文化財探訪
市指定有形文化財 青柳倉記碑(あおやぎそうきひ)
青柳文蔵は、宝暦11(1761)年に磐井郡東山松川村(現東山町松川)で生まれ、18歳で江戸に出た後、公事師(くじし)(現在の弁護士)として名声を博しました。
文政12(1829)年、庶民のためにと仙台藩に蔵書2万余巻と文庫修理資金千両を贈り、藩はそれを受け天保2(1831)年、現在の仙台市内に「青柳文庫」を建設、一般に公開しました。
これは日本の公開図書館の始まりとされています。
また、同時期、飢饉から庶民を救うため、籾(もみ)四千石を収容できる「青柳倉(あおやぎそう)」を松川に建設し、籾を低利で貸し付けました。
青柳倉は、後の天保の大飢饉の際、郡内一帯の多くの人を救ったとされ、文蔵は救荒の大恩人と称されました。
青柳倉の由来を文蔵自らまとめた記念碑である「青柳倉記碑」は、現在も松川小学校校舎前に残っています。
問い合わせ先
東山支所教育文化課 TEL0191-47-4544
広報いちのせき「I-Style」 平成25年3月1日号
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