秀の息子)の数学塾「環水社」から、嘉永2年(1849)に発行された本です。書名から察せられる通り、子供や初心者のための数学の手引書で、数学の問題の解き方(公式)を五七五七七にあてはめて覚えやすくしたものです。この本は、暗記する時持ち歩けるように、折本仕立てとなっており、たたむとコンパクトなてのひらサイズになっています。
 江戸時代の初期、寛永16年(1639)に河内の和算家今村知商(ともあき)が、漢文の数学公式集『竪亥録(じゅがいろく)』を刊行しましたが、翌年、子どもたちのために歌で公式をまとめた『因帰算歌(いんきさんか)』を刊行しています。これが、数学の公式を歌にして出版したものの最初です。
 一関地方の和算家は、これを時代にあわせてアレンジし広く普及させました。刊行されたものとしては、同じく嘉永2年(1849)刊 環水社発行で同じ内容『算法童子歌』、明治36年(1903)出版の千葉六郎(千葉胤秀孫)による小冊子『数学手引き歌』があり、学んだ人たちが筆で書いたものも多く残っています。また、この地方では昭和30年ごろまで、正月に農家の青年たちが集まり、先生を招いてそろばんから和算の初歩まで学ぶ「そろばん道場」が行われていましたが、そこで使われたガリ版刷りの教科書は、『算法童子歌』などの歌を踏襲したものが主体となっています。  
 この本には、加減乗除の意味、利息や容積の計算など、35の歌が収められています。
 最後の方陣(ますめの縦横斜め、どこをたしても同じ数(この場合は34)となるもの)の作り方を紹介します。
 「数次第 四角に並べ 隅々を 向かえ合わせて 斜めにそろへ」

『算法童子歌』の最後の方陣の作り方

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