連合国軍に接収された「赤羽刀」脇指銘 源清麿

脇指 銘 源清麿(文化庁所蔵)

戦後、連合国軍(GHQ)によって、武装解除の一環として全国で接収された刀剣類。その多くが海外流出や海洋投棄されたといわれます。
関東では、東京都北区赤羽にあった米国第八軍兵器補給廠に集められました。これらを通称「赤羽刀」といいます。このうち、美術的価値を認められた赤羽刀が日本側に引き渡され、所有者が判明したものは返却され、判明しなかったものは東京国立博物館に長く保管されてきました。平成7(1995)年、「接収刀剣類に関する法律」が制定され、再調査で所有者が確定したものは返却され、所有者が確定しなかったものは国の帰属となりました。そして11年には、これら赤羽刀の公開や活用を図るために全国の公立博物館などに譲与されました。
ここに紹介する日本刀も赤羽刀です。菖蒲の葉に似た形の脇指で、地鉄には、木材でいう板目に似た模様が精美に表れています。刃文は大小の碁石が連なったような様子がさえざえとしていて、光にかざすと、その中にきらりと輝きを放つ筋や砂にほうきで掃いたような線が激しくかかっています。気迫がこもった名刀です。
作者は源清麿、本名山浦環といい、幕末の江戸四谷に住んでいました。清麿は、鎌倉時代の名工正宗に代表される相模国(神奈川県)の刀工の作風を目指し、正宗に迫らんとする技量の高さから、周囲から四谷正宗とも呼ばれていました。その人気は衰えることなく、現代に至るまで絶大なものがあります。
このような名刀も接収刀剣類の中には数多くあったと思われます。その中で赤羽刀と呼ばれて今日に残された一群は、そのきらめきを次の世代に伝えることが許された幸運な日本刀と言えるでしょう。 

(広報いちのせき 平成22年1月1日号)