館蔵品

五榜の掲示ごぼうのけいじ

五榜の掲示
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 慶応4年(1868)年(江戸時代末期)


 「五榜の掲示」とは、慶応4年(1868)3月15日、明治新政府が、幕府や藩の高札(こうさつ)を撤去して、新たに掲げた5枚の高札のことです。高札は制札(せいさつ)ともいい、木の板に墨書された禁令を中心とした法令をいいます。
 5枚の内容は、人の道を守ること(第1札)、徒党(ととう)・強訴(ごうそ=集団の力によって強引に訴願内容を認めさせる行動)・逃散(ちょうさん=集団で申し合わせて土地を離れる行動)の禁止(第2札)、キリスト教の禁止(第3札)、外国人への加害の禁止(第4札)、士民の本国(居住地)脱走の禁止(第5札)でした。
 明治政府がはじめて出した全国民へ向けての政策でしたが、その内容は江戸幕府の時代とほとんど変わらないものでした。
 そもそも高札というものは、鎌倉時代から用いられ、江戸時代には全国の津々浦々に掲示されました。仙台藩領(一関藩領を含む)では230余か所、盛岡藩領では200余か所の高札場(こうさつば)がありました。高札場は、石垣組で矢来(やらい)をめぐらし、板葺き屋根をかけた堂々たる造りのものでした。仙台藩のある在方(ざいかた)の高札場は、長さ3間(約5.4m)、横7尺(約2.1m)、高さ1丈1尺(約3.3m)あったといいます。このような高札場に、多いところでは7~8枚もの高札が所せましと掲示されました。
 封建的支配の象徴とされてきた高札も、明治6(1873)年、五榜の掲示を最後に撤廃されました。近代的法令伝達網の整備、印刷技術の向上にともない、時代に合わせた方法が模索されたことと、高額の高札製作費や高札場維持費のカットがもくろまれたのでした。

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