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学んだ「つながること」の大切さ 古里一関のために働きたい

佐藤柊平さん
佐藤柊平さん

突然の大地震

大学の春休み。
花巻に住む知人宅を訪れていた時、今まで経験したことのない揺れに遭遇。
その晩は知人宅に1泊した。
知人は、県庁や市役所などから情報を得て、こう言った。
「沿岸部が壊滅。何千人死んだか分からない」と。
ふるさと岩手に何が起きたのか?その言葉にすべてを悟った気がした。
翌日、大東の自宅に何とか帰ることができた。

無我夢中で陸前高田市へ

テレビで放送される映像に、がくぜんとした。
とても現実とは思えない。
陸前高田は部活動の合宿をした思い出の地。
気仙沼や大船渡も幼いころから慣れ親しんだ場所。
まず隣町の自分たちが動かなければ。
居ても立ってもいられなかった。

自転車に支援物資を積んで大東支所へ向かった。
1日に3往復した日も。
同級生や知人と一緒に支援物資を集めることにした。
ツィッターや口コミでどんどん物資が集まる。
輸送の自動車を提供してくれた人もいる。
とてもありがたかった。
陸前高田、気仙沼へ物資を届ける日々。
県外から来る応援隊の道案内や仲介もした。
毎日通い続けた被災地に、記憶の中にある穏やかで美しい風景はなかった。
大自然の前に、人間の無力さを痛感した。
被災地の人の声一つ一つが、心に深く突き刺さってきた。

学生復興支援会を立ち上げる

「息の長い支援を。被災地に関わり続けてほしい」。
震災直後、戸羽太陸前高田市長に言われた言葉だ。
東京に戻っても被災地のことが気になって仕方なかった。

首都圏の大学に通う被災地や東北出身の学生を中心に「学生復興支援会」という支援団体を立ち上げた。
東北出身者以外でも加入する人がいて、支援の輪は大きく広がっていった。
学生に何ができるか分からなかったが、とにかく復興支援に関わり続けなければという一心で、取り組んだ。

9月、陸前高田、気仙沼でのボランティアに加え、支える内陸と復興を目指す沿岸の人、双方の視点から復興を考える「いわて復興支援シンポジウム」を開いた。
震災は、人と人とのつながりの大切さを私に教えてくれた。

現在は、来年度のプロジェクトに向けた準備を始めている。

将来のこと

私は今、明治大学農学部で農業経済や地域活性化を学んでいる。
将来は、古里の一関や岩手のために働きたいと考えている。
そして、被災地の復興にも関わっていく中で、岩手の再生、そして、もっと魅力ある岩手を築きたい。
「ふるさとの未来は自分で創る」という志を忘れず、東京で勉学を続ける。

Profile

さとう・しゅうへい
1991年一関市大東町生まれ
現在明治大学農学部2年
雄弁部、楽農4Hクラブに所属
陸前高田市や気仙沼市を中心に復興支援活動を展開
学生復興支援会を立ち上げ、代表を務める
東京都在住、20歳

救うハタチ。Save 20 years

厳しい訓練と培ったチームワーク 全ては「命を救う」ために

木下浩輔さん
木下浩輔さん

消防士を志した理由

小さい頃ぜんそくにかかった私の治療のため両親は、転職して古里に帰ってきた。
空気の良い岩泉で暮らし、私のぜんそくは、いつしか治っていた。

小学生の頃、友人と連れだって見に行った消防のイベント。
そこで繰り広げられる訓練の様子が目に焼きついた。
その日から消防士が自分の憧れの職業になった。

好きなサッカーを続けるため、両親を説得して盛岡市立高校に進学。
サッカーに明け暮れた。
一方、進路についても真剣に考え始めた。
両親に相談もした。
思い出したのは小さい頃に抱いた「消防士への憧れ」だった。
高校3年。
県高総体を最後に、サッカーを一時封印。
全国高校サッカー選手権大会出場を目指して練習する皆を横目に、消防士になるための勉強を重ねた。

夢の実現へ

勉強のかいもあってか、一関市消防本部に採用された。
半年間の消防学校での訓練を修了し、一関西消防署に配属。
ついに夢が現実となった。

想像以上に多い事務をこなしながら、訓練を積む日々。
重ねた訓練を生かし現場活動の成果につなげることにやりがいを感じている。
休みには、好きなサッカーや釣りでリフレッシュしている。

大震災発生

休みでたまたま自宅にいたときに襲ってきた大きな揺れ。
とっさに岩泉の実家に暮らす家族のことが頭に浮かんだ。
何度電話してもつながらない。
心配する気持ちを振り払って職場へ向かった。

消防士になって1年足らず。
経験不足の自分に沿岸の被災地への出動命令はかからない。
沿岸被災地に向かう先輩を見送って、市内での職務に夢中で従事した。

久々にとれた休み。
帰省した私は、子供の頃通った沿岸部の道を走ってみた。
見慣れた町がそっくりなくなっていた。
家族の元気な姿に安堵したものの、地震と津波にあらためて恐怖を感じる帰省となった。 

将来のこと

サッカーを通じて培ったチームワークを生かせる消防士という職業に就いた。
まだ日は浅いが、普通の生活ではできない経験を日々積んでいる。
1月8日、故郷岩泉で成人式に参加した。
懐かしい同級生との再会。
そこで物の見方が以前とは違っている自分に気付いた。
旧友は皆、良くも悪くも今どきの若者だった。

夢は「地域の人たちに信頼される消防士」になること。
月並みだが、そうなのだ。
昨年から、救助訓練に志願した。
一分でも一秒でも早く人を助けるために―。
訓練は嘘をつかない。

Profile

きした・こうすけ
1991年埼玉県上尾市生まれ
盛岡市立高校卒業後の平成22年4月、市消防本部採用
半年間の消防学校生活を経て現在、一関西消防署勤務
趣味はサッカー、釣り、スノーボード
料理に挑戦してみたいと笑顔を見せる
一関市在住、20歳

ハタチの諸君へ―。「旅」ノススメ

よく人は「人生は旅に似ている」という。
では「旅」とはなんだろう。
郷土の偉人大槻文彦は「言海」で「家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト」と定義している。

旅とは「途上にあること」だ、というのだ。
ここから、「人生は旅に似ている」あるいは「旅は人生のようだ」という認識が生まれてくる。
人生もまた「途上にあること」と定義されうるものなのだ。

1月8日に行われた成人式で取材した中に「夢は特にない」と語る若者がいた。
私はその話を聞いてとても残念だった。
彼にどんな事情があるか知る由もないが「今が一番楽しい時ではないのか?自分の将来に、何の夢も希望もないとは『若さ』という特権を自ら放棄している」と思わずにはいられなかった。

正月に読んだ本に「旅をしなさい。どこに向かってもいいから旅に出なさい。世界は君や、あなたが思っているほど退屈なところではない」という一節があった。
ここでいう「旅」とはもちろん、単なる観光では決してない。
遠くに行けばよいというものでもない。
知らない土地を訪ね、その風土、食や人にめぐり会い自らを見つめ直す―これこそが「旅」である。

人間とは元来、旅をする生き物である。
太古の昔、アフリカの高地で「人類」と呼ばれる生物が誕生し、二足歩行を始め、ユーラシア大陸を越え、ベーリング海峡を渡り、南アメリカに至る壮大な旅をしたことを考えれば、人が旅をすることは本能的なものであり、生きることそのものであると考えるべきだ。

「旅には何があるのか」と問う人もあろう。
それは旅に出なければ分からない。
旅は、旅することでしか見えないものが大半であるのだから。

世の中は今、すぐに答えを求めたがる。
本当に正しい答えなど誰にも分からない、実はどこにもないかもしれないのに、皆が答えを知りたがる。

自分の答えは、自ら見、聞き、経験しなければ見つけられないものなのだ。
青春時代の視点は大抵、年をとるにつれ失われてしまうものなのだ。
旅に出よう―。

第2特集「まっすぐにハタチ。」完

いちのせきの広報誌「I-style」2月1日号