館蔵品

蘭学階梯並びに板木らんがくかいていならびにはんぎ

『蘭学階梯』
『蘭学階梯』 大槻玄沢著

蘭学階梯版木
蘭学階梯版木
蘭学階梯板木
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 蘭学階梯 大槻玄沢著 天明8年(1788)刊
 板本 縦18.0cm 横12.5cm
 板木 縦21.0cm 横75.0cm、岩手県指定文化財


 『蘭学階梯』は、大槻玄沢の代表作の一つで、刊行されたものとしては日本で初めての蘭学入門書です。二巻からなり、上巻では、日蘭交渉の起源、蘭学の由来と効用等、下巻では、アルファベットからはじまるオランダ語の初歩、舶来の書籍名、蘭学学習一般に対する注意を述べています。
 大槻玄沢は、安永7年(1778)3月江戸に出府し杉田玄白のもとに入門し、天明5年(1785)10月長崎に遊学、翌年帰府後まもなく、一関藩の本藩である仙台藩に藩医として召抱えられ、私塾「芝蘭堂」を開いています。『蘭学階梯』は、天明3年(1783)に成稿、同8年(1788)に出板されているので、玄沢が蘭学者としての基礎を固めるこの時期に執筆されており、蘭学啓蒙の熱意が感じられます。この書に啓発されて蘭学を志すものも多かったといいます。
 板木は、写真の大きさで片面2丁、両面で4丁分の版が彫られています。この半分のサイズで2面分のものあり、合わせて合計21点で『蘭学階梯』全編分となります。『蘭学階梯』は、多くの版を重ね、板元も変わっていますが、最後の蔵板書肆となった青黎閣・須原屋伊八から、明治19年(1886)に大槻家に譲られました。玄沢の孫大槻文彦は、開板から百年も火災にも遭わず失われなかったのは神の加護のおかげ、これを玄沢の遺品の第一とすると、その喜びを記しています。
 見返しの右肩部分に着目すると写真の本は、「彩雲堂主人蔵刻・玄沢大槻先生著」とあり、板木は「仙台大槻先生著」となっています。彩雲堂とは、福知山藩主・朽木昌綱で、『蘭学階梯』出板にあたって経済的な援助をしたと言われます。朽木昌綱が蔵板元となって出板したこの種の本は、わずかしか刷られなかった初板本で、板木はこの部分の板を一旦削り、新たに木を埋めて訂正しています。現在に伝存している『蘭学階梯』は、ほとんどが板木と同じ「仙台大槻先生著」となっています。
 板木に残る何層も重なった墨の跡が、『蘭学階梯』の発行部数の多さ、影響の大きさを物語っているようです。

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