館蔵品

束髪図解そくはつずかい

束髪図解

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 紙、多色木版
 縦37.0cm 横24.5cm(1枚あたりの寸法)
 明治20年(1887)
 中の2枚です。

 明治時代の中頃に作られたヘア・カタログです。当時の女性に流行の髪型が、カラーの木版画(もくはんが)で美しく描き出されています。
 これらの髪型にはそれぞれしゃれた名前がつけられていましたが、総称して「束髪」(そくはつ)と呼んでいます。
 「束髪」は明治時代半ばから様々なバリエーションを生み、一世を風靡(ふうび)しました。束髪が単なるファッションと違う点は、「おしゃれ」に「実用性」が加味されて広く受け入れられたことです。
 それまでの日本髪は、結うのに時間やお金がかかり、寝る時もそのままで、洗髪もあまりしませんでした。そこで、自分で簡単に結えて経済的、頻繁に頭を洗って衛生的、さらに床に就く際に髪をほどいてゆっくり休むことができ、運動などで体を動かしても髪の崩れを気にしなくてよいので機能的、ということから西洋婦人の髪型を参考にした束髪が提案されて、短期間で全国に普及したのです。ここに紹介したようなカラーカタログや結い方マニュアルが何種類も刷られて、各地の女性たちが参考にしました。
 明治の初め、政府は男性が「ちょんまげ」を切り落として「ざんぎり頭」とするのを奨励しましたが、男性の断髪が進むのに比べると、女性の日本髪が束髪へと変わるのは、15年程後の事でした。


 束髪-文明開化と女性の髪型

従来の日本髪(模型)
従来の日本髪(模型)
束髪(模型)
束髪(模型)イギリス結び 束髪(模型)マーガレット結び 束髪(模型)西洋下げ髪
イギリス結び マーガレット結び 西洋下げ髪
さまざまな束髪を描いた錦絵(色刷り木版画)と一緒に、常設展示室「一関のあゆみ」に展示しています。

 「束髪」とは、明治時代に大流行した女性の髪型です。
 明治時代に欧米文化が積極的に取り入れられるようになると、人びとの生活も次第に変化していきました。「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という俗謡は、広く知られています。男性がちょんまげを切ることはかなりの速さで全国に及び、散髪は文明開化の象徴とも言われました。
 ところが、女性の髪型は、日本髪のままでした。日本髪は、はなやかで美しいのですが、5日に1回位、整髪用の固い油をつけて結い直して、一ヶ月くらいは洗わないことも普通でした。ですから不衛生的で、ゆっくり眠ることもできないし、結うのにお金がかかる、という欠点がありました。
 そこで、西洋の髪型をヒントに考案されたのが束髪です。自分ひとりで結うことができるので、洗髪も面倒に感じないから衛生的だし、経済的である、それに機能的だというので、当時の新聞や雑誌、カラフルなちらしで盛んに宣伝されました。「イギリス結び」「マーガレット結び」「西洋上げ巻」など、ハイカラな名をつけられたいろいろな種類があって、和服にも似合うというので、明治18年(1885)の発表から1年足らずで全国に広まっていきました。
 明治18年10月の巌手新聞でも、束髪の流行を伝えていますし、同年9月には便利な束髪を勧める論説を載せています。
 文明開化による生活様式の変化としては、束髪の他にも牛鍋、カレーライスなどがありますが、どれも、和洋折衷だったことが共通しています。

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