伊藤 勇雄 (いとう いさお) (1898~1975)

 明治31年(1898)薄衣生まれ。武者小路実篤の「新しき村」に参加、帰村後は「岩手文芸」などを創刊し詩作に励みました。千葉七郎と農民運動を進め、岩手県議会議員、岩手県教育委員会委員長など歴任。戦後は紫波郡煙山村、のちに岩手郡玉山村藪川に入植し、その後、南米のパラグアイに新天地を求めて移住しました。

菊地東雄 (きくち とうゆう) (1786~1872)

 天明6年(1786)薄衣生まれ。幼少より算数を好み、長じて三浦喜三郎・三浦純安、一関の千葉胤秀に学んだ後に、江戸に出ました。天文・暦学・測量などを長谷川寛、山路諧孝に師事し、胤秀より皆伝を許され、「数学指南所」の看板を掲げて弟子を教育しました。帰郷後も村民に数学を教え、蔵書300余巻は薄衣に居館をおいた知行主の泉田家に献上して士分に列せられ、それらの書は今も東京・学士院に所蔵されています。