移住者に聞く
もてなしの真基準

「モノ」から「コト」へ
ほっとする瞬間が人を引き付ける
外なる魅力は内なる引力だ

温かくて優しい
人とのつながりが心地いい
渡邉亜里沙さん
渡邉亜里沙さん
大東町中川に暮らす緑のふるさと協力隊・名古屋市出身・23歳

NPO法人地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」の一員として今年4月から大東町の京津畑集落に住んでいます。

来た初日から歓迎会を開いてもらうなど、皆さんに温かく迎えてもらいました。
初めは何をすればいいか分からず不安でした。
そんな時、京津畑の皆さんは「顔を見て話すだけでもうれしいでしょ」と優しい言葉をかけてくれました。

活動の一つに、やまあい工房の調理などの手伝いがあります。
毎週火曜日は手作り惣菜の訪問販売日。
10キロも20キロも離れた地域に行っても、どこの家に誰が住んでいるかを知っていて「変わりないですか」とあいさつする工房のお母さんたちはすごいと思います。
お客さんは「来週も来てね」と週1回のお惣菜を心待ちにしています。
そんな温かくてやさしい関係が心地よくて、私は同行するのが毎回楽しみです。

大学生などが「山がっこ」に宿泊することがあります。
山の恵みの食べ物、豊かな自然など都会にはないものを満喫。
そして人の温かさに触れて、感動を覚えて帰ります。
その時、楽しんでいるのは、学生だけではありません。
京津畑の皆さんは、初めて訪問した人でも家族のように迎え入れます。
「どこから来たの」となにげない会話の中にも優しい気持ちにさせる方言があり、自然と笑顔が広がります。

私の「岩手行き」を心配していた家族も、一度訪れたら「初めて来た気がしない」とすっかり気に入って、今では京津畑の大ファン。
正月にまた来たいと言っています。

自然とふれあい、人と関わる暮らしは、今まで知らなかった豊かさを感じさせてくれます。
京津畑は決して便利ではないけど、昔から変わらない人と人とのつながりが残っています。

今では私も京津畑人。
どなたが来ても、心の込めて迎え、できる限りのおもてなしをしたいと思います。

避難

宮城県気仙沼市出身の私は、被災して室根町の仮設住宅で生活しています
清水章さん・65歳・折壁仮設住宅あすなろ自治会会長・気仙沼市幸町出身

清水章さん
「一日も早く気仙沼に戻りたい」それが本音です。
そんな気持ちを和らげてくれるのが室根の人たち。
やさしく気遣ってくれます。
最近も、産業文化祭に案内してもらったり、仮設住宅のある屋中自治会の秋祭りに参加させていただいたりして楽しく過ごしました。
また、地域の人たちと一緒に畑で野菜を作ったり、散歩の途中に野菜をいただいたりするなど、日常的に皆さんの温かい心を感じています。

居心地は最高です。
仮設住宅の仲間には、「このままここに居たい」と言う人もいるほどです。
これが、おもてなしなんですね。
心から感謝しています。

観光

千葉県東庄町在住の私は、友人10人と観光旅行で猊鼻渓を訪れました
石毛克身さん・57歳・地方公務員・千葉県東庄町・母、長男と3人暮し

石毛克身さん
11月に男友達10人で猊鼻渓の舟下りを楽しみました。
私達は2年に一度旅行をしています。
震災以降、私が石巻市や東松島市へ災害ボランティアに来ていることもあり、復興支援になればと行き先を岩手・宮城にしました。

船頭さんの説明と追分は、緩やかな川の流れのようで、心が癒やされました。
船頭さんの人柄が印象的で、「一関っていいまちだな」と思いました。
一関が温かいのは、きっと皆さんがやさしいからなんですね。

来夏、岩手銀河100 キロマラソンに出場します。
その際は、一関の知人に案内してもらいながら、ゆっくり市内を巡りたいです。

仕事

鹿児島県日置市出身の私は、赴任先の一関で妻と出会い結婚、ここに定住しました
新川正己さん・53歳 ・自営業・舞川・妻、長女、長男と4人暮らし

新川正己さん
1979年に初めて東山町を訪れました。
86年から同町に滞在して撮影するようになり、それがきっかけで妻と結婚。
舞川に居を構え、藤沢に写真店を出しました。

鹿児島出身の私はいわゆる「よそ者」。
にもかかわらず家を建てる時も、店をオープンする時も、一関の皆さんには心から受け入れていただき、たくさんの人に支えてもらいました。
感謝しています。

商売のおもてなしは「早い、安い、高品質」、日常のおもてなしは「感謝の気持ち」です。
「おもてなし」は一関の文化です。
鹿児島、東京など複数の場所で暮らしたからこそ、人一倍感じます。

結婚

フィリピン出身の私は1990年に大東町へ嫁いできました
阿部スサーナさん・43歳・自営業・大東町猿沢・両親、夫、二男、長女と6人暮らし

阿部スサーナさん
右も左もわからないまま猿沢に嫁いできました。
最初は、祖国と全く違う環境に不安でいっぱいでしたが、家族や地域の皆さんが支え、助けてくれました。
早く地域になじめるようにと、さまざまな行事に誘ってくれたり、気軽に声を掛けてくれたりしたことがうれしかったです。

猿沢の人たちは、何をするにも助け合うところがすごいですね。
穏やかな土地、親切な人たち、優しい家族に囲まれて、私は幸せです。
フィリピンの「おもてなし」は「物」で相手に尽くします。
日本は、物より気遣いや思いやりなど「心」でもてなすところが、大好きです。

広報いちのせき「I-style」12月1日号