屋須 弘平(やす こうへい) (1846~1917)

 一関藩蘭医尚安の長男。幼少期に父からオランダ語を学び、青年期には医学、天文学、漢学、スペイン語、フランス語を身に付けました。3年ほど藤沢で医業を行いましたが、通訳をきっかけにメキシコに渡りました。その後、グアテマラで写真館を経営、現地で生涯を終えました。没後に起きた1976年のグアテマラ大地震で、生前撮影していた千枚ものガラス湿板が偶然発見され、古都アンティグア(世界文化遺産)の復興に大きく役立てられました。このガラス湿板は現在、歴史的価値が高いということで、現地の中南米歴史人類学調査センター(CIRMA)に保管されています。

高橋 東皐(たかはし とうこう) (1752~1819)

 高橋内膳十七世の孫で文化・文政記の東奥の隠れたる俳豪。書道家としても名高く、初め俳諧を千厩の西村聴雨から、漢籍・書道を金成の菅原南山から学びました。非凡な才能は、与謝蕪村にも認められ、門人となり、「春星亭」の号が贈られました。句集には「奥美人句集」「春星句集」(発見されていない)があります。晩年は書道に精魂を傾け、東皐流の一派を成すに至り、墨帖「独楽園記」「千字文」「蘭亭集序」、書に「六体の書」「陋室銘」「杜甫の秋興」「聴風雷飛上天」等の作品を残しています。