大槻文彦ガラス湿板写真

大槻文彦ガラス湿板写真

我が国初の近代的国語辞書『言海』の生みの親大槻文彦が、青春時代に最も力を入れていた学問を知っていますか。
祖父玄沢はオランダの学問(蘭学)、父磐渓は中国の古典(漢学)でしたが、文彦は当時最先端の学問だった欧米の学問・英学を学んでいたのです。
しかし時代は江戸から明治に移ろうとする激動の時代でもありました。

文彦は十六歳で英学の道に進もうとしますが、磐渓が江戸から仙台に移り住むことになり、文彦も一緒に仙台に向かいました。
しかし仙台では英学を学ぶことが難しく、藩校養賢堂で漢学などの講師を務めていました。
やがて藩から「洋学稽古人」という肩書きをもらい、晴れて英学を学ぶことができることになったのは二十歳の時です。
文彦は仙台を飛び出し江戸そして横浜に向かい、そこに住んでいるアメリカ人などから直接学びました。
しかし時代が動いたのです。
将軍徳川慶喜が大政を奉還し、やがて戦争に突入していきます。

文彦は藩の命令で「洋学稽古人」の肩書きを隠れみのに密偵(スパイ)として横浜、江戸、仙台を奔走しますが、肝心の英学に打ち込むことはできませんでした。
再開は皮肉にも仙台藩が戦争に敗れ、捕り方が文彦の身辺に迫ってきて横浜に逃れた時からでした。
文彦はようやく横浜で思う存分英学に打ち込むことができたのです。
二十五歳の時には三叉学舎という私立の英学塾の塾長になれるまでの英学を身につけていました。
後年文彦は苦難の中で学び取った英学の知識を最大限に活用して日本語の辞書『言海』を誕生させることができたのです。

ここに紹介する写真は、仙台にいて今まさに世の中に羽ばたこうとする二十歳の文彦を写したガラス製の写真です。
希望に燃える若侍の姿がそこにあります。

「大槻文彦ガラス湿板写真」このガラス湿板写真は、博物館で開催中の企画展「『言海』誕生120周年 ことばの海―国語学者 大槻文彦の足跡―」で展示紹介しています。

一関市博物館案内

企画展ことばの海
「言海」誕生120周年―国語学者 大槻文彦の足跡―

企画展ことばの海

わが国初の近代的国語辞書「言海」が誕生してから今年で120年を迎えます。
「言海」は、一般に使われる日本語を対象として、国語辞書が備える要件を明示し五十音配列で編さんされました。
後に続く辞書の多くは、「言海」を手本に作られました。
本展は、大槻文彦の国語学者としての業績を新たな資料を基に紹介します。
■会期…7月30日(土)~9月11日(日)

【関連行事2】講演会「大槻文彦の著作について」
■日時…8月28日(日)13時30分~15時※入館料必要
■定員…100人
■講師…山口福祉文化大学講師田鍋桂子氏

【関連行事3】展示解説会
■日時…(1)8月14日(日)13時30分~14時30分(2)同28日(日)15時15分~16時15分

館長講座(1)(2) 
伊達政宗の生涯と書状

■日時…(1)8月21日(日)(2)9月18日(日)いずれも13時30分~15時※参加無料
■定員…各50人
■講師…当館館長大石直正
 

(広報いちのせき 平成23年8月1日号)