• 7 関 養軒 (せき ようけん) (1761~1832)

 蘭学者。一関地主町の人。諱は元龍、養軒と号す。10余歳で京都に遊学したが、考えるところがあって帰郷し、親に孝養を尽くしながら独学した。天明3年(1783年)自力による学校の建設を建言して藩主に召出され、同年一関学館(後の府学教成館)が建ち学校守となる。寛政3年(1791年)学頭に進み、文政4年(1821年)に退職するまで約40年間子弟教育にあたり、多数の人材を輩出した。著書に「陸奥郡郷考」、「関邑略志」などかある。

7 関 養軒