館蔵品

重訂解体新書ちょうてい(じゅうてい)かいたいしんしょ

重訂解体新書

画像をクリックすると拡大表示します。
 大槻玄沢著
 板本 縦26.0cm 横18.0cm
 文政9年(1826)刊 天保4年(1843)印


 『解体新書』の刊行は、わが国における西洋文化研究の道を拓いたとされています。しかし、その執筆の中心となった杉田玄白は、まず世に出すことに意義ありとして出版を急いだために、翻訳が不完全なままであったことが気にかかっていました。
 玄白は、大槻玄沢のことを「この男の天性を見るに、凡そ物を学ぶこと、実地を踏まざればなすことなく、心に徹底せざることは筆舌(ひつぜつ)に上せず。一体豪気は薄けれども、すべて浮きたることを好まず。和蘭(オランダ)の究理学(きゅうりがく 自然科学)には生まれ得たる才ある人なり。」(「蘭学事始」)と評しています。玄白は、玄沢の堅実な性格と才能を見込んで、『解体新書』の改訂を命じたのです。
 玄沢は、西洋並びに和漢の様々な文献を読み、あるいは解剖を繰り返して実物で確かめながら執筆を進めました。木版で作成していた図版も、より細かな描写が可能な銅版にしました。
 『解体新書』が本文4冊、序図1冊の計5冊であったのに対し、『重訂解体新書』は、序、附言等の1冊、本文4冊、名義解6冊、付録2冊の13冊と、南小柿寧一画・中伊三郎刻の銅版解剖図1冊からなります。本文は、寛政10年(1798)にほぼ完成していましたが、出版されたのは文政9年(1826)、出版までにほぼ36年の歳月を要し、もはや『解体新書』の改定版の域を超え、玄沢の著書というべきものになっています。
 この本には、玄沢が訳語として考案した言葉がでてきますが、「結腸」「鎖骨」など現代の医学用語として生きつづけているものも多く含まれています。

このエントリーをはてなブックマークに追加