復興の光

恐怖に怯え、悲しみに暮れたあの日から2年。
今、私たちがすべきこととは。

冥福を祈り、復興を誓う夢灯り

「3.11追悼夢灯り一関」
「3.11追悼夢灯り一関」

「3.11追悼夢灯り一関」(実行委員会主催)は、3月11日18時から市役所本庁前広場で行われ、近隣住民や高校生など約350人が一関夢灯りの会(小岩登志子代表)が手作りした夢灯りなどに火を灯し、震災犠牲者をしのんだ。

当日は、阪神大震災で被災した神戸市から「希望の灯り」の分灯を受け継ぎ、一本一本丁寧に点灯。
「絆」と書かれた竹筒で地震発生日である「3.11」の文字が示されるなど、350個の灯りが辺りを優しく包んだ。
参加者は、点灯後、黙とうし、復興支援ソング「花は咲く」を合唱。
心を一つに犠牲者の冥福と早期復興を祈った。
小岩代表は、「離れていても気持ちは同じ。
一関からも夢灯りで追悼したい」と犠牲者を思った。

被災した人、支援している人など、立場は違っても、思いは一つ。
向かうべき方向は一つだ。
 

そっと目を閉じる

あの日を思い出す。

長く、大きな横揺れに悲鳴が上がる。
真っ黒な濁流が街をのみ込んでいく。
原発が爆発。
誰もが信じて疑わなかった安全神話は崩れ去り、放射能汚染という見えない恐怖との戦いが始まった。

死者・行方不明者は2万人。
31万人以上の人が古里を離れ、各地へ散った。
本市の仮設住宅などにも2千人以上が暮らす。

あの日から2年。
がれきの山は片付けられ、復興の槌音も聞こえ始めた。
だが、更地が広がる海岸線には深い爪跡が残され、澄み切った空やコバルトブルーの海を思い出すたび、言葉にならない無力感に襲われる。
そこが古里だった仮設住宅で暮らす人たちの心情は、想像しようにもその域を超えている。

「記憶」は風化する

「千年に一度」といわれる東日本大震災。
一方で、3.11を引き金に日本の地殻変動が活発化し、巨大災害時代に入ったという見方もある。

私たちは、この震災を過去の出来事にしてはならない。
被災者として悲しみを拭い去ることはしても、被災体験を風化させてはならない。
何ができて、何ができなかったのかを当事者として検証し、それを教訓に、想定外を想定内にする防災対策の確立と自分の命は自分で守る防災教育の徹底を急がなければならない。

地震列島に暮らす私たちは、愛する人の尊い命と古里の大切な財産を守るために、ずっと震災と向き合っていかなければならない。

できることから

世界中の人たちが、被災地を支援している。
「できることから」と、たとえわずかな時間でも、被災地に寄り添うボランティアの心は温かい。
広がる活動の輪は頼もしい。
感謝してもしきれない。
支え合い、助け合いながら、共に前に進むことが被災者の「心のよりどころ」になっている。
一関からも「自分のことは後回し」で、多くの市民が津波被災地へ駆けつけた。
「誰かのために」駆け回る姿はやさしくてたくましい。

被災地の仮設住宅には、今なお約11万人が暮らしている。
走り続けてきた被災者は疲れ切っている。
その上、不便で不安な生活にストレスを抱えている。
被災のショックや避難生活のストレスから不眠や無力感を訴える子供も増えている。

家と仕事を失った人たちの暮らしをどうやって取り戻すのか。
「街の再生」は「暮らしの再生」であり、根底には「心の再生」が不可欠だ。

光を照らし続けよう

巨大地震、大津波という自然災害に原発事故という社会災害が重なった東日本大震災は、従来の地域や社会が前提としてきた安全の常識を次々と覆した。
そのことを置き去りにしてインフラ整備を進めても、持続可能な未来は開けない。

そもそもまちは、人と人とのつながりによって生まれたコミュニティーである。
自然との関わりを大切にするまち、人々の心が結ばれたまちづくりを目指さなければ、災害に強い「真のコミュニティー」を形成することはできない。

3.11は日本の進むべき道を考える日でもある。
市は3月11日を「となりきんじょ防災会議の日」に制定した。
震災の記憶を風化させないために、震災の教訓を語り継ぐために、家庭や職場で身近な人と語り合う日だ。

近い所が助ける「近助(きんじょ)」は、近所に生きる者の使命。
希望ある未来を開くために、津波被災地に最も近い一関から復興の光を照らし続けよう。

市内各地で鎮魂の祈り
地震が発生した3月11日午後2時46分、市内各地で鎮魂の祈りが捧げられ、復興と再生を誓った
(写真は川崎町の道の駅かわさき)

東日本大震災

2011年3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震、それに伴い発生した津波、その後の余震により引き起こされた大規模地震災害。
地震の規模は、日本周辺の観測史上最大のモーメントマグニチュード(Mw)9.0。
最大震度は宮城県栗原市の震度7。
本市は6弱だった。
震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500キロ、東西約200キロの広範囲。
場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高40メートルにも達する巨大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
津波以外にも地震による家屋倒壊、液状化現象、地盤沈下、ダム決壊など、北海道南岸から関東南部に至る広範囲で各種ライフラインが寸断された。
2013年3月11日現在、死者は1万5,881人、重軽傷者は6,142人、行方不明者は2,668人。
避難所で亡くなるなど震災関連死は12年9月末時点で2,303人。

広報いちのせき「I-Style」 平成25年4月1日号