館蔵品

刀 銘 山城大掾藤原国包かたな めい やましろだいじょうふじわらのくにかね

部分拡大箇所を表示 全体を拡大 
この部分を拡大 この部分を拡大 この部分を拡大 この部分を拡大
刃長 73.2cm  反り 1.2cm  元幅 2.8cm
江戸時代


 鎬造、庵棟、鎬高く、反り浅く、中鋒延びごころ。鍛えは柾目、地沸つく。刃文は直刃に喰違交じり、沸よくつく。帽子は直ぐ、焼詰。茎は少し磨上、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔3個、長銘。

 国包は仙台の生まれで名を本郷源蔵といい、伊達政宗に見いだされ主命で京都の名工越中守正俊(えっちゅうのかみまさとし)に入門しました。二度にわたる大阪の陣には政宗のもとで活躍し、褒美に軍扇と直筆の和歌をいただいています。その後仙台に戻り寛永3年(1629)山城大掾を受領、後には入道して用恵仁沢(ようけいじんたく)と号し、寛文4年(1664)73歳で亡くなりました。彼の名跡は明治時代まで受け継がれ13代を数えました。
 国包は鎌倉時代後期に活躍した大和国の保昌(ほしょう)派を目指し、柾目(まさめ)鍛えに直刃を焼いて保昌に迫るものがあって、その技量は江戸時代きっての柾目鍛えの名手と謳われています。
 この刀もまさに国包らしく、柾目肌に広めの直刃が浅くのたれています。茎(なかご)を少し磨上(すりあげ・短くすること)ていますが、地刃共に健全です。銘は太刀銘に切られています。

このエントリーをはてなブックマークに追加