館蔵品

先のとがった電球さきのとがったでんきゅう

先のとがった電球

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 大正時代~昭和時代初め(推定)


 一関に初めて電気の明かりがともったのは、大正3年(1914)の2月1日のことでした。本寺(ほんでら)の水力発電所で作られた電気が現在の一関、山目(やまのめ)、中里(なかさと)、厳美(げんび)の範囲に供給されました。当初は3,398個の電球が使われたそうです。
 今は、家庭の中に電気で動く道具や機械がたくさんありますが、家庭に初めて電気がもたらされた時には、照明だけに使われるのが一般的でした。
 電球が普及するまでの照明の主流は、ガラス製の石油ランプでした。ランプはすすが出て「ほや」が汚れるので、すすを取る掃除をしなくてはなりませんでしたし、においがしたり、発火の恐れもありました。電球ではそのような心配がありません。でも、ランプはどこにでも持っていけますし、石油代も安かったので、部屋ごとの電気照明が備えられていない時代には便利な面もあったのです。
 ここで紹介している電球は、ガラスが透明で、先に出っ張りがあります。フィラメントの格好も今とは違います。電球の先の突起がなくなったのは昭和9年(1934)ごろのことですから、それ以前の電球だと分かります。現在使われている白熱電球の多くはつるりとしていて、まぶし過ぎないように内側がすりガラスに加工されています。

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