館蔵品

昔の一ノ関駅舎むかしのいちのせきえきしゃ

昔の一ノ関駅舎
大正2(1913)年に改築された一ノ関駅舎の模型。
常設展示室「一関のあゆみ」に展示しています。
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 一関に初めて汽車が走ったのは明治23(1989)年のことでした。この年、岩沼~一ノ関間、一ノ関~盛岡間が開通し、両方面とも1日に2往復の運行がなされました。一ノ関から盛岡、仙台はいずれも約3時間半で結ばれたと言います。翌年には上野~盛岡間が開通しています。
 左の写真は、今から90年前に建てられた、一ノ関駅の2代目駅舎の模型です。
 建てられた場所は現在と同じですが、設計図が残されていないため、建物の詳しい作りは不明です。当時の写真を見ると、木造で瓦葺(かわらぶき)だったこと、駅前広場は広々として、舗装はされておらず、数本の木が植えられていたことが分かります。
 駅の場所を決める時、初めは山目(やまのめ)地区に作る計画だったようですが、住民の反対によって、人家のない場所へ変更されたという話も伝わっています。それまでの田んぼに駅ができるのに伴って、新たな道路が整備され、多くの旅館や運送店なども軒を連ねるようになりました。
 鉄道開通前から北上川では舟運が栄え、明治時代半ばからは、蒸気船や発動汽船が盛んに往来するようになりました。しかし鉄道が通ると、舟運は次第に衰えて行きました。
 鉄道は新たな文化をもたらしたり物資を運搬しただけでなく、町並みや人々の暮らしも大きく変えたのです。
 なお、真滝(またき)駅は大船渡(おおふなと)線の開通と同じ大正14年に、山目駅は昭和3年に設置されました。
 
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