明治初期、宮城県の涌谷・米川地区に田植えの出稼ぎに行った人たちが、豊作と厄払いの願いを込めて踊っていた田植踊りを覚え、徳田地区に伝えたのが始まりで、正月に豊作と厄払いの願いを込めて各家々を踊って回ったといわれています。戦後、経済復興と共に若者が農村を離れ、一度は後継者不足からその活動が途絶えましたが、昭和52年度に八沢青年会有志がその伝統を受け継ぐことを決意して、町文化祭で披露し復活しました。現在は、昭和61年(1986)に設立された徳田田植え踊り保存会が、小学校や地域と連携しながら伝承しています。